遊行の喜び

昨日は、英彦山で遊行を行いました。遊行はいつも一期一会で、その時々に集中します。その時々というのは、その時々を五感がすべて感受している状態でいるともいえます。

私たちの身体を通る風も一期一会、そして光も感じ方もまた唯一無二です。私たちは脳で補正して同じものだと実感します。しかし同じというのはこの世には存在しません。しかし同じものを感じるということはできます。それは同じではない中にある同じであるという感覚です。

これは音も同じです。同じ音は出せません。毎回、異なる音がでます。これは声も同じです。五感はそれを直観的に理解するものです。

現在、AIなどが発展して情報社会の中ではあらゆる文書の中から理想を見出し言語化します。しかもAIがさも悟りの境地に入っているとまでいう人もいます。確かに人間らしさがないもの、欲が消えている存在を悟っているとも見えるものです。

しかし人間には、長い年月をかけて連綿としてこの肉体や精神に流れ続けている先祖代々の力というものがあります。この智慧や感覚はAIにはありません。これは何度も何度も体験し生まれ変わり、魂も成長し、容れものを替えながら今を生きています。そしてこれは、全宇宙の一部として存在します。

それぞれにはそれぞれに唯一無二のお役目があるものです。同じものは一つとして存在しません。だからこそ、私たちは一期一会であることを尊ぶのでしょう。

遊行の豊かさや仕合せは、言葉では説明できません。次回の遊行もとても楽しみです。