子どもの姿を~何を変え何を変えないか~

貨幣経済が優先され、古来からある日本の伝統的な文化や生活習慣は次第に便利さに流され失われてきています。歴史を鑑がみてもそれぞれの国家の発展と繁栄はその国の風土の文化で育成された民族の個性が発揮され多様な世界の中で自国の強みを活かすことによって成し遂げられてきました。

便利さとは楽の追求ですが、この楽は「楽しみ」とは異なるものです。今では大多数の人たちが便利な方を選択したり、楽な方に進むように子どもたちにアドバイスをする人も増えています。進んで苦労をしなさいというよりも、できる限り苦労はない方がいいと言ったりもします。近代に入り、技術の進歩と共に便利さが発展すればするほどに精神の方は本来は高まっていかけなければなりません。

なぜなら道具や技術を用いる側の人間が成熟していなければそれを使いこなすことができないからです。どこまではよくてどこまではよくないか、これは人生の自立と自律の話と同じで楽を選んでも人生は楽にはならず、人生を楽しくするには楽との付き合い方を知らねばならないからです。

例えば、暮らしというものを考えてみてもお金さえあればなんでもいつでも手に入れることができる状態になれば食事も生活もすべて便利なもので済まそうとします。すると健康が害され、より時間のスピードがあがり心の余裕も次第になくなってきます。大都市に住めば、ほとんどのことがお金で解決するような環境になっています。しかし人間を磨き高めているような古来からの自然な暮らしを実践している人は、日々に自律をし健康管理や生活リズムの維持、運動や学問などの時間を環境に左右されずに丁寧に工夫して生きていきます。

いくら技術が進歩しても、人間としての進化とは別ものですからなんでも便利に効率化したからといってそれが人間の幸福や豊かさにはならないものです。

子どもたちが置かれている環境は今は便利なものであふれています。最近では乳幼児のスマートフォン率がかなり高くなっているともいいます。かつて子どもにはよくないと危惧されていたことのほとんどが今の世の中では実現してしまいました。子どもは環境の中ですぐに流されてしまいます。一時的に大人の圧力で厳しくしつけたとしても、大人になれば何でも自由に自分で選択できますから楽に流されることもあります。だからこそ保育環境は大切なのです。

人生の豊かさを感じる環境をどれだけ幼少期に用意できるか、それは未来を見据えて今どう生きることが将来の真の豊かさにつながるか自分の経験から見つめ直せばいいのです。そうして大人たちは今の社會現象と真摯に向き合い未来を真剣に考える必要があると私は思います。

世の中が進化が求められるとき、いつの時代も下支えしてくれたのは根とのつながりです。根があるからどのような環境下であってもしっかりとその養分を吸い上げながら成長していくことができるのです。この根のつながりは、日本の伝統的な文化や先祖の智慧が凝縮された暮らしの中に色濃く遺っています。

今、私が暮らしの甦生に取り組むのも幼児教育の現場で子どもたちの姿が変わってきていることに危機感を覚えるからです。日本民族の存続を懸けて、風土で育まれた古来からある子どもの姿を変えてはならないのです。

何を変えて何を変えないか、それを正しく見極め行動できることこそが人間の成熟であろうと私は思います。今の社会現象を洞察しつつ、この先子どもたちが乗り越えていくであろう課題に対し少しでも多くの選択材料を私の人生を使って遺していきたいと願います。

 

縁日2

引き続き縁日について深めてみますが、縁日で有名なものに京都北野天満宮の「天神さん」というものがあります。これは北野天満宮の御祭神菅原道真公の生誕日と葬去日が25日であることから毎月25日に開催し「天神さん」と呼ばれ全国各地から多くの参拝者で賑わいます。そしてこの縁日では、たくさんの屋台や露店が出店されます。

改めて屋台と露店、出店の違いを調べるとまず「屋台」は屋外に簡易的に組み立てられた台と屋根を備え付けた小屋の様な移動可能な店の事をいいます。リアカータイプや、軽トラ等を改造して荷台の部分が店舗の様になっている物もありますがすべては「移動ができる」ということです。そして「露店」は露天とも言い、屋外にゴザを敷くなどをして一時的に構えられた店の事で屋根を必要としていません。もう一つは「出店」(でみせ・でたな)とも呼びますが神社の参道にある酒屋や醤油屋が店先にテーブルや台などを出して販売などしています。昔は街道筋や参道の周囲に店舗を構えていた商店が多かったこともありお祭りのときは出店を出していたといいます。

