人生の創作活動

人は自分という存在を自覚するのは、周りの人たちのことを深く知ることで理解できるものがあります。どのような家族や友人や仲間に囲まれているか、その環境の中で自分自身が形成されてきたことに気づきます。自分が今、自分を自覚できるのは与えられてきた環境やご縁によって自分自身になったともいえるからです。

そう考えてみると、自分はこれまでどう生きてきたか、そしてこれからどう生きていくかという事も考えていくことができます。生まれながらに恵まれた環境を与えられて、善い人、善い友、善い教えに触れてきた人は仕合せに気づきその恩恵に感謝しながら肯定的に生きていけます。しかし時として恵まれない厳しい環境を与えられてしまい、善いものに出会えない場合はなんでも否定的にしてしまうことがあります。

人生は巡りあわせではありますが、どのような道を生きてどのような人生を送るかは生れ落ちたところで決まります。与えられた場所に感謝して、その場所をもっと善くしていこうとする努力こそが人生の醍醐味であり、そこに不平不満を言って腐っていても何も変わることはありません。

自分自身を変えるということは、今の自分を創り続けるという努力が必要になります。それは日々に感動や感謝、そして感激をする心、感性を磨き、心を瑞々しくし続ける努力とも言えます。心が閉ざされて感情も冷めてしまえば、与えられた環境を活かすことができなくなります。また同時に環境を感じる力がなくなり、環境に流されてしまうようになります。

人間は環境を創造していくことができる生き物ですから、与えられた環境下の中で如何に五感を研ぎ澄まして自分自身を毀していくかは人生の命題であり、それぞれの大きないのちのテーマです。

人生は死ぬまで自分自身を創造していく創作活動です。

子どもたちにもその後ろ姿から何かを感じ取ってもらえるように精進していきたいと思います。

四時ノ循環

吉田松陰に「留魂録」というものがあります。これは処刑直前に江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられた弟子たちや同志へ向けての遺書とも言えます。

その中の第八節に四時ノ循環というものがあります。原文を紹介すると、

「 一、今日死ヲ決スルノ安心ハ四時ノ順環ニ於テ得ル所アリ
蓋シ彼禾稼ヲ見ルニ春種シ夏苗シ秋苅冬蔵ス秋冬ニ至レハ
人皆其歳功ノ成ルヲ悦ヒ酒ヲ造リ醴ヲ為リ村野歓声アリ
未タ曾テ西成ニ臨テ歳功ノ終ルヲ哀シムモノヲ聞カズ
吾行年三十一
事成ルコトナクシテ死シテ禾稼ノ未タ秀テス実ラサルニ似タルハ惜シムヘキニ似タリ
然トモ義卿ノ身ヲ以テ云ヘハ是亦秀実ノ時ナリ何ソ必シモ哀マン
何トナレハ人事ハ定リナシ禾稼ノ必ス四時ヲ経ル如キニ非ス
十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ
二十ハ自ラ二十ノ四時アリ
三十ハ自ラ三十ノ四時アリ
五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ
十歳ヲ以テ短トスルハ惠蛄ヲシテ霊椿タラシメント欲スルナリ
百歳ヲ以テ長シトスルハ霊椿ヲシテ惠蛄タラシメント欲スルナリ
斉シク命ニ達セストス義卿三十四時已備亦秀亦実其秕タルト其粟タルト吾カ知ル所ニ非ス若シ同志ノ士其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人アラハ
乃チ後来ノ種子未タ絶エス自ラ禾稼ノ有年ニ恥サルナリ
同志其是ヲ考思セヨ」

「今日死を決するの安心は四時の順環にい於いて得る所あり。
蓋し彼の禾稼(かか)を見るに、春種し、夏苗し、秋刈り、 冬蔵す。
秋冬に至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り、 醴を為り、村野歓謦あり。
未だ曾て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。
吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず實らざるに 似たれば惜しむべきに似たり。
然れども義卿の身を以て云えば、是れ亦秀実の時 なり、何ぞ必ずしも哀しまん。
何となれば人寿は定まりなし。
禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。
十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。
二十は自ら二十の四時あり。
三十は自ら三十の四時あり。
五十、百は自ら五十、百の四時あり。
十歳を以て短しとするは蟪古をして霊椿たらしめん と欲するなり。
百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪古たらしめんと欲する なり。
斉しく命に達せずとす。
義卿三十、四時巳に備はる、亦秀 で亦実る、その秕(しいな)たるとその粟たると吾が知る所に非ず。
もし同志の士その微衷を憐み継紹の人あらば、 乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ぢざるなり。
同志其れ是れを考思せよ。」

