包丁の文化

先日、聴福庵に古来のたたら製鉄法を用いた玉鋼の出刃包丁が届きました。和包丁の一つ出刃包丁は魚を捌くためのものであり、現代では肉を切るのにも用いられます。

出刃包丁の名前の由来は、「出刃包丁について確認できる最も古い記録は江戸時代の『堺鑑』であり、「魚肉を料理する庖丁」と紹介されている。その時には既に堺の名品として知られていたらしく、詳細な登場時期や普及過程などは明らかになっていない。 『堺鑑』には「その鍛冶、出歯の口もとなる故、人呼んで出歯庖丁と云えり」と記述されているが、これが普及や時間経過とともに「出刃」に変わっていったものと考えられる。」とウィキペディアにもあります。

なぜ出刃というのかと気になっていましたが、まさか大阪の堺にいる出っ歯の鍛冶職人が名前の由来とは思わず驚きました。大阪らしい感じがしますが、出刃包丁がよほどの使い勝手の良さと切れ味、個性のある鍛冶師だったのではないかと思います。

今ではスーパーでなんでも便利に用意してくれているため、昔のように魚の三枚おろしなどしなくなっていき出刃包丁も家庭での出番が失われてきました。肉も洋包丁を用いていますからますます出番がなくなってきています。

そもそも用途の歴史を辿れば、日本最古の包丁で現存しているものは奈良時代のもので奈良の正倉院で保存されていますがこの包丁は柄が長く日本刀に似た形をしているといいます。江戸時代になるまで、包丁はほとんど日本刀で切っていたということになりますからその切り方もまた日本刀に準じて「引いて切る」という切り方になったのでしょう。

江戸時代に入ると、平和が続き刀鍛冶の仕事が少なくなってきましたから包丁鍛冶師に転向していきました。江戸時代は例えば寿司の文化も開花しているように、他にもさまざまな食文化の発展と共に包丁鍛冶師も和包丁もまた進化していきました。

ちなみに寿司のはじまりは江戸時代後期の文政年間(1818~30)といわれ、創始者は江戸両国の「与兵衛寿司」の華屋与兵衛(はなやよへい)とも、江戸深川は安宅六軒堀(あたけろっけんぼり)の「松のすし」の堺屋松五郎ともいわれています。

そして明治時代に入ると西洋文化が入ってきて同時にいろいろな料理方法や料理と共に西洋のナイフが広まっていきました。特に牛刀という名前は、包丁で牛肉をさばくための包丁と言うことで呼ばれるようになったとも言われます。

そして西洋と日本の食文化を合体させた日本人は牛刀と菜切り包丁の機能を持つ「文化包丁」を創り出します。そして一般家庭でどの種類にも便利に使える「三徳包丁」になっていきました。今ではセラミックやステンレスの技術が入り、包丁はあらゆる素材で作られホームセンターなどでも販売されています。

私は現在、今の時代に包丁文化を甦生させている最中ですから敢えて玉鋼の包丁を用い研ぎ、学び直しながら創意工夫をしていますが改めて使えば使うほどに、その持ち味に感動しますから引き続きこの包丁の文化もまた子どもたちに伝承していきたいと思います。

包丁と研ぎ

昨年、包丁の研ぎ研修を受け包丁研ぎをはじめてから様々な和包丁のことを深めています。この和包丁は、「和」とつくように日本の文化から発明された包丁です。

そもそも「包丁」という名の由来は、荘子の「養生主篇」にある中国の戦国時代の伝説の料理人からきています。「庖」は料理人のことを指し、「丁と言う名の料理人」と言う意味とも言われます。

これはどういう内容の故事であったかご紹介します。

『庖丁はある時、魏の恵王の前で牛を一頭料理してみせました。この時の庖丁の刀捌きは見事の一言で、あっという間に肉は骨からはなれていき、手捌きが刻むリズムは心地よく、身のこなしは殷の湯王が桑林の地で雨乞いをした際の舞楽「桑林の舞」を思わせ、手の動きは堯の時代の音楽である「咸池」の一楽章にあたる「経首の会」を思わせるほどだった。そこで恵王は、「実に見事なものだ。技も極めるとここまでになるものなのか。 」と驚嘆の声をあげて褒めたたえたといいます。それを聴いて庖丁は刀を置き、『これは技ではございません。技以上の「道」なのであります。私がはじめて牛を料理した時は、目にうつるのは牛のみでどこから手をつければよいか見当もつけられませんでした。しかし三年目には牛の身体の構造が見えるようになり、今では目を使わずとも心で牛の身体をとらえて、骨と肉の間に刃をいれ、けして骨に刃があたるようなことはありません。牛を料理する際は、料理人はどうしても骨に打ち当てて刀を折ってしまいがちです。私は、この刀を19年近く使って数千頭の牛を料理してきましたが、刃は研ぎたての新品同様です。 』と語りました。庖丁の言を聞いた恵王は、「これは良い話を聞いた。無理をしないのが人生を全うする極意と心得た。 」と言って、料理する刀を庖丁と呼ぶようになった。』

