子どもの智慧~子縁伝承~

すべての生き物には、元来備わっている伝承の智慧というものがあります。これは今の生き物が種になり、次の時代にそれまでの文化が伝承されていくということです。私たちが生まれながらに、先祖の様々な体験を内在して継承し誕生していくように植物や昆虫、バクテリアに至るまでいのちは伝承を続けています。現在は遺伝子のことが解明され、明らかに遺伝子の記憶の中に過去の体験がインプットされることがわかってきています。

これらの記憶というものは、私たちは現在は文字や映像を使って遺していきますが過去には口伝という形で文字ではないもので伝承してきました。口伝は、その人の体内や生き方に記憶を宿し、それを口伝えにまたその生き方を継ぐ人物たちに伝承していく知恵です。

実際に、何千年前の神話のような歴史を口伝で伝承している民族もまだ残っているといいます。そして「場」での儀式を通して伝承し続ける信仰などもあります。

私たちは記憶の中で大切なこと、忘れてはならないことはすべて次世代の種に伝承する仕組みを持っているからここまで生き残ってきたとも言えます。先人の伝承の智慧はまさに現代科学の知識をすべて凌駕するほどの宝庫です。

しかし現代では、この宝庫の価値よりも目先の可視化された物理的な科学ばかりに頼り本来の目には見えない智慧のことを信用しなくなってきました。先人の智慧や伝承よりも、教科書に書かれているもの、科学で証明できるもの以外を信じなくなってきました。

短期的に見れば確かにすぐに解決することはそれらの知識で補えます。しかし長期的な問題はすべて智慧がなければ根本的な対応や解決をしていくことができません。先人たちは人類の子孫のことを案じ、智慧を譲るためにたくさんの犠牲を払ってきてくださいました。あらゆる災害に生き残る方法、あらゆる人災を未然に防ぐ方法、あらゆるいのちの生き残る術を記憶の中に留めおくように、それぞれに役割を与え、持ち場を守らせ、私たちの肉体や精神にその初心のようなものを宿していきました。

それを生まれながらに伝承されている私たちの智慧は、幼児期の子どもたちの感覚や感性、天与の徳性の中に見出していくことができます。

私たちが子どもから学び直す必要があるのは、その智慧を学び直す必要があるからです。子どもの智慧はまさに人類を救う鍵ですし、未来の希望そのものです。子どもたちがどんな時代でも次代の種の芽をもって生まれてきますから私たちはそれを手伝い見守っていくことでその智慧が育つのを助けていくことができます。

智慧の学問は、この幼い子どもたちから学び直すことです。

引き続き、子縁が結ばれ人類が新しい社會を創造していけるように見守る仕組みを伝道していきたいと思います。

子縁と故郷

子縁というものは、私たち人間社会においては何よりも重要なものです。子どもたちが未来を創造していくのだから私たちは子どもたちに今の知識を詰め込みそれをやらせることは未来を過去にしていくことになってしまいます。

そうではなく今の子どもたちを尊重しどう見守るかに大人たちの子縁における姿勢が問われます。過去から未来へ向かうのは、時間だけではありません。私たちの世代も自分たちが死に次の代が生まれてくるように、過去から未来へといのちは引き継がれていきます。

その「引き継ぎ」をどうするかは、とても大切なことでいつまでも自分たちのやり方ばかりを押し付けるのではなく次の代が挑戦し冒険できるように見守っていくことが引き継ぎをしていくうえでとても大切ではないかと私は思います。

どうしても人間は、自分のことを中心に考えて自分の視野に囚われてしまいます。それを少し離れて、人類は喜ぶか、地球は喜ぶか、先祖が喜ぶか、子孫が喜ぶかと視野を広げていくことで物事の捉え方を変えていけるように思います。

そうやって離れてものを見てみたら、子どもたちは生まれながらに次の時代の準備をしてきているのがわかります。私たちの世代が、今の時代に適応していくように子どもたちもまた次の時代に適応していくのです。植物であっても次の時代に適応する種になっていきます。

私たちの世代は一つの種ですから、種ができること、種としてやるべきことは一つです。子どもたちはその種を引き継がれ芽を出し花となり実をつけまた種になります。子縁というのは、子種でもあるのです。

子どもが生まれながらにもっている可能性、誰が教え込まなくても生まれつきにもっている伝承、そういうものを見守るところに保育の醍醐味と深さがあります。そしてこの時の保育とは、人類の引継ぎを示すものです。

