心を継ぐ

現在、浮羽の古民家を甦生していますが現場は大工の棟梁と一緒になって組み立てていきます。実際には、私は大工ではありませんが私が一緒に活動する職人集団と、棟梁が一緒に活動する職人集団の合わせ技です。伝統工法の職人は私の方が多く、電気配管、その他の住宅に関係する職人は棟梁の方が多いです。

建物を建てるためには、数多くの人たちの力を合わせていく必要があります。現代のようにプラモデルを立てるように設計士の図面をみてプレカットした木材を組み立てるのは異なり、江戸時代以前の建物を甦生するには技術だけでなく心があちこちに用いられます。

その理由は、以前建てた人たち、職人たちの手仕事の形跡があるからです。理由があってやったものをまずよく理解し、それをどのように活かすかは後の人たちの尊敬や尊重の気持ちが必要です。

以前私が手掛けた古民家で、リフォームされた物件がありました。そこは、以前の職人の仕事など少しも尊重されず上から全部あらゆるものを被せて隠していました。また解体もできないように接着剤やボンド、そして釘も抜くことができないほどに無茶苦茶でした。漆喰には上からペンキを塗り、家が悲鳴を上げていました。

結局は、お金を計算して損得だけで建物を立てようとする、見た目だけを直そうとすると歪な仕事になるのでしょう。予算がないからと、大切な生き方や文化を尊重しない人に職人の道を歩む資格はないのではないかと私は感じます。結局、仕事観の問題かもしれません。

仕事観とは、仕事だからとビジネスライクに割り切ることではありません。医者も坊主も仕事だからとお金をもらうことを優先してしまったら、もはや魂を捨ててしまいます。職業だからとやっていては、道は途絶えます。伝承とは、純粋性が必要であり道を歩むものたちによって継ぎ繋がっていくものです。

だからこそ、大切なのは心を継ぐことではないかと私は思います。

心を継ぐというのは、尊重するということです。尊重というのは、自分の都合を後回しにして先人たちや自然の方を大切に慮り尊敬の念で接するということです。大工であればどのような素材であっても、その素材の声を聴くのです。

今日は、庭石を現地で確認してきます。石の声を聴いて、どのようにするのか庭師と話し合います。いつも声を聴き続ける、聴福人でいたいと思います。