自然界と等しく、いのちは永遠に循環しているものです。いつがはじまりでいつが終わりか、そんなものは本当はないに等しいものかもしれません。そう考えてみると、すべてのいのちが循環を已まないようにあらゆるいのちはその使命を全うしているともいえます。

そしてそれは傍から見れば、早死にした人であっても、結果がうまくいっていないように思われたとしても、その人にはその人の大切な役割があり、それを果たしているとも言えます。

同志や仲間たちに死を恐れさせず、自分の天命を全うせよと自分のいのちの最期に語り掛けて至誠であり続けよと教えます。塾生たちと一緒に、そして同志たちと一緒に、自分のすべての生命を受け容れ全うしようとする純粋な魂には感動するものがあります。

思想や志は、たとえ体躯が朽ちても永遠に遺るものであるのは循環が証明しています。如何に好循環を産み出すかは、その人の生き方と生き様次第です。

循環を忘れないようにいのちのままに魂を磨いていきたいと思います。

豊かな苦労と時間

昨日、吉野杉樽に漬けこんでおいた高菜の手入れを行いました。今年は収穫量が少なかったため、いつもの4分の1しかなく貴重な存在になっています。郷里の伝統の堀池高菜の甦生のために固定種の種を蒔き、樽にそれまでの菌を住まわせ環境を用意して6年以上になりますが今では暮らしの一部になっています。

手塩にかけて育てるという言葉もありますが、漬物は塩を入れて何回も何回も漬け直すことでいつまでも美味しく食べられます。そして樽もまた、塩分濃度によって発酵もすれば腐敗もしますから常に塩を入れ続けなければなりません。

特にこの青菜のものは、日ごろから食べようとするとあまりにも塩分が強いと塩辛くなりすぎて食べれませんから適度な塩分が必要になります。適度な塩分というものは、手間暇をかけて見極めていく必要があります。

当たり前に食卓に出てくる漬物一つでさえ、種を蒔き育苗をし、生育を見守り収穫をする。その後、道具や高菜を洗い天日干しをし、漬けこんだら何度も何度も漬け換えをする。その年月は最低でも一年以上、もう6年物の高菜は6年間それをずっと続けていることになります。

苦労と時間をかけてつくられていると感じるからこそ「もったいなく」感じ、そこにぬくもりと豊かさを感じます。

今ではお金さえあればなんでも買えて余剰にありすぐに捨てられるような環境がありますが、この手間暇の苦労と時間はそこには感じられないものです。自分で作物を育て、自分で食べるものを用意し、そしてそれを美味しく食べるという原始的な活動は、目には見えない苦労や時間を味わう貴重な存在として暮らしを豊かにしていきます。

本当の豊かさに気づいて、如何にそれを今の時代とのバランスを保っていくかはこれからを生きていく子どもたちの課題でもあり、今を生きる私たちの命題です。

引き続き、豊かな苦労と時間という実践を積み重ねながら本来の豊かさの意味を暮らしの大切さを子どもたちに伝道していきたいと思います。

守る=変わる

理念の話をしていると、よく「自分には理念などない」や「理念がなくても経営はできる」という言葉をいただくことがあります。確かに、今まで考えることもなく、そんなに理念理念と声高に言わなくても大きくなってきた組織や、上手くいってきた会社ではそんなものはなくても問題がなかったという声もあります。

この理念という言葉は、あまり聞きなれないものであり最初は理念から考えて取り組むということをちゃんとやっているところも少ないと思います。確かに私も普通に仕事をはじめてからはそんなに理念のことを考えなくても、目の前に与えられたことを必死にやるだけで精一杯の時期を体験していたのを思い出します。

しかし、仕事を覚えていく中でいくつもの困難や壁にぶちあたります。その中でどうしても判断基準や拠り所が必要になり次第に理念のことを考えるようになってきます。そもそも何のためにやるのかや、本来これはどういうことなのかと、仕事が本物になればなるほどにそのことが必要になってくるからです。