子どもは希望であり可能性そのものです。子どもたちがどのように未来を創造していくかを子どもの姿を学び直していくとワクワクしてきます。その子どもたちが創ろうとする社會の手助けをしていくのが私たち大人の本当の役割だったはずです。

人類の故郷は子どもです。

子どもから学び、未来を創造するための仕組みを社業を通して発明したいと思います。

暮らしの甦生

古民家甦生に取り組んでいると、建物の生命力というものをよく感じます。長い時間をかけて様々な災害を乗り越え今でも建っている建物には威厳と誇りも感じます。

現在では、建物は生命力よりも見た目のカッコよさや派手さまた流行りの美しさなどが人気があります。しかし古民家にはそういうものはなくても、自然本来の持つ美しさや生命力、そして文化があります。

長い年月の空き家などで傷んでしまっている家を見ることもありますが、たとえ今、誰かが住んでおらずに哀れな状態になっていたとしてもしっかりと手入れをし補強、改修、修繕をすれば、親世代、子世代、孫世代、さらにその先々までずっと住み継ぐことができます。

この住み継ぐということがいのちの循環を支え、持続可能な風土を実現させていくのです。

例えば、古民家には傾きというものがあります。現在のプレカット工法では、コンクリートの基礎の上にプラモデルを組み立てるように先に機械で設計をしてそのまま組み立てます。しかしむかしの工法は、固めの地盤に石を置くだけのものでした。そのため、何百年もたてば次第に沈んでいき傾きも出てくるのです。

現代工法は、数十年で壊して建て替えるように作られていますから傾きの心配はありません。しかしかつての古民家のように住み継ぐものは、何百年も建っている必要がありますから傾くことが前提で大工棟梁が木組みを考えて建てています。

昨年も、300年以上の古民家をいくつか見ましたが傾きがあっても安定し、かえって傾きがあることで地震や災害に強くなっていることも知りました。人間の体のように歳をとれば、次第に体も傾いてきます。しかし、その傾きもまた年齢の傾きでありそれでもしっかりと体は自分を支えています。

人間の体も建物と同じです。手入れや補強をしながら、生命力を伸ばし、自然の智慧や恩恵が働くようにその住まいを整えていくのです。

家も体も元は同じ、その中で私たちは住まう=暮らすのです。

暮らしの甦生というのは、住まいの甦生でもあります。それは単なる見た目だけの変化をするのではなく、生き方が変化していくことなのです。暮らしが変わるということは、生き方が変わるということです。自然と共生し新たな時代を共創することが、暮らしを甦生していくことです。

引き続き、古民家甦生を通して子どもたちが安心して暮らしていける世の中に貢献していけるように学び続けていきたいと思います。

かんながらの与贈

先日、贈与という言葉は聞いたことがありましたが「与贈」という言葉に出会いました。贈与はある人が誰かに無償で財産を贈ることを言います。しかし与贈になると少し意味が異なってきます。

その「与贈」について、場の研究所のフェイスブックにこう紹介されていました。

「私たちの「与贈」は、正確に言えば「〈いのち〉の与贈」です。いまマザー・テレサの愛のことばの本を読んでいたら、次のようなすてきな言葉に出会いました。『愛は分かち合わなければ、何の意味もありません。愛は行動に移されるべきものです。見返りを期待せずに愛さなければなりません。愛そのもののために何かをするべきで、何かを得るためにするのではありません。見返りを期待するなら、それはもう愛ではないのです。本当の愛とは、無条件で、何も期待せずに愛するということだからです。』(清水紀子訳)これほど「与贈」という行為の意味を正確に伝えている言葉に出会ったことはありません。場の研究所で、私たちが「〈いのち〉の与贈」と、〈いのち〉をつけているわけは、人間以外の生きものにも〈いのち〉の与贈循環を広めて、持続可能な地球をつくりたいと思っているからです。」

これは私の思う「徳」と同じです。愛を徳に換えればそのまま与贈ということなります。

私たちのいのちの中で永遠永久に存在しているものがこの循環している愛や徳、与贈です。それは生死を問わず、なくなっているようで存在し、宇宙の中にずっと積み上げられていくものです。

むかしの人は、それを「徳を積む」という言い方をしました。これは愛を与えることと、真心を盡すこと、そして自然が循環することがいのちそのものの本体だと気づいていたからではないかと私は思います。

そして私たちが今あるのは、かつてのいのちたちの屍の上で存在しています。時空を超えてめぐりめぐっているいのちの中で自然宇宙の中の恩恵そのものの偉大な場を舞台にして私たちのいのちそのものは何かによって活かされているということです。

