時機を待つ

生き物は植物に限らず、人間も自己修養することで成熟していくことができます。例えば稲でいえば、種を蒔き芽が出て花が咲き実がなります。それはすべてにおいて時期があります。

時機というものは、そのものが最も育っている時です。そしてその機は発達のタイミングのことです。花が咲く時機に花が咲かなくては実にまではなりません。その自然のサイクルに従って如何に育つか、それはそのものが素直に健全に実力をつけるために体験が必要なのです。

そして生き物は実をつけます、実をつけるというのは種になるということです。しかしその実が青いままでは収穫しても種にもならず食べることも出来ません。如何にその実が熟すのを待つか、それは時機を蓄えるということです。いくら結果を先に求めても、実力が備わるまでは青いままです。これを熟す前の状態、つまり未熟と言います。

未熟と言えばよく未熟者と言われ、愚か者や馬鹿者のように揶揄されますが本来はまだ熟するところまで来ていないというところなのです。

だからこそ熟すためには自己修養を続け、自分を磨き続け謙虚さを持てるよう人格を高めていくしかありません。そして陰徳を積んでは、その陰徳が蓄えられ陽報が訪れる時機をじっと待つのです。

自分磨きと言うのは、つまりは自分の感情に左右されずに初心を実践していくことです。自分で決めた方の生き方を、自我欲や感情に流されずに優先することができるようになるということです。

稲には、「実るほど頭が下がる稲穂かな」という諺があります。成熟し完熟すればするほどに実がなります。実が種になり次世代へと繋がるのは、そのものの生が一生懸命に育ったことの証明でもあります。

人間は自分の代だけですべてが終わるわけではなく、必ず後人や後輩たち子どもたちがその後を続いていきますから自分の代でいい加減なことをすることはできません。引き続き、自己修養をして時機を待ち精進していきたいと思います。

適合適応

以前、樹木研修で樹木がどのように生きてきたかを深める機会がありました。樹木たちは自ら他の樹木と競争しないように自ら厳しい環境へと移動して生き残っていました。生き残りの戦略というのは、周りと戦って勝ち残るのではなく自分自身が厳しい環境に「適合」し誰も来ないような場所へと移動しそこで「適応」することで克ち遺るという具合です。

これは自然界の理であり、私たちはこの勝ち残るということの本質、そして生き残るということの意味を学び直す必要を感じます。

人間の世界でもいつまでも適合もせず適応もせずに他と比較し自分の居場所を獲得するために競争し続けようとする人がいます。頑固に自分の存在価値を周りへ押し付けては、自分が一番になろうとします。しかし自然界ではそのような生き物はすぐに淘汰されており、生き残っているものはありません。人間は刷り込みによって自分という存在を歪められて、周りとつながっていない存在、自然から離れている存在だと自分自身で思い込んでいるから全体のことを考えず自分勝手に自分中心に物事を見るようになったのかもしれません。

本来、視野の広さというのは自分中心ではないということです。すべて丸ごとの存在としてみることができれば勝ち残るという意味も、生き残るという意味もはっきりと自明してくると思いますが常に人間自我が中心になっている人はどうしても視野が狭くなってしまうのでしょう。

自然界では棲み分けというものがあります。常に自分から他の種と争わないように移動していくのです。そのようにして今の地球の生命たちは多様化したとも言えます。今に遺る種たちは歴史を重ね自ら争わず生き残る戦略を優先して共生と貢献の社會を創造してきました。人間も本来はこのように個性が争わず、自分らしく適合適応していくのなら組織の中でも自分の役割が自然に分かれて御互いに協力して生き残るために助け合うことができるように思います。

いつまでも適合適応しないでいるというのは、進化でもなければ変化でもなく便利で楽な方を選ぼうとする人間の傲慢さのようにも思います。画一化されていく世界は人間のみ一番の中で勝手に役割を振り分け人間のために労働するようなロボットを製造し、バラバラに組織を分断化しているかのようにも見えます。

