歴史は先生

歴史を学び直していると、後世に名誉回復した人たちがたくさんあることに気づきます。その当時は意図的に罪を被せられ歴史から消された人物であったとしても後世にその本当の業績や遺徳が遺志を継ぐ人物から見出され再び燦然とその価値が世の中に認められるのです。

菅原道真公もそうですが、他には楠正成公や最近になると杉原千畝氏なども有名です。歴史は勝者の歴史ですから、都合が悪いことはほとんどが燃やされて消されます。しかしのちに、その恩恵を受けた人々や遺徳を偲ぶ人たちが活動をしてその人の名誉を回復するのです。

同様に名誉回復をした人物に西郷隆盛があります。「敬天愛人」を貫き、人を相手にせず、天を相手にせよ、天を相手にして己を尽くし、 人を咎めず、 我が誠の足らざるを尋ぬべしという一生を送りました。

その西郷隆盛も亡くなった後に、政争で破れて朝敵として歴史の汚名を受けていたところ明治天皇、黒田清隆、勝海舟をはじめ多くの人たちが名誉回復のために奔走していきます。

誠心誠意生きた人は、たとえ汚名をかけられていても必ずその汚名は恩恵を受けた人々によって浄化され澄んでいくのかもしれません。それはまるでもともと美しく澄んだものが、泥をかけられて見えなくなっていたとしても時という川の流れの中で水が泥を押し流して最後は透き通った砂利が見えてくるかのようにその本来の姿や真心が顕れてきます。真心は隠せず、真心はいつの時代も風化せずに永遠に時空に輝くのかもしれません。

歴史の面白さというのは、教科書通りに読むのではなく生き方を見つめよく深め、本当はどうだったのかともう一度見直して後世になってその価値を見つめ直す中で出てきます。

生き方を学ぶにも、未来を見通すとき歴史は常に私たちの先生です。

今の時代や世間の評価ばかりを気にして生きるのではなく、未来に生きる子どもたちのためにも歴史が観照することを信じて誠実に理念を貫いて実践していきたいと思います。

義の繋がり

天神祭の準備に向けて菅原道真公のことを深めていますが、残っている文献や資料からできる限り情報を集めてその功績や事績、そして和歌などからその人格や人柄を想像しています。

しかし歴史というものは、勝者の歴史といわれるようにその当時の権力者や政府が自分たちに都合の悪いところを消していきますから消されてしまうとほとんどが遺っていません。だから今の時代になって、改めて歴史を客観視して直視するとこれだけの偉大だと信仰されている人がなんの功績も出てこないのだろうかとしっくりこない人物もたくさんいます。

まさに菅原道真公はその代表でもあり、天神信仰をはじめ全国の天満宮に祀られ、学問の神様としてこれだけみんな崇敬しているのに和歌や遣唐使を廃止したことくらいしか遺っておらず、右大臣にまでなって政治を司り、その後の「延喜の治」と呼ばれるほどの治世の礎をつくり、国風文化の発祥の根源になったにもかかわらずその実の功績のところが歴史の表舞台に出てきません。

私が思うには、過去にこれだけの人々から1100年以上尊敬され今でも篤く信仰されている人物がちょっとしたことだけでそこまでになるとは思えません。菅原道真公も、その当時の人々のことを心から思いやり仁慈をもって接した立派な方でさらに大義を貫く生き方が美しくまるで神様のようだったからこそそのままに神格を持ったのではないかと思います。

実際にわかっているのは「昌泰の変」にて901年1月、左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした事件があったということ。その後、権力を醍醐天皇と藤原時平が握ったこと、そしてそれから10年も経たずにまた宇多上皇と藤原忠平に権力が戻ったこと、そして菅原道真公の名誉を回復した流れになったことは書かれた通りであることが分かります。

ただしこれもまた勝者の歴史ですから、真実はどうだったのかとなるとそのまま鵜呑みにすることはできません。しかし菅原道真公が、どのような学問をし、何を愛し、どのような生き方をしたのかは、その遺した言葉や、その当時に関わりのあった弟子たちや同志たち、子孫たちによって語り継がれていきます。

