見守り合う社会

便利な世の中になって都市化が進むと核家族化も進みます。まだ私の幼い頃は、携帯電話などもなく回覧板で地域の連絡を取り合っていました。隣人とは毎日のように顔を合わせてご挨拶をして、家には訪問する人たちがたくさんいました。

現代は、防犯の関係もあったり、個人主義も広がりご近所付き合いも減りマンションなどにおいてはほとんど知らない人たちで同じフロアーでも名前を知らない人たちばかりです。むかしは、隣近所を含め相互扶助する関係が社會の中にありました。今でも、離島の小さな村にいくと、高齢者などは毎朝毎夕周囲が上手に見守り合っています。

少しでも異変があれば気づき、家を訪ねます。小さな村で離島であれば防犯の心配もないのか、カギは開けてますし窓も開いたままのところが多いです。知っている人が中心で、知らない人はみんなで観察しています。

見守り合う社会というのは、つながりを絶やさない社会です。もちろん、今の個人が尊重される時代にあまりにも距離感が近すぎてトラブルになるケースもあります。しかし、何かあれば必ず隣近所にはご迷惑をかけるのだからその状態や状況を知ってゆるやかなお付き合いはしているものです。

無縁社会や、孤立社会はなぜ発生するのか。そこには、人々の心の余裕のなさやゆとりのなさも影響しているように思います。人間はお金さえあれば生きていけると錯覚するようになってから、自然界の中でみんなで助け合い生き延びてきたことを手放していきました。そのことで、かえって見守り合う社会が失われました。

本来、本能では人間は集団を形成し社会的な生活を営む動物たちです。お互いさまやおかげ様という生き方は、私たちが生き延びてきた智慧です。孤独死や孤立する人たちをみると、社会が今どうなっているのを鑑みて心が痛みます。みんなが安心して仕合せに暮らしていける世の中にするには、もっとみんなで自由に結び合える環境や感謝を循環しあえるような徳の世にしていく必要を感じます。

いつまでも相互扶助であることの有難さを忘れないで丁寧に暮らしていきたいと思います。

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