実践というのは、人知れず行っているものです。そして同時にはそれは内省と研究、研鑽の積み重ねでもあります。よく考えてみると、それは単に自分が追及していく道のようなものです。
日々に繰り返し積み重ねていく実践は、意味もなく他人の評価も関係ありません。世間では、すぐに情報として取り上げてその理由を推察するものです。しかし実際には、その推察はほとんど歪んで間違っています。私なども、色々な人から色々なことを勝手に言われますが、そのどれを聞いても当たっているものはほとんど皆無です。近いことはあっても、本質や神意はわかっていません。
それは当然であるのは、本人自身が自己というものをわからないからです。ただそこに道があるだけで、その道を通して自己というものを掘り下げている最中だからです。その途中にある自己を肩書から推察したり、その行動の一部を取り上げてきっとこうだろうと周囲が判断しているだけともいえます。
本人は、自分の天命を知り、人事を盡して真摯にご縁やお導きに従ってかんながらの道を歩むことに一生懸命なだけですからそれが色々といわれてもあまり関係がありません。しかし人間は、未知のものや異物、違和感に反応するものです。
それぞれが本来は、日々の実践を通して自己を探求していくことを真摯に取り組んでいけばいいだけでそれ以外それ以上でもそれ以下でもないのが本質ということでしょう。
暮らしというのは、その日々の実践を試す道場です。場の道場では、暮らしを通してそれぞれに學び直しを続けていくだけです。それが徳を磨くことになり、自己を知ることで徳が少しは積めるようにも思います。
最後に、今週末にご縁のある川面凡児さんの和歌で締めくくります。
「これやこの われわれにして われと知る われこそ未だ われを知らざれ」
この世の全てはあるがままに循環するからこそ、その時々の循環の妙を知る。その循環の妙の中にこそ、いのちの正体があり私たちは実践を通してその全体最適を生きるとき、自己を學ぶように思います。
先人先達の歩んだ足跡に感謝して、もう一歩前に進めていきたいと思います。