これは幕末の吉田松陰のように、弟子たちが師がどのような人物であったか、弟子たちがその後、政治の中で如何に自分たちがその恩恵を受けたか、そして師の遺した文章にどれだけ励まされたか、そのようなものが信仰としていつまでも遺ります。

その当時、菅原道真公の学問の弟子たちが官僚の多くを絞め、道真公亡き後も志を持って政治に中ったように思います。だからこそその後に延喜の治と呼ばれるほどに平安文化が発展していったように思うのです。

菅原道真公をいつまでも信仰するのは、今の日本があるのはその当時に道をつけてくださった恩師のことをいつまでも忘れまいとする子孫たちの「義の繋がり」なのでしょう。

ただの学者ではなく、本物の学問を志した人物としての菅原道真公は実践を重んじた方です。だからこそ、その至誠が天に通じ、天神様となったのでしょう。まさに至誠の神様と呼ばれる由縁です。

私にとっても特別な存在になったこの天神様は、国家鎮守の風土と共に氏神様としていつまでも子どもたちを見守ってくださるように祈りを奉げていきたいと思います。

 

学び直し~刷り込みからの脱却~

幼いころから正解を求められて生きていると、正解思考の刷り込みを持つものです。正解思考とは、どこかに正解があると信じ込まされるということです。正解を知ることが目的になっていると、本来の意味やその価値よりも正解に囚われ正解を出すことが目的になります。

例えば、学校では教科書がありそこに書かれているものが正解だと信じ込まされます。すると正解を知ることが正しいことであり、正解が分かると褒められ評価してもらえます。発明王のエジソンが昔、1+1=2であると教師に教えられたとき1つの粘土と1つの粘土をくっつけて2ではないというと気ちがいだと罵られ退学させられた話があります。

正解かどうかよりも探求することや、なぜそうなるのかと実験をすることを目的にしてしまえば正解を持っている側からすれば厄介な人物になります。この正解思考とは、人工的に育てるときには重宝されます。特に優秀な生徒と褒められる人ほど、自分は先生の言うとおりに正しいことをしているのだから間違っていないと信じ込んでいるものです。

しかし本来の学問の面白さは自分は間違っているのではないかと正解を疑い正解までのプロセスの中で学ぶことが自分の成長の喜びや本質的な学びの味わいのように私は思います。AIなどいよいよ人工知能がでてきて、人間以上に暗記するだけでなくその知識を縦横無尽に大量のデータを構成して活用できるようになるからこそ人間本来の意味や智慧がまさに必要になってきます。

正解だけを植え付けられ、正解だけを求めてそこにたどり着くことを目的にすればできれば良し、できないところはなくせばいいというように常に優劣の思想に囚われます。そうなってしまえば、優秀か劣等かだけが物事の基準になり少しでも優秀であれば自分が救われると勘違いしてしまいます。

言われたことしかしなくなるリスクというのは、根底にこの正解思考の刷り込みがあるようにも思います。間違っていないと正解を信じ込むよりも、自分は間違っているのではないかと自分を疑うことが探求心の入り口であり成長の切っ掛けです。

学び直しというのは、知識の詰め込みでは得られないものです。何を間違っているのかと常識を疑い、何を思い込んでいるのかと刷り込みから脱却することで、物事の本質やありのままの真実が浮かび上がってくるものです。

あのエジソンや、世界の発明家たちは人工飼育することができなかったいわば障害だったのかもしれません。しかしその障害こそ特殊能力であり、天才と呼ばれる天から与えられた天性を死ぬまで維持できた自然野性人間だったとも言えます。

自然というものを壊すのは人工というものです。人工的に作られた自分で満足するのではなく、正解を超えて自然の未知に触れていこうとすることが新しい時代を歩む人類の生き方になるのではないかと私は思います。

