自然界最強の道理

自然界では強いものが生き残ります。そのため、強い種を残すために日々に切磋琢磨され強さを伸ばしていきます。しかし環境の変化というものは無情でもあり、ある時を境に強いものが弱いものになったりします。

それは病気であったり、ケガであったり、もしくは気候変動によってそれまでの強みが弱みになることもあります。例えば、暑さに強い生き物が急に寒冷化によって弱い生き物になります。このように、自然界では常に弱者と強者が入れ替わり立ち代わり生き残りをかけて命懸けで変化しているのです。

ここではっきりするのがそれでは強者とは何かということです。

自然界での強者は言わずもがな「変化に適応するもの」です。

その時々の変化があってそれにもっとも適応していくとそれが強者ということになります。先ほどのことであれば、暑さに強かったものが寒さに強くなる。それまでの暑さに適応してきた能力を捨て去って寒さに適応する能力に切り替える。すると、強者のままでいられるのです。

しかし実際には、変化のスピードが速ければ早いほどに適応することが難しくなります。私たちの身体が熱中症になるのもまた、急に暑くなってきて身体が適応できないからです。同様に、急激な変化というものは私たちに適応する時間を与えてくれません。

自然界の生き物を観ていたら面白い現象があるものです。それはまるでそうなることを先にわかっていたかのように先に強みを捨てて弱くなり変化に事前に適応するものがあるのです。

それは大変なリスクであり、時として弱さからいのちが終わる心配もありますが自然界の変化にピタリと合わせてきます。その生きものたちが次の時代を担い創っていくのです。

強みはあるとき、弱みになる。そして弱みがあるときに強みになる。その道理は、自然は無常に変化するという真理ということでしょう。自然界最強の生き物とは何か、それは「適応する」生きものなのです。

変化するには、様々な能力が必要です。それは勇気だったり、志だったり、挑戦だったり、実践だったりと多岐に及びます。しかしもっとも大切なのは、信じる力であると思います。

変化は、見方を換えれば千載一遇のチャンスの到来です。引き続き、子どもたちの舞台を用意できるよう最善を盡して変化を味わいたいと思います。

面倒という醍醐味

人は日々に様々なご縁をいただいて暮らしを営みます。その一つひとつのご縁は、そのまま思い出になりますからどのようにご縁を大切にするかで思い出もまた大切になります。

人との出会いを大切にするというのは、言い換えれば人との思い出を大切にすることです。

人との出会いは面倒なことばかりです。しかしそれを面倒くさいと切り捨ててしまったら、ご縁も切り捨て、思い出もまた切り捨てていくことになります。

一枚の絵があるとして、全体で絵は完成しますがその部分部分の細部はあらゆる景色が重ね合わさってできた憧憬でもあります。その憧憬を積み重ねながら人生の一枚の絵を完成させていくなかで、この絵が全体で観たらどのような絵になるのだろうかとワクワクドキドキと好奇心を発揮して取り組んでいくことで人生の醍醐味というか、豊かさや深さを感じることができるように思うのです。

面倒見がいい人という徳が高い人が居ます。

面倒という言葉の語源を調べると、「ほめる」「感心する」などの意味を表している動詞で「めでる」という説。またもう一つは、地方に住む幼児が、人から物を貰った時に額に両手で差し上げて言った「めったい」「めってい」「めんたい」と言う感謝の言葉からの説があります。

そして面倒見がいいというのは、面倒なことを感謝で観ることができる人ということになります。どんなことでも有難いと他人が煩わしいと人が感じるものを敢えて大切にしていく人は徳を積んでいる人です。

徳は別に積もうとしていることが大切なのではなく、徳は大切だと思っている人が徳の人ということです。つまり見返りをそもそも求めていない、そもそもの執着を手放しているから自然に徳が磨かれていくのです。