そして変化を迫られます、自分がそのままではどうにもならないことに気づくのです。そして変化と向き合うとき、同時に理念というものに向き合うことになります。なぜなら変化とは、守るべきものがあることに気づくときに発生するものだからです。

これは変えてはならないというものは、言い換えるのなら「これは守られなければならない」というものです。それを信条ともいい、信念ともいい、その目的そのものだったりします。それがなくなれば元も子もない状態になるのはすぐにわかります。そしてそれを守ろうとすると変わることを恐れなくなっていきます。

つまりは変わる人というのは、守るものがあるからこそ自分が変わらなければならないという状況になるということです。そしてその守るものこそが理念であり、理念経営とはつまりは守るためにみんなで変わっていこうとする仕組みのことです。

これをもしも逆にすればどうなるか、変化を恐れ自分を守ることを最優先して大事な守るものは守らないとなると滅びてしまうのは自明の理です。だからこそ「自分は一体何を守っているのか」という言葉を常に自分に問いかけ、本当に守りたいもののために変化を恐れずに取り組んでいくことが「守る=変わる」ということになります。

大切に守るものがあるからこそ人は変われます。

その守るものをみんなで守ろうとすること、それが理念を実践するということです。時代が変わっても環境が変わっても、結局は人は生き方と生き様です。人を守れる強さとは生き方を守れる強さのことです。

引き続き子どもたちの今を見守るためにも理念経営の実践からの気づきを子どものいる周囲へと伝道していきたいと思います。

理念=経営

企業をはじめすべての組織には、その組織を創るための目的というものがあります。何のためにそれを創り、そして何処を目指していくのかといったものですが目的と方針、方向性こそがその組織の運命を決めていきます。

またその組織で働く人たちは何かの判断をみんなで決めて協力していくとき、拠り所にしていくものがあります。それは原点でもあり、物事のはじまりに決めた初心だともいえます。

こういうものを理念と呼びますが、その理念を持ったままにみんなで力を合わせて協力して働くことを経営と呼びます。

つまりは本質として「理念=経営」であり、「経営=理念」です。これを勘違いして理念と経営を分けている人がいます。それは分けたのは経営者であり、経営者は「自分=理念」だと思い込んでいるからです。

経営者も組織の中の一人であって目的に向かって一緒に働く全体の一部です。組織の目的と方向性をその組織のだれよりも鮮明に明確に観えており、みんなが判断に迷ったときにそれを示唆したり、導いたり、思い出させたりするのが経営者の役割です。

理念があって働ける仕合せは、日々の経営の生き甲斐とも言えます。生き方と働き方とは、言い換えるのなら理念と経営のことです。それを一致させていくというのは、言っていることと遣っていることが一致しているということです。まさに理念経営とは言行一致のことであり、偉大な目的に向かってみんなで協力してその目指したところまでを言語化し明文化して、一人ひとりがはっきりと自分自身で観えるようになるまで浸透していることで実現します。

これを誰か任せにしたり、自分は知らなくてもいいとしていたらいつまでもその目的が達成されることもなく、またバラバラになって組織は次第に崩壊していきます。さらには言行不一致になれば不平や不満、正直者が馬鹿をみる組織になり次第にみんな諦めてその組織は腐っていきます。

生き方と働き方が分かれているということは、生き甲斐と遣り甲斐が分かれているということです。そんなものは本来なく、生き甲斐と遣り甲斐が一致するからこそその両方は成立するものです。

だからこそ大事なのは、理念経営を実践することだと思います。

それを邪魔するものは、マンネリ化であったり、歪んだ個人主義であったり、経営者の独善であったり、伝えられなかったり、振り返りがなかったり、そんな時間すらも設けていなかったりと色々と理由がありますが、本来、その組織の本質に立ち返ることが理念経営にしていくということです。

経営という字の本来の意味は、続いていく営みです。つまり永遠の営みとも言えます。理念経営とは、理念が永続していく仕組みのことです。組織はその時々で変化してひょっとすると滅んでいくことがあるかもしれません、それは国家においても然りです。

しかし滅んでも滅ばないで続いていくものこそが理念であり、それを実践することが理念経営の本質です。大義や信念、そして道を子孫へとつなげていくのが今を生きる私たちの使命ですから自分の代の私腹を肥やすための理念経営などはありません。