もう一度、全体に対して適合適応する生き方を示していくことが自分自我を手放し自然の理と一体になる方法のように思います。子ども達のためにも、自然に沿った生き方や暮らしを通して本当の意味で宇宙や地球で勝ち残る生き方、克ち続ける生き方、生き遺るための道筋をつけていきたいと思います。

人類の先生

先日、浦河ひがし町診療所で川村敏明院長の御話をお聴きする御縁がありました。ここは浦河町の中で「べてるの家」と連携して一心同体になって町全体を見守る仕組みを担っている病院です。世の中では対処療法で病気だけを見る人もいますがこの病院では常に根源治療の方を優先している気がして、先生も自ら「治さない医者」だとし、あくまでその人の人生そのもの全体をみんなで丸ごと見守るという姿勢にとても感動しました。古来からの御医者様の生き方を現代に見た気がして、胸に込みあげてくるものがありました。

先生の御話は、すべて今までの常識を覆し発想の転換で病院を経営しています。そもそも病気が悪いものではないという起点に立っていて、病気の御蔭で人生がよくなっていくという視点で患者さんの人生のチャレンジやその人の主体性を見守っていきます。

かつては川村先生も大病院勤務の頃はやっていたのは患者の為ではなく単に自分のためだったと仰り、今では「医者がすべてではない、私がなければだれがやるとなっていた。仲間の御蔭ですとか、周りの御蔭とかの方が良いとした。医者は限定的でいい。」と言い患者の主体性を大事にした治療に転換されています。

患者さんの浮袋になるのではなく、患者さん自らが泳げるようになるようにと患者さんを大切にするだけではなく患者さんが世間や社會に帰り安心して暮らせるようになる方を治そうとされています。

私達が子ども第一義で実践することもまったく同じことです。何をもって子どものためというのか、ここでは川村先生の仰る何をもって患者のためかということ同じです。

私達が子どものためにというのは、子どもが安心して暮らせる社會を治すことに他なりません。そのためには、一人ひとりの生き方を換えていくしかありません。一人ひとりが持っている持ち味やその人本来の魂を如何に見守るかは、自分の生き方や実践を通してしか弘めていくことができないからです。

私が今回、もっとも学んだことは「弱さ」の持つ「豊かさ」です。弱いということは如何に豊かなことか、これは自分の本心をさらけ出すことだったり、自分の駄目だと思うことを周りに伝えることで帰ってくる信頼、仲間に出会えることです。

一人で頑張っていてもこの豊かさはありません。手に入れた強さと共に失った弱さが貧しさになりその人の苦しみが悪いものになっていきます。だからこそ弱さを絆に換えていくために弱さをさらけ出すことが仲間を信じることであり、真の自立や共生に繋がるのではないかと私は感じます。

最後に、今回のご縁でまた二宮尊徳に纏わる逸話を思い出しました。

『医者には、大医、中医、小医がある。小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す。また大医は、その人が生まれた時から死ぬまで、健やかに豊かにその人の生涯を安心立命に過ごしていくことができるように見守る医者のことを言うのだ。』

本物の医者は、本物の教育者でもあります。医者も教育者ももとは一つ、人類の先生であるということです。

今のような時代、心を病み魂を亡くして苦しみが増えているからこそ義憤と慈悲をもって人々に愛を伝道していきたいと思うのです。

日本の各地には同じような生き方を貫いている人たちがたくさんいることを知り、有り難い気持ちになりました。ご縁に深く感謝しています。

引き続き、子ども第一義の理念に沿って実践を高めていきたいと思います。

 

自分の寿命よりも長い存在

古くなったものを新しくするのに、一度かつての古民家をその時代のものに戻しています。そもそもこの家はどのようなものだったのか、その時代はどのような道具に囲まれていたのかを知ることは原点を確認するのに必要です。

人は原点回帰をしていく中で、本質を学び直してそのものの真価を確認することが出来ます。歴史とは単に過ぎ去った過去ではなく、今を知るうえで重要な「つながり」を感じるものです。