仏教の話に、仏陀から「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除く」ということばと掃除だけを与えられ、それを繰り返し毎日続けて、ついに大悟して阿羅漢果(あらかんか)を得たという方がいます。ある意味、この故事でいう掃除という面倒なことを敢えて取り組むことで徳を磨き、執着を手放して悟りを得たといいます。

魅力がある人や、徳のある人は、何か当たり前ではないことを大切にし、世の中の当たり前というものにいちいち左右されることはありません。それが如何に価値があることかを誰よりも知り、常に自分軸の中でその当たり前のことを徹底的に大切にされるのです。

その一つがご縁を大切にすることであり、ご縁を活かし続けるという実践でもあります。

日々の学びは、ご縁の連続ですがどのようにそれを活かすかはその人の生き方次第です。子どもたちが未来で、日本人の徳が伝承していけるように日々の面倒なことに喜びを感じ率先垂範して味わい楽しんでいきたいと思います。

ありがとうございました。

癖と改革

人は生き方の癖があるように働き方の癖というものもあります。今までどのように働いてきたかが働き方の癖になります。その働き方次第では、一流と呼ばれる人になっていったり、いつまでもうだつが上がらないような人になっていたりします。この生き方や働き方の改革とは、今までの癖を治すということだと私は感じています。

つまり今までの癖を改善し、新しい習慣を身に着けること。今まで変われなかったことを、改めて変えるというのは大きな覚悟と決断と実践が必要でまさにこれは改革だと私は思います。

例えば、今まで派遣で働いた人が正社員になるというのも改革が必要です。働き方の癖がありますから、今までと文化が異なります。特に向き不向きもありますから、自分に向いていることをやっていけば自分のあった生き癖、働き癖は手に入るのですがそれがあるとき、合わなくなったとき選択を迫られるのです。

今までの生き方、働き方を見つめてこのままでいくのか、それとも変えて新しくなるのかを決める必要が出てきます。万物は生々流転し発展を続けますから、人間もまたその万物の一つですから常に変化しながら発展を続けます。昨日までの状況とは異なるのだから新しい状況を見据えて改革を連続させていく必要があります。

その時、人は自分の癖を見つめて観直してみるといいように思います。

だいたい私もそうですが、今までの癖に気づくのは今までと違うことをやることになったり新しいことに取り組むとき、またペースが乱されたり、不安になったりするときに発見するものです。

なぜこのやり方じゃないといけなかったのだろうかと、見つめ直してみるとそんなにたいしたことではなかったことに固執したりする自分に気づくものです。思い切ってその癖を改めて別の習慣を持ってみようと繰り返し挑戦し実践をしているうちにかつての癖が修正されて新たな癖を持ち始めます。

つまりそれで生き方や働き方の癖が変わるのです。他にも突き詰めていけば、心の癖であったり、感情の癖であったり、言葉の癖や態度の癖、あらゆる癖があることに気づきます。

例えば粗雑な癖がある人は、丁寧に心を籠めるために何か文化的な習い事をしたり、その道具に触れ続けて慣れてきたころには習慣を獲得します。私も日ごろから、日本文化の道具や室礼など、様々な実践を積み重ねていくことで習慣が変わっていきました。

また話を聴くということができない人やせっかちで思い込みの強い人は、敢えて聴く場をつくり聴く人に換えていけば生き方も働き方も、素直に聴いてからという習慣が身についてきます。

改革というものは須らくそういうもので、習慣にしていくために小さな努力や実践を積み重ねていくことしかないように思うのです。そしてもう一つここで大切なのは、環境を観直してみることです。今の習慣は環境や場がそれをしやすいようにつくられたものです。それを一度、手放してみることで自分の過去の習慣や癖を発見するのです。

引っ越しをしたり、移転をしたりと、今までの環境を手放してみれば自分の過去の癖をブラッシュアップすることもできます。時代の変化の中で、如何に捨てていくか、手放して新しいものを掴んでいくかはアフターコロナの世の中を渡り歩くためにも大切な素養になると思います。