引き続き、子どもたちのためにも目的に向かって生き方と働き方、生き甲斐と遣り甲斐の組織を世の中の広め社會をさらに豊かにしていく手助けに邁進していきたいと思います。

 

配慮の学び直し

人間は自分の思ったこととは別に配慮というものがあります。この配慮の字を分解してみると「慮る」という言葉と「配る」という言葉でできています。似た言葉に気遣いという言葉がありますが、気を遣うのと心を慮るのもどちらも自分自身が相手に行うだけではなく、相手のことを自分が思いやるときに用います。

人は、自分の思い通りに自分勝手にやろうとすると思いやりが欠けていきます。自分都合の気遣いや配慮は、それは気遣いや配慮ではありません。相手が自分のことを心配してくださっていると感じたり、自分のことを気遣ってくれているというのは心を用いて感じます。

よく配慮に欠けるという言葉もありますが、これは思いやりが足りていなかったということです。ここでも思いやりは、どれだけ全体のことを気遣ったか、どこまで観通していたかということになります。

つまり配慮とは自分を中心に自分だけの小さな視野で物事を観るのではなく、全体を観て広い視野で物事を観るということです。

また前提に自分自身が周りのことを信じているからこそ相手を思いやれ、疑っていれば思いやりに欠けます。相手がもしも自分だったらと、自分を相手の立場になって慮る、つまりは相手の心を勝手に思い込んだり決めつけりするのではなく、相手の心になってみる、相手がもしも自分だったらと共感するときに人は配慮ができていきます。

共感というのは、自他が分かれていない境地だとも言えます。それは相手が自分、自分が相手という思いやりが一緒一体になっている状態です。そしてそれが全体の一部になっている自分があり、自分自身が全体そのものであることなるのです。

それを調和とも言いますが、調和はみんなの配慮が折り重なって発生していきます。自然界は、自分の分度を決め、分を弁えます。自分の分を超えてしまえばそれが周囲に影響があることを知り、それが巡り巡って自分に帰ってくることも本能で自覚しています。

人間の配慮なき行動は自然を揺るがせています。

そう考えると、配慮は人間が学び直すうえで大切な徳目です。引き続き、自分自身と全体を見つめ学び直していきたいと思います。

湿式工法の瓦葺き3

昨日は再び屋根にのぼりみんなで土葺きでの瓦葺きを体験しました。職人さんが軽々とやっているのを見るのと自分たちでやるのでは勝手が異なり、瓦一枚を葺くのに大変な時間がかかりました。

しかしみんなで協力して葺いた瓦には愛着が湧き、そこに綺麗に波打ついぶし瓦の様子にぬくもりを感じます。日本の伝統的なものを伝統的なやり方で実践する、まさに心と技術が調和することで和の家が実現することを再確認する有難い機会になりました。

この後は数週間の間、土を乾かし仕上げにのし瓦や鬼瓦をのせて完成です。時間をかけて土を乾かす間もまた、味わい深い大切な時間です。のし瓦は屋根の棟に来る雨水を表側と裏側に流すために積まれる瓦の事を言います。そして鬼瓦は屋根の棟の端に置く大きな瓦のことでこれは厄除けと装飾を目的として設置されています。

少し鬼瓦を深めますが、この鬼瓦のルーツはパルミラにて入口の上にメデューサを厄除けとして設置していた文化がシルクロード経由で中国に伝来し、日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れだした頃、急速に全国に普及したとウィキペディアにはあります。

この鬼瓦を眺めていると、家を守る存在が屋根であることをより実感します。中国での鬼は、厄災をもたらすものとして忌み嫌われますが日本のオニは厄災を転じて福にするオニです。

例えば、大みそかに山から降りてくる神さまを祀るのに神が鬼の姿に転じた行事が日本各地に残っています。人々は鬼を恐れながら囃(はや)し、もてなします。また仏教では敵対していた悪が仏法に帰依し仏法を守護するものとして鬼があります。日本では牛若丸と弁慶のように、純粋な魂や義を守る守護神としてオニのような強さを持つ存在を守り神として大切に接してきました。

この屋根のオニは、日本の精神を顕すものでありオニの存在が屋根を守り、私たちはいつも守られながら暮らしているということを忘れないということに気づかせてくれます。

家を思うとき、私は守られている存在である自分に気づきます。家が喜ぶかということは、守られているということに感謝してその家に住まうことをゆるされている自分たちがあると実感して楽しく豊かに暮らしていくことだと思います。