そもそもお祭りは寺社普請の意味もありました。明治以前の人々の暮らしの中心にはお寺や神社があり、それを守るために定期的に建物の修繕、または社会基盤の拡張や一新を図るにあたり莫大な費用が必要になっていました。

その資金を集める一環として寄付を直接募るよりは、お祭りを開催し「的屋」を招き地域住民に参加してもらい非日常(ハレの日・カムニギワイ)を演出する事で的屋から場所代として売り上げの一部を普請の資金にしていたといいます。また庶民も夜店や出店の縁日を通して日本の祭り文化が発展していきました。この的屋とは、縁日・盛り場などに露店を出し、興行や物売りを行う業者のことをいいます。そのような特殊な技術を持った大道芸人や商売人としての的屋も縁日の開催によって生活がなりたったともいいます。

地元の神社でも、昔はお祭りくじがありそれを地元の皆さんで割り振って購入することでお祭りの資金をねん出しており、また神社や境内の運営維持の費用に当てられていましたがそれも失われ今では神社の維持は個々人の寄付のみになっています。個々人の寄付もお祭りや神事に参加しなくなれば次第に失われていきます。

縁日の減少は、言い換えるのなら地域の中心の自治の減退とも言えます。

地域住民が氏神様を中心に氏子として、みんなで地域の政治を協力して協働していた暮らしが失われていくことで地域の繋がりや絆、また暮らしも失われていきます。

縁日の開催は、暮らしの甦生の一つであり、地域の人たちがみんなで有縁を感じ、力を合わせて地域をより暮らしやすい地域にしていこうとする参画意識の確認でもあります。

引き続き、氏神様とのご縁を大切にした小さな天神さん縁日の実践を通してご先祖様が大切に守り続けてきた地域文化の甦生、暮らしの甦生を学び直していきたいと思います。

 

 

縁日

来週末開催の「まちづくり×古民家甦生=観光創生化」の準備のために聴福庵に来て色々と段取りをしております。午前中は、まちづくりのファシリテーターとの座談会。午後からは地域の子どもたち向けの縁日を開くことになっています。

そもそもこの縁日とは、「有縁の日」の略語であり、神仏の降誕・示現・誓願などの縁があり、祭祀や供養が行われる日のことをいいます。先月は、地域の氏神様である天神様をお祀りし天神祭を開催しました。これもまた一つの縁日とも言えます。近代以降はお祭りもセットになり、露店などが出て賑わうようになりましたが本来は有縁の神仏の祭祀と供養のために暮らしの一つとして家々においてそれぞれに有縁の日に実践されていたものです。

それぞれの風土で実践される縁日には、それぞれに受け継がれている思いや願いがあったり、大切な歴史的意味があったり、御先祖様からの伝言や文化の伝承であったりするものもあります。

例えば縁日で有名なものに8、12日の薬師如来、15日の阿弥陀如来、16日の閻魔、18日の観音菩薩、21日の弘法大使、24日の地蔵菩薩、私たちがお祀りしている25日の天神様などもあります。他にも毎日、何かの縁日と結ばれ人は信仰を守り続けてきました。特に、一年の中で特に大切に結ばれる縁日の功徳は大きく、たとえば7月10日は観音菩薩の四万六千日といって、この日に参詣すれば4万6000回参詣したのと同じになると説かれたりしているものもあります。

こうやって縁日は信仰と結びつき、お祀りすることでさらに神仏のご加護を実感しながら感謝で暮らしていたのが私たちのご先祖様たちの生き方でした。

そもそもご縁とは、何かしらの因縁によってつながっているということを意味します。私とあなたも、そしてこのブログを読んでくださっている方も、何かしらのご縁によってつながって結ばれています。これは私たちの親祖からはじまり、私たち子孫はその発展と共に増えて広がってきた民族でありその元は同一であったことを意味しています。

何回も生まれ変わり、そして巡り会う中で、時代を超えて再び出会います。また出会うのもまた何かの因縁があるのであり、そのご縁のつながりの中で共に生き貢献し合っていきていくのは私たちです。

このご縁を大切にするというのは、自分は結びの中にある存在であるということを確認するということです。この縁日はまさに、日常の喧騒や忙しさの中でつい忘れがちになっているつながりやご縁の存在を改めて確認する日でもあると私は思います。