この故事が日本に伝来し「包丁(ほうちょう)」という名で今では当たり前に台所で私たちの料理を手助けする身近な道具として使用されています。

以前、東京の250年の御鷹匠の老舗(今では軍鶏鍋)の玉ひでに訪問した際、案内に初代山田鐵右衛門が将軍家の御前にて、血を見せることなく骨と身を取り分ける包丁さばきで鶴を奉納する御鷹匠仕事を行う家だったことを思い出しました。

本来、包丁は日本刀を用いて料理をはじめその後、次第に形を変えて今では100種類以上の和包丁が存在します。そのものの素材やいのちに合わせ、様々な形状を持つ和包丁には、日本人の素材やいのちに対する生き方、姿勢(道)を感じます。またお造りや刺身に見られるように、魚そのもののいのちを傷つけずに庖丁を入れる日本の技には和包丁の特徴が発揮されています。

日本の風土は古来より瑞々しさと新鮮さにより生食を好んできました。そのいのちを活かす料理には、和包丁の存在は欠かせません。今では、一般的な家庭の台所には西洋の便利な包丁が1本か2本しか持ち合わせていない家も増えているようですが世界が感嘆して評価する日本の伝統文化「和食」を陰ながら支えているのは和包丁の存在であるのを決して忘れてはなりません。

かつての時代の和包丁もご縁から少しずつ聴福庵に集まってきました。あらゆる料理の素材をどの包丁を用いるか、どのように切ればそのもののいのちを活かせるか、奥深い世界が存在しています。

古の道具は、私たちの魂を磨き先人の智慧が凝縮された日本文化の道具は私たちの生き方そのものを磨き直します。

引き続き、包丁と研ぎを深めながら子どもたちに生き方を伝承していきたいと思います。

風土と暮らし

昨日から京都の鞍馬寺に来ています。少しずつお山が秋の気配に色づきはじめて空の秋風の透き通った青さと流れる雲の白さ、そして緑が合わさって水がキラキラ輝いてみえます。

自然というものは、その風土の中で一体となって一緒に存在しているため小さな変化は全体の変化を促していきます。いのちが輝くというのは、その偉大な存在の中にあってすべての生命が一緒に生きている中でこそ燦然と輝きます。

もしもこれが人工的にバラバラになったのなら、それぞれが輝くことはありません。生き物がイキイキといのちを働かせてハタラクには、風土の存在が欠かせないのです。その風土の存在があって私たちは存在することができますから、常にいのちは風土と一体になっているということを忘れてはいけません。

循環という言葉があります。

これはいのちがめぐり、様々なものが有機的につながり存在していることを顕していますがその本質は共に生きるという共生のことを意味します。一緒に生きているからこそ、お互いの存在を思いやり尊重して生きていくこと。それが循環の意味です。現代では、部分だけを見てはバラバラにし、部分だけを排除しようなどとしますが万物はすべて共生していますから一つだけを除いたらすぐに全体の何かがバラバラになっていくものです。

存在の原点を忘れてバラバラになるということは、一緒に生きるのをやめるということでもあります。豊かで瑞々しい風土の中で、共に仲間と生きていけばみんなニコニコと仕合せに楽しく生きることができます。その反対に、自分さえよければいいと風土から離れ自分勝手に孤立して生きていけば誰とも分かち合えません。

だからこそ「自分」というものを決して勘違いしてはなりません。自分しか知らない傲慢な自分ではなく、謙虚にみんなと一緒に生き活かされる「自分というものの存在」を静かに見つめ直す必要があるのです。

