昨日は、滝行をしてきました。この時季のお滝場のお水は水量も多く、また石清水にも勢いがあり2種類のお水に癒されます。1つは、降雨と合わせた荒々しいもの。もう1つは、時の流れを感じる静かで穏やかなもの。
私の通うお滝場は本来は、英彦山に次ぐ修験場でかつては1200年の歳月をかけて何千人、あるいは何万人という山伏たちが修行をした場所です。明治の廃仏毀釈と山伏禁止令、そして近代においては治山工事やダムの建設などで水路が変わり滝場も消失し今の場所に移動しました。しかしその御蔭さまで、かえって新たな素晴らしい滝場ができて岩窟と共に修行にはとてもいい環境になっています。
もともと修行というのは、苦行のことだと一般的には言われます。しかし苦行のように外から観えても、本人たちはそれを歓び楽しみ幸福を味わっているものだったりします。例えば、身体を酷使させるのは疲れるように思われても実際には五感をフル稼働して身体感覚を味わう喜びがあります。自然の中で自然物と一体になれることは、地球と結ばれ自然の一部である安心感があります。
また滝行でいえば、「活きた新鮮なお水の徳」を肌身で感じることでいにしえの龍の存在や波動、心毒を流し煩悩をかき消してくれます。お水の流れに心身を深く委ねて任せていくことで、清々しく澄んだ気持ちが湧き、時を忘れます。合わせて龍神法螺貝も真言もお香も火もどれもが集中力を高めてくれます。先人たちの遺徳に感謝するばかりです。
そして滝行した後は、まるで視力が変わりクリアにこの世のことがくっきりと観えてきます。現在、中東で戦争の火種が発生し予断を許しません。世界の真の平和をいのりながら、滝場で深くいのります。いのりは修行の醍醐味です。
本来、私たち人類は誰もが自然のなかで平和をいのりました。
かつての人間性を快復させていくのは、自然と共生することからです。それも平和をいのるような自然との共生からだと私は思います。
今週末は、夏至祭とお田植祭、お山と田んぼのお手入れをしますが暮らしの軸足をお金や経済の方だけにするのか、それとも自然との共生にするのか。それで人生は大きな影響を受けます。
どちらかだけではなく、バランスや調和、調律があってこそ人間は心身脱落するものです。人生はある意味ですべて修行ですが、豊かで幸福な修行をみんなで増やして子孫たちに智慧を伝承していけたらいいなと思います。
慚愧懺悔六根清浄。
場をととのえて、静かに待ちます。