当たり前ではないこの「場」の存在に如何に気づいて、自分をその「場」ではたらかせていくかがいのちそのものに同化していくことであり自然になることです。人類が永続する道もまたこの「場」に対する生き方次第です。

徳を色々な形で学び、その徳を如何に循環させていくかを私のかんながら(自然)の与贈から伝承していきたいと思います。

場が主役

昨日、「場の研究所」の清水博先生にはじめてお会いすることができました。著書で文章は拝読していたのですが直接お話をお聴きするとはじめて聴く言葉にたくさん出会いました。またホームページで自然の美しい写真を撮っておられ、いのちのはたらきを観察されている様子にも感銘を受けていましたから言葉と意味が少しつながって理解が深まることができたようにも思います。

人生には意味というものがあり、その意味は一期一会の出会いによって導き示されていくように思います。そしてそのつながりというものは、「場」に生じ、その場から学び人は感化共鳴されていくようにも思います。

昨日は、「生きている」ことと「生きていく」ことについての語り合いが場で行われていました。私たちは場の中で「見当」というものを与えられているといいます。しかしその見当は決して見える世界だけではなく暗在的な見えない世界があるといいます。人間が生きていくというのは、その見えないものを解明していくことでありそれが科学というものではないかと私は感じました。

現在の科学は、目に見えるものだけを科学であると信じるように教え込まれてきました。しかし本来の科学とは、目に見えないものを信じることではなかったかとも思うのです。それを宗教といって抵抗する人も増えてきましたが、本来の科学と宗教の意味が別のものに挿げ替えられて定義されていたとしたら私たちは本来の科学とは何か、本来の宗教とは何かをもう一度、突き詰めていく必要があるように感じます。

清水先生からは「宗教以外でお互いの主観的宇宙を共有する、それが試されているのが今の時代である」という言い方をされておられました。確かに、意味を失い、場が消えてしまうような客観的な宇宙だけでは本来の科学は解明することができません。

主観的な宇宙を如何に人々が共有し合えるか、すでに与えられている目的に対して私たちは如何に逆対応によって本物の科学に近づいていくか、まさに時代の転換期にあることを実感しました。

清水先生からは「科学の本質とは何か、そして場の科学の正体とは一体何か」その「新たな問い」を私はいただいた気がします。そしてここからまさにこれからの新しい世紀は、「場が主役」になる時代であると確信を持ちました。

まさに与贈しあういのちの「場づくり」こそが、人類に与えられた希望であり智慧であり未来です。

本当に多くの示唆をいただきご縁に深く感謝しています。また研究するお仲間たちの真摯な姿やあたたかな雰囲気にも刺激をいただきました。

引き続き、日々の環境を見つめながら場をさらに研究して場の持つチカラをはたらかせられるように自己円満かんながらの道を精進していきたいと思います。

本物の美味しさ

昨日は、千葉県神崎にあるむかしの田んぼの草取りを行いました。現在の一般の田んぼは除草剤を使っていますから田んぼに直接足を入れて除草することはほとんどありません。しかしむかしからの田んぼには、必ず稲とは別の草草が生えてきますから除草をしなければ収量が大幅に変化してしまいます。

この除草も田んぼが大きくなればなるほどに大変ですが、みんなで作業すると苦労も分かち合え、また食事も美味しく、家族のような親近感が湧いてくるものです。懐かしい家にいるかのような感覚になるのも、田んぼの場がそうさせるのかもしれません。

お昼は、この田んぼの理念でもある「美味しいお米づくり」を私たちカグヤの子ども第一義と組み合わせて「美味しいごはん」を用意することにしています。今の子どもたちに本物の「美味しい」とは何かを伝承するために様々な取り組みを工夫しています。

昨日は、ひつまぶしのようにして鯛茶漬けを食べましたが直前に鉋で鰹節を削り、鉄鍋を用意し炭火で沸かした水をつかって出汁をとったものは美味で薫りも見た目もすべてに感動しました。

お米も昨年、みんなで収穫したお米を食べましたが甘くお米だけで充分なほどでした。さらにみんなで協働して働いたあとだったのでお腹もすいていたことから夢中でみんなで「美味しい美味しい」とだけいいながら食べていました。

この「美味しい」というのは、単に舌先三寸だけを喜ばせて美味しいわけではないことはこうやって食べてみるとわかります。農家さんをはじめ、私たちも一緒に苦労することで味わいが倍増していくのです。

