現在、浮羽の古民家甦生でガラス戸をお手入れしています。むかしのガラス、昭和型ガラスともいいますが明治以降から昭和にかけてのガラスはゆらゆらと波をうっていて、どれも個性がありまた一点ものの美しさがあります。
現代は、ガラス製造技術が変わりかつてのようなガラスではなくんりました。より均一化し、品質は高まったともいえます。しかし、古民家にはどこか機械的過ぎて雰囲気が合いません。
私はわざわざむかしのガラスを探しては、それをカットして建具にいれます。通常は、解体作業などに立ち会っていると古いガラスはあっという間に破壊して捨ててしまいます。それを一つ一つ丁寧に外し、今にも壊れそうな薄いガラスを洗浄して甦生します。
強度などは明らかに現代のガラスの方が強いのですが、逆に弱くて柔らかいからこその強さもあります。またガラスの音も美しく、風に吹かれたり少し叩くと優しい感じが出ています。
元々ガラスの起源は紀元前25世紀頃まで遡るともいわれます。長い歴史を経て、今のガラスを私たちは活用しています。ガラスがなければ、携帯もパソコンも使えません。ガラスはとても身近な存在です。
かつての明治以降のガラス戸は、それまでの障子戸や板戸からの変革でした。しかし障子の持つ豊かなあかりや、板戸の持つ頑強さなど、あらゆるものをガラスが吸収融和して新たな戸として誕生しました。
その頃の板ガラスは、どれも美しいのはそれだけ先人たちは戸を重視していたことがわかります。弱くて柔らかくて美しいのは、光を透すからです。その光は、材質や原料によって変わります。
お水に光が透るように、また和紙に光が透るようにガラスも透したのでしょう。
私の拠点、場の道場の邸内社のご神鏡はガラスです。これはかなりむかしのガラスです。その透明度の美しさは神業であり、自然が産み出した美しさです。透明であること、透過することは浄化にも似ています。
ガラス戸にはそれだけの光の徳があります。
丁寧にお手入れして、甦生に集中していきたいと思います。
