子どもはカムイ

アイヌ文化のことを深めていると、子どもに対する人類のかかわり方に普遍性を感じます。本来、人類は子どものことをどのように思っていたか。いや、すべての生き物は産まれたてのこどものいのちをどのように考えていたか、根源に思いを馳せればある共通のものが観えてきます。

日本には古来から「三つ子の魂百まで」という諺があります。三歳までは魂のままであり、魂がそのまま百まで生きるということです。西洋にもThe child is father of the manという諺があります。これは子どもは人類の親であるということです。

アイヌの長老は、「アイヌでは赤子はカムイなのだ」と語るそうです。

「よく赤子を観察してみなさい。赤子というのは、泣けばおっぱいがもらえる、泣けば寝かせてもらえる、泣けば抱っこしてもらえる。自分が何かして欲しいときには、言葉で意志を伝えるのではなく泣くことによって叶えてしまう。言葉がいらない存在。泣けば用が足りる存在なのは、神様以外には有り得ないのだ」(秋辺得平さんより)

その赤ちゃんは誰のものか、それは単に親のものではなく神様から預かった神様なのだからみんなのものであるとし、アイヌでは子どもはコタン(村)みんなで育てるとしました。これはすべての人類、先住民たちの共通の理念で常に共同体社會の中で子育てをし、子どもをみんなで見守ることで人類はいままで子孫を繋いできました。

今の時代のように、歪んだ個人主義が蔓延し子どもを自分のものだと勘違いし親だけに子どもを押し付けたり、誰かにお金を払って育ててもらったりなどはなく子どもは「人類みんなのもの」だったのだから社會で育てたのです。そして、他の生き物たちと同様に自然の中でいのち(子ども)は自然に育つものです。自然に育つのだから、自然に育つように見守り環境をととのえていくことで私たちはおもいやりの社會を築いてきたとも言えます。今はその自然が不自然になっているから、教育方法論ばかりが横行し古来からあった当たり前の普遍的な在り方が崩れてしまっているのです。

アイヌ民族の伝承のように赤子はカムイとして考えること、赤ちゃんこそ天から神様が私たちに与えてくださった至高至大の贈り物であり偉大な財産であるという認識があったからこそ私たちはみんなのものとして見守ろうとしたのかもしれません。

子どもが単に経済の道具や大人の都合で、少子化対策などと対処療法ばかりで乗り切ろうとしたらどうなるのか。人類は今まで大切に紡いできた先祖代々からの仕組みそのものを手放すことになります。子育ては社會を換える教育の初心を持っていますから、その初心に何を据え置くか、人類の先祖から学び直す必要性を感じています。もう一度、根元のところから私たちは社會の在り方を観直す時代に入っています。

引き続き、アイヌの口伝から永遠に生きのこる智慧を学び直したいと思います。

アイヌの生き方

現在、「祭り」のことを通してアイヌ文化のことを深めていますがアイヌの自然に寄り添う生き方に共感することばかりです。アイヌ先住民族というのは、私達よりもずっと永くこの土地に住んで暮らしてきた人々のことです。

言い換えるのなら、地球の生き物や宇宙の存在、多様化していく前からそこに存在していた先祖のさらにずっと先祖とも言える存在です。その存在を大切にすることは、今の自分たちがどのようなルーツを持っているか、そしてこれからどのような未来を生きていくのかを判断するにおいてとても大切なことのように私は思います。

アイヌの生き方は、自然と共に暮らし、自然からのおすそ分けを慎み頂くことで生きていくという生き方であったことが深めるほどに分かります。これは自然農と同じ理念で、自然を敵にせず、自然を尊敬しながら謙虚に生きる生き方です。

アイヌの文化研究者であり、アイヌ民族でもあった二風谷アイヌ資料館館長、アイヌ初の国会議員に萱野 茂さんがいます。その萱野 茂さんは、生涯をアイヌ語の保存・継承のために尽力されました。自ら先住民族の国々を巡り、先住民族の価値を再確認されました。アイヌの生き方をその萱野 茂の言葉を通して垣間見ることができます。

