思いやりの実践

人は思いやりがあるかないかで、信頼関係が変わってきます。もちろん、仕事を含めた結果に対する能力などもありますがそれは機能としての信頼です。実際には、人には心がありますからそこには思いやりが必要です。

例えば、いくら言葉を交わしても対話にならない場合があるとします。これは思いやりが欠如しているからです。思いやりとは、自分の感情を優先して相手の感情や状況などを尊重しないときには出てこないものです。

人間は自己保身といって、自分を守ろうとすればするほどに相手を思いやりません。そして信頼関係が構築できないほど自信も失われます。そもそも自信というのは、自分に対する信頼のことです。自分に対する信頼関係が築ける人は、他者との信頼関係も築くことができるです。つまり自己と他者の信頼はイコールであるといえます。そして自信をつけるというのは自他との信頼関係を築く実践があるということです。その実践は思いやりの実践のことです。

「思いやり」という言葉を辞書を引くと「他人の気持ちや状況を察知して配慮すること」と書かれています。自分の感情をぶつけて関係を破壊する前に、相手の立場や状況、そして客観的な事実などをよく観察して、慮り相手を心配をするということです。いつも配慮して敬意をもつ態度で人と接する人は、信頼関係を誰とでも築けます。信頼関係は、この逆をすることで簡単に崩れます。

実際には、私も忙しい時や体調がよくないとき、余裕がない時はどうしても思いやりが持てなくなります。そういう時は休むことが一番ですが、たまたま忙しさが重なり休みが取れないほどになると周りへの配慮が失われていくものです。そういう状態の時に、人間関係のトラブルなどがあれば相当な打撃を被ります。思いやりというのは、苦しい時にかけてもらえると救われますが苦しい時に心無い攻撃を受けると精神が病んでしまいます。

現在、テレビや新聞、週刊誌などでこれでもかと叩かれている人をみますがあれに思いやりを感じることはありません。精神が病むまで追い込み、追い込まれない人を鋼のメンタルなどと書いてはこき下ろします。

思いやりのない社會をつくろうとすれば、このように心無い言葉を浴びせていけばいいのです。これでもかこれでもかと、思いやりのない攻撃を続けていった先にあるのは信頼関係の破壊です。それは自信を奪い、自己への信頼も歪みます。親しき中にも礼儀ありというのは、どんな人であっても思いやりを忘れないでいるための格言ということでしょう。

そしてどんな時でも思いやりを忘れないような自分でいるために深呼吸をする実践が必要になるように思います。現在、法螺貝を吹いていますが法螺貝は深呼吸にとてもよい効果があります。自分の感情がどうであっても、深呼吸をするように音を出せばその音は変わらずいつもの不動の音です。

不動の音は、相手が誰であっても思いやりを持つということ。自分の思い通りにいかなくても、自分の都合よく事が進まなくても思いやりだけを忘れないという実践が社會を目覚めさせることにも結ばれるように思います。思いやりは相手からもらおうとするものではなく、自分が先にもつものです。

信頼関係があると、疲れませんし元氣もでて勇氣も増え、自信に満ちて居心地がよくなります。思いやりは相手の問題ではありませんから、思いやりを実践して日々に調えていきたいと思います。