100年以上の古いものを集めて磨き直して古民家に置いてみると御互いが関係し合うことで空間が新たに活かされていきます。近代化して大量生産されたものではなく、職人が一つ一つ目的にあわせて自然物を活かして作られたものは作り手や私たちの寿命よりもずっと長く用いられていきます。

例えば、江戸時代の骨董品であったとしても丁寧に磨き直し正しいところに配置し直してみるとそれが如何にシンプルに機能しているかわかります。つまりいつまでも主人を換えてはそのものは甦生し続けるのです。

歴史というものやつながりというものが切れてしまうと人間は自分の寿命の範囲でしか物事を判断しなくなっていきます。しかし実際に自分よりも寿命の長いものに囲まれていきていると如何にいのちが連綿と繋がって紡がれて今の自分が存在しているかが自覚できます。

自分の寿命よりも長いものに包まれているからこそ、もったくなく感じられそのもののいのちはまだまだ大切に活かせばずっと先の先祖からずっと後の子孫まで私の代わりになっていのちのつながりを見届けてくださっているという安心感を感じるのです。

昔の祖父母がもったいないと常に言ってものを大切にしたのは、これらの寿命よりも長く生きている存在をいつも身近に感じるような場の中に暮らしがあったからなのでしょう。だからものを粗末にしなかったのです。

そう考えてみれば、地球や太陽をはじめこのすべての身の回りにある生きとし生けるもの、またそれは無機物であろうが風であろうが波であろうが自分よりもずっと永く遠くから存在して私を見守ってくださっているものです。

そういうものを感じる感性をいかに磨いていくかが、人類がこの先、寿命を延ばし永くこの地上で生きていくための智慧になっていくように私は思います。今一度、温故知新の大切さを学び直し子ども達に「自分の寿命よりも長い存在」を身近に感じられるような場を用意していきたいと思います。

心に寄り添う

昨日、ある方の理念取材をするなかで「心に寄り添う」ということについて話をお聴きする機会がありました。これは昔は当たり前だったかもしれませんが、今ではなくてはならないとても大切なことであることを感じます。

この心に寄り添うということが一体何か、それを少し深めてみたいと思います。

他人の気持ちが分かる人という人がいます。それは他人を単に頭で理解するのではなく、その人の思いやりやその人の心に共感し、その人がどんな気持ちでいるのかを心で理解していくことが出来る人のことです。

この心で理解するというのは、自分の中にある共感力が必要です。そしてこの共感力は単に知識で得られるものではなく、心の経験と体験の集積によって次第に理解が深まっていくものです。

齢を経ていけば、昔祖父母にしていただいたことや両親にしていただいたこと、周りの方々の見守りや先輩、先人からの御恩を感じて次第に心が育ち、他人の気持ちが分かる人に成るからです。

この他人の気持ちがわかるようになるということは、他人の心に寄り添うことができるようになってきたともいえます。

例えば、今では心で思っていなくても頭でこうすればいいのだろうと常識的に対応したりする人も増えています。子どもに対しても子どもの気持ちを心で理解しようとするのではなく、頭で思い込んで対応しても子どもは心が充たされるわけではありません。

これは動植物も同じで、すべてのいのちには心があり、その心に寄り添うことではじめて対話が成り立つからです。これは無機物のものであったとしても、使われる側の立場になって心を寄せながら使っていけばそのものと心が通じ合い満たされています。

共感というものは、人類をはじめすべての生き物たちがいのちのままに生きていくために必要な大切な能力です。これは「思いやり」のことです。人は心を寄せていく実践をすることで思いやりが育ちます。思いやりが育つ人は、次第に他人の気持ちが分かるようになってきます。自分がどんなに他人の気持ちが分からないと悩んでみても、もしも相手が自分だったらと自分の体験が増えれば増えるほどにその苦しみや歓びを分かち合うことが出来るようになります。

人は思いやりがあるから信じ合うことができ、思いやりがあるからいのちを感じることが出来ます。いのちと接している自覚をどれだけ大切にするかというのは、他人の気持ちが分かる人になることにおいては何よりも重要なことです。

