先日、ある方のこれからも人生を走馬灯のようにお聴きする機会がありました。今のその人がそうなっているのは、どのようにそうなったのかを知れるのです。一人の人生の生涯をお聴きするのは面白く、とても豊かです。まるで一本の映画の大作を観るかのようです。
実際には想い出は美化されているものもありますが、おおむね事実はかわりません。その中でどのような感情があり、喜怒哀楽を経てその人が成長していきます。成長する過程で何があったのかをお聴きすると、そこには学が智慧があります。
人生というものは、失敗を通して自分を知ります。内省をし、向き合い、覚悟を決めて改善していく連続です。
また不思議なことですが、人生の課題は先祖代々の課題ともいえます。自分の中に先祖が一緒に歩んでいて、似たようなシーンになって似たような感情やトラウマが発動します。
例えば、大きな決断をせまられるとき、家族か仕事かというものを選択することであったり、信頼しているはずが裏切られるような環境をつくりだしたりなどそれも一つの例ですがそれぞれに何か以前、似たようなことが起きたのではないかというシーンが出てきます。
それをまた上塗りするのか、それともそれを乗り越えて別の展開になるのか。実際には、その両方を繰り返しながら最後には乗り越えて成長していきます。成長するというのは、そこに大切な智慧があるということが隠れているものです。
つまり失敗や成長は、智慧を学ぼうとする宿命や運命が宿っているということです。
一つの人生の中で、それを得たならそれが次世代、あるいは似たようなシーンを乗り越えようとする人たちへの恩恵になります。自分の苦労が、誰かの役にたっていくのです。
自分が何の役に立つのか、どのような使命があるのか、それは体験によって氣がついていくものです。日々の出来事を丁寧に向きあい、自己を磨いていくことが失敗も成長も智慧も高めてくれます。
暮らしを調えて、徳を積んでいきたいと思います。
