日本刀の心

昨日、渋谷にある刀剣博物館に訪問する機会がありました。古刀から新刀、現代刀に至るまで様々な日本刀が展示されていました。改めて日本文化の一つ、日本刀について深める機会になりました。

日本刀は、国宝の中の一割を占めるほど日本の代表的文化の一つです。

ちょうど平安時代頃に、今の日本刀の原型が産まれそれからずっと時代と共に刀が息づいてきたとも言えます。日本の神話では、素戔嗚の尊が八岐大蛇を退治した天叢雲剣といった三種の神器があります。これは勇気を顕し、その勇気の証が剣になっているとも言えます。

そして日本刀には武士の心があると言います、そしてその道の実践には忠義があります。この忠義を実践するということは、義、勇、仁、礼、誠、智、信などの徳目を磨き自分の精神や魂を高め続けるという覚悟で生きるとも言えます。

例えば戦国時代の武将が放つ言葉の中に、その忠義の覚悟が読み取れます。

「いざとなれば損得を度外視できるその性根、世のなかに、それを持つ人間ほど怖い相手はない」真田幸村

「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐればへつらいとなる。智に過ぐればうそをつく。信に過ぐれば損をする。」伊達正宗

「武士は常に、自分をいたらぬ者と思うことが肝心だ。」
「真の勇士とは責任感が強く律儀な人間である。」加藤清正

「大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である」上杉謙信

損得を超えて、道義や道徳のためにいのちを懸けていくのが武士とも言えます。そして死を前にしてどう生きるかを定め、その中で自分の決めた生き方を貫くことを優先する勇気があるかどうかが武士の実践とも言えます。

この「勇気」というもの、これは不安、恐怖、その他のものから逃げずに立ち向かうチカラ、信念を貫くチカラのことです。武士はこの徳目を実践し、自らを高め、それを日本刀の中に見出したのかもしれません。

刀鍛冶や研ぎなどの工程の中に、その日本刀の出来上がるまでの忍耐が見えます。この日本刀という道具は死を覚悟した人が持つ道具です。そしてその死を覚悟して信念に生きる人が持つ道具でした。その信念を貫けるように折れないものを鍛錬し、研ぎ澄まされた切れ味を磨きあげたとも言えます。侍や武士が持つのに相応しい、それが日本刀の心であろうと私は直感しました。

勇気と忍耐は表裏一体ですから、ここからさらにもう一つ深めてみようと思います。子ども達に日本人のことを伝えられるよう、日本の心を学び直していきたいと思います。

 

  1. コメント

    誰かが自分のことを思ってくれるのは、それだけで力が湧いてきます。それが子どもであったとしてもです。むしろ、子どもだと尚更そう感じるのかもしれません。勇気の形は時代とともに変化していくのかもしれませんが、心に届くその響き方はきっと変わりないのだと思います。先人がそうしてきたように踏み出す一歩が次の一歩に繋がるよう、支えて頂いている想いを糧に行動していきたいと思います。

  2. コメント

    日本最古の兵書『闘戦経』が、平安時代末期に書かれており、そこには、「私たち日本人の『武』というものは、天地の初めからあるものであり、その『武』の力によって天と地がわかれた。私たち日本人の『武』の道はすべての根源であり、いろいろな考え方の大元になるものである」と述べられています。そして、「日本では、真実をよしとする」として、『孫子の兵法』とは相容れない正々堂々とした戦い方、生き方を説いています。武士の勇気と忍耐も、この「真実」に拠っているのでしょう。

  3. コメント

    武士も生まれながらにして勇気があったのではなく鍛錬してそうなっていったのではないかと思うと、弱さ脆さにも意味があり却って匹夫の勇にもならないように感じます。生きていく中で常に勇気が試されているのだと最近特に強く感じますが、勇気の有る無しよりもその感覚の方を大事に忘れずに精進していきたいと思います。

  4. コメント

    勇気を振り絞って生きることの豊かさは、志を実践している中にあり、志を見たり眺めたり考えたりしていても感じられないものだとミマモリングの中で学んでいます。仲間の一年を振り返ると仲間の勇気を強く感じますが、お互いがお互いの勇気になれるように、実践の道から外れないで居たいと思います。

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