私の流儀

浮羽の古民家甦生が進んでいますが、ここまで解体しながら甦生するのがはじめてで色々と心配になっていましたが少し目途がついてきました。私の古民家甦生は、あるものをそのまま活かす仕組みで甦生させていきます。なので基本はあまり解体はせずに行うことがほとんどです。

その理由は、その家には歴史があり数々の思い出も残存しています。それを壊すのではなく、新しく結んでいくということに重きを置いているからです。

私たちの人生も等しく、先祖代々からの様々な結びがあって今に至ります。その先祖がどのように生きてきたか、そして子孫である私たちがどのように結ぶか、きっと代々の方々も楽しみにしているはずです。

私も今の自分があるのは何の御蔭かと思う時、それは先祖代々の皆様の丹誠の御蔭様であると実感します。それと同時に、子孫たちがどのように結ばれていくのかを思わない日はありません。

私は子どもの仕事をしてきて、ずっと子孫のことを思ってきました。子孫たちのために何を譲り遺せるか、それを突き詰めているときに「徳」に出会い、徳を譲り遺そうと志しました。これを二宮尊徳は報徳という呼び方をし、別の人は恩送りという言い方もしました。

恩徳というものは、古いものに宿っていてそれは子孫への思いやりでできているものです。捨てるのではなく、甦生する。そして壊すのではなく、甦生するということは私たち人類が永続するための智慧であり生き延びる要諦であると私は信じているのです。

なかなか現代の消費経済や目先の損得経済では、このような活動は道楽や趣味のように思われるものですが真心と丹誠を磨いて、足るを知る喜びを味わっていきたいと思います。