引き続き、子どもたちの憧れるような働き方や生き方を楽しんでいきたいと思います。

ご先祖様の生き方

昨日は、盂蘭盆会の送りをするためにお墓参りにいきました。お地蔵様においては、馬と牛に見立てたキュウリと茄子の方向を反転させてまたあの世へ気を付けてお帰りいただけるようにお祈りしました。

自然に心が穏やかになるのは、ご先祖様の存在を身近に感じているからかもしれません。私たちが今があるのは先祖の存在があってこそで、それが途切れることがあれば今の自分は存在しません。

お墓には先祖代々から続いているという証拠がたくさん残っており、その時代時代に生きた人たちが繋いできたいのちがあります。個人主義がここまで偏ってしまった現代において、個人であり過ぎるための不安や悲しみなども深くなってきています。

そんな時は、ご先祖様の存在に感謝すれば自分もつながりの一部であることを実感して有難い気持ちが湧いてきます。人はつながることでお互いの存在が如何に大切であるのかを実感します。コロナウイルスが発生してからは、改めて分断の辛さ、寂しさを感じます。つながりながら分散するというのは、思えば先祖が長い年月をかけてきた集団で生きていくための智慧の仕組みです。

改めて、むかしの人たちの智慧を学び直してこの時代の最先端の仕組みを創造していこうと思います。

最後に、昨日のお墓の中には戦争でなくなった方もおられます。遠く離れた土地で、遺体は戻ってこないままに私たちが行ったこともないような場所で亡くなっています。写真を見るとまだ若く、とても聡明で私の方がその方々がお亡くなりになった年齢よりも歳をとってしまいました。

なぜ戦争をするのか、なぜ戦争は起きるのか、なぜ戦争はなくならないのか。

この問いは、今の私の魂の根幹を動かし子どもたちの志事をする純粋な初心の源泉でもあります。人類を愛するからこそ、人類が末永く地球で安らかに暮らしていけるような世の中を創りたい。

自分が今、取り組んでいることのすべては子どもたちへの願いであり祈りです。今の世代の責任と役割を果たすために、まだまだやれることがあります。戦争を防ぐには、戦争が発生する前に行動するしかありません。

徳積の活動も、いよいよ佳境に入っていきます。

ご先祖様の生き方に恥じないように、私の役割と使命を全うしていきたいと思います。

場道の心得

日本の精神文化として醸成し発展してきたものに、場・間・和があります。これは三位一体であり、三つ巴にそれぞれが混ざり合って調和しているものですからどれも単語が分かれたものではなく一つです。

この三位一体というのは、真理を表現するのに非常に使いやすい言葉です。私たちは単語によって分化させていきますから、実際には分かれていないものも分けて理解していきます。言葉はそうやって分けたものを表現するために使われている道具ですから、こうやってブログを書いていても全体のことや真理のことなどは文章にすればするほど表現が難しく、読み手のことを考えていたら何も書けなくなっていきます。

なので、共感することや、自分で実感したこと、日記のように内面のことをそのままに書いていくことで全体の雰囲気を伝えているだけなのかもしれません。

話を戻せば、先ほどの三位一体ですが例えば心技体というものがあります。これは合わせて一つということで武道や茶道、あらゆる道という修業が伴うものには使われるものです。これらの分かれて存在しているようなものが一つに融合するときに、道は達するということなのでしょう。言い換えれば、このどれも一つでも欠けたら達しないということを意味しています。

そして私に取り組む、場道もまた道ですからこの心技体は欠かせません。では何がこの場によっての心技体であるかということです。これを和でわかりやすく伝えると、私は「もてなし、しつらい、ふるまい」という言い方で三位一体に整える実践をしています。そもそもこれが和の実践の基本であり、そして同様に場と間の実践にもなります。