刷り込みを取り払うためには「学び直し」が必要です。今までの人生の学び詰込みではなく文字通り「学び方を直す」のです。それは今までの学び方を捨てて、新しい学び方にすること。間違っていないと正解を信じる生き方をやめ、間違っているのではないかと自分を疑えということです。

思考停止して指示待ち人間で一生を終わることがないように、その人一人ひとりが自然体に自分らしくいられるように子どもたちには正解よりもプロセスを、そして優劣よりもそのことの意味を感じられるように素直に謙虚に学び直しを続けていきたいと思います。

 

土から学ぶ

先月から郷里で伝統を受け継いでいる三代目の左官さんが、古民家の漆喰をすべて塗り替える作業を進めてくださっています。糊も海藻からつくり、漆喰も古来からの調合で仕上げていくというかつての伝統に沿って取り組んでくださっております。

現在の住宅では、漆喰の壁というものをあまり用いられなくなり若い左官さんは漆喰を塗った経験がある人も少ないそうです。もっぱらモルタルやセメントなどの塗りが多く、かつての伝統的な土壁の仕事は年々減っているといいます。

日本古来からある伝統的な家屋が失われていけば、それまで伝統と共に先祖の智慧を紡いできた職人さんたちの仕事が失われ大切な伝承ができなくなってきます。家は自分のためだけに建てるのではなく、先祖から子孫にいたるまでずっと長くこの気候風土の中で幸福に過ごしてほしいといった先祖たちの祈りと共にあるようにも思います。ただ安いからや便利だから、見た目がよく流行りだけで飛びついてしまえば建てるという本来のプロセスや意味を素通りしてしまいます。

現在の住宅は平成8年当時の国土交通省が発表した『建設白書』によると、日本の住宅の平均寿命は26年だといわれています。これは1920年代に化学接着剤が発明されそれから50、60年前に尿素系の化学接着剤で合板というものが市場に出て住宅用建材として多く使われたといいます。 このような住宅建材としての合板普及が日本の住宅の寿命を短命にしたといわれます。他にも短命になっている理由はコンクリートも中の鉄筋が腐食することで建物の強度は落ちますし、シーリングやコーキングも劣化により隙間から結露が入ってきます。

古来からの湿式工法は、気候風土、自然素材を相手に作業をするので職人の技量の差がでてきますが乾式工法はマニュアルどおりに施工すれば、ある一定の水準は維持できます。大量生産大量消費の考え方は、家にも入り込んできていて誰でも簡単便利にプロ風にできて早く安いものが主流になっているのです。それに会社側のお金の観点で見ても乾式工法の方が早く建てられ壊しやすく、また年数経てば建て替え需要もありますから迷うことなくそれを進めていくのでしょう。

改めて家を建てるのに何を基準にするか、誰も疑問に思いませんが物を正しく買うことと同様に観点を間違ってしまえば間違えた通りの家になってしまうということだと私は思います。家は人生のパートナーですから、どんな家に住むかで一生の運気が左右されてしまいます。

今回の古民家甦生では以前からあった漆喰を剥がして新しい漆喰に塗り替えていきますがその下地には120年前に塗った藁が入り混じった荒土が出てきます。その分厚い荒土に触れていると、歴史を感じ、この土が長い間のこの土地の風土に順応し、呼吸をして今でも息づいているのを感じると風土と一緒一体になって私たちと共に生きている家のいのちを感じます。

梅雨から夏の終わりにかけて大量に発生してくる水分を溜め込んだ土は、秋から冬にかけてそれを吐き出していきます。温暖湿潤気候の日本の風土で、年間を通して一定の湿度を保ってくれている家はとても快適そのものです。

吉田兼好が徒然草の中で、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」といいましたが冷暖房をフルに使って電気代をかけて密閉住宅に住むというのはかえってお金がかかってしまうでしょう。お金をかけまいと乾式工法を選び、お金がかかる家に住む現代をみて吉田兼好はなんというでしょうか。

