自己開発を楽しむ

もともと誰にも人には得手不得手というものがあり、また興味関心の差というものもあります。

もともと自分の得意なことで自ずから興味関心があるものは、時間が経てば放っておいても次第にそれは世間で役立つように力をつけてくるものです。しかしもともと不得意で興味関心がないものは、いくら何度も教えても一向に力をつけてはこないものです。

しかし誰でも知っているそこには落とし穴もあり、それにはもともとの得意不得意とは別に単にその人の思い込みの場合もあるのです。

例えば、ふとしたきっかけで目覚めてしまいある時から急に成長するというものもあります。

ある人は、営業は向いていないといつもことがあれば自分から人間関係が苦手だからと周囲に語っていたとします。しかし、実際に連れて行ったりやってみたりしてみると急に目覚めてこんな面白いことだとは思わなかったと気が付いたときにはもっとも成果をあげる人になっていたりするものです。

他にも、運動できない人がマラソンランナーになったり、勉強ができない人が先生になったりと、人生は何度も円転しながら自分の得意に出会っていくのです。この本当の自分を知るということは、自分の思い込みを取り除くともいうのです。

自分を知らない人の本人の思い込みが一番当てにならないものなのです。
何でも好奇心旺盛な人は、やってみてない新しいことにどんどんチャレンジします。
子どももそうですが、面白いと思えば気が付けばそれが身になっていたりするものです。これがその思い込みを取り除く方法の一つなのです。

心が正直に素直な状態のときに自分が一番開発されていくのですからやっぱりそのように自分を開発していくことが大事なのです。そしてそれはどのようにしていくかといえば、自分から自分の心に従順になるのが一番なのです。

論語に「これを知る者はこれを好む者に如かずこれを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とありますが、この通りで、自分から楽しむ人には誰も敵いません。

人生もそうですが、与えられた人生はみんな等しく同じようなものです。ある人は不幸だとかある人は幸だとは言いますが、誰にしろ人生には喜怒哀楽の事件はつきものです。それを真底味わって楽しんでいこうという心構えの人と、また嫌なことが起きたなと避けようとする人では、人生に対する面白味が足りないともいえるのです。

そしてこういうものが「生き方」のことを言うのです。

自分がどのように生きていくかの生き方を決めたら、それを実行する。それだけなのですが、世の中には自分の思い込みに囚われ価値観を刷新できずにいつまでも生き方まで辿りつかずに抜け出せない人たちがたくさんいるのです。出会いが他人を換えるのだから、やはり出会いを大切にしなければなりません。

そしてもし刷り込みを取ることができ生き方を決めたらすぐに形を踏むことは大切なことです。

私の場合は、面白くないことを面白くしようと「面白いなぁ」という口癖をつけるところからやっているうちに次第に何でも面白いことばかりの日々になっていきました。

これからも子どもたちが楽しい毎日を過ごしているように、保育を学んでいきます。

  1. コメント

    仕事から離れ一日を過ごすと、時間の流れ方が違ったように感じます。同じ一日でも人と過ごすと時間の流れる幅が増幅し、新鮮な感覚を得ます。本を読み人の生き方を学んだり、対話から人の考え方を得ることにも自分の知らない自分を知るきっかけとなっていることを感じます。生き方は時間の過ごし方にも表れ、時間管理を学ぶことが学びの速度を増す事に繋がるのだと思います。時間を過ごす中で、人が感じている時間感覚を学びより豊かな過ごし方を、構築していきたいと思います。

  2. コメント

    自分の経験の中で、失敗を失敗で終わらせてしまったままのものが積み重なっていくと、物事の捉え方をネガティブに捉え易くなるように感じます。同じ失敗でも、それを学びとしていくことは出来ますが、学びを自分のモノにするための実践をセットにしてこなかった分野が余計に苦手意識があります。こうしたらよいと分かっていながらも、やっていない事。この分野に今年はどんどんと挑戦し、失敗したらまた学び、実践し、物事を捉える負の思い込みの眼鏡を外していきたいと思います。

  3. コメント

    思い込みという事の怖さを感じます。自分の中で生まれた思い込みもありますし、知らないあいだに人からうえつけられた思い込みもあるのかと思います。自分自身の経験からも思い込みで遣りたい気持ちを抑えてきたことも多々あります。しかしその時はきっと駄目なんだという事を疑ってはいなかったのも事実ではないかと思います。子どもたちを見ていると可能性は無限であることに気づかされます。しかし、いつしか思い込みにより自然ではなくなる環境を作ってしまっているのも大人である自分たちかもしれないという事を考えるともっと子どもたちや周りを信じる事、そして先ずは自分自身を信じる事がいかに大事なのか改めて感じます。

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