真摯に神仏やご先祖様からいただいたご縁を活かしていけるよう、ごつながりをもったいなく使わせていただき、ご縁のある皆様が幸福であるように自分のいのちを盡していきたいと思います。

 

真の誇り

先日、あるお客様同士での会食の中で素直さについて改めて感じる機会がありました。物事が大成する人は、みんなその共通点として素直さというものがあります。

自分に非があろうがなかろうがプライドなど気にせずに素直に謝ることができる人、また自分が間違っていたとすぐに気づいて感謝し改心していく人は周りから愛されますし、人間的にも魅力があります。そういう人はいつも周りの人々や仲間と良好な関係を築いていくことができます。

この逆に傲慢で高慢な人は、自分のプライドがあるから決してすぐに謝ろうともしません。自分のプライドばかりを守る人は、自己主張ばかりに躍起になり、我が強く自分の価値観に囚われ視野も狭くなっています。人間関係が上手くいかず常に周りに嫌な思いをさせてしまいます。

自分のプライドを守るようになれば自分は悪くないとか、自分のせいではないなど、自分を守るために必死ですから指導をしてくださったり、教えてくださったり、アドバイスをいただいた方に対しても謝ることも感謝することもありません。むすっとした顔や投げやりなそういう他人への態度を観ると、プライドが高い人にはなりたくないなと他人のふり見て我が身を省みます。同時にこれでは大成することもないだろうなと残念に思えてしまいます。

素直さや謙虚さの反対には、このプライドの高さがあるように思います。このプライドは、誇りとは別物です。プライドはどちらかといえば、自分をわかってもらえないと嘆き、自分以外を認めようとせず、自分の弱さや欠点も決して認めません。しかし誇りは、すべてを認めており、自他を尊重することができ、揺るがない自信がありブレることもなく信念や志を優先していきます。そういう人は目的や大義のためのこと以外は特に気にすることもなく、当然自分のことなども気になりません。目的を達成するためには、どんな人のことも丸ごと認め、自分のプライドよりも素直で謙虚であることを優先できるのです。

自分のことを認めてくれないとばかりを思い悩む前に、もっと自分が他人のことを認めているかと自反することで人は素直に謙虚を磨けるように思います。自分自分にしか興味がないうちに、大切な身近な人のこともわからなくなっているのではないでしょうか。相手のことをわかろうとせず認めようとしない、そして聴こうとしない心の態度こそがプライドばかり高くなっている原因になっていることに気づかなければなりません。

世の中を見渡せばほとんどがこの「認められたい」という強い我が人間関係の衝突の原因になっている気がします。人間の承認欲求の強さを大義や社会のためにと、貢献や利他に転じることができればその人は「誇り高い生き方」を選べるように思います。

自分を認め許すことは謙虚の入り口であり、他人の話を聴き謝り自分を直していくのが素直の入り口です。「すみませんでした」「ごめんなさい」「ありがとうございます」という基本の姿勢に素直さや謙虚さが入っているかどうかが自他を丸ごと認める実践になっていきます。

引き続き、子どもの憧れる生き方と働き方を優先するためにもすべての体験から学び直し、運を高め真の誇りを醸成していきたいと思います。

学問とは何か~日本の学問~

先日から伝統的な教育を深めていますが、明治初期に西洋の教育手法が入ってくるまでは日本では学問は儒教を中心に「天」というものを相手にするという思想がありました。この天は、日本ではお天道様やお日様に例えられ自分自身を片時も離れずに見守ってくださっている偉大な存在として崇め自らに学び問いました。

孟子は「学問の要は、唯諸己に反求するに在るのみ」といい、常に己に問い、内省反省し、慎独するなかで実践するものこそ学問の要であるといいました。

教育手法ばかりが注目され競争する昨今において、そもそもやり方ではなく根本的なあり方がどうであったかは歴史から学ぶものです。日本の伝統的な教育は、社會のために行われるものであるから公のものであり、さらにはその公のために如何に個々が社會のお役に立てるか、そしてその命のお役立ちこそを天命あると導いていたのが分かります。

教育者本来の本文は、この天道に導くことであり如何に道からそれないように我を省き、その人が利他に生きることができるようにするかを様々な言葉で伝えてきました。

例えば、かつての日本の親子の教育の柱で伝承されてきたものに「お天道様が見ている。ご先祖様に恥ずかしいことをするな。故郷に錦を飾りなさい。」というものがあったといいます。

