修験の道

昨日は、写真家のエバレットブラウンさんと一緒に法螺貝をもって英彦山の行場を歩いてきました。英彦山は私の魂の故郷の一つですが、美しい渓谷の中の滝や清流、それにそびえたつ大岩や岩窟、自然の持つ偉大さを五感で感じてそこに流れる精神を深く味わうことができます。

昔から人は、歩くことで前進してきました。山を歩き、谷を歩き、野を歩き、自然の中で私たちは歩くことで気づくことができました。つまり人間の英知は、歩くことからはじまり、気づくことは歩くことではじまったといってもいいのです。

英彦山では、歩いては法螺貝を立て自然と対話し、また歩いては法螺貝を立てる。この繰り返しですが、山間の風と共にこだまする深く高い螺旋の音がずっとその場所に遺っている何かに呼応してきます。

私たちの言葉は、呼応することで本来は成り立っていました。鳥の鳴き声もまた然り、木々が揺れる音もまた然りです。一つ一つの呼応は、私たちの五感に働きかけるものです。

私たちは空とも対話し、山とも対話し、星々とも対話し、宇宙とも対話したのです。その証拠に、古代の人たちが対話してきた余韻が遺跡などもにも多く残っています。

時間というものは、呼応のリズムがあります。言い換えるのなら時間差のようなものがあります。つまり時空を超えてくるのです。それが歴史の真実でもあります。時間を超えてその人に働きかけてくる。その働きをご縁として受信し、それをまた別の対話の形で発信する。

このように人のつながりだけでなく、私たちはありとあらゆるつながりの中で生き、関係を結ぶことで今を生きていくのです。

今をよくするというのは、この自然との対話を楽しむことです。

自然との対話がはじまれば、おのずから自分との対話もはじまります。つまり本来の自分とつながり、時ともつながります。自分と時を知ることは、今を善くしていくことですから私たちは生きているという実感も深く味わうことができます。

どこまで歩かせていただけるのか、ただ歩くだけで功徳となるという真実に生き、新しい修験の道を切り拓いていきたいと思います。

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