一つの風土をそれぞれが生きる主人公としてみんなで分かち合うというのは、いただいている恩恵に感謝しみんなで一緒に生きていく自然の姿、みんなのいのちが輝く姿です。

子どもたちもこのいのちの原点に魂が触れることによって、自分がどの風土に生まれ一緒に生きていくのかを確認します。その根のつながり、いのちの原点が感じにくくなっている現代の環境において、その後大人になった人たちが本当の自分を見失っていることが増えているように私は感じます。

風土と暮らしがなくなることは、自分らしさがなくなることです。

人類の未来の子どもたちのためにもこの美しい風土が育てた本物の環境を三つ子の魂百までに触れてもらい、そのうぶな心に真相を伝承していきたいと思います。

主体性の本質

主体性を考えるときに、一つは世界観という物差しがあるかどうかということを思います。人は自分のいるちっぽけな世界を世界だと思い込んでしまうと、自分のことしか考えなくなるものです。主体性は、自らが世界になることであり世界の一員として自分が何をすることが役に立つのかを考えるとき発揮されていきます。

インドのマハトマ・ガンジーは、「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」といいました。

他にも「自分が見たい思う変革に、自分自身がなりなさい」ともいい、自分自身が変わることが世界が変わることだとも言いました。

私が思う主体性が発揮されない理由の一つは、それまでに教育や環境で刷り込まれたものが捨てられないからだとも思えます。それは今の自分が捨てられないということです。自分のプライドとか保身とか、そういうものを握っていたらなかなか自分を変えることができず生きづらい日々を歩むことになります。

人類のために自分が何ができるかを考え、自分が変われば世界もまた変わると思えばそれまでの自分に固執するのではなく自分がこうあってほしいという世界に向けて自分自身を改革していくことで刷り込みが取り払われていくようにも思います。

そして「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」といい、日々に刷り込まれていく中で如何に流されずに自分自身であり続けるか、そのためにも主体性が常に必要で日々は改善と改革の連続であり「今の自分を毀し続ける日々」でなければならないように思います。それが実践であり精進の本質です。

柔軟性というものは、目的のために今の自分を毀し続けるということですから理念に合わせて自分をいつまでも持って頑固になるのではなく、理念に従ってもっと善い方があればそういう自分になっていくということでもあります。

最後にアメリカのJ・F・ケネディの演説が参考になります。

「世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機に晒されているときに、それを守る役回りを与えられた世代というのは多くありません。私はこの責任を恐れず、喜んで受け入れます。おそらく皆さんも、この役目を他の誰かや他の世代に譲りたいとは思わないでしょう。我々がこの取り組みに注ぎ込む精力と信念、そして献身的な努力は、この国とこの国に奉仕する人々を明るく照らし、その情熱の光は世界を輝かせるはずです。そして、同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか。」

このアメリカを会社に置き換えて読み直したり、このアメリカを日本に置き換えてみたり、世界に置き換えてみれば、すべては自分の改革にかかっていると呼びかけられていることに気づきます。

ケネディは、一緒に「つくる人」になって世の中を変えていこうと理念から呼びかけました。誰かがいつか何かをしてくれるという考えや、自分一人がやったってどうにもならないや、下っ端の自分のやることではないなどと思われる中で、そうではなく共に問題を一緒に解決していくためにみんなで理念や理想に向かって挑戦していこうとしたのです。

主体性というものは、まず人のせいにしないこと、そして自分自身が変わることを優先するものです。

引き続き子どもたちのためにも刷り込みに向き合い、人類の未来に向けて自分を変え続けていきたいと思います。

徳気

古語に「短気は損気」という諺があります。すぐにイライラしたり怒ったりしていたら結局は自分の損になるというものです。他にも「短慮功を成さず」のように、焦ってなんでも長期的配慮に欠ければ成功もしないというものもあります。他にも浅い考え方では、何も成功させる事はできないということでもあります。

この「短気」というのは説明すれば忍耐ができず、すぐに怒ったり飽きてしまったりする状態のことをいいます。 同義語には「気が短い」「気が早い」などがありすぐに結果を求めてしまいたいところがあります。

この短期の反対は「気が長い」という語はのんびりとして焦らないことを指し、時間をかけてじっくりと醸成するものを待つという状態です。短気は感情だけで動かしますが、気長に待つには根気とプラス思考、それに心の余裕やゆとりが要ります。

心の余裕やゆとりは、信じる心が先にあり、信じているから待つことができます。逆に不信や不安になると、ゆとりと余裕がなくなり焦り短気になります。感情に呑まれるのもまた、不安や焦りが出ているからだとも言えます。