昨日は「いのちに関わる大切な仕事」をしているのだから「子どもの心に寄り添う」と仰るその言葉に大切なことを学び直した気がします。どんなこともいのちに関わるからこそ思いやりの心を育てて自らが他人の気持ちがわかる人に近づいていきたいと思います。

ありがとうございました。

喜ばせる実践

古民家の再生をはじめている中である方から「家に喜んでもらえるような使い方をすること」と教えていただいたことがあります。この「喜ぶ」というのは、そのものが活き活きと仕合わせになっていくということです。

この「喜ぶ」とは何か、少し深めてみたいと思います。

もともとこの字の成り立ちは、打楽器を打って神様を祭り、神様を楽しませるという象形文字でできています。芽出度いとき、楽しいとき、仕合わせを感じるときに使われる言葉です。この喜ばせようとする心、おもてなしとも言いますが素直に感謝を伝えるときの姿であるとも言えます。

そもそも私たちは天からの授かりものであり、自分たちのすべてのものは預かりものでもあります。そうやって活かされている自分たちが天からお土産をいただき、その御礼として感謝を祭るのは自然の行いです。こういう感謝の姿の中に、生き活かされる不思議な喜びを感じているとも言えます。生活の中に存在する暮らしが楽しいのは、いただいているたくさんのものに対する感謝の心の現れだとも言えます。

家が喜んでもらえるような使い方とは、これを主語を変えれば道具が喜んでもらえるような使い方、または相手が喜んでもらえるような使い方、自分に置きかえれば自分が喜んでもらえるような使い方をするかということになります。

道具を飾るのも、または大切に扱うのも、もしくは綺麗に手入れして磨いていくことも、それはその対象に喜んでもらおうとする自分の感謝の心が投映するからです。そしてこの状態こそ、「喜び」そのものであり、仕合わせを味わっているのです。

どんな気持ちで日々を過ごすのかは、周りに対する感情の影響をあたえます。周りやみんなにいつも喜んでもらいたいと自分を使う人はみんなに喜ばれる存在になります。逆に、自分のことばかりを思い悩んでは周りに文句をいい自分を嘆きかなしみ、過去や未来を憂いてばかりいては周りに心配をかけるばかりで喜ばれません。

この「喜ぶ」という姿は、いつも感謝している状態のままでいるということです。言い換えるのなら、いつも楽しそうにしている人や、いつも喜んでいる人、いつも幸せそうに振る舞う人は、周りに対して素直に感謝の心を忘れない実践をしている人ということになります。

子ども達が楽しそうにはしゃぎ、喜ぶ姿には神様に対して素直にしあわせの心を示す感謝のカタチがあります。「うれしい、たのしい、しあわせ、ありがたい」などの感謝を顕す言葉は相手を喜ばせたいという気持ちに満ちています。

もっともっと喜ばせたいと思う心が相手を自然に尊重し、相手をおもてなしもったいなくその価値やいのちを活かそうとする心がけになるものです。喜ばせているのは何か、喜んでいるのは何かを忘れずに「喜ばせる実践」を愉しんでいきたいと思います。

 

自分のルーツ~クニの初心~

私達の先祖の大切にして来た思想は、先祖への畏敬の念でもあります。自然から学び、先祖の恩を大切にする生き方は道を歩むことにおいては何よりも優先されてきた徳目とも言えます。

日本にいたら当たり前になっていることも、世界からみたら当たり前ではないことが多々あります。私達は子ども達のためにも、まず自分たちのクニがどのようなものなのか、そして自分たちがどのような民族であるのかを自覚し、その誇りによって世界に出て持ち味を活かしていかなければなりません。

温故知新とは単に伝統を毀せばいいのではなく、その時代のその人たちの調和、所謂「持ち味」をどのように活かしてその妙味を発揮するかということにも関わってきます。守破離は、何を守り、何を毀し、そして何を活かすのかということです。

私は伊勢神宮にこの温故知新と守破離の妙味がなお生き続けていると思っています。ドイツ人建築家のブルーノ・タウトは、伊勢神宮をはじめてみた際に「稲妻に打たれたような衝撃を受けた」と言います。そして自著「日本美の再発見」の中で伊勢神宮についてこう述べています。