結局は、伝統というものが崩れていく背景にはこのお金というものの新しい価値観によって左右されていくということだと私は思います。これからさらに仮想通過やAIの出現により地域や風土を無視したものが増えていくと思いますが、振り子のように帰って本来の原点に回帰しようとする学び直しも出てきます。

一足先に取り組みつつ、時代の変わり目に子どもたちに大切なものを伝承していけるように思想も生きる姿勢も磨き直していきたいと思います。

お盆の発祥

昨日からお盆に向けて、いつも見守て下さるご先祖様を迎え入れる準備をはじめています。よくお掃除をしてお供え物や迎え火、送り火の準備、そのほか様々なことを整えてこの期間を心静かに過ごします。

そもそもこのお盆とは何か、少し深めてみようと思います。

お盆という行事が最初に日本で行われたのは推古天皇の時代、606年だといわれます。日本古来の祖霊信仰とインドから入ってきた仏教が和合し、このお盆という行事が私たちの暮らしに定着しました。

このお盆は旧盆というものがあり、旧暦の7月13日から4日間ほど行われていました。しかし、その時期はちょうど農繁期で忙しくそれを遅らせようと明治以降からこの8月13日からの4日間をお盆の期間としたそうです。なのでこの時期は、月遅れの盆といいます。先日参加した京都の祇園祭は、旧暦のお盆と同時期に行われていましたから明治以降に暦が変わり行事の時期も変化したのが改めてわかります。

本来、行事の日程というのは古来よりその日でなければ風土や気候、自然との関係が薄れることから簡単に日程の変更はしてはならないものなのですが現代ではその辺の日時も珍紛漢紛になっているものが多く意味も薄れていっているようにも思います。

ご先祖様が故郷に帰ってきてくださる時期をこちらの都合で遅らせてもらうというのも微妙な気もしますが、どちらにしてもご先祖様への感謝の行事として私たちはこの時期はご先祖様の存在を身近に感じることができるように思います。

もともと「お盆」という呼び名は、インドで発祥した仏教の経典を中国の竺法護が訳した『盂蘭盆経』に由来する「盂蘭盆」が省略された言葉です。その盂蘭盆経にはこう読まれます。

『釈迦様が祇園精舎におられたときに、目連が初めて六神通を得て亡き父母に何かできないかと思った。その霊視力をもって世間を探した所、亡き母を餓鬼たちの中にみつけた。飲食も取れず骨と皮で立っていた。目連は悲しみ、すぐ鉢に御飯を盛って母のもとへ持っていった。母は御飯を得て、左手で鉢を支え右手で御飯を食べようとしたが口に入れる前に炭に変ってしまい食べることはできない。目連は大いに泣き叫び、釈迦様の所に帰って、このことを報告した。

お釈迦様は言うことには、あなたはお母さんの罪は重かったようだ。あなた一人の力ではどうにもできない。あなたの孝順の声が天地を動かし天や地の神々、邪魔や外道・道士に四天王まで動かしてもどうにもならない。まさに十方の修行している僧の力が集まれば解脱することができるだろう。これから救済の方法を教えよう。それですべての苦しみや憂いも消えるだろう。

お釈迦様は目連にこう言った。十方の衆僧が、七月十五日、「僧自恣」の日、まさに七世の祖先から現在の父母まで、厄難中者のためにつぎの物をお供えしなさい。御飯、多くのおかずと果物、水入れ、香油、燭台、敷物、寝具。世の甘美を尽くして盆中に分け、十方の大徳・衆僧を供養しなさい。この日、全ての修行者は或いは山間にあって禅定し或いは四道を得、或いは木の下で歩き経を上げ、或いは六種の神通力で 声聞や縁覚を教化し、或いは十地の菩薩が大人になり、神になり比丘になって大衆の中にあるのも、みな同じ心で、この御飯を頂けば清浄戒を守って修行する人たちのその徳は大きいだろう。これらの供養を「僧自恣」の日に父母も先祖も親族も三途の苦しみを出ることができて時に応じて解脱し、衣食に困らない。まだ父母が生きている人は、百年の福楽が与えられるだろう。もう既に亡い時も七世の祖先まで天に生じ自在天に生まれ変わって天の華光に入り、たくさんの快楽を受けられるだろう。