今の時代はなんでも便利になって、苦労せずに楽をしておいしい思いをしようとする傾向が増えています。そのことからかえって美味しいということが失われてきているように思います。

ルーティンのようにご飯を食べ、面倒くさいという言葉が巷にははびこり、すぐに何かをしようとすとすぐに「面倒くさい」と口癖のようにつぶやいているのをよく聞きます。甘やかされた環境の中でいて甘えに浸かっていると、本当に人生の味わいを知ることがないのではないかとも感じます。厳しい環境や苦しい環境は、野生の生き物たちと同様にいのちが充たされその分、味わい深い人生を歩めるように思います。

だからこそ今の時代こそ、面倒くさいからやらないのではなく、敢えて面倒なことをみんなで取り組んでみるとそこには意外な深い味わいのある仕事や思い出があったりするものです。

また「美味しい」ものができるということは、みんなが丹精込めたからですがそれを味わう人もまた努力や苦労の味を心で感じ取っているように思います。

心が充たされる味わいというものと、五感が一緒に喜ぶ味わいとが重なったときにこそ「本物の美味しさ」を人は味わえるように思います。

子どもたちに本物の味わいを遺し譲っていけるようにこのむかしの田んぼを守っていきたいと思います。

菖蒲の力

先日から湯屋を深めている中で東大寺再建に要する材木調達に従事した人々の保養のために重源上人が創始した石風呂が日本的サウナの起源に近いように感じています。

この石風呂は、石積みや岩窟の空洞を利用したサウナのような熱気浴施設です。その石を薪などで温めてその上に薬草を敷いてむしろを置き、中に入り湯気によって身体を癒します。

材木調達では怪我や事故が多かったため、施浴として開発されたものです。東大寺再建を苦しみではなく、人々の仕合せを願い行う聖武天皇の理念を重源上人は実践したことになります。

その中の薬草の一つに、菖蒲があります。

この菖蒲は、端午の節句などでも菖蒲湯にして今でも風呂につかる文化が残っています。菖蒲湯はその香りによって悪疫を退散させ、菖蒲湯は薬草を入れた温水浴としての民間療法となりこれが年中行事に結びついたとされます。同様の例として冬至の日のゆず湯があります。

薬効としては、ウィキペディアにはこうあります。

「菖蒲にはアサロンやオイゲノールという精油成分が多く含まれている。腰痛や神経痛を和らげる効果が期待できる。店頭で売られている菖蒲は葉の部分が多いが、血行促進や保湿効果の薬効がある精油成分は根の部分にあるので、それを望む場合は漢方薬局で相談するとよいまた、菖蒲には独特の香りがある。菖蒲湯にはアロマセラピー効果もあり、心身ともリラックスすることを期待できる」

この菖蒲を、むしろの下に敷くことで体調を整えたのがわかります。特にこの初夏や梅雨の時期は、季節の急激な変化で気温差や雨にうたれることから体調を崩します。その時に、菖蒲の力を借りて身体を回復させより免疫を高めて仕事に取り組むことで元氣を蓄えていたのでしょう。

遠赤外線や間接的な穏やかなぬくもりとこの薬効によって心身を癒すことが、善い仕事、善い暮らし、善い思想を場に創造したのでしょう。

子どもたちのためにもむかしの智慧を復古起新して伝承の価値を実践していきたいと思います。

整うとは何か

先日からサウナのことを深めていますが、その中で「整う」という言葉がよく用いられていることを知りました。この整うというものは、美しく和を保ち清浄であろうとする日本の生き方に共鳴するものがあるように思います。

この「整」うという字の成り立ちは、分けたり束ねたりしてそれを正しくするという意味の字です。そこから、乱れたものをもとの状態にするという意味で使われます。そこから整理、整備、整合性や理路整然、他にも整骨や整腸など身近で使われる整の字から印象が理解できるように思います。

この「整う」というのは、和の家に住めば自然に意識しているものです。例えば、和の家はシンプルに空間がある中で適材適所に道具や装飾が配置されていきます。よく床の間に色々なものを置きすぎてかえって見苦しくなっているところを見かけますがそれも整えば美しい景色を発揮していくものです。

他にも物が溢れてあちこちが散らかっているところにいると、なぜか気持ちもざわついてしまいます。いつも整理整頓されたシンプルな空間には、心が落ち着き、気持ちも安らぎ、自分の状態も穏やかになっていくものです。