「芳香高い美麗な桧、屋根の茅、これらの単純な材料が、とうてい他の追随を許さぬ迄に、よく構造と融合している。形式が確立された年代は正確にはわからず、最初にこれを作った人の名も伝わらないこの建築は、恐らく天から降ったものであろう。伊勢神宮こそ、全世界で最も偉大な独創的建築である。試みに壮麗なキリスト教の大聖堂、イスラム数のモスク、インドやシャム或はシナ等の寺観や塔を思い浮かべてみるがよい。伊勢神宮は、これらのものとは全く類を異にする建築である。また古代ギリシアを考えてみてもよい。ギリシアの諸神は、天上の美のなかに反映された人間性そのものにほかならない。アクロポリスのパルテノンは、今なお古代のアテナイ人が叡智と知性との象徴であるところの女神アテネに捧げた神殿の美を偲ばしめる。パルテノンは大理石をもって、また伊勢神宮は木材を持って最高の美的醫醇化に達した。しかしたとえパルテノンが現在のような廃虚にならなかったとしても、今日ではもはや生命のない古代の記念物にすぎないのだろう。」

そしてこう言います。

「二千年にわたって西洋建築におけるアテネのアクロポリスにたとえることを許されるならば、日本には今もなおアクロポリスが存在している。ことに伊勢神宮は廃墟ではない。それは21年ごとに今尚繰り返されている。これは世界の何処にも見ることが出来ない事実である。」

「古代の遺跡である伊勢神宮が今尚機能していることは奇跡である」と。

式年遷宮において初心を伝承し続けるということが、如何にいのちの永遠性を象っているか、ここに伝承の秘訣があると私は思います。文字や文章で継承するのではなく、口伝で伝承するのではなく、魂で伝承する仕組み。まさに日本人が大和魂と呼ぶものは、この魂の伝承の仕組みのことを言います。

フランスの文化人類学者のレヴィ・ストロースがこう言います。
「日本は、神話と歴史のつながる世界で唯一の国だ。」と。
この証明は伊勢神宮の存在そのものが顕しています。つまりは神代より大切なものを大切なままに維持し続けている精神性、そして継続性、実行性、その尊さを何よりも重んじいている民族とも言えます。それは言い換えるのならば、まるで自然がいつまでも続くように私たちの生き方は自然そのものから学んだ永遠性を具備しているのです。
ブルーノ・タウトは別の著「日本の家屋と生活」の中でこう言っています。「社殿をめぐる老杉の鮮やかな緑はあたかも永遠に生きる自然さながらに、絶えず新たに造賛さらる日本精神の棲処を縁どっている」
私が特に共感を持てるのは「永遠に生きる自然さながらに」という一節です。
日本人の美意識や芸術における精神性の高さと、その真心は常にこの自然との一致に由ります。自然のままにありながら如何にその中の人間としての徳を高めていくか、自然との自他一体においてもっとも高い芸術性を持っていると定義されているのです。
常に自然をお手本にして自然の中にあるいのちに沿って暮らしていく謙虚で素直な生き方、そこに日本人の本当の姿があるように私は思います。
自分たちの本来の生き方を学び直すことは、自分たちの個性を磨いていくことです。
多様な世界で活躍する子ども達の持ち味を伸ばすためにもまずは自分たち自身が、自分たちのクニのルーツを学び直す必要を感じます。
引き続き、子ども第一義の理念を通して子どもに遺したい暮らしを伝承していきたいと思います。

魂の純度

ドイツ建築家にブルーノ・タウトがいます。この方は、第2次世界大戦のさなか、ナチスドイツから亡命のようなかたちで来日し、「日本美の再発見」などの著書を通して日本文化の価値を再発見し世界へ広げた人物でもあります。

この方は約3年半、日本に滞在する間に様々な日本文化に触れ工芸品の指導や一部の建築をおこないました。日本人というものがどのようなものであるか、日本文化とは何であるのかを鋭く洞察した内容には改めて感じるところばかりです。