これは道に入るための導きの言葉でもあり、社會の中で自分の天分を活かしなさいと励まし応援するものでもあります。

今の時代は、自分のことばかりを心配して自分の思っていた通りにうまくやることが人生が成功したと思って我ばかりが増大していく環境があります。しかし本来は、どんな自分であろうがその社會の中で如何に自分の天分を周りに活かしていけるか、言い換えるのなら自分をお役立ちさせていくかに本来は専心することが肝心であり、自分のことなど考える必要もなかったのです。

俺が私が自分がの我を主語にするのではなく、主語を社會や天や世の中などその公器を主語にして生きれば自ずからお役に立てるところに命が役立てる仕合せに出会えるようにも思います。

自然界も等しく、私たちは同じ太陽の下みんなで協力して共生しながら貢献し合って存在しています。だからこそその自然の法則から離れないように、天道地理から外れないようにと道を照らしたのが教育者だったのでしょう。

私たちは教育を職業の一つとして認識していますが本来は道の一つです。この道は親子でも兄弟でも子弟でも、すべての関係の中に存在する一本道でもあります。未来の日本の子どもたちのためにもその道をもう一度、再認識し今の時代に温故知新していきたいと思います。

 

まちづくりとは何か

今月は、近畿大学九州短期大学主催でまちづくりの座談会と子どもたち向けに縁日を聴福庵にて21日、22日の2日間で開催します。縁日では長年協働しているクラムアートの代表の福田康孝氏にも千葉県館山から来庵いただき貝磨きのワークショップをしていただきます。地域のお取引先の保育園、幼稚園の子どもたちにも案内を出し、はじめてこの「場」を提供して触れ合ういい機会になりそうです。

もともと聴福庵は、復古創新という言葉を島根の石見銀山生活文化研究所の松場登美様から教えていただき私なりに暮らしの甦生に取り組んできました。様々な伝統技術や日本的精神を伝統職人さんたちから学び直し、その初心を子どもたちに「伝承する場」、つまりは「学舎・道場」のように活用して場を育てながら暮らしを甦生していきました。

そもそもまちづくりとは何かと訊かれると、私はそれは「暮らしである」と断言します。暮らしのないまちづくりは単なる箱だけを用意したものであり、そこに確かな暮らしが甦生されてはじめてまちづくりになっていると言えるからです。このまちづくりは、「まち+づくり」からできている言葉ですが、私の勝手な解釈ではここでの町は単なる町ではなく、「暮らすまち」のことです。そして「づくり」というのは何か、これも私の解釈では「磨き甦生」させることです。その合体した言葉がこのまちづくりの本質です。

暮らしを磨き、如何に新しい価値を今に温故知新しそれを甦らせていくか。

もしもこの逆に、暮らしをやらず、甦生もしないのであれば、それは単なる新しいものを増やしたにすぎません。お金をかけて箱ものを用意しても長続きしませんし、かえってそのサービスに依存する人たちが増えていきます。これではまちづくりへの参画にはなりません。縮退時代に入り、地方の人口が減り少子化になり、空き家が増え、行政のサービスも減縮し、いよいよ過去の遺物が保存できなくなるなかで、今までのような町作りばかりやっていても何も変わっていくことはないと私は思います。

一人ひとりが本来のまちづくりに目覚めることは、原点に帰り一人ひとりが自分自身の暮らしを甦生していくことを実践していくことで醸成されていきます。ただ町にいてそのままにして流されるのではなく、故郷を守り住む一人として、一人ひとりが今一度、「暮らしの甦生」に取り組み、「暮らしから地域を変えていく」ことではじめて本物のまちづくりは為ると私は思っています。

そしてこれは子どもたちがイキイキと個性を発揮して社會を創っていくのも同じです。一人ひとりが、主体的にその空間や場で活動する中でその場は創造され空間が醸成されます。その行為の一つ一つこそ暮らしの本質であり、その暮らしがみんなと一緒に体験したり味わったり学び直したり磨いたりする中で甦生するのです。

今回は、タイトルに「まちづくり×古民家甦生=観光創生化」とした意味はまさに「まちの宝を創造していくのは民家としての暮らしを甦生する人々がその場に参画することでまちの魅力が磨き直され光り出し、その品によって人々を集める」という意味です。