その時お釈迦様は十方の衆僧に命じた。まず施主の家のために呪願して七世の祖先の幸せを祈り坐禅をして心を定めしかる後に御飯をたべよ。初めて御飯をたべる時はまずその家の霊前に座ってみんなで祈願をしてから御飯をたべなさい。その時目連や集まった修行者たち皆大いに法悦に包まれ目連の泣き声もいつしか消えていた。

目連尊者の母は、この日をもって気の遠くなるような長い餓鬼の苦しみから救われ得た。目連はまたお釈迦様に言った。将来の全ての仏弟子も私を生んでくれた父母は、仏法僧の功徳をこうむることができた。衆僧の威神力のお陰である。将来の全ての仏弟子もこの盂蘭盆を奉じて父母から七世の先祖までを救うことができる。そのように願って果たされるでしょうか。

お釈迦様は答えて言う。

いい質問だ。今私が言おうと思ってたことを聞いてくれた。善男子よ、もし僧、尼、国王、皇太子、大臣、補佐官、長官、多くの役人、多くの民衆が慈悲、孝行をしようとするなら皆まさに生んでくれた父母から七世の祖先までの為、七月十五日の仏歓喜の日、僧自恣の日において多くの飲食物を用意して盂蘭盆中に安じ十方の僧に施して、祈願してもらいなさい。現在の父母の寿命が伸びて病気も無く一切の苦悩やわずらいも無くまた七世までの祖先は餓鬼の苦しみから離れ天人の中に生まれて福楽が大いにある。

お釈迦様は善男善女たちに告げて言った。

この仏弟子で孝順なる者はまさに念念の中に常に父母を思い七世の父母までを供養しなさい。毎年七月十五日に常に孝順の慈をもって両親から七世の祖先までを思い盂蘭盆を用意して仏や僧に施して、父母の長養慈愛の恩に報いなさい。もし一切の仏弟子とならばまさにこの法を奉持しなさい。この時目連、男女の出家・在家はお釈迦様の話に歓喜し奉行した。』

このように仏陀の説いたものが盂蘭盆経の中に記されています。

どんな意味があってこのお盆という行事が生まれ、何が起点になっているのか、古来を深めるということは先祖につながるということです。

引き続き子どもたちのためにも、お盆の行事を学び直してご先祖様との邂逅を味わっていきたいと思います。

仕事はリハビリ

先日、ある高校生が会社見学に来て私たちの初心会議に参加してくれました。その高校生は、学校生活をイキイキと楽しんでいるだけでなく社會のことや未来のことに深い関心を持ち、自立してどのように生きていくかを積極的に模索されていました。

特に印象的だったのは若さですが、若いというのは年齢だけではなく柔軟性があるということです。自由に物事を考える力があり、なんでも固定概念に縛られず納得いくまで行動しようとするところにその人物の可能性を大きく感じました。

論語に「学べばすなわち固ならず」という言葉があります。ユダヤの格言にも「柔軟性を持っている者は、いくら年をとっても若い者だ」とあります。常に何か変化しようと日々を学ぶ人は、固執して頑固になり固定概念に縛られることが少なくなります。

過去の刷り込みにいつまでも囚われるのは変わりたくないという感情の束縛であったり、新しいことに飛び込んでいくと柔軟に対応することが増えて大変だからいやだとか、歳と共に変化を嫌がって硬直していくものです。そのうち生き方も頑固になってしまい新しい考え方や深い生き方に出会っても学ぼうともしなくなっていきます。

しかし時代の変化と共に、価値観も変わり、同時に常識も変わりますから昔良かったことがいつまでもそのままよかったことであることはありません。あるとき、気が付けば突然に世の中の常識が変わってしまい、昔は難しかったことができる世の中になっていたり、昔は認められなかったことが認められるような世の中になるのです。

