オノマトペ

先日、浮羽の古民家のお米の商品の打合せで食感について発見することがありました。私たちは食べ物を理解しあう時に、サクサク感がほしいとか、もっとパリパリとか、そのニュアンスや感覚で味覚を共有したり調理を近づけていきます。そこは言葉というよりも、感覚をそのまま表現しています。この時に使う擬音語と擬態語を総称してオノマトペといいます。

このオノマトペの元々の語源は、古代ギリシア語の「onoma(名前)」と「poiein(作る)」が融合してできた「onomatopoiia(オノマトポイーア)」に由来するといいます。英語では「onomatopoeia(オノマトペア)」、フランス語では「onomatopēe(オノマトペ)」となり、日本では「オノマトペ」を多く使われます。

例えば、先ほどの食感でいえばカリカリとかモチモチとか、パサパサとかシャキシャキ、ホクホク、トロトロなどたくさんあります。食感を感じて、どうだったかと近づけていくと最初はもっと甘くとか、さっぱりとかいいますが次第に深まって微細な調整が出てくると先ほどのオノマトペが出てくるのです。より感覚、より感情と一体になっています。

日本には古来よりこれらのオノマトペが豊富な国です。言霊のさきわう国といわれてきた理由かもしれません。この言葉というのは、ただの連絡ツールや情報交換ツールだけではありません。時には、不思議な力を発揮して現実を変えてしまうことがあります。かつては呪力があると信じられ、言葉から奇跡をたくさん実現してきました。

本来、私たち日本人は自然というものを外側から感じるのではなく自然の一部として自然と一体に繋がっているところの意識で暮らしてきました。うちでは烏骨鶏を8羽ほど飼っていますが、朝から鶏の鳴き声で目覚めて朝が来ます。その時は、コケコッコーなのです。一緒に生きている仲間として、一緒に暮らしている家族の一員としてコケコッコーはそのまま心身に届きます。他にも、秋雨前線が近づき大粒の雨がザーザーときたり、雲がサーサーと流れていたり、乾いた風で落ち葉がカサカサと吹かれます。

そのどれもが季節と一体になっているものであり、そのものと同じところで発します。つまりは、相手と自分との境界がなくつながっているところで聴いているということです。そこで聴いているからこそ、発するのも同じように聴いたままに発します。その子言葉が通じ合うのは、繋がりの中に共にいるという感覚があるからです。

お米であれば、田んぼやその中の生き物たち、四季や関係性のすべてと一体になってご飯を炊き食べます。炊き立てのご飯を食べるとき、そのプロセスやつながりを味わっているのです。

私はだいたい、暮らしフルネスの中で人工的な生産性や効率などを度外視しています。それは別に暇なのではなく、こだわりが強いわけでもなく、ただそのものと繋がりながら生きているとそうなるだけです。

繋がっているという感覚は、分かれていないという感覚です。つまり言葉で敢えていうのなら自他一体であり、全体最適、あるいは神人合一のような感覚なのかもしれません。

引き続き、先人たちが磨いてきた感覚を大切に継承しながら生き方を磨いていきたいと思います。