まず「もてなし」は、心です。「しつらい」は技です、そして「ふるまい」が体です。

これは場道を理解してもらうために、私が自然に準備して感覚で理解してもらいその道を伝道していく方法でもあります。もてなしは、真心を籠めることです。相手のことを思いやり、心の耳を傾けて聴くこと。そしてしつらいは、それを自然の尊敬のままに謙虚におかりし、場を整えていくことです。美しい花の力を借りたり、磨き上げた道具たちに徳に包まれることで万物全体のいのちに礼を盡します。最後のふるまいは、一期一会に接するということです。この人との出会いはここで最初で最後かもしれない、そして深い意味があってこの一瞬を分け合っているという態度で行動することです。もちろん世の中のふるまいのような立ち振る舞いもあります。しかし本来は、見かけだけのものではなくまさに永遠の時をこの今に集中するという態度のことで覚悟のことでもあります。

人生を省みて、その時にどのようにふるまったのか。

つまりその人は、どのような夢や志をもちこの時代の出会いの中での「ふるまい」という上位概念でのふるまいを私はここでの三位一体のふるまいと定義しているのです。これは実は、先ほどの「もてなし、しつらい、ふるまい」の共通する理念を指しているものでもあります。

つまり「生き方」のことです。

場道の真髄と極意は、生き方を日本の文化を通して学び直すことです。先人たちに倣い、本来の日本人の大和魂とは何か、生き方とは何かを、思い出し、それを現在に甦生させていくことで魂を磨き結んでいくのです。

子どもたちが、この先もずっと日本人の先祖たちの徳を譲り受けて輝き続けられるように見守っていきたいと思います。

 

 

日本人の心

以前、私は偶然にもドイツ人建築家のブルーノ・タウトの設計した旧日向邸を見学したことがあります。もう6年くらい前になりますが、仕事の合間に立ち寄ったお蕎麦屋さんで偶然ブルーノ・タウトの遺作の家具をみせていただくご縁がありそのまま興味を持って訪問してきました。

お蕎麦屋さんでは親切に、他にも2階にあるブルーノタウトのものを案内してくれました。今思えば、その時に私はこの西洋と日本の工芸の合わさったものを見せていただいた気がしています。

現在、徳積カフェの設計でどうしても椅子を中心にどうしたものかと悩んでいました。しかし思い返してみれば、私はブルーノタウトが日本の工芸職人に、様々な工芸を依頼してつくらせていたものを観てその魅力と価値を感じていたのかもしれません。

そもそも椅子とは何か、もっといえば西洋文化とは何か、その原点や本質を知っているからこそ日本の伝統工芸に示唆を与えることができたように思うのです。私の身近には、現在、多くの工芸品が集まってきています。

その一つ一つには、実に多くの文化が融合しているものばかりであるのに気づきます。例えば、今、私がパソコンでブログを書いているのに使っている八角テーブルは中国の文化を取り入れた風水で仕上がっています。

思想をそのままカタチに換えてそれがテーブルとなって新しい文化に融合していく。

その役目を果たすデザイナーや設計者、そして職人たちは、「思想や文化」を伝統的な日本人ならどう咀嚼して融和させられるか、もっとシンプルに例えれば、今の風土の素材で挑むのなら何をどうするかと試されているのです。

発明や発見というものは畢竟、そういうものです。

あらゆる素材をあらゆる文化で結合させる、そして新しい調和を産んでいくということ。

私たちは日本人として日本の風土で生まれ育っています。単なる輸入したものを、輸入した素材で似たものをつくってもそれは本物ではありません。その証拠に、何も風土で練り上げられたものが活用されていないからです。

本物とは風土の化身であり、私たちはあくまで海外から来た新しいものを風土で調理して本物に仕上げる必要があるのです。私がこだわっているのは、この一点であり、建築やデザインを手掛けるものの中心には常に「風土」を基本にしています。

現在、建築も設計もデザインもあらゆる職業は分化して専門家されています。私は専門があることはいいことだと思っていますが、専門しかしないというのはどうかなと感じます。