私たちの取り組む理念は、子ども第一義ですが子どもたちの保育現場は小さな社會ですがそれは未来の社會そのものです。どのような未来を子どもたちに遺していくか、どのような未来にしてほしいかは、一人ひとりの今の大人たちの社會への参画意識に由ります。その大人たちの背中をみて子どもたちは真似をし、近い未来に訪れる自分たちのまちづくりを創造していくのです。つまりこの観光創生化は、まさに次世代のために今を生き抜く私たちの本業そのものなのです

引き続き、新しいことばかりへの挑戦が続きますがこれも一つの大切なご縁として学び直していきたいと思います。

この世の楽園

私たちの会社には社内ガーデンといって植物たちが混植されているところがあります。それぞれの多種多様な花々が、一つのプランターにびっしりと生えているのですがそれぞれはお互いの持ち味を引き出しあいながら元気に咲いています。

一つの花だけをプランターにびっしりと植えてしまうと多様性は失われその分、花が枯れたり元気がなくなったり病気になったりします。同じ場を競争で元気にするか、それとも協働で元気にするか、一時的な元気は前者はありますが持続的な元気さは後者にこそあります。環境というのはそれだけ、花たちの生育においてとても重要だということがここからも簡単にわかります。自然の理法は正直なのです。多様な個性を発揮した方が生き物は元気になるということです。

この多様性というものの言葉の反対は、画一性です。説明すれば様々なものがそれぞれに持ち味を発揮して一つになるのは多様性、何もかも一様にそろえ一つの枠にはめこむことを画一性といいます。

どのような「環境」を用意するか、その環境の前提がみんなと同じでなければならないという状況になっているか、それともみんな違った方がいいという状況になっているか、それはその「環境」となる「理念」がどうなっているかが分かれ道になります。

前者の環境下ではどうやって出る杭にならないように周りに合わせていくか、調和の意味もまたあまり失敗をせずにみんなと同調しながら合わせていき、あまり自分を主張せずに周りの意見に従いながらできることをやって評価されることを最高として仕事をします。しかし後者は、出る杭になってもいい環境があるのだから主体的に自分のやりたいことを周りと合議し、それぞれに強みは活かしてもらい、弱みはカバーしてもらいながら周囲と繋がり絆を結んで和を尊重しながらも独立したままで周りと一緒に働きます。

あまり注目されることはありませんが自分の所属している環境の影響を受けてその人は多様性か画一性かの刷り込みにあっているともいえます。個々で見れば日本では幼少期から一斉画一的な環境の中で教育を受けますから自分からユニークに自分らしく自分を発揮していくのが苦手な人が多いように思います。以前、海外で仕事をしていたときはかえってみんなが主張ばかりしてバラバラであったことも多かったように思いますがそれぞれが自分らしくいることは得意な人が多かったように思います。

しかし本来は、個々が問題ではなくその環境がどうなっているのか、また「その環境を創造する一人としての自分」はどうなっているのかと自反自問することが何よりも大切なのです。それが最初に刷り込みを取り払うために必要な覚悟です。

誰かがつくったものに従う生き方をするか、もしくは自分から参画して「自分が創造する生き方」をするか。人生は自分の人生も含めて、主体的に主人公として創造した方が楽しいに決まっています。

人生を楽しむというのは、その環境を自らで創造していくということに他なりません。どんな場所に産まれ落ちようが、どんな環境があったにせよ、自分から環境を創っていこうと思えばこの世は楽園になります。

この世の楽園を創造するのは自分自身であり、誰かのせいもできず言い訳もできません。だからこそ、一人ひとりが世界を創造する責任者であるという自覚を自分が決心すれば自ずから人生は豊かに楽しくなり、その効果として多様性や持ち味が発揮され世の中が百花繚乱に美しく薫り人々に豊かさがひろがっていくように私は思います。

社内ガーデンを観ながらいつも祈るのは、そんな環境にしていきたいという願いです。会社もまたそれぞれに自分が創っていけばいいのです。自分が創るからこそ愛着が湧き、自分が創っているからこそ創業者なのです。会社は決して社長個人のものではなく創業者たちが一緒に創ったものなのです。愛社精神は社長が与えるものではなく、それぞれが会社を創造する中で愛が育っていくのです。

引き続き、子どもたちの世界が画一化されていかないでそれぞれがイキイキと仕合せに生きられるようにまずは此処から変革していきたいと思います。

 

 

自信を育てる

人間は出来事が起きてもその捉え方は全く異なるものです。ある人はネガティブに物事を捉えていればそういう出来事であったと感じるものだし、またある人はポジティブに物事を捉えればそういう出来事であったと感じます。