今回の瓦葺きから、日本建築が如何に「守る」精神に包まれているかを学び直しました。引き続き、聴福庵の離れの完成までのプロセスを味わい子どもたちに初心を伝承していきたいと思います。

湿式工法の瓦葺き2

昨日は、引き続き土葺きでの瓦葺きを行いましたが土の吸着力のみで瓦は葺かれていきます。私たちの先祖は、土の持つ性質を巧みに活かし、土をあらゆるところで活用してきました。家においては、土壁であったり瓦であったり、また竈であったり、土鍋や食器だったりと土はあらゆるところで私たちの暮らしを支えてきました。

現代ではあまり土に触れることもなく、土は汚いと嫌悪されることが増えてきましたがずっと長い間、私たちの命を守る大切なパートナーでした。土は汚いものではなく、ありとあらゆるものを浄化する清らかなものです。どんなものでも土に埋めれば時間がかかりますが必ず分解されまた循環の一部に回帰してくれます。土は、甦生の代名詞であり、土はどんなものにも姿かたちを変え、そして何回も何回も新しく生まれ変わります。

世界では土で作った建築は無数にありますが、私たちの日本では高温多湿の気候と自然の水気の多い瑞々しい土の建築があります。基本的には日本の家の中心は木を用いますが、その木を活かすのは土であり、土を活かすのは木です。さらには、紙や石など日本の風土に適ったもので構成されます。

幼いころ、三匹の子豚の寓話でレンガ造りの家だけが狼から守ったという本を読みました。しかし大人になって日本建築に触れてみるとその逆で頑強な家よりも柔弱の家の方が、そこに住む家人たちを守り、末永く住み続けられる仕組みがあることを知りました。

柔弱とは和かいということです。

この和の家は、自然災害が起きたとき真っ先にそれぞれの土や木や紙が自らが先に壊れ合ってしなやかに周りの損壊を防ぎます。自分だけを守ろうとするのではなく、自分の方が周りのために少し崩れることで周囲を助け守ります。

これはまるで日本的な生き方のようであり、日本建築や家にはその日本の精神が凝縮されていることに気づきます。当然のことですが、日本人が建てたからこうなったのであり、日本人が考えたからこうなったのです。

私たちは家に住むことで教えられるのは、どのように先祖が生きてきたか、何を大切に暮らしてきたか、どんなことを理想としてきたかに気づきます。

今回の土葺きでいえば、瓦は土に載せているだけで、瓦自体は一切どこにも固定していません。瓦と土が載ることでかなりの重量が屋根にかかりますが、その御蔭で地震が発生したときに建物が左右に大きく揺れていきます。その揺れ幅が大きければ大きいほど、家が倒壊するより先に瓦が先にずれ落ちることで家を守ります。

今のように修理する気のない家であれば、全部捨ててやり直しですが古来の日本の家は傾くだけならすぐに元に戻せましたし、土葺きの土も再利用できます。そうやって自然災害を体験し何度も改善を繰り返し、悠久の年月を持たせることができる家に昇華してきたのでしょう。

この体験も未来の子どもたちに譲り遺せるように真摯に学び直していきたいと思います。

 

火から学ぶ

古民家甦生を実践する中で、囲炉裏や竈、和ろうそくなどかつての暮らしの火を中心に甦生していきますがこれはとても現代の暮らしとの対比をするのに重宝しています。

かつて日本の民俗学者である柳田國男氏にこのような記述があります。

「世の中が進んだということを今が昔とくらべてどのくらいよくなっているのかいうことを考えてみるのには火の問題が一番わかりやすいと思います。闇を明るくするために昔は大変な苦労をしたのであります。」

今では電気をつければスイッチ一つでどんな暗闇も瞬時に明るくなりますが、昔は夜を明るくするということは大変なことでした。昔のことを調べていると、かつては夕方になるとじわりと送電線から電気が流れてきて夜は電気が灯され、朝方には自然に消えていたといいます。スイッチなどもなく、水力発電などで電気を送電していたそうです。

明治の頃、若い留学生たちが欧米に渡航した際にガス灯で明々と照らされた夜をはじめてみたとき、きっと今では計り知れないほどの衝撃であったかもしれません。それほどかつては、夜は真っ暗であり火を灯しながら暮らしを成り立たせていました。