私も何度も同じ現状が変わらずに、繰り返され変化がないと短気をおこして怒ってしまうことがあります。その後は、反省して恥ずかしいことをした、なんであんなに怒ったのかと後悔したりもします。よく考えてみると、相手は自分が自ら気づかなければ反省もなく、改善もなく、変わることもないのだから自らの気づきを根気よく待つしかありません。

気づかないのになぜ変わらないのかと怒ってみても、それは自分の気づかせることができない短気が原因であり、それが損気になって何事も悪循環を生んでいるということです。

時間がかかる人もいれば、パッと気づいて変わる人もいます。時間をかけた分、気づいたらそれを一生大事にする人いれば、気づいてもすぐに忘れてしまったまた同じことを繰り返す人もいます。

気づき方も人それぞれに個性がありますから「福は寝て待て」の心境で、そのうち気づいてくれるだろうと気長に待つ力を自分が磨いていくことがいいように思います。気長に待つという忍耐力は、これでいいとすべてを丸ごと受け容れる器を育てるということです。

はじめから簡単に思い通りに育つ人などはなく、その人が主体的に自分から取り組んだ分だけその人の気づきの質量が変わるのだから大切なのは「自分で気づいて反省すること」を繰り返していくだけです。相手に求める暇があるのなら、自分が先に反省した方が「徳気」を磨けます。これは私の造語ですが気長は得気、自省は徳気ということです。

聴福人として、待つことで徳を磨き、短気を反省することで己の足らざるところを恥じ、今日もまた己に克つ挑戦をし、自らの徳気を高めていきたいと思います。

美味しいプロセス~実りの意味~

昨日は、自然耕の実践園で有名な千葉の藤崎農場にて仲間たちと一緒に稲刈りを行いました。もう参加して4年目になりますが、毎年ここで田んぼを観察し藤崎さんの生き方に触れることで多くの学びや豊かさや安心感をいただいています。

この藤崎さんの田んぼは、生き物がいっぱいの田んぼでありとありとあらゆる多様な生き物たちの活動をイキイキさせながら一緒に美味しいお米を育てています。生態系の宝庫ともいえる田んぼは、文字通り宝石の粒だらけです。私が憧れた田んぼはいついも他の生き物たちを尊重している田んぼで、お互いに譲り合い思いやる田んぼには理想の社會があるかのようです。

お米は美味しくなるのは単に味が良くなればいいというものではなく、その味にはそのお米が育つまでに様々な行動や実践が積み重なり詰まっているから美味しくなります。

真心を籠めて信じ祈るように育てられたお米は、本物の味わいがあり、人はそれを「美しい味」と書いて美味しいと読むのでしょう。美しいとは、そのプロセスの美しさであり、結果だけを偽った見た目の良さとは異なります。そのプロセスが美味しいお米を食べながら藤崎さんの生き方に触れ、自分の何を改善していけばいいかに気づくことが豊かな学び直しになります。

人はなんでもそうですが、何かをしようとするときその何かをやること自体が目的になれば本来必要な準備も怠り、大切な真心を籠める手間暇を避け、単にスケジュール通りにやってこなそうと小手先の技術ばかりで取り組んでしまうものです。

そうすると結果だけが気になり、見た目の結果ばかりを求めるようになり真心はほとんど積み重ならずその行動もまた薄っぺらいものになります。小手先の技術は頭でっかちに考えた多少の技で済みますから、心や自然を相手にする場合はまったく効果がなくいつも自然から間違いを指摘され因果応報、その結果も相応に惨敗するものです。

自然というものは、何もしない中に豊かさが凝縮されておりそれは「信じるという心の準備を怠るな」と指導が入ります。信じて祈るという実践は、改善を積み重ねて学び続けて行動する姿勢そのものとイコールであり、常にそのプロセスを深めて味わい、探求心と好奇心で智慧を蓄え、そして御蔭様の感謝を忘れないことで自然に沿った実践となります。

藤崎さんの田んぼには、その日々の信仰と祈りが具体的な技術にまで昇華されており経営者としても技術者としても、また道の先覚者としても、さらに謙虚な人格も実っています。何かが実るということは、それだけの一つ一つの成長のプロセスを経たということでもあります。