「アイヌはその年の自然の“利子”の一部で、食うことも住むことも、着ることも全部やってきた。今の人間は自然という“元本”に手をつけている。“元本”に手をつけたら“利子”がどんどん減ることを、これだけ経済観念が発達した日本人がなぜ分からないのか。」

自然の利子の一部というのは、自然の全体調和の中で自分たちのために分けてくださった一部ということです。これは草花や虫たち、動物たちのように一緒に生きていく中で取り過ぎず貰い過ぎないというように分限と分度を保った生き方をするということです。自然の中にあるものを少しだけ使わせてもらうというような慎み謙虚な生き方あったことを感じます。

「アイヌ民族は自然を神と崇め、自然界と共存共生し慎ましく生きて来ました。魚、野獣、山菜のどれひとつとってみても必要以上には決してとらず、他の生きもののために残し、また来年のために置いておくのです。そのような自然界の巡りをアイヌ民族はよく知っていました。」

自然界の巡りをアイヌ民族は知っていたと言います。つまり循環型の暮らしの中で、自分たちがその循環の一部であったことがよく観えていたということです。永遠や永続的な暮らし方を、何千年、何万年と生き延びてきた智慧が備わっているということでしょう。 そしてそのような生き方をどのように伝承してきたか、そのことについてはこう語ります。

「私は、大正十五年、沙流川のほとり平取村二風谷に生まれ、物心ついた昭和五~六年には祖母”てかって”に手を引かれ、山菜取に野山を歩いたものです。当時のアイヌ婦人がそうであったように、口の周りと、手の甲から肘まで、いれずみをしていた人でした。昭和の初年で八十歳を超えていた祖母は、日本語を全くといってよいほどしゃべることができず、孫の私との会話は完全にアイヌ語ばかりでした。したがって山菜を採る場合の約束事もすべてアイヌ風のアイヌ精神を持って私に教え、山を歩く時の心得から、小沢でドジョウなど小魚を捕る時には、どうすれば神様に叱られないかなどと、こまごまと教え聞かされたものです。しかも、それらの教えの多くは、ウウェペケレという昔話をとおしてだったのです。」

昔話を通して「どうすれば神様に叱られないか」を伝承していたと言います。生きていく上での原点や判断基準、その拠所などはすべてこの昔話にあったといいます。これは歴史のことで、先祖代々、どのような生き方が天道に沿ったかという天地自然の道理を自らの体験を口伝によって継承していたのです。

私達は今しかわかりませんが、本来、今があるということはそれまでの歴史があるということです。それまでの歴史を知ることはこれからの未来へ向けての判断基準を学ぶということでもあります。

アイヌという先住民族は、自然界を生き残り生き延びてきた尊敬できる民の先祖です。今のように消費社会が成熟し過渡期になっているからこそ、これからのみらいのかじ取りをしていく中で私たちはアイヌから学び直す必要を感じます。

引き続き、今年のテーマ「祭り」を通して人類の原点を深めて子どもたちに遺し譲れるものを伝承していきたいと思います。

人生の旅の醍醐味

日々を過ごしているとふと心が遊び旅に出たくなることがあります。旅は自由の原点であり、自由は旅を味わい深いものにします。そして人生は旅そのものであり、いつも心は旅をしているとも言えます。時折、風に吹かれ風任せに漂泊の旅に出たくなるのも心がバランスをとるために感応するからでしょう。

旅には目的や到着点があるものと、あてのない旅というものがあります。実際は、旅をしている以上に心が旅を味わっていて旅の意味は旅の最中よりも旅の後に振り返る中で気づくことが多いものです。いまの自分のいるところから離れつつ身を捨てて彷徨い流離ってみると、本当のことや真実が観えてきたりもして自由に発想を楽しむことができるものです。

漂泊というのはまるで階段の踊り場のように時折、歩みを止めて休みを味わうことに似ています。そして小舟が流れのないところでゆらゆらと揺られている様子はそこからどこかへ進むための準備をしているようで宙ぶらりんのままにいつの日か動き出すのを待つかのような心境があります。

