稲架掛け

昨日は、朝倉にある大神いにしえの田んぼの稲架かけの準備をしてきました。また隣の畑には、在来種の高菜の種も蒔きました。稲刈りのタイミングで今度は高菜に入ります。春夏秋冬の自然のリズムは、私はのお米と高菜で行います。この自然のリズムというのは、自然の持つ波動と共にする暮らしのことです。

私たちの身体も、そして自然も時を一つ一つ刻みます。この刻むというのは、大切なのは効率優先することではありません。刻むというのは、一刻一刻を丁寧に刻むということです。

そう考えると、どのように今を刻むことがいいのかがわかってきます。例えば、お米が育つというのはどういうことか。苗を本田へ移植し、自然の風と光と澄んだ水と雷と月の光、そして微生物や虫や動物たちと一緒に時を刻みます。そのお米の一生を、自分も一緒に見守ります。そして収穫をするのですが、現代は乾燥機にかけて一気に乾かします。しかし時を刻むことを優先するのなら、太陽の光をしっかりと浴びさせた方がお米の種も成熟します。

そもそも太陽を浴びるというのは、いのちを強くすることです。私たちの元氣というものは、時と光と水、そしてそれを発酵させる触媒となる微生物がいのちを育てています。

稲架掛けは、それまで水田で育って蓄えてきたエネルギーを纏めるのに役立ちます。また稲架掛けの最大のメリットは、その干した稲藁をそのまま活用に役立てることができるからです。この稲藁をつかい、しめ縄や草鞋、あるいは藁ぶきなどに活用できます。

現代の慣行農法は、稲架掛けをせずに収穫した藁はそのまま機械が裁断して田んぼに帰します。藁を使う必要がないからです。

しかしむかしは、藁があったから生活用品がつくれ装飾品などでいのりや暮らしが保たれました。長い間、日本人が維持してきた循環的な自然との共生はこの藁が支えていたともいえます。

藁を大切にする心は、日本人の先人の心に触れます。

稲架掛けがどれだけ重要なことか、実践を通して伝承していきたいと思います。