そういう中でも大切なのは、常に柔軟性をもって自分を変え続けて創造し続ける自分を育てていくということだと私は思います。そのためには、日々の変化に挑戦し、自らを毀し続けるために新しい未知の世界へ飛び込んでいく勇気、そして常に自分はわかった気になっているのではないか、自分は間違っているのではないかと、今の自分を疑い、新しい自分を発見発掘していく努力によって自己維新していく必要があるように私は思います。

固定概念に縛られいつまでも昔のままに自分に固執してしまえばそのうち時代と合わなくなってきます。大事なものを守りたいのなら、それ以外のものはすべて柔軟に対応するという心構えがあって自分は変化していきます。いつまでも自分のプライドや自分の保身ばかりで構えていたら変化する切っ掛けも失ってしまいます。

そういう意味では仕事は常に世間や時代の象徴でありますから、仕事を通して自分を磨き維新する砥石として自分を変えていくことこそが本来の時代の変化に適合させていくというビジネスの本懐のようにも思います。

仕事はリハビリというのは、自分が時代に合わなくなったきたものを柔軟にしていくリハビリであるということです。

新しいことに取り組むことがリハビリになりますから、生き方や考え方を学び直し、さらなる柔軟性を磨き新鮮さを持ち続けることが一生自分を役立てていく力になると思います。

引き続き、子どもに学び、子どもが憧れるような素直に柔軟な心と魂を磨き育てていきたいと思います。

勇気の価値

なんでもそうですが新しいことに挑戦するのは勇気が必要です。この勇気は出そうとして出てくるものではなく、やっているうちに積み重ねて出てくるものです。昔から勇気は振り絞るものとありますが、ないものをみんな振り絞って取り組んでいくのです。

よく叱られるのが怖いとか、周りにどう思われるか心配とか、そういうことから言われたことしかできなくなったり、言われていないことはしなくなったりという態度をとることがあります。人は経験したことがないことには消極的になるものですが、その目的の意味を正しく理解すれば自分なりに行動していくこともできるようになるものです。

私の場合は、何のためにということをまず考え抜くようにしています。その自分の行動の判断基準が何のために行われるのかを正しく理解すれば、やったことはすべて無駄ではなくその目的につながっていると実感することができるかです。

無意味というものは目的が定まれば一切はなく、失敗という経験もまた目的に向かうための大切な体験の積み重ねの一石を投じたことになるからです。

教育の刷り込みによって、組織や集団の中にいれば言われたことしかやらない、言われていないことはしないといった歯車のように動くことを正しいことを思い込まされてしまいますがそうなれば自分で考えることをやめてしまいます。与えられた仕事だけを仕事だと思いこみ、何も言われなければこれでいいと信じ込んでいたりもします。目的を考えるのは上の人で、自分は言われたことをやればいいという心理は、目的を忘れた心理です。

大きな目的があるから人は勇気を出せますし、私の場合は子ども第一義という子どもの憧れた生き方や魂を磨くためにと思えば難しいことであっても不安や心配であっても、それがきっと子どもたちの未来に一石を投じるはずだと前のめりに歩んでいきます。

一歩進んで内省し、また一歩進んで内省すればその体験がすべて新しい経験になっていくことに気づきます。経験が少ないからわからなかったものも、経験を積み重ねることによって次第にコツがわかってきます。

コツがわかるまでやるというのが、経験をものにしていくことであり、分からないことはしないというスタンスはそこにはありません。分からなくてもやってみようと思ったり、やるなかで学んで深めていこうと成長を優先する生き方は、長い人生においてその質の明暗を分けてしまいます。

大きな使命や目的に日々に生きる人は、日々のすべてが挑戦であり、日々のすべてが勇気の連続であり、日々のすべては目的に達するための貴重な一歩です。

引き続き、誰もやったことのないことに挑んでいくのだから先入観を持たずにありのままに来たものを受け止めてそこから学び、新しい経験の上に立つ未来を信じて歩みを味わっていきたいと思います。