私も振り返ってみたら大切なものは大切なままに不動ですがそこまでのプロセスや生き方は放浪や流浪のようでまるで一定に一直線にいっているわけではありません。

山あり谷あり、また川が様々なところにぶつかって曲がりくねっていくようにどのようになるのか先々のことは好奇心が面白いとおもうばかりで予想がつきません。目指す方向は決まっていても、そこに辿りつくまでの間が旅の醍醐味ですからどんな仲間に巡り会い、どんな道の御縁に出会い、どんな未来が拓けていくのか、それはすべて運任せ風任せです。

そういう運任せ風任せの心境というのは、人生の旅の醍醐味です。

毎日は規則正しく過ぎてはいきますが、いくつになってもいつまでも心の赴くままに漂泊をし続けて歩んでいくことを味わい盡していきたいものです。自由の森の心を持つ子ども達へ松尾芭蕉の句で贈り締めくくりたいと思います。

『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、「 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 」 表八句を庵の柱に掛け置く。 』

・・・日々に旅にして旅を栖とす、その覚悟をもって道を愉しみたいと思います。

 

自分のルーツ~クニの初心~

私達の先祖の大切にして来た思想は、先祖への畏敬の念でもあります。自然から学び、先祖の恩を大切にする生き方は道を歩むことにおいては何よりも優先されてきた徳目とも言えます。

日本にいたら当たり前になっていることも、世界からみたら当たり前ではないことが多々あります。私達は子ども達のためにも、まず自分たちのクニがどのようなものなのか、そして自分たちがどのような民族であるのかを自覚し、その誇りによって世界に出て持ち味を活かしていかなければなりません。

温故知新とは単に伝統を毀せばいいのではなく、その時代のその人たちの調和、所謂「持ち味」をどのように活かしてその妙味を発揮するかということにも関わってきます。守破離は、何を守り、何を毀し、そして何を活かすのかということです。

私は伊勢神宮にこの温故知新と守破離の妙味がなお生き続けていると思っています。ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは、伊勢神宮をはじめてみた際に「稲妻に打たれたような衝撃を受けた」と言います。そして自著「日本美の再発見」の中で伊勢神宮についてこう述べています。

「芳香高い美麗な桧、屋根の茅、これらの単純な材料が、とうてい他の追随を許さぬ迄に、よく構造と融合している。形式が確立された年代は正確にはわからず、最初にこれを作った人の名も伝わらないこの建築は、恐らく天から降ったものであろう。伊勢神宮こそ、全世界で最も偉大な独創的建築である。試みに壮麗なキリスト教の大聖堂、イスラム数のモスク、インドやシャム或はシナ等の寺観や塔を思い浮かべてみるがよい。伊勢神宮は、これらのものとは全く類を異にする建築である。また古代ギリシアを考えてみてもよい。ギリシアの諸神は、天上の美のなかに反映された人間性そのものにほかならない。アクロポリスのパルテノンは、今なお古代のアテナイ人が叡智と知性との象徴であるところの女神アテネに捧げた神殿の美を偲ばしめる。パルテノンは大理石をもって、また伊勢神宮は木材を持って最高の美的醫醇化に達した。しかしたとえパルテノンが現在のような廃虚にならなかったとしても、今日ではもはや生命のない古代の記念物にすぎないのだろう。」

そしてこう言います。

「二千年にわたって西洋建築におけるアテネのアクロポリスにたとえることを許されるならば、日本には今もなおアクロポリスが存在している。ことに伊勢神宮は廃墟ではない。それは21年ごとに今尚繰り返されている。これは世界の何処にも見ることが出来ない事実である。」

「古代の遺跡である伊勢神宮が今尚機能していることは奇跡である」と。

式年遷宮において初心を伝承し続けるということが、如何にいのちの永遠性を象っているか、ここに伝承の秘訣があると私は思います。文字や文章で継承するのではなく、口伝で伝承するのではなく、魂で伝承する仕組み。まさに日本人が大和魂と呼ぶものは、この魂の伝承の仕組みのことを言います。