色彩の建築家とも呼ばれたタウトは、その色彩についてこのような感覚で捉えていました。

「水面の波紋、氷塊の中の泡や結晶の生成、樹木の枝分かれや、その1つとして同じでない成長の仕方、葉芽が形成され一枚になる過程、滝の落水の装飾、雪の中の枯草、露の水滴の形成、木々の織りなすリズムに満ちた森、等等。自然の色彩は私を魅了して止みません。」

日本というものを洞察するときに、この色彩を使って見抜いたのかもしれませんがこの言葉の一つ一つからタウトの自然を観察する美しく見事なまでの表現に共感することばかりです。

そのブルーノ・タウトは「日本美の再発見」の中でこのような言葉を遺しています。

「日本の文化の特性とは、いわば芸術化された自然といえるでしょう。日本的なものの品質が問われた場合には、常に日本の古典芸術を特徴づけている簡素性への傾向が認められます。それは精神化された自然への感性にほかならないと言えます。」

この精神化された自然への感性という言葉に感動します。

私達日本人の先祖たちは、家屋をはじめ民藝品にいたるまで 自然美をそのままに取り入れて創意工夫し自然のままに活かしたものを作品にしてきたとも言えます。今、古民家再生をはじめ様々な古い職人たちが手掛けた道具に触れているとそれをいつも感じます。

目的が単に大量生産で使えればいいというものではなく、自然を敬愛し、自然への畏敬が道具に宿ると信じて精魂込めて造られてきたのです。こういう日本的な精神性、つまりは自然に対して純粋で無垢、いつも自然のいのちが観えているかのような子ども心が日本人には宿っているということを直感します。

日本文化の本質として大衆化して安易に便利に走り、目先の損得によって失われたものは魂の品質なのかもしれません。

ブルーノ・タウトは、桂離宮や伊勢神宮を絶賛します。

「泣きたくなる様な美しさ。永遠の美、ここにあり。われ日本文化を愛す。それは実に涙ぐましいまで美しい」と。

この泣きたくなる美しさとは何か、それは永遠の美を保つ魂の美。純粋なもの、いや、私の言葉にするならば「純度の高さ」こそが日本文化の本質であると信じます。如何に人生を研ぎ澄まし純度を高めていくか、それは日本人が日本人らしく生きていくための最大の要諦ではないかと私は思います。

純度の高い精神には、純度の高い生き様が宿ります。そこには単に道具や家屋だけではなく、そのいのちがそのものに投影し宿りいつまでも美しさを放ち続けるのです。

タウトが観察した日本とは、日本の魂、大和魂だったのかもしれません。これから古民家を温故知新していきますが、その大黒柱には常にこの真心を据えて取り組んでいきたいと思います。

引き続き、子ども第一義。子ども心を昇華して魂の純度を高め続けて先祖たちに恥じない生き方を実践していきたいと思います。

 

 

愛着形成~故郷の存在~

今、古民家再生を通して郷里故郷のことを学んでいます。

故郷というものは、自分を形成した場所であり、自分の原点がある場所です。故郷にある懐かしさとは、先祖たちが子ども達のためにと遺してくださった深い愛情を私たちは心で感じているのです。

この愛情を受けて私たちは健全に育ちます。これを愛着ともいいますが、自分を形成する際に必要不可欠なものです。この愛着はどのようにつくのか、それは好きになっていくことでついていきます。つまり、好きこそものの上手なれという諺もありますが好きになるから自然に愛が発生し、その愛を纏うことで愛着ができるのです。

そして愛着を持てるようになるには、好きであろうとする努力と同じことが必要です。相手の美点をみることや、相手の持ち味を探すこと、相手が偉大な存在であることに気づくこと、尊重することで次第に好きは高まっていきます。

尊敬することも尊重することも全部丸ごと含めて「好き」の中には入っているとも言えます。古民家再生は、まちの景観維持でもあり、まちの暮らしの継承でもあり、まちの人々の心の伝承でもあり、まちの美しい豊かな自然を遺すことでもあります。近代化で壊れてしまった様々な歴史や文化、先祖の遺徳を丁寧に直し修復修繕していく中で次第に故郷への誇りと自信、愛を学びます。