何のために美味しいお米を創るのかのその目的や志が実って、この今に至っているということを知ると改めてご縁のめぐりあわせに感謝するばかりです。

私も子ども第一義の理念に取り組んでいますが、子どもたちの仕合せのために「美味しいプロセス」を一つ一つ大切にしどのような結果が実るのかを楽しみに待ちたいと思います。

味わい深い一日に感謝しています。

日本人の甦生

かつて毎日新聞に元世界銀行副総裁の西水美恵子さんによる寄稿で「東日本大震災から2年 日本から学ぶ10のこと」というものがあります。震災後にチェーンメールで世界に拡散し、多くの外国人から称賛と共感のコメントが入ったとも言います。そこにはこうあります。

「10 Things to learn from Japan 日本から学ぶ10のこと」(西水美恵子訳)

1 The Calm(平静)
悲痛に胸打つ姿や悲嘆に取り乱す姿など見あたらない。悲しみそのものが気高い。

2 The Degnity(威厳)
水や食料を得るためにあるのは秩序正しい行列のみ、乱暴な言葉や無作法な動作など、ひとつとてない。

3 The Ability(能力)
驚くべき建築家たち。ビルは揺れたが、崩れなかった。

4 The Grace(品格)
人々は、皆が何かを買えるようにと、自分に必要なものだけを買った。

5 The Order(秩序)
店舗では略奪が起こらない。路上では、追い越し車も警笛を鳴らす車もない。思慮分別のみがある。

6 The Sacrifice(犠牲)
50人の作業員が、原子炉に海水をかけるためにとどまった。彼らに報えることなどできようか?

7 The Tenderness(優しさ)
レストランは値を下げる。無警備のATMは、そのまま。強者は弱者を介助する。

8 The Training(訓練)
老人も子供も、全ての人が何をすべきか知っていた。そして、すべきことをした。

9 The Media(報道)
崇高な節度を保つ速報、愚かな記者やキャスターなどはいない。平静なルポのみがある。

10 The Conscience(良心)
停電になった時、レジに並んでいたいた人々は、品物を棚に戻して静かに店をでた。真のインスピレーションを感じる。日いずる国で起こっていることに。

私たちは国内にいれば当たり前と思えることでも、世界ではそれは当たり前ではないことが多々あります。その一つに日本的な生き方や日本人の精神というものがあります。

礼を重んじる心や和の心の源泉は、先祖代々からの生き方の集積でもあります。その血が流れている私たち日本民族は、忘れているようでそれは精神に連綿と繋がり染込んでいます。そもそも「礼」とはお互いを尊重し合うという孔子の思想が、「和」をもって尊しとなすという聖徳太子によって和訳されたものです。それを国家の基礎に据え、私たちはここまで国を発展繁栄させてきました。

それが災害時や有事の時には思い出し、一人ひとりが自制をし全体がよくなるようにと行動するところに和や礼の精神が息づいているのを感じるのです。以上の10のことは、その和と礼に改めて気づかされる内容ではないかと私は思います。

日本文化において「人間を尊重し合うためにお互いを思いやる」ということは、奥深いところに根付いている根本的な生き方です。

引き続き、子どもたちに和魂の未来を譲っていくために民家の甦生だけではなくそこで育つ日本人の甦生、初心伝承に引き続き取り組んでいきたいと思います。

暮らしの信仰~生活即信仰~

先々月から掘り始めた手掘りの井戸は無事に最後の仕上げまでを終え甦生することができました。振り返ってみると、不可能に思えたことが何度もありその都度、仲間や井戸職人、また聴福庵に助けられ信じる力が高まって掘り進めることができたように思います。

そもそも古民家甦生の中で水神様をお祀りすることは決めていましたが、その最初の背中を押していただいたお客様がいて、井戸掘りの最中、ずっと見守ってくださった井戸職人さんがいて、楽しそうに手掘りで掘り進めてくれた仲間や家族があり、最後は水が湧き活気づき、聴福庵の喜びもあって甦生することができました。

多くの関係者の御蔭様で、みんなで協力して助け合ったからこそ信じる力も伸ばし今回の甦生が行われていることに気づき改めて感謝の念がこみあげてきます。

澄んだお水が井戸から滾々と湧きあがってきますが、これもみんなで信じて助け合って湧き出てきてくださったお水です。その奇跡のお水をいつまでも忘れたくないと思い、みんなが力を合わせた美しい暮らしが子どもたちへ永遠に続くことを願い、井戸の水神様をお祀りしようと思いました。