フランスの文化人類学者のレヴィ・ストロースがこう言います。
「日本は、神話と歴史のつながる世界で唯一の国だ。」と。
この証明は伊勢神宮の存在そのものが顕しています。つまりは神代より大切なものを大切なままに維持し続けている精神性、そして継続性、実行性、その尊さを何よりも重んじいている民族とも言えます。それは言い換えるのならば、まるで自然がいつまでも続くように私たちの生き方は自然そのものから学んだ永遠性を具備しているのです。
ブルーノ・タウトは別の著「日本の家屋と生活」の中でこう言っています。「社殿をめぐる老杉の鮮やかな緑はあたかも永遠に生きる自然さながらに、絶えず新たに造賛さらる日本精神の棲処を縁どっている」
私が特に共感を持てるのは「永遠に生きる自然さながらに」という一節です。
日本人の美意識や芸術における精神性の高さと、その真心は常にこの自然との一致に由ります。自然のままにありながら如何にその中の人間としての徳を高めていくか、自然との自他一体においてもっとも高い芸術性を持っていると定義されているのです。
常に自然をお手本にして自然の中にあるいのちに沿って暮らしていく謙虚で素直な生き方、そこに日本人の本当の姿があるように私は思います。
自分たちの本来の生き方を学び直すことは、自分たちの個性を磨いていくことです。
多様な世界で活躍する子ども達の持ち味を伸ばすためにもまずは自分たち自身が、自分たちのクニのルーツを学び直す必要を感じます。
引き続き、子ども第一義の理念を通して子どもに遺したい暮らしを伝承していきたいと思います。

魂の純度

ドイツ建築家にブルーノ・タウトがいます。この方は、第2次世界大戦のさなか、ナチスドイツから亡命のようなかたちで来日し、「日本美の再発見」などの著書を通して日本文化の価値を再発見し世界へ広げた人物でもあります。

この方は約3年半、日本に滞在する間に様々な日本文化に触れ工芸品の指導や一部の建築をおこないました。日本人というものがどのようなものであるか、日本文化とは何であるのかを鋭く洞察した内容には改めて感じるところばかりです。

色彩の建築家とも呼ばれたタウトは、その色彩についてこのような感覚で捉えていました。

「水面の波紋、氷塊の中の泡や結晶の生成、樹木の枝分かれや、その1つとして同じでない成長の仕方、葉芽が形成され一枚になる過程、滝の落水の装飾、雪の中の枯草、露の水滴の形成、木々の織りなすリズムに満ちた森、等等。自然の色彩は私を魅了して止みません。」

日本というものを洞察するときに、この色彩を使って見抜いたのかもしれませんがこの言葉の一つ一つからタウトの自然を観察する美しく見事なまでの表現に共感することばかりです。

そのブルーノ・タウトは「日本美の再発見」の中でこのような言葉を遺しています。

「日本の文化の特性とは、いわば芸術化された自然といえるでしょう。日本的なものの品質が問われた場合には、常に日本の古典芸術を特徴づけている簡素性への傾向が認められます。それは精神化された自然への感性にほかならないと言えます。」

この精神化された自然への感性という言葉に感動します。

私達日本人の先祖たちは、家屋をはじめ民藝品にいたるまで 自然美をそのままに取り入れて創意工夫し自然のままに活かしたものを作品にしてきたとも言えます。今、古民家再生をはじめ様々な古い職人たちが手掛けた道具に触れているとそれをいつも感じます。

目的が単に大量生産で使えればいいというものではなく、自然を敬愛し、自然への畏敬が道具に宿ると信じて精魂込めて造られてきたのです。こういう日本的な精神性、つまりは自然に対して純粋で無垢、いつも自然のいのちが観えているかのような子ども心が日本人には宿っているということを直感します。

日本文化の本質として大衆化して安易に便利に走り、目先の損得によって失われたものは魂の品質なのかもしれません。

ブルーノ・タウトは、桂離宮や伊勢神宮を絶賛します。

「泣きたくなる様な美しさ。永遠の美、ここにあり。われ日本文化を愛す。それは実に涙ぐましいまで美しい」と。

この泣きたくなる美しさとは何か、それは永遠の美を保つ魂の美。純粋なもの、いや、私の言葉にするならば「純度の高さ」こそが日本文化の本質であると信じます。如何に人生を研ぎ澄まし純度を高めていくか、それは日本人が日本人らしく生きていくための最大の要諦ではないかと私は思います。