現代においては、コンビニを中心に明々と町中が照らされ、どこもかしこも街灯があり都会などはまるで昼間のようなネオンの明るさでにぎわっています。夜が失われたことと同時に、火の暮らしも失われたのです。

しかしこの懐かしい火の暮らしは、人間を内省的にし、心に豊かさとぬくもりを与えていました。ゆらゆらと揺らぐ炎には、まるでいのちの様相を実感し、その灯りによって精神が落ち着いて心が穏やかになったものでしょう。

なんでも便利になっていくと当たり前のことに感謝できなくなっていくものです。そしてそれは物だけではなく人に対しても感謝の気持ちが失われていくものです。不便さというものは、当たり前ではないことに気付けるものです。電気の有難さは電気が失われて気づきます、そして火の有難さも火が失われて気づきます。

便利になればなるほどにもっとも当たり前である大切な存在を忘れ、そうではない存在ばかりを気にしてしまいます。太陽であったり空気であったり水であったり火であったり、私たちはもっとも当たり前にあって大切である存在に日々に感謝できているでしょうか。

便利さという豊かさは、真の豊かさではありません。不便さの中にある豊かさは、当たり前の存在をいつも気づかせてくれます。昔の人々は、人間として感謝の心が磨かれていたからこそ自然そのままの暮らしで善かったのでしょう。敢えて技術的な豊かさに走らず、もったいない質素で慎ましい暮らしの中にある心の豊かさを大切にしたのかもしれません。

火から学ぶものを、様々な心のカタチにして子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

豊かさ~感受性を磨く~

人生が豊かな人という人がいます。その人はどんなできごとも感受性豊かに感じ取り、自分と周囲を尊敬して美しいものに日々に感激しています。物質的なものは他人でも作り出せますが、心の中のものは自分にしか創り出すことができません。心の感性を磨いていくことができる人は豊かであり、仕合せな人だといえます。

ではどのように心の感性を磨いていくか、それは人間の持つ豊かさを高めていくということです。どんな小さなことでも素晴らしいと感じる感性、どんなに微細な変化でもすごいじゃないかと驚く感性、どんなご縁であってもそれがとても有難いと感謝を実感している感性、そういうものを日々に味わい感受する力を育てていくということです。言い換えれば無感動人間ではなく、日々感動人間になるということです。

私はかつて営業の仕事をしていたころ、日々に出会う方々の御蔭様でいつも自分と相手の素晴らしいところや美しい心を感じる修行をする機会がありました。毎日、本当に多くのお客様のところに訪問し常に自分が何者か、そしてお客様に何を伝えたいのかと、その時々に合わせて対話をしていました。どんな人でもこの方は本当はきっと美しい心を持っていると尊敬し、この方はきっと素晴らしいことを教えてくださっていると信じて、心をオープンにし、相手を尊重し褒めたたえる訓練をしました。

周りの営業の方からは私がおべっかを使っているとか、褒めすぎて気持ち悪いとか言われましたが、私自身は褒めることは自分が相手を認めるところを磨くことだと信じていましたから相手の善いところ美しいところを探そうと精進していきました。

その御蔭様で、どんな人ともいい出会いに恵まれさらには同時に自分の感性も豊かになっていくような機会をいただいたような気がしています。そしてそれがどんなに苦しい時にでもできるか、つらい時にもできるかと心の感性が高まったように思います。

人間は豊かさの分だけ、その豊かさが周囲に伝達していくように思います。豊かな感性がある人は感動によって自他を動かしていきます。豊かな人は、感性のアンテナがたち、好奇心が発動している状態であり、さらに万物を尊敬する状態になっています。

人間はどんなに物質的な豊かさを持っていても、感性が鈍くなると何も感じません。そしていくら物質的に貧しくても感性が豊かな人はその貧しさを豊かに転換していきます。そうやって人間性が磨かれていけばいくほど、真の豊かさもまた持てるようになるのかもしれません。

何歳になっても感動できるような人物になるというのは、豊かな人間になるということです。豊かな人はその存在だけで周囲を仕合せにしていきます。感受性を磨いていく人生とは、豊かな人生のことです。

引き続き、感受性が鈍ったり感動がなくなったりするようにならないようにどんな物質的なもののあるないにかかわらず、子どもたちに見習い感性を豊かに育てていきたいと思います。