人は、信じることと、お祈りすること、そして実践すること、感謝することを繰り返すことで一つ一つの心のご縁を結んでいくものです。言い換えるのなら、御蔭様の有難さを感じながら一つ一つが自然に結ばれていくのを信じ待つ心境とも言えます。

信仰心というものは暮らしの中に深く息づいており、暮らしが実践されるときそこに信仰心が育っているとも言えます。日本の家が子どもたちの先生となり、日本民族を伝承するなかで、何よりも尊い伝承の一つがこの「信仰心を育む」ということではないかと私は感じます。

今回の井戸堀りであっても、さまざまな困難があるとき仲間たちは自然に水神様に祈り、そしてみんなで信じ、協力し助け合い行動し、最後は感謝をして何度も何度も手を合わせていました。こうやって何回も何回も暮らしの信仰を続けていく中で私たちは魂を磨き、心を高めていきます。

日本人の暮らしの中心には常に信仰があり、宗教などなくても生活即信仰という道の生き方があるのです。私の人生の実践でもあるかんながらの道もまた、この自然への信仰と祈り実践と感謝の道であり、これを続けることでどのようなご縁に結ばれ天命を果たしていくのか、あるがままを受け容れてあるがままに活かされていくという境地を学ぶ旅でもあります。

引き続き今回の体験を子どもたちの未来に結んでいけるように、体験した学びを暮らしに役立てお仕事に活かし、仲間やパートナーと一緒に平和な社會の実現に向けて学び直して精進していこうと思います。

ニッポン文化の甦生

昔、ACのCMで「ニッポン人には、日本が足りない」という動画がありました。これは元銀山温泉老舗旅館のジニー女将が「日本人は日本人のいいところを忘れている」という内容で動画で日本人の素敵なところを自らが表現されています。映像では素朴で素敵な日本人の生き方を愛し、自らその懐かしい姿を守るために老舗旅館を経営している姿が映し出されています。古きよき日本を愛したジニーさんはその後、旅館が洋風のデザインに走り親族との経営方針が合わず帰国したとありましたが今はどうしているのでしょうか。この外国から来たジニーさんは、ひょっとしたらニッポン人よりもニッポン人だったのかもしれません。

人間は外国に限らずどんな組織であっても、自分の居る場所や所属しているものが当たり前になってしまうと当たり前に気づかなくなってしまうものです。本来、外から見れば大変素晴らしいことをやっていると思っても自分自身がその価値に気づかなければそれを忘れてしまいます。

もしも忘れてもそれが当たり前に維持できているのならいいのですが、本当に大切なことまで忘れてその当たり前が失われてしまえばその素晴らしいこともまた消失してしまうのです。素晴らしいものを失ってほしくない、懐かしいものをいつまでも残していきたいという心は、当たり前ではないことの再発見であり、温故知新であり、文化の継承でもあり、伝統の伝承でもあり、民族にとって何よりも優先する大切なものです。

私は、この当たり前と思っている文化こそ今の時代に見直す必要を感じます。なぜなら西洋から入ってきたり、世界から入ってくる文化を日本に和訳したり和に転換するのではなくそのままに挿げ替えて他の文化を自分の文化だと勘違いしていればそのうち日本人であることを忘れていくからです。取ってつけたような文化を自分の当たり前にしていたらそのうち自分たちがどんな民族だったかも忘れてしまうでしょう。

古来から和魂漢才や和魂洋才といって、和魂を持つ日本人であるのが大前提でそれをどのように新しく海外からの知識を自分たちが和で調理して日本のものにするかがその時代を生きる民族の使命でした。今では幼少期から西洋の知識や文化が自分たちの文化だと刷り込まれ、本来の日本人であったことを失わせているように感じます。

民族というのは風土が育てるもので、風土の中で醸成され出来上がるものです。風土に根を張り、風土の養分を吸い上げていくからその民族はその風土のなかでもっとも活き活きといのちが伸び、その独特の文化が世界の中の多様性を発展させていくものです。それは単に流行の新しいではなく、普遍的な新しさを持ち続けていくということです。

和魂を持つものが日本民族を継承し、その日本人が和魂のままに世界の文化を吸収し普遍性を発揮していくから世界の中の日本として人類の文化を繁栄発展させていくことができるのです。