純度の高い精神には、純度の高い生き様が宿ります。そこには単に道具や家屋だけではなく、そのいのちがそのものに投影し宿りいつまでも美しさを放ち続けるのです。

タウトが観察した日本とは、日本の魂、大和魂だったのかもしれません。これから古民家を温故知新していきますが、その大黒柱には常にこの真心を据えて取り組んでいきたいと思います。

引き続き、子ども第一義。子ども心を昇華して魂の純度を高め続けて先祖たちに恥じない生き方を実践していきたいと思います。

 

 

場数とは

色々と挑戦する人は「場数」というものの質量が高まってくるものです。この場数を踏むというのは、経験を積んだ量のことであり、それだけ体験をして馴染んできたということです。

現在は知識や知った気になるばかりでこの場数というものをあまり重んじていないようにも思います。子どもの頃から様々な体験を積んできた人は挑戦することが学ぶことになっていますが、体験がない人は学ぶことが挑戦することとつながっていないようにも思います。

改めてこの「場数」ということについて少し整理してみたいと思います。

この場数の「場」は、単なる場所のことを言っているのではなくこの時の場は「道場」としての場であると私は定義しています。自分の道を定めて初心を決めたら日々は常に道場になります。道場になるということは、実践が必要になります。その実践をするときに場が産まれ、その場を繰り返し向上し続けることで場数が増えて経験値が高まり道が拓けていくのです。

場数を踏んでいる人の言葉というのは説得力があります。なぜならその人は単に知識で覚えたことを伝えているのではなく、自ら体験して経験したことを伝えているからです。裏付けられた経験値からくる真実は嘘偽りがなく、その言葉にはチカラがあります。

言葉というものも、単に文字遊びで使う道具ではなく文字通り道具として真実を伝えるために使われてはじめて効果があるのです。自分の体験したこと、そして実践したことを自分の言葉で伝えることほど思いやりや真心が入ります。

論語の三省に「習わざるを伝えしか」がありますが、知った気になったことを人に教えていないかということです。これもまた場数を踏んで体験し経験して掴んだものだけを伝えなさいと言うことでしょう。

場数を踏むことの大切さは、自分のやったことを内省しそれが何だったのかを意味づけしていく中で気づけます。単にやることに意味があるのではなく、何のためにやるのかと実践を続けていくことが場数を高めて道場としての精進を続けていくことになるのでしょう。

私は場数を大切にするタイプなので、色々なことをあらゆるジャンルであらゆる角度から学びたいといつも思っています。このブログが多岐にわたるのも、欲張りだからか全ての体験を場数にしたいと思っているからかもしれません。

実践こそ何よりの真実であることを伝え、子ども達にも素敵な場数を弘げていきたいと思います。

本質を磨く

先日、聴福庵の柱や天井をクルーと一緒にライスオイルを使って磨きました。磨けば磨くほどに木の木目が出てきて、すでに数百年経っている木の歴史や風格が顕れてきました。磨くことの面白さというものは、磨くと本質が顕れてくるということです。その本質は日頃は隠れていますが、磨くという行為を通して本質に近づいていくのです。これは私たちの人生体験にも言えるように思います。

例えば、古いものでもなんでも掃除をしなければくすんできます。そのものの色が分からなくなってきます。それを拭き掃除や掃き掃除を日々に行うことでそのものの色が浮き出てきます。これは個性も同じで、日々に掃除をしていくことで次第にそのものの個性が浮き出てきます。この浮き出たものは別になかったものが出てくるのではなく、あったものが改めて確認できるという具合です。これは温故知新とも言えます。つまりは、常に本質を顕し続けて怠らず磨き続けるということです。

本質が隠れてしまうからこそ、その本質のままに維持しようとする。これを初心を忘れないとも言います。人は別に何か心変わりしたから変わるわけではなく、本質を忘れてしまうから変わったと感じているだけなのです。

現に先ほどの数百年の木を磨けば、そのものの木目や年輪が出てくるのはその木がもともと持っていた本質が磨くことで思い出すのです。磨くということは言い換えるのなら「本質を磨く」ということです。磨くの陰には常に本質が隠れていて、本質的に生きている人は常に日々が磨かれているということです。

