文明の歴史

私たちは自然というものを分けてコントロールするようになってから、自然を人工的に改良してきました。その改良の歴史は長く、それは身近な動植物でも行われています。本来、野生そのものだったものを人間よりになるように改良します。

改良の仕方は現在では遺伝子組み換えや合成など、科学的に改良しますがむかしは種同士の交配や一緒に暮らしていくなかで飼育したり栽培の方法を変えるなどで工夫してきました。一度、人間が改良したものは野生に戻せないので責任が発生します。

私は烏骨鶏を飼育していますし、野菜や薬草なども育てていますがそれを急に野生に戻しても周りに馴染めず消えてしまいます。人間が一度でも改良することは、野生的には改悪になることもあります。遺伝子組み換えなどは、自然には馴染まないのはずぐにわかります。

これはウイルスや菌でも同様のことが発生します。そう考えてみると、改良しているのは実はその対象物ではなく人間そのものになっているようにも思えます。

人間の方が改良されると、野生に戻れません。これは同じことが起きています。そうすると、野生で生きられないから野生の部分を破壊していきます。この世の中をすべて人工的に住みやすいように改良しようとしていくのです。

そもそもこの地球は人工物ではありません。先ほど言い方をすれば野生物です。その野生物を改良して人工的な星にしようとするとどうなるか。誰でもすぐにその結果がわかります。

人間は自分の中にある野生の部分を改良できるのでしょうか。人間が人間を飼育してしまえば、もはや野生に戻る方法もありません。人類は、野生に戻るような何かの自然災害などが発生するときどうなるのでしょうか。

むかしの人たちは野生を持ちながら許される範囲内で人工的に生きてきたように思います。その範囲を超えたら星を浸食しつくしてしまうからです。改良の歴史は、文明の歴史でもあります。

本来の調和はどの辺なのか、色々と試行錯誤しながら学び直していきたいと思います。

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