しかし今の時代のように日本人がニッポン人を忘れ、日本人の精神や心や暮らしや生き方を消失してしまえば和魂は弱体化していきます。昔の日本人は正直で素朴、目がイキイキしてみんな愉快に笑っていたといいます。和魂が満ち足り、日本文化が伝承されていたときは根を張った野性の生き物たちのように元気に活動できていたのではないかと思います。その根拠は、自然農と同じくその命はもっともその風土で活き活きするからです。育て方を西洋式に換えた野菜には、その活き活きした命を感じられません。

日本に適った育て方、日本に合った育ち方が、自然環境や風土にあるのを無視して西洋の文化の育て方や育ち方をすればそのいのちは貧弱になるのです。野性化というのは、そのものの文化を丸ごと吸収して一体化するということです。

改めて日本人がもう一度、ニッポンの価値を取り戻すことの重要性をひしひしと感じます。もうここまで来たらよそ見をしている暇などありません。引き続き子どもたちの未来に向けて、優先順位を研ぎ澄まし、風土に根を掘り下げてニッポン文化の甦生、初心伝承をカタチにして子どもたちの現場に届けていきたいと思います。

 

住まいの源流

瓦葺きを深めている中で、そもそも屋根の原点とは何かについて考えてみました。そもそも現存する中で最初の人工的な建物には竪穴式住居があります。最も古い竪穴式住居は鹿児島県の上野原遺跡で見つかった約9500年前のものが最古のものです。

以前、私も上野原遺跡を訪問し見学したことがありましたが火を中心に暮らしをし、桜島が見渡せる丘にあり、身近には海と山、豊富な魚と動物、また木の実を採取できる場があり、そこに定住するための住まいとして竪穴式住居をつくったといいます。この竪穴式住居はその後、平安時代にはほとんどなくなり、室町時代の東北地方を最後に完全に造られなくなったといいます。

この竪穴式住居を簡単に説明すると、土地は緩やかな勾配のある場所を選び、そこから土を少し掘り込み平地よりも下げたところに土間を設け、中心には囲炉裏、天井には樹皮や藁を被せ、三角形になったテントのような建物です。祭祀できる小高い丘を中心に邑を形成し、その周りにみんなで助け合い住んでいました。

この住宅のつくりには縄文人のころからの住まいの智慧が凝縮されており、これが今の日本家屋の原点とも言えます。つまりは下が土、そして天井には通気口をあけ、家屋の真ん中に囲炉裏の火を熾し続ける。常に天地の間に流れる水と風を通気させ、その中心に火を配置することにより換気を促し、四季折々の絶妙な調湿も果たし、全体を燻すことで外からの病害虫を防御し、もっとも人間が末永く自然環境と共生する仕組みを住まいに導入していたとも言えます。この住まいの源流があって、その後、さらなる定住の長期間の住まいを持たせる工夫として瓦なども発達したのではないかと私は思います。

現在のように、土から離れ密閉住宅をつくり、冷暖房によって調湿をし、ガスの火や水道の水、化学物質に囲まれた住宅が健康に良いはずはなく、不自然の中での暮らしや住まいが人体と人生に影響を与えていることが大きいとも言えます。

短期的に活動するような住まいであればいいのですが、定住するとなればもっとも優先したのは「生命の保持」であり、鋭敏な自然感覚の維持であり、健康で元気に安心して暮らせるものを「住まい」としたはずです。

本来の人類の智慧はとてもシンプルで、健康や自然、生命生活が安心する基盤があって暮らしがあることを自覚していましたから当然住まいもまたその理に適ったものを建てたはずです。

今のように科学が進んで建築が発展したかのように思われていますが、人類本来の住まいからほど遠くなった近代の建物は果たして先祖の智慧が凝縮された最先端のものであるのかと疑問に思います。

そもそも火を中心に囲炉裏の生活が失われてから、同時に屋根や瓦についての理解も減退してきたように思います。土や火、水や風、闇や光といったものを感じない建物は、人間本来の五感を消失させていくようにも思います。縄文人は天地を逆さに観ていたからこそ、屋の上に屋根があったのではないかと私は思うのです。自然と共に暮らすということは生命維持の根幹です。

これから人工知能による課題や自然災害が猛威をふるってくる時代に入るに際し、自然の五感を磨くことは人類存続の上でとても重要なことであると私は思います。引き続き、先人の智慧を甦生させつつ子どもたちに日本人の初心を伝承していきたいと思います。