私も日常の暮らしの中で、古民家や和の民家の手入れを行いますからこの「整う」というのは非常に大切な実践項目になっています。まず、シンプルに最初の形を決める。その形は、そのものがあるように、そのものが喜ぶように自然に配置していきます。

そうやって配置したものの中に外からたくさんの物が入ってきますが、それを適切に配置するか仕舞い、出番などの準備を決めて片付けます。この片付けるというのは、形を整えるという意味でもあります。

つまり形が整っていくことで、心も整い、精神も整い、感情も整い、自然あるがままの自分が整っていくのです。本来の自分をとり戻すといってもいいのかもしれません。これを平常心ともいい、平静心ともいい、動じずに落ち着いて不動の境地を得ているという状態でもあります。

自然や天候が乱れても、そのうち整い穏やかないつもの天候になっていくように私たちはハレとケという使い方をして日常と非日常のバランスを整わせて暮らしを行います。

暮らしが失われてきた昨今において、整うということはとても大切なことのように思います。今は、乱れやすい環境にありますからそれをどのように整えるかはそれぞれの工夫がより必要になるものです。

せっかく湯屋を甦生しますから、「整うとは何か」ということを探求しそれを形にして子どもたちやご縁ある人々の心の安らぎを提供していきたいと思います。

徳の場づくり

先日から湯屋のことを深めていると、東大寺大勧進職として源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした重源上人に何度も出会います。この方は平安時代から鎌倉時代にかけての日本の僧侶であり俊乗坊といいました。

この人物のすごさはその東大寺大勧進職を引き受けたのが当時で61歳の時、さらには東大寺の再建には財政的・技術的に多大な困難があったのをすべて寄付などによって自ら工事の陣頭指揮を執り復興を果たしたことです。

この人物は、浄土宗の開祖法然に師事し中国の宋へ3回も渡航し数々の知識や智慧を習得して帰国されました。造営と信仰を融合し、場によって人々の心を癒し安らげる仕組みで数々の功績を遺しています。

今回、改めて重源上人を知ったのは周防国の阿弥陀寺の湯屋の施浴でしたがこの人物が如何に徳を積み、徳を弘めたのかが伝わってきます。勧進帳にはこう記されています。

「東大寺勧進上人重源敬って白す。

特に十方檀那の助成を蒙り、絲綸の旨に任せ、土木の功を終へ、仏像を修補し、堂宇を営作せんと請う状

右当伽藍は風雨を天半に軼べ、棟甍の竦櫂を有ち、仏法恢弘の精舎、神明保護の霊地なり。原夫れ聖武天皇作治の叡願を発し、行基菩薩知識の懇誠を表す。加之、天照大神両国の黄金を出し、之を採りて尊像に塗り奉る。菩提僧正万里の滄海を渡り、これを崛して仏眼を開かしむ。彼の北天竺八十尺弥勒菩薩は光明を毎月の斎日に現じ、此の東大寺の十六丈盧舎那仏は利益を数代の聖朝に施す。彼を以って此に比するに、此猶卓然たり。是を以って代々の国王尊崇他無し。蠢々たる土俗帰敬懈るに匪ず。然る間、去年窮冬下旬八日、図らざるに火あり。延て此寺に及び、堂宇灰と成り、仏像煙と化し、跋提河の春の浪哀声再び聞え、沙羅林の朝の雲憂色重て聳え、眼を戴いて天を迎げば、則ち白霧胸に塞りて散せず。首を傾けて地に俯すれば、亦紅塵面に満ちて忽ち昏く、天下誰か之を歔欷せざらん。海内誰か之を悲歎せざらん。底露を摧かんより、成風を企つるに若かず。玆に因って、遠く貞観延喜の奮規を訪び、近く今上宣下の勅命に任せ、須らく都鄙をして、以って営作を遂げしむ可し、伏して乞う、十方一切同心合力、家々の清虚を謂ふこと莫れ、只力の能ふ所に任す可し。尺布寸鉄と雖も一木半銭と雖も、必ず勧進の詞に答え、各奉加の志を抽んでよ。然らば、即ち与善の輩結縁の人、現世には松柏の樹を指して比算し、当来に芙蕖の華に坐して結跏せん。其福無量得て記す加からざるもの乎。敬うて白す。

養和元年八月 日 勧進上人重源 敬白 別当法務大僧正大和尚(在判)」

どんなに少ない鉄くずでもいいし、どんなに短い布切れでもいい、みんなでこの東大寺を復興するために協力してほしいと依頼していくのです。これは東大寺建立の初心でもある聖武天皇の『大仏造立の詔』にある「万代の福業を修して動植咸く栄えんことを欲す、もし更に人の、一枝の草、一把の土を持ちて像を助け造らんと情願する者有らば、、」というところを伝承して記されています。