古井戸の甦生

郷里で古民家甦生を続けていますが、昨日ついに手掘りで彫り続けた井戸に念願の水が湧き出てきました。一か月も前から少しずつ掘っていましたがいつまで掘ればいいのだろうかと仲間と不安にもなっていましたが、湧き水が出てきたことで一安心です。

今回、私たちがやったのは古井戸の甦生です。かつては使用されていた井戸も、もう何年もそのままに放置され、大量のごみが井戸の中に投げ込まれていました。出てきたものは、前の住人の方の遺品やガラス、陶器、金属の破片や井戸蓋、鉄筋コンクリートなども出てきました。その他、粘土や真砂もありましたがほとんどがゴミとして誰かが井戸に投げ込んだのでしょう。

昔は水神様として井戸を大切にしてきたといいます。それは暮らしの中心に井戸があり、暮らしを支える存在として水は欠かせないものであったからです。その井戸に感謝して、井戸神さまをお祀りしていつも清浄にしていた暮らしがありました。

火の神様はガスの出現でいなくなり、水の神様は水道の出現でいなくなり、火と水を祀るという暮らしも失われていきました。

私が取り組んでいる古民家甦生というものは、古民家再生とは異なります。なぜなら、古民家はそのままあったものを再生していくものですが私のやっているのは現代になりすでに壊されて失われていたものをもう一度、かつての暮らしをお手本に甦生していくからです。

私にとっての甦生は、この古井戸の甦生と同様に現代ではいならなくなったものを拾い、それを新しくしていくプロセスを通して子孫へと伝承していくものです。

ただ水が欲しいから井戸を掘るのでもなく、ただ珍しいから竈を使うわけではありません。本来、大切にしてきたものを粗末にしていく現代においてなぜそれが大切であったのかを教え諭すためです。

学問が今ではただの受験勉強のようにすげ換っている様相を見せる現代において、本来の学問とは教えずにして教え、学ばずにして学ぶものであったということをこの寺小屋のような古民家甦生を通して伝承していくのです。

日本の家は私たちの日本的精神を磨かせ、日本の道具や暮らしはそれを活かすことによって文化を伝道してきた継承の仕組みを支えているのです。

引き続き、古井戸の甦生を通して子どもたちに先祖からの智慧を譲り渡していきたいと思います。

 

天神様の生き方~和魂円満~

来月の天神祭にあわせて準備を進めていますが、改めて菅原道真公の遺徳を感じることばかりです。もう1100年以上前の人物が、今も大切に祀られ子孫である私たちを見守ってくださっているだけですごいことですが、至誠の神だけでなく、雪冤の神、正直の神、文學の神、書道の神、相撲の神としてあらゆる分野で先祖たちは畏敬の念をもって接してきました。

また「和魂漢才」といって、日本固有の精神をもって外国から伝来した学問を活用する模範となった方でもあります。

人生としてはたったの57年ほどのもので、その最後は冤罪によって大宰府に送られましたが真心が天に通じてその後に人々に至誠を盡すことが大切であることを生き方で伝道された方でもあります。

その切り拓かれた道を、後世の人たちがその時代時代に続いてきたからこそ今もその恩徳や霊験が大切に信仰として遺っているように思います。

江戸時代の復古神道の大成者の平田篤胤が記した「天満宮御伝記」というものがあります。道徳の規範として、菅原道真公の生き様、またどのような恩恵があるかについて記されます。

「仰天満宮世に在ませるときは、第一に神を尊び御二親に御孝行にましまし、君にはよく忠義を盡し給い、もの読み手跡を好み給ひ、御心正しく直に坐ませる故に、神となりても世人の忠孝の道を守らず正直ならざる者は悪み給ひ、読み書きをきらふ物をば恵み給はねば、能能親の示し、師匠の教えを忘れず守り、主に事へては大切に勤め心を正直に持ちて偽はる事なく、読書手習ひに精出して、天満宮の御心に叶ふやうに心を持つべし、もし此事を守らざれば、天満宮の御罰蒙りて遂には禍を受べし」