つまりは物の見方というのは、その人の心の捉え方そのものでありその捉え方が異なれば事実も全く異なるということです。これは当たり前だと思われますが、この捉え方といった心の大前提がどうなっているのかを確認しなければ物事が好転したり、事物を転換したりすることができないのです。

例えば、物事を評価するときに減点的に見ると何が不足したのか、何がよくなかったか、どうすれば100点になるのかを考えます。これはすでに起きていることはマイナスであり、そのマイナスをどのようにすればプラスにできるかを考えます。すでに自己評価は低く、その低いものを少しでも上げようと考えるのです。

しかしこの逆に加点的にみると、何が足りているのか、何がよかったのか、どうすれば善かったものをもっとよくできるかと考えます。これはすでに100点であり、さらにプラスしていけるのは何かと考えます。自己評価も高く、その高いものをもっとどうすれば活かせるだろうと考えます。

この物事の捉え方というのは、その人の自信を顕します。

自分はこのままでいい、今の自分にはこれが相応しいと、ありのままの自分を認め、そのうえで自分の強みをどう伸ばしどう活かすかと常に考えて周囲のために自分を使ってもらおうと考えるようになります。そして弱みは、誰かに助けてもらうことで他人の強みをも活かそうと考えます。自分がいつも誰かのお役に立ちたいと利他に生きる人は自然に考え方も加点的になりポジティブになっていくようにも思います。

人間が自信を失い誰かと比較するのは自分ばかりを見て自分が評価しているからです。自分がダメだからとか、自分はできそこないだとか自分を卑下して自己否定ばかりをするのをやめ、自分は自分のままでいい、この自分の持ち味のままどうすればみんなのお役に立てるかと肯定的にやっていくことが大切だと思います。

自己肯定感が低いのは、誰かと比較するからであり誰かからの評価ばかりを気にして生きているからです。自分らしく生きることは、周りの人たちにも自分らしくいることを奨励する生き方であるし、自分がもっとも自分らしくいれば周りも自分らしくいていいと安心するものです。

比較するのをやめ、それぞれに持ち味を発揮していけばお互いの存在は無二であることを知り、仲間や家族があること、繋がり団結できることに感謝の気持ちが湧いてきます。人を信じるというのは、まず自分を信じることからはじまります。そして信頼とは、自分の強みを活かし弱みをカバーしてもらうときに深くつながります。

相手を自分の思い込みで裁いたり疑ったりするのもまた、自信のなさから発生してきます。自分を誰かと比較するのをやめ、周りが困っていることに自分の強みでカバーすることに自信を持ち、自分が困っていることで周りのカバーを頼めるような自信を持ち、本物の自信に育てていくことが自分を信じれるようになるプロセスのように思います。

人間は誰もが世界で一つのユニークな存在なのだから、子どもたちもまた同様にユニークな天性をもって生れています。それぞれがそのユニークさを存分に発揮して天分を活かしていく福世かな世界になっていければと願います。

猪突猛進?

昨日は、自然農の畑に今年2回目の妙見高菜の種を蒔きました。昨年は、虫に食べられさらにはイノシシにあちこち掘り起こされ見るも無残な状態でしたから今年は丁寧に見守りながら畑の手入れをしています。

しかし昨日、また見に行くとイノシシが鉄柵を2か所突き破り、突き破ったところから反対側の柵まで一直線に猪突猛進しているのが痕跡に残っています。何回も突進したというよりも、一度の突進で鉄柵が曲がっていましたからすごい力です。

ちなみにこのイノシシとはニホンイノシシのことです。

イノシシは成獣で、体長は100cm~170cm、体重は80kg~180kg程度の大きさになります。 体毛は明るめの茶褐色~黒褐色をしていて、色は個体差があります。そして走れば時速40km、垂直ジャンプならば1m以上を飛ぶという脅威の身体能力があります。さらに大抵の生物は鼻先が急所ですが、イノシシの場合は鼻先は強靭な武器です。 その硬い鼻先で重さ70kgの岩をも動かします。さらには泳ぎが得意で、犬かきのような動きで池や川を、時には海を泳ぐこともあるそうです。毎年中国地方から四国まで瀬戸内海を泳いで渡るイノシシも発見されています。すごい野性ぶりです。

