真価 

真価というものがあります。これは本当の値打ちという意味です。真価が問われるという言葉もあります。本当の値打ちや価値が証明される時が来るという意味でしょう。

私は歴史の中でも、特に純度の高い生き方をしてきた先人たちを心から尊敬しています。その方々は、世間や時代の評価ではあまりよい評価を得ていません。ある時は、異端者や変人、あるいは犬死や無駄死などとも言われたりもします。獄死する人もいれば、暗殺される人もいます。世間でいう、一般的な成功者や名声を得たような人物ではないのです。また或いは、陰ながら徳を積み驚くほどの世界を変革するような実践者がいたりします。聖人や聖者など、あるいは菩薩のような人たちです。その人たちも隠者のように世間には出てきませんが、見事な生き方で一生を送ります。

この世の中、特に現代は情報化社会で我先にと評価を求める時代です。現代の社会が求めていることを発信してはその評価を自分に投影させます。

しかし実際の真価というのは、どのようなものか。それは値打ちが分かる人が決めるものだと私は感じます。例えば、純度の高い実践をして目立たずに真摯に生き方を磨いている人は有名人でなくても偉人と呼ばれなくても、私にとっては偉大な人物です。

志高く、どう生きるかと自己を研鑽し見返りを求めずに徳に報いるように生きる人たちは市井にはたくさん存在するものです。それが長い歳月を経て、同じく値打ちが分かる人たちに発見されます。あるいは伝承され、その値打ちがさらに光り輝くのです。

真価というのは、値打ちが決まるまでに時間差がある、あるいは時間をかけてのみ醸成されていくものということかもしれません。

焦らないこと、急がないこと、それは真価とは関係がないことだからです。どのような結果になったとしても、どう生きたかは必ず時が証明するということかもしれません。

丁寧に実践し、生き方と働き方を磨いていきたいと思います。