何のためにそれをやるのか、何のために生きるのか、そういうことを思い続けながら日々に生きているからこそその人は磨かれ温故知新して常に本質を維持していくことが出来ます。

磨くという実践は人生においては、自分らしく生きること、個性を活かすこと、そして目的を忘れずに本懐を遂げるためには何よりも大切な徳目なのでしょう。

引き続き、日々を磨くことを通して時代が変わっても世界が広がっても共通しているものを守り続けていきたいと思います。

豊かさを譲る

今、時代はかつて人類が大切にしてきたものを手放してきているとも言えます。特に最近の世界情勢をみていたら、自分の国の利害ばかりを優先し他国を省みない言動や行動が増えてきています。

本来、思いやりや優しさは利他から生まれ自分のことだけではなく一緒に生きている周りのことを思いやるやさしさこそが本来の国の強さのはずですがそれをもここにきてまた手放そうとしています。歴史を鑑みれば、こういう自利ばかりを追いかけるようになると紛争が生まれやがて必ず戦争に発展していきます。身近な人間関係とも同じで自分さえよければいいという考え方が孤独を広げていくのです。

如何にそれぞれが周りを思いやるチカラを育てるか、それは幼い頃から思いやりや真心、友情や愛情の居場所を持てるかどうかではいかと思います。多様な価値観を持つ人たちの中で、様々なことを学ぶと言うのはもっとも効果があるのが協働や協力、そして思いやりなのです。

かつては、おじいさん、おばあさん、近所のおばちゃんやおにいちゃんおねえちゃん、その他、近隣のお店の人々にいたるまで地域が存在していました。悪いことをすると叱ってくれるおじさんがいたり、あらゆることは地域の中で学びましまた。そうして気づいたことは、自分一人で生きているわけではない、自分勝手ばかりをしてはならないということでした。

人は多くの人たちの中ではじめて自分の存在に気づきます。自分の行動が周りに大きな影響を与えることを学びます。その影響を知ることが自分さえよければいい、自分のことだけやっていればいいという我儘が如何に周りに迷惑をかけるのかを自覚するのです。

周りの御蔭様で私たちは生きられる、そういう御蔭様の真心を幼い頃から体験することで子どもは思いやりややさしさの本質を学びます。今は、地域が消失し、壁に仕切られ一人ぼっちになってもお金さえあればやっていける時代だともいえます。しかしその事から孤独になり、次第に居場所がなくなり寂しい思いをしているお年寄りや子どもたちが増えています。

福祉というものの本質は決してそういう人たちにやってあげるのではなく、御互いが見守り合えるように如何に居場所を用意するかということです。利害ばかりを追求しているうちに大切なコミュニティを失い、利害の影響を受けて孤立してしまう人たちがいるということこそが貧しいということです。

豊かな国になったはずが、かつての心の豊かさはそれと反比例しどんどん貧しくなっていく・・・そういうことに気づいた人たちが自ら立ち上がり、行動を起こしその貧しさに立ち向かっていくことも増えてきています。そういう希望や兆しも増えていますから、私たちも子ども達のために何ができるか真摯に考えていきたいと思います。

大切なのはもう一度、豊かさの定義を皆で見つめ直すことかもしれません。結果さえよければいい、能力主義や成果主義、または競争社会、比較の刷り込みばかりをもっていたら貧しさがより一層深くなるばかりです。道徳と経済とは本来分かれているものではなく道徳経済でした。道徳が経済に切り離されたことにより様々な問題が深刻なものへと変貌しています。経済にどのように新たな風を吹き込むか、それぞれの自覚が再生を担います。

その時、先ほどのような「場」という教育の在り方が、この失われてきたものを原点回帰し再生するための大切な鍵になるでしょう。

引き続き、未来に真の豊かさが譲っていけるよう子ども第一義の理念に沿ってカグヤは「見守る」ということの実践を広めていきたいと思います。

進化を捨てるというツケ

現在、古民家を再生していますが現在の建物を建てた当初の時代に一度戻して直しています。日本人の暮らしを再生していく上で、最初はどのようであったのか家と対話してくために必要だと私は感じています。