故郷の再生は何か新しいことをやるように感じますが実際は会社を善くしていくこととまったく同じです。社員が会社を好きになれば当然会社は良くなっていきます。社員に好きになってもらう努力は経営者の最大の責任です。それに社員も一緒に一体になって会社を好きになることで御互いのことを好きになり誇りと自信を持ちます。会社もまた自己を形成した大切な思い出のワンシーンであり暮らしと切り離すことはできないのです。

だからこそ故郷が愛の原点であり、愛着形成は人々の故郷そのものなのです。

そう考えてみると一つ一つの思い出をどのような環境で自分が見守られてきたか、それを省みるとそこに偉大な愛が潜んでいるように私には感じます。見守るということの実践は、好きになること好きになってくれるようにここが相互主体的に努力することからはじまるのかもしれません。

引き続き、子ども第一義の理念にそって子どもに譲っていきたい生き方と働き方を実践によって深めていきたいと思います。

日本人の原点

町家再生を深めている時、町家大工棟梁の「京 町家づくり千年の知恵」山本茂著(祥伝社)という本に出合う機会がありました。その著書の中で京都の枳穀荘という旅籠が紹介されていました。

今回、その枳穀荘に御縁をいただき宿泊しお話をお伺いすることができました。千年の知恵とは何か、改めて日本人の原点について考えました。それを少し整理してみたいと思います。

そもそも日本人というものはこの自然風土に融け込み自然と一体になって暮らしてきた民族のことです。自然は悠久の年月でじっくりと循環していく存在ですから、その偉大な循環に沿ってその中で自分たちも一緒に暮らしを育んできました。もしもその自然の循環に逆らって生きていたら千年持つということは考えられないと思います。

昨日、枳穀荘の当代から日本建築のことをお聴きしました。その時、日本建築の素晴らしさを教えていただきました。日本建築とは、日本の気候風土に合わせて建てられたものです。町家は、通り庭、おくどさん、季節のめぐりに沿って建具を変えて風を通し水を活かします。木は、夏の湿気で膨張し冬の乾燥で縮小する、このように呼吸しながら今も生きていると言います。

京町家を視察し、様々な暮らしを体験していると千年生きる人たちが如何に「自然と調和」しているかに気づきます。美しい暮らしの中には、千年が今も息づいています。その千年に映る自然は、謙虚に自然の廻りに沿って町を形成し町を活かした町家の姿があります。

町家の中の調和は、千年の仕組みで満ち溢れていました。木、土、石、そして水、風、光、その調和は美事なほどで、お祭りを中心に風土に沿った年中行事を実践する。そこに代々受け継がれている人々の文化を感じると、流れている歴史、悠久の循環を感じます。風土の中にいにしえから今まで続いているものを自然との調和、美しい暮らしを同時に思います。それをふたたび「千年」という尺度で観直すとき、日本人の原点を感じ取るのです。

今回、私が最も感じた千年の知恵とは自然に逆らわない千年の都の中にある自然との調和、美しい暮らしのことです。

今の時代は便利か不便かで判断をし、そのどちらかに偏っているように思います。しかしそのモノサシで行動するのではなく、これは千年持つのかという千年のモノサシを持つことで常に自然との調和が働くように思います。

本来、私たち人間も自然物の一つであり日本の先人たちは自然と調和することを何よりも重んじてきた民族だったからこそ、その暮らしぶりもまた自然と調和していることを優先して生きて来たということです。まさに先祖たちの継続の偉大さはこの一点に尽きると私は感じます。

これからの時代、膨張から縮退へと時代は刻みます。少子高齢化はますます進み、経済の姿は一変することでしょう。その際に必ず日本人は原点回帰を迫られてくると私は思います。

本来の日本人が何を大切にしてきたかを学び直し、それを正しく実践することが、子ども達の未来に今の世代の私たちが責任を果たすことになります。引き続き、町家再生を通して日本人の原点を磨いていきたいと思います。