守静坊の枝垂れ桜の徳

英彦山の守静坊の枝垂れ桜がまもなく満開を迎えます。

この桜の圧倒的な存在感で、場を一変させています。霊峰英彦山に在り、神様の依り代、先祖の霊の依り代として美しい純白のしなやかに垂れさがる一重の花が風に揺れこちらに話しかけてくるかのようです。

改めてこの英彦山にある守静坊の枝垂れ桜が他の枝垂れ桜と異なるのかを私なりに整理してみようと思います。

そもそも枝垂れ桜という桜は、野生種の突然変異で誕生したものです。1億回のDNAの甦生のコピーの中で1回、突然変異により誕生します。その個性は、明らかにそれまでの桜と異なります。重力に逆らわず、敢えて頑強ではなく柔弱の徳に溢れお水のような清々しさを持っています。

古代から日本には桜がありますが、枝垂れ桜に出会った先祖がこの株を大切に守り株分けしながら全国各地に広がっていった野生種です。つまり枝垂れ桜は、人々が深く愛した存在で人間との関係がなければ今私たちの目の前に存在しない桜ということです。

守静坊の枝垂れ桜の特徴は、一重白彼岸枝垂れ桜といい春のお彼岸の頃に開花するのが特徴です。桜は元々生死の境界を生きています。この境界(間)のことを古語では「あわひ」といいます。これは水の泡のようなものであるという意味です。

桜は花が咲き、同時に散ります。つまり生と死をお彼岸の合間に行います。この死生観が日本人の美意識や魂と結びついて、私たちは桜を先生にして生き方を磨いてきたのではないかと私は思います。

もしも桜がなかったとしたら、私たちは春というものをどう感じるでしょうか?昨夜は、写真家の方々のためにと守静坊の枝垂れ桜をライトアップしてみましたがその圧倒的な存在感にもはや別の空間に場が変化するのを実感します。他の樹木をライトアップしてもこうはなりません。全体の形状、そして見栄え、円を描くように咲くお花と光を反射して神々しく水霞を纏います。まるで、水面に浮かんでくる龍のようです。

そして守静坊の枝垂れ桜の個性で最も徳が溢れるのは「英彦山中の弁財天の水谷と宿坊の敷地内に存在する」ということだと私は思います。もともとこの枝垂れ桜の由来は今から230年前の現在の円山公園の祇園桜を株分けしたものです。そこはかつて修験者の宿坊(山科家)のあった場所です。

山岳信仰と深く結びつく桜は、近代のような景観観賞のためのものではなく「祈りの場」としての桜なのです。お花見で楽しくお酒を酌み交わすような場もいいですが、この場所はそうではなく「信仰の実践道場」としての桜の場なのです。

つまり桜を先生にして何を私たちは伝承して守るのか。その本質は、いのちを學ぶことではないかと私は思います。

この守静坊の枝垂れ桜の唯一無二の個性と徳は、「霊峰でいのちを學ぶ先生」ということです。

私がこの桜を守り、先祖供養の場を毎年実施するのはこの枝垂れ桜に宿る伝承を継承して次世代までずっとバトンを繋いでいきたいといのるからです。

この時季にしかお会いできない一期一会に心から感謝しています。

今週は満月のご祈祷と初心の振り返りと遊行があります。
ご縁の方々と平和をいのります。

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