なぜなら自然はすべて専門が集積調和したものでありそれぞれは全体で成り立っています。それを風土といいます。その風土を究めることが、工芸に出たり、大工に出たりして民藝という具合に人々がすべてアーティストに変換されているのです。つまり風土の美を日本人は全員が持っていて本来は全員がデザイナーでありアーティストでありミュージシャンであったからです。

無名の、何の職業と関係ない人が、真善美をあらわすほんの小さな芸術を数々に産み出してきました。そしてそれが日本のふるまい、しつらい、もてなしなどにも融和されて独特な生き方を示していました。

忘れてはならない日本をもっと大切にすることこそが、子孫たちへ日本人の心を譲り遺す鍵となります。私のできることで、その生き方で示していきたいと思います。

椅子との出会い

徳積カフェで導入する椅子は、日本の伝統的な木工を使って製作された70年代の椅子とご縁があることになりました。私は椅子のことはあまり深めたことがなかったので、どこからつながりを持てばいいのかと大変悩みました。

最初は、民藝の椅子からはじまり海外の椅子の事を調べました。その後は、日本的な椅子とは何か、そしてそもそも椅子というものは何かということを深めていきました。結局たどり着いたのは、不思議ですが70年代の椅子がもっとも相性がよく導入を決めました。

改めてそこからわかってきた椅子のことを少し深めてみます。

そもそも椅子のはじまりは人間が座るためにかつては石や切株などの自然物が転用されさらに椅子が座るための道具として利用されてきたといいます。椅子の歴史で現代語られるのは古代のエジプトで椅子は権威の象徴として用いられたといわれます。

日本では平安時代に身分によって、椅子、床子などが用いられましたがこれはあまり普及せず、戦場などで折りたたみ椅子の床几(しょうぎ)や、露天の茶店などでベンチに相当する椅子縁台(えんだい)からでした。普段から畳に直接座る生活習慣を持っている日本人にはあまり椅子は馴染みませんでした。

そもそも和服も椅子に向いておらず、洋服は畳にあまり向いていません。無理に生活様式が変わってしまうことで、そもそもの相性のよかったものたちが不釣り合いになっていきます。なんでもそうですが、入れ替えではなく、順応するというようにその風土や環境、文化に合わせた変化や進化をしっかりとその時代時代の作り手や使い手たたちがブラッシュアップしていくことが文化の正常な発展には何よりも大切だと私は感じます。

話を戻せば、実は明治に入るころまで私たちは椅子に座るという文化がなく、江戸時代などは椅子に座ると足が痺れるというように椅子が苦手な人が多かったようです。今では床に座ることが苦手な人が増えていますが本来、私たちはずっと床に直接座るという生活習慣を持った民族だったということです。そして明治になって文明開化が叫ばれてからは、まずは学校や役場で椅子が用いられるようになりました。そして次第に一般家庭にそれまでの日本的な生活様式から、西洋的な生活様式に入れ替わる過程で同時に椅子もまた普及していったのです。

そこで今回、なぜ70年代のミッドセンチュリーの椅子になったかということなのです。戦後に、それまで戦争で使われてきた技術が平和のために使われ始めます。そのミッドセンチュリーを代表する家具のデザイナーといえば、チャールズ&レイ・イームズ夫妻、エーロ・サーリネン、ハーマンミラー社とイームズ夫妻を引き合わせたジョージネルソン、イサム・ノグチなど多くの人物がいます。日本では剣持勇、柳宗理などの名前が有名です。

1960年代から日本も高度経済成長期に入り、世界に通用するものづくりをすることを掲げ、あらゆるデザイナーたちが世界一を目指して品質を向上させていきました。そしてこの70年代には、それが認められ世界で日本人のデザイナーが活躍をはじめるのです。

この時代の家具は今見ても、本当によく練り上げられ洗練していて世界の家具の良いところどりをして日本の木工技術の長所を上手く組み合わせています。私はこの時代の家具の中に、世界の文化の一つに誇れる日本文化と日本のものづくりの魂を感じました。