これは自然農の時も同じで、最初はどうなっていたのか自然はどのようにしていたのかを知ることでそれまでの歴史を洞察していけるからです。何でも突然今こうなったのではなく、永い時間をかけてじっくりと変化してきたものがあります。変化といえば急変することばかりを変化と呼ぶ人もいますが、本来の変化とはじっくりとゆっくりと微細に行われていくものです。

古民家再生の中で明治から昭和にかけての小説家、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」(いんえいらいさん)はとても参考になります。日本家屋の持つ「陰翳」はありとあらゆる空間を恢復するのに必要になります。私の勝手な洞察ですが、本来日本人は縄文時代をはじめ森の中、土の中に家屋がありました。

原始の家は、木を組んで蔓で縛り三角形にしてその中心に炭と火を焚いて藁で囲っていただけのものでした。薄暗い中で火を囲み、一家団欒したところをはじまりとしたらこの陰翳というものはその頃から続いてきた懐かしい暮らしの一端なのかもしれません。また山の中に入ると木々の木漏れ日や朝夕の杜の闇に陰翳を感じます。神社や家屋にこの陰翳が用いられるのは、太古から続く私たちの生き方に触れ安心するのかもしれません。

今の時代は、急速な西洋化が進み家屋をはじめあらゆる環境が急変してきました。例えば、気候も風土も事なる北半球の家屋を真似てビルやマンションを建てていますが今まではそのようなものはありませんでした。私もヨーロッパに留学経験がありますが、光がいつも斜めから差し込み暗かった記憶があります。建物を大理石やレンガでつくるのは寒さをしのぎ町を明るくするためだったようにも思います。ステンドガラスなども光を効果的に屋内に入れるための工夫だったのでしょう。また街灯をどこでも明々と照らすのは長い冬の夜の鬱々とする気分を吹き飛ばすためだったようにも思います。ヨーロッパの人が暖かく明るい場所にバカンスにいくのもその冬の陰気を少しでも和らげるためだと聞いたこともあります。

日本はそれとは対照に、いつも太陽が真上から差し込んできます。夏の暑さも上から下から暑さに挟まれ日陰がなければずっと外にいるのは本当に大変です。日本家屋はその熱や湿気が篭らないようにあらゆる工夫を凝らしています。土が下にあり木が上にあり水と火を上手に取り入れるのもこの湿気の多い風土では効果的です。また行灯のように小さな明かりを用いるのも昼の強い光と対照的な暗闇を味わいたいということもあるように思います。西洋は光が乏しくピカピカに光る光が好きなのに対し、私たちはこのピカピカに光るものが苦手であるとも言えます。それよりも穏やかに差し込んでくる杜の中のような和やかに重なって連なる光を見ると安心するようにも思います。

これはもともと異なる民族、風土が変わっているから異なるのであってそれを全て西洋が進んでいると右に倣えで換えていたら次第に風土の自然から離れてしまうのかもしれません。

谷崎潤一郎の著書、「陰翳礼讃」の中で「年寄りの愚痴」という項目があります。そこには次第に年寄りはいらなくなってくような時代の変遷に愚痴をこぼしている一節があります。

「要するにこれも愚痴の一種で、私にしても今の時勢の有難いことは方々承知しているし、今更何と云ったところで、既に日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、老人などは置き去りにして勇往邁進するより外に仕方がないが、でもわれわれの皮膚の色が変らない限り、われわれにだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならぬ。尤も私がこう云うことを書いた趣意は、何等かの方面、たとえば文学藝術等にその損を補う道が残されていはしまいかと思うからである。」

谷崎潤一郎の「損」というのは、それまでの暮らしを全部捨てて西洋化することは損なのだと言います。言い換えるのなら、合うものを捨てて合わないものにわざわざ合わせようとする損のことです。

本来、私たちに「合う」ものがあったのにも関わらずそれをまるっきり捨てて西洋の新しいものだけが価値があると信じてしまうことにより私たちはそれまで進化させてきた発明や発見をゴミ屑のように捨て去ってしまったことによる損が発生しています。ここで捨ててしまったかつての「進化」は、今の世代がそれを子孫に譲らないでいれば大変な損害を子孫へ渡してしまうということを忘れてはならないということです。