とあります。

何を大切にすることを天満宮が示したか、どのような生き方をすることが学問の意味であるか、千年を超える信仰の中に私たちはこの教えにより繁栄を続けてきたことを実感します。

小さな島国において、和魂を盡しつつその才を活かし伸ばすということが風土が顕現した学問の原点です。

私は「和魂円満」という言葉を用いますが、この円満は天満と同じ意味になります。八百万のものを受け容れながらそのものを丸ごと活かす境地こそ、学問がある高みに達してその学問を大成した証になるように私は思います。

天神様の教えが、如何に幸福な生き方を私たちに伝承されてきたか。日本人が今の日本人になるために偉大な師匠であったことを改めて実感します。生き方や生き様な燦然と輝く天満宮を、古民家甦生信仰の柱にしたいと思います。

風土の民

私たちは少し前の常識を歴史として認識するものです。少し前の時代に、新しい基準を設けそれを3代ほど繰り返せばそれが新しい常識になります。歴史や伝統もまた、新しい基準に合わせて変わればそれが繰り返されるうちに当たり前になるのです。たとえそれが二千年続いたものであっても、ものの数十年で違うものに変えてしまうことができます。それが歴史の姿です。

有名なものに暦の改暦というものがあります。日本も約140年前にそれまで800年以上続いていた旧暦をあっという間にグレゴリオ暦に変えてしまいました。現代ではほとんど新暦が当たり前になり、旧暦の存在すらも忘れ去られています。

季節の移り変わりや、潮の満ち引き、そういうものを一切無視してはそれまでの自然や伝統、暮らしに合わせて先祖が築き上げたものはなかったことにして世界の基準に無理やり合わせようとする。欧米から入ってきたカレンダーをみては季節感もなく、農や暮らしとも関わりがなく、ただそのスケジュール通りに生きていくのが生きることになればそれまで続いてきた自然と共生する智慧の暮らしが失われるのは自明の理です。

本来は変えてみてよくないと気づいたならすぐに原点回帰するというのが歴史の学問ですが、なし崩し的に伝統が消えてなくなってしまったらどこが原点かもわからなくなってしまいます。

グローバル化の中で、本来の変えてはならないものと変えていくものの違いがその時々の責任ある伝承者たちによって正しく継承されなければ文化はその時から次第に失われていくのではないかとも私は思います。

風土というものは、私たちにとっては切っても切り離せないものです。

地球のどの位置にいるか、その場によって気候も環境もそして暮らしも全く異なるからです。先祖たちは何千年もかけてその風土を学び、その風土に適応し、その風土と一体になって暮らしを創造してきました。

その暮らしの伝承があってこそ、私たちはその風土の民となります。

風土の民は、それぞれに独自の文化や信仰を発展させその風土の持つ魅力や価値、その風土から学んだ智慧を人類の未来に託してきました。その智慧は何のためにあるのかといえば、人類を存続するために必要だったのです。

それが急速に失われていくということは、人類が生き残る可能性も急速に失われていくということを意味します。

何千年もかけてきたことが、ものの数十年で消えてしまうという真実を私たちは本気で畏れなければなりません。もう一度、やり直せといわれても遺っていなければ最初からやり直しでまた数千年の歳月を実験していかなければならないのです。

なぜ生き残るためにこれを選んだかは、それが先祖たちが唯一学んだ人類存続の方法であったからです。

知識や情報は増えましたが、それはどれもあくまで短期的な利益をみれば効果はあります。しかし永続的なものや長期的なものを考えたときの利益はほとんど効果がないものです。

だからこそ風土の民として責任を果たすためにも、先祖を学び、先祖が暮らしてきたものを子孫へ伝承する使命とが今を生きる私たちにはあると思います。

引き続き子ども第一義を貫き、分度を守り、風土を推譲していきたいと思います。