今回のカフェは、日本の木工の粋を集めたものになりますからその木工の魂を温故知新して寛ぎ、日本の文化や徳を深く味わってもらうために70年代の椅子を導入することにしたのです。その椅子は、地元福岡発祥の辻木工を中心に、山川ラタンなど職人の業が光るものです。

手仕事の美しさ、その時代から今にいたっても普遍的なデザイン。この椅子に座って徳を語り合って子どもたちのために譲れる文化を遺していきたいと思います。

分散型スマートシティの本質

コロナの影響があって現在は、分散型にしようという気風が全世界的に広がっています。しかし実際には都市型集中という仕組みはむかしからリスクが高く本来の自然界の生き物たちはみんな自立分散させて種を保存させているのです。

例えば、もしも人類を一か所だけに集めてしまい都市の中だけで生活すればもしも凶悪なウイルスが蔓延すればそこで絶滅してしまいます。敢えて、広い範囲で小さく分かれて生活していればそのウイルスで一部が滅んでもそのウイルスもまたそこで消失していくものです。これも一つのリスク回避の道理で、すべての生き物には必ず寿命がありますから、その寿命が尽きるまでは耐えて離れていればいいのです。

私たちのいのちは永い進化の過程で、世界各地へ広がり独特の進化を遂げてきました。それは遺伝情報に記されていますが、あらゆる風土に適応していく中で免疫や耐性というものをそれぞれに獲得してきました。

寒いエリア、乾燥のエリア、灼熱のエリア、高地のエリア、高湿度のエリア、それぞれに順応しながら分散型に多様化させて生き残るための智慧を獲得していきました。

現在は、みんな一斉に同じような生活様式で同様な環境下にありますがこれが本来どれほどに危険なことなのかを改めて見つめ直し考える時機だと私は感じています。でなければまるで今の人類は一斉に人口を増やし一斉に滅ぶために集まっているようにも思えます。

自然が謙虚なのは、生き残るためです。生きものがそれぞれにみんな足るを知りつつほどほどに種を保ち、絶妙なバランスでみんなで協力し合って地球で生き残ろうという共通戦略は不動のものです。すべての生命はそうやって生き残るためにも利他的に協力し合い、それぞれに自律分散しているともいえるのです。

地球という場でいのちを維持しようとみんなが考えるとき、お互いに地球の生命体は路傍の石ころや苔にいたるまで「みんなで一つである」と認識し、敢えてそれぞれに生命保持のための適切な距離を保ちながら互いに共生し合う関係を築こうとしていることはわかります。これが共生と貢献の原理原則です。

昔の人たちは、その自然の道理を知っていましたから様々に常に分散させていくことこそが本当の意味でのリスク回避であることを熟知していました。農作物や住宅の配置、村や家という集合体でのコミュニティの形成、風土や生活習慣などすべて分散型で賢く(スマート)に暮らしたのです。

私は次世代型の都市(シティ)は、この分散型であること、そして智慧と共に暮らすことが未来都市の在り方になると確信しています。今は、可笑しなことをいうと思われるかもしれませんが廻りくる巨大な宇宙や自然災害の歴史の中で「末永く生き残る」ということ一点に絞り込み、そのテーマの実現を大前提にすればいつか必ず人々の間にも理解されていくだろうと思います。

子どもたちのためにも、自分の暮らしフルネスで次代の在り方を示し、時代の行く末を見守っていきたいと思います。

いのちの伝統食

日本人の風土が生んだ歴史的な食のことを伝統食といいます。この伝統食というのは、色々な定義があると思いますが私は日本古来の風土食であると定義しています。

例えば、現在は海外からあらゆる食材が入ってきますからふるさとの味とかいいながらそれは海外の風土でできたものだったりします。またおふくろの味とかいいながらも、実際には海外のレシピでできたものだったりします。もちろん、その人にとっての味がふるさとであり、おふくろであればそれはそれで懐かしい味でいいのですが伝統食とは言わないということです。