そしてニホンイノシシは雑食性で普段は植物性のものを食べていて秋になれば冬を越すためにドングリなどの木の実、果実、タケノコ、地下茎、芋などを食べ体力を蓄えます。 動物性のものでは、ヘビやカエル、ネズミ、ミミズ、土中の幼虫などを食べます。

イノシシの天敵は、幼少期はキツネや野犬、フクロウ、カラスなどですが成獣になってしまえば現在の日本においては敵なしです。昔はオオカミがいましたから、成獣でも天敵がいたかもしれませんが今では鹿と同じく増え続けています。

このイノシシにまともに立ち向かっても勝てないので、対策として鉄柵をしましたが頭もよく賢いのでこうも毎年破られては大変ですから色々とこちらも相手のことを調べては知恵比べをしています。畑の中にあるサツマイモが狙いみたいなので、収穫までが勝負であとは柵を破ってこないのでこの先また破られたら来年は別の場所にサツマイモだけを移動させていこうと思います。

文献を読み進めると、農耕社会がはじまってからイノシシやシカによる農作物の被害はずっと続ているようです。江戸時代の文献では、戦国時代くらい前からの鉄砲による追い払いや鹿威しの設置など、さまざまな対策が取られています。

人間の数が圧倒的に増えてからかもしれませんが、お互いの境界線を超えて生息地域が重なるとお互いをどう尊重していくかが課題になります。人間だけが生きているわけではないのだからどう調和していけばいいか、色々と考えは尽きません。

引き続き、7年目になる妙見高菜を見守りながら自然から学び直していきたいと思います。

 

 

天との対話

老師の遺した有名な言葉に、「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失。」があります。これは「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ら来り、然として善く謀る。天網恢恢疏にして失わず」という意味です。

天に問い、天が見ているとし、ありのままであるがままに生きる人は正直の徳を磨いていきます。この正直の徳とは、自分の心を天に映す鏡として鑑照する生き方を実践していくということです。

私が尊敬する吉田松陰は、その辞世の句で「吾 今 國の爲に死す 死して 君親に 背かず。 悠悠たり 天地の事 鑑照 明神に 在り。」といいました。

これは意訳すると「私は今、故郷の国のために命を捧げ死んでいきます。私は死ぬに際しても親祖や恩君へ対する道に背くことはありません。悠久に続く天地のことだからこのことは天が観てくださっている、八百万の神々、どうかご鑑照ください」と。

天が観ているという心境は、自分にとっての都合や損得、その他の利害などを優先しているのではなく文字通り天に問い天が見ているとし天の基準に沿って歩んでいくという道の生き方です。

天が見ているという生き方はとても明るくのびのびした精神を持っています。そこには自己を中心に裏表があるのではなくそのままの自分を天に見てもらっているという偉大な安心感を持っています。

自分の心に正直であるか、自分の心は真心のままであるか、それは自分ではわからないものです。だからこそそこを天に問い、天がどうなさるのかの判断にゆだねて任せて生きていくのです。

私自身もいつも真心で生きたいと思っていますが、果たしてこれが真心であったのかどうかわからないことばかりです。しかし天が見てくださっていると信じて、天の判断に任せてそれをすべて受け入れて受け止めると覚悟を決めて歩んでいけばそのすべては天の采配であったと直観し、これでいいとすべてを丸ごと受け容れることができるように思います。

この天の采配とは、偉大な天の真心に触れるということです。

吉田松陰は生き死にが判断基準で良し悪しを考えたのではなく、まさに天の采配のすべてを信じて道を貫いたのでしょう。

最後に、常岡一郎氏にこんな言葉があります。

「宝物は大切にされる。危険なところに置かないように心を配る。人の世の宝と仰がれる人がある。そんな人は自ら求めてなくても大切にされる。心の使い方の美しい人はよい運命に守られている。危ないところから遠ざけられている」

吉田松陰は俗世にまみれてなお魂を磨いて俗世の穢れを取り払い、澄んだ心を磨き切った宝だったように思います。今でも大切にされるのは、その心の使い方が美しかったからです。生き死にが問題ではなく、天命のままにやり遂げたというところに運命から守られたという余韻を感じます。

このように死してなお今でも燦然と輝き続ける吉田松陰の魂のように、天は必ずその人の天命に沿う生き方を未来永劫変わらずに応援してくださいます。私の歩んでいる道はかんながらの道、悠久の八百万の神々と共に往く道ですから常にその古の神々がいつも見ているとし天との対話を続けて歩んでいきたいと思います。