復興を祈願するのに、そのはじまりの目的を甦生させそれを実現させるこの重源上人に深い尊敬の念を感じます。私が現在、取り組んでいる徳の甦生もまたまったくこの人物の取り組んできたことと同じです。古い民家や、日本の民族伝承、それらを復活復興させるために私も建築技術や教育などのコンサルティング、場づくりなどによってその徳を顕現させるように努めています。

私が今度、取り組もうとする湯屋にもこの重源上人の技術を参考にしようと決めました。また各地で取り組み始めた古民家甦生もまたこの東大寺の勧進に倣い、志を立てていきたいと思います。

先人の生き方は、私たちに未来をどうあるべきかを告げてくれます。引き続き、子どもたちのためにも徳のご縁を結び合う場を創造していきたいと思います。

風呂の起源2

昨日からお風呂の起源を書いていますが今度、挑戦し復古創新する「伝統の湯屋」は地下水を使う予定にしています。これは炭でお茶を飲む人はわかると思いますが、同じ水でも炭で沸かした水の細かさと柔らかさ、その湯気の美しさは格別です。そして水道水と地下水では当然、味もまったく変わってきます。

私たちは水蒸気になった空気を、呼吸を通して、また皮膚を通して全身から吸収していくものです。自然の加湿や除湿によって私たちは自律神経を整いますから、湯屋に入ることでそのような神経の乱れを調和させていたのです。

本来の湯屋のはじまりの仏教的な沐浴の意味は、ます「沐」は水を頭から浴びること、「浴」は水に身体を浸けることですがそれ以外にも煙・火・香料などによりけがれを落とすことも沐浴といわれていました。

私たちは清めることと整えること、癒すことなどをすべてこの「水」の不思議な作用を活用していたということです。サウナがここにきて流行ってきているのは、自律神経を整え精神を安らぎ癒すために大きな効果を発揮するからということでしょう。IT化が進み、より脳の一部を非常に酷使する生活の中でどうしても自律神経や交感神経、副交感神経はバランスをとりづらくなります。それをサウナを用いることで脳を癒そうとすることには私もとても共感しています。

さて昨日のブログの続きになりますが、江戸時代の銭湯は上下の別なく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所だったといいます。あれだけの人口で衛生面を維持するためにもお風呂は江戸の要ではなかったかと思います。高温多湿の日本で密集人口の中でいるというのは極めて蒸し暑さを感じるものです。お風呂からあがり団扇でゆっくりと風に涼んでいる様子が脳裏に浮かんできます。

江戸時代は男女の混浴が当たり前でしたが、風紀が乱れるからと幕府から何度も禁止令が出ています。禁止令を何度も繰り返すうちに、次第に男女別や時間帯別などになり、明治に入ってからは完全に男女別のお風呂になったといいます。

ところでお風呂のことを今でも「湯船」と呼ぶのは「湯を張った船」があったころの名残です。これは街中にしかないお風呂を、銭湯のない地域や田舎などの遠くの方々に入ってもらうために昔は船でお湯を提供していたからです。またほかにも街の通行人に入浴させた「辻(つじ)風呂」、そして人の多い場所まで風呂桶を担ぎ樹木の影などに置いて人々を入浴させた「荷(にな)い風呂」などもあったといいます。

ここまでしてでもお風呂に入りたいと思った日本の人たちは、穢れを払い心を洗い清める文化と合致して深くこの沐浴という習慣を愛したのでしょう。その後は明治時代には石榴口は取り払われ屋根に湯気抜きが作られたり、浴槽と板流しを平面にしたり、洗い場も変わっていきました。西洋文化が流入する中でお風呂のこれらの変化を「改良風呂」と呼ばれ人々の間でも評判になったといいます。また大正時代には、より近代化されて板張りの洗い場や木造の浴槽がなくなりタイル張りや陶器になりました。昭和に入り浴室のに、湯と水が分かれた水道式のカランが取り付けられ現代のお風呂の形になっていきます。

改めて、お風呂は何のために入っていたのか。そして今でもお風呂が各家庭にあり日本人が大の風呂好きといわれる理由がわかったような気がします。本来の「沐浴」の意味を復古し、この時代の「湯屋」を新しくする。

子どもたちに大切な文化を伝承するために、本物の日本のサウナに挑戦してみたいと思います。