そもそも伝統とは何かということになるのですが、「世代を超えて受け継がれた精神性」「人間の行動様式や思考、慣習などの歴史的存在意義」と辞書にもあります。

これをその日本の古来の風土、つまり自然のなかで時間と人々の暮らしと共に醸成されたものが伝統なのです。その中で何を食べ続けてきたか、何をもっとも中心に据えて食を支えてきたか。まさにそれが伝統食になるのです。縄文時代のもっと先から私たちの先祖は、この日本の風土で収穫できるもの、育てられるものを工夫して食べ続けてきました。食べるというのは、健康で生き続けることですから何を食べて健康を維持してきたか、そして何を食べて医薬としてきたか、それが食の歴史には詰まっています。

その伝統食とあわせて地域の郷土料理というものに人々が移動移住と共に発展していきます。私たちが食べている郷土料理は、伝統食が分化してその地域の郷土料理として発展していくのです。

そこにはその地域特有の生活習慣があり、価値観があり、風習やしきたり、ならわしなどもありそれぞれの個性を発揮していきました。それが精神性を含めて受け継がれて、食を通して懐かしい日本人の生き方までを実感できるのです。

私は伝統食に取り組んでいますが、その材料は神棚にお祀りする神饌そのもののように丹誠を籠めて慎んで提供するようにしています。古来から何を神様にお祀りしてきたか、その一つにいのちのままの自然の素材、いのちを壊さないための配慮、いのちを組み合わせた調和する品格、いのちを支えるいのちの器、これらを働かせるいのちの料理をしています。

いのちの料理をすることで、それを食べた人たちはいのちの存在を身近に感じて自分のいのちを味わい美味しい、しあわせと口々に語ります。

こうやって伝統が伝承されていけば、子どもたちにも日本の大和魂を甦生させていけるように私は考えるのです。引き続き、子どもたちのためにもいのちの伝統食を提供していきたいと思います。

いのちで遊ぶ

先日、ある方から「あなたはいのちを大切に扱っている」と仰っていただきました。あまり今まで気にしたことはなかったのですが、日本の文化を学び、日々の暮らしの中で徳を磨き生きていると自然にそういう意識が醸成されてくるように思います。

何かを修理したり、修繕したり、また洗浄したり拭き掃除をしたりしているといのちを観る感覚が養われていくものです。またむかしから大切にされてきたものの傍にいると、なぜか心が安らぎ穏やかな気持ちになるものです。

例えば、花器に花が入れば花も花器もお互いに喜びイキイキしていきます。太陽の光を透過する和紙や古い窓なども光が通ることでイキイキします。室内の陰翳もまた、古い道具たちの徳を顕現させお互いに優しく包まれてしっとりとイキイキします。

いのちは、お互いに活かしあう中でイキイキするものです。そのいのちをそのままに愛でたり、そのままに味わったり、その時々に手入れすればいのちは大切に扱っていることになるのかもしれません。

いのちは、常に経過とともに存在が失われていきます。それは私たちの寿命と同じです。しかしその時々で、いのちの輝きがあり、まるで青春のような状態があり、それを一生のうちに何度も何十回も体験できるようになっているのです。

終わったかと思ったようないのちも、かたちや場を換えてあげればまた新たないのちが甦ります。私はいのちの甦生がとても好きで、それはまだまだ別の使い道を発見したり、今まで価値がなかったところを新たに価値を見出したり、くすんで霞んでいたものを磨いて光らせたり、配置を換えてあげることで別の役割を与えたり、いのちそのものを別物に仕立てたりすることに喜びを感じます。

面白いことに、心はいつもその可能性を楽しんでいます。好奇心や子ども心は、その一瞬をとらえて遊びます。私は、いのちで遊んでいるのかもしれません。子どもたちがいのちを大切に扱い、いのちのままに健やかに生きられるように今此処から発信を続けていきたいと思います。