そこで谷崎潤一郎は最後にこう言います。

「私は、われわれが既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。」

こんな時代であってもせめて「一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。」ということですが、私がやっていることもこの願いと同じことを実行に移しているだけなのです。子ども第一義の理念を省みればいつも子どもに何を譲り子どもに何を遺せるかを考えない日は一日もありません。進化を捨てるツケは必ず子ども達にまわるということを先祖になる私たちはちゃんと考えていかなければなりません。

自分たちの生き様、つまりは生き方働き方が子どもの未来に伝承されていきますから何が自然で何が不自然か、間違わないように真摯に今を温故知新して精進していきたいと思います。

 

 

渾然一体

明治以降に急速に西洋化をした日本は、西洋的な発展を自分たちの発展と入れ替えてきたともいえます。本来、それぞれの国はそれぞれの発展の仕方と言うものがあります。気候風土に合わせて人種も分かれ、肌の色も価値観も暮らしも異なっていました。こういう人々たちがそれぞれにそれぞれの場所で独自に文化を発展させてきて今があるとも言えます。

それが今では世界が交通網や物流が世界の奥地のあちこちまで行き届き、世界中から物が運び込まれてきて同時に人や文化も入り混じります。そこで様々な文化が衝突し、受け容れられないものは排除したりと人類は今、乗り越えなければならない文化発展の過渡期を迎えています。

本来、異質なものが混ざり合うということはどういうことかそれを少し深めていきたいと思います。

混ざり合うという言葉に「渾然一体」という言葉があります。これは別々のものが混ざり溶け合って、お互いの区別がつかないほど一体になるさまをいいます。もはや混ざり過ぎて何が分かれていたのかが分からない状態になるということです。

渾然というのは、異質なものが異質なままに一体になっている様のことを私は定義しています。同じにする必要はなく、異なっているけれど理念に対しては皆一体になっているということです。

理念でいえば私たちの会社には窓際に沢山の花壇があります。カグヤガーデンと呼んでいますが新宿の高層ビルの中にある総合空調の中では、外にあるような自然がなく、風も吹かず雨も降りませんし季節の変化もありません。徹底管理された空間においても、それぞれの持ち味を活かす工夫として混植という方法をとりました。

この混植というものは、一つの花壇の中に多種多様の種類の植物をひしめき合うように入れます。しかしそうすることで単一の花を花壇に植えるよりもよほど長く花は咲き、それぞれの持ち味を活かして美しく空間を彩ってくれます。単一の花が美しいと思っている人もいますが、百花繚乱に咲き誇るそれぞれの持ち味が活かされた花の美はなんとも自分らしく尊く感じられるものです。

この混植こそが渾然一体の姿であり、分かれていたものが一体になっている様です。

私は会社の理念を語るとき、このカグヤガーデンをいつも意識しています。この花を見るとき、私はこれからの時代、グローバリゼーションで世界が単一化していく流れと、その反対に世界が多様化して百花繚乱に美しく活かされていく流れがあると感じています。

子ども達に遺して譲りたいのは、混ざり合うことは悪いことではなく混ざってい一体になったらもっと新しい美しさがあることを自分たちの生き方を通して伝承していきたいのです。それぞれの持ち味が活かせるのなら、私たちは必然的に助け合い譲り合っている社會もそこに存在しているはずです。

いがみ合い仲が悪く、果たしては戦争でいのちを殺めるということは子ども達にはしてほしくはないのです。だからこそ、自分たちがまず渾然一体になることを目指し、異質なものを受け容れる寛容さ、長所を友とし、その人のたちの好いところ、美点を伸ばし、認めていくという実践を常に大切に積み重ねていく必要があると思うのです。

私たちが実践する子ども第一義の発達の中心には常にこの「渾然一体」があります。

自然から学び直すのもまたこの渾然一体に気づく大切さを学び直すためでもあります。何が自然で不自然か、自分たちの理念を実践することで文化発展のモデルを示し、周囲に伝承していきたいと思います。