豊かな苦労と時間

昨日、吉野杉樽に漬けこんでおいた高菜の手入れを行いました。今年は収穫量が少なかったため、いつもの4分の1しかなく貴重な存在になっています。郷里の伝統の堀池高菜の甦生のために固定種の種を蒔き、樽にそれまでの菌を住まわせ環境を用意して6年以上になりますが今では暮らしの一部になっています。

手塩にかけて育てるという言葉もありますが、漬物は塩を入れて何回も何回も漬け直すことでいつまでも美味しく食べられます。そして樽もまた、塩分濃度によって発酵もすれば腐敗もしますから常に塩を入れ続けなければなりません。

特にこの青菜のものは、日ごろから食べようとするとあまりにも塩分が強いと塩辛くなりすぎて食べれませんから適度な塩分が必要になります。適度な塩分というものは、手間暇をかけて見極めていく必要があります。

当たり前に食卓に出てくる漬物一つでさえ、種を蒔き育苗をし、生育を見守り収穫をする。その後、道具や高菜を洗い天日干しをし、漬けこんだら何度も何度も漬け換えをする。その年月は最低でも一年以上、もう6年物の高菜は6年間それをずっと続けていることになります。

苦労と時間をかけてつくられていると感じるからこそ「もったいなく」感じ、そこにぬくもりと豊かさを感じます。

今ではお金さえあればなんでも買えて余剰にありすぐに捨てられるような環境がありますが、この手間暇の苦労と時間はそこには感じられないものです。自分で作物を育て、自分で食べるものを用意し、そしてそれを美味しく食べるという原始的な活動は、目には見えない苦労や時間を味わう貴重な存在として暮らしを豊かにしていきます。

本当の豊かさに気づいて、如何にそれを今の時代とのバランスを保っていくかはこれからを生きていく子どもたちの課題でもあり、今を生きる私たちの命題です。

引き続き、豊かな苦労と時間という実践を積み重ねながら本来の豊かさの意味を暮らしの大切さを子どもたちに伝道していきたいと思います。

守る=変わる

理念の話をしていると、よく「自分には理念などない」や「理念がなくても経営はできる」という言葉をいただくことがあります。確かに、今まで考えることもなく、そんなに理念理念と声高に言わなくても大きくなってきた組織や、上手くいってきた会社ではそんなものはなくても問題がなかったという声もあります。

この理念という言葉は、あまり聞きなれないものであり最初は理念から考えて取り組むということをちゃんとやっているところも少ないと思います。確かに私も普通に仕事をはじめてからはそんなに理念のことを考えなくても、目の前に与えられたことを必死にやるだけで精一杯の時期を体験していたのを思い出します。

しかし、仕事を覚えていく中でいくつもの困難や壁にぶちあたります。その中でどうしても判断基準や拠り所が必要になり次第に理念のことを考えるようになってきます。そもそも何のためにやるのかや、本来これはどういうことなのかと、仕事が本物になればなるほどにそのことが必要になってくるからです。

そして変化を迫られます、自分がそのままではどうにもならないことに気づくのです。そして変化と向き合うとき、同時に理念というものに向き合うことになります。なぜなら変化とは、守るべきものがあることに気づくときに発生するものだからです。

これは変えてはならないというものは、言い換えるのなら「これは守られなければならない」というものです。それを信条ともいい、信念ともいい、その目的そのものだったりします。それがなくなれば元も子もない状態になるのはすぐにわかります。そしてそれを守ろうとすると変わることを恐れなくなっていきます。

つまりは変わる人というのは、守るものがあるからこそ自分が変わらなければならないという状況になるということです。そしてその守るものこそが理念であり、理念経営とはつまりは守るためにみんなで変わっていこうとする仕組みのことです。

これをもしも逆にすればどうなるか、変化を恐れ自分を守ることを最優先して大事な守るものは守らないとなると滅びてしまうのは自明の理です。だからこそ「自分は一体何を守っているのか」という言葉を常に自分に問いかけ、本当に守りたいもののために変化を恐れずに取り組んでいくことが「守る=変わる」ということになります。

大切に守るものがあるからこそ人は変われます。

その守るものをみんなで守ろうとすること、それが理念を実践するということです。時代が変わっても環境が変わっても、結局は人は生き方と生き様です。人を守れる強さとは生き方を守れる強さのことです。

引き続き子どもたちの今を見守るためにも理念経営の実践からの気づきを子どものいる周囲へと伝道していきたいと思います。

理念=経営

企業をはじめすべての組織には、その組織を創るための目的というものがあります。何のためにそれを創り、そして何処を目指していくのかといったものですが目的と方針、方向性こそがその組織の運命を決めていきます。

またその組織で働く人たちは何かの判断をみんなで決めて協力していくとき、拠り所にしていくものがあります。それは原点でもあり、物事のはじまりに決めた初心だともいえます。

こういうものを理念と呼びますが、その理念を持ったままにみんなで力を合わせて協力して働くことを経営と呼びます。

つまりは本質として「理念=経営」であり、「経営=理念」です。これを勘違いして理念と経営を分けている人がいます。それは分けたのは経営者であり、経営者は「自分=理念」だと思い込んでいるからです。

経営者も組織の中の一人であって目的に向かって一緒に働く全体の一部です。組織の目的と方向性をその組織のだれよりも鮮明に明確に観えており、みんなが判断に迷ったときにそれを示唆したり、導いたり、思い出させたりするのが経営者の役割です。

理念があって働ける仕合せは、日々の経営の生き甲斐とも言えます。生き方と働き方とは、言い換えるのなら理念と経営のことです。それを一致させていくというのは、言っていることと遣っていることが一致しているということです。まさに理念経営とは言行一致のことであり、偉大な目的に向かってみんなで協力してその目指したところまでを言語化し明文化して、一人ひとりがはっきりと自分自身で観えるようになるまで浸透していることで実現します。

これを誰か任せにしたり、自分は知らなくてもいいとしていたらいつまでもその目的が達成されることもなく、またバラバラになって組織は次第に崩壊していきます。さらには言行不一致になれば不平や不満、正直者が馬鹿をみる組織になり次第にみんな諦めてその組織は腐っていきます。

生き方と働き方が分かれているということは、生き甲斐と遣り甲斐が分かれているということです。そんなものは本来なく、生き甲斐と遣り甲斐が一致するからこそその両方は成立するものです。

だからこそ大事なのは、理念経営を実践することだと思います。

それを邪魔するものは、マンネリ化であったり、歪んだ個人主義であったり、経営者の独善であったり、伝えられなかったり、振り返りがなかったり、そんな時間すらも設けていなかったりと色々と理由がありますが、本来、その組織の本質に立ち返ることが理念経営にしていくということです。

経営という字の本来の意味は、続いていく営みです。つまり永遠の営みとも言えます。理念経営とは、理念が永続していく仕組みのことです。組織はその時々で変化してひょっとすると滅んでいくことがあるかもしれません、それは国家においても然りです。

しかし滅んでも滅ばないで続いていくものこそが理念であり、それを実践することが理念経営の本質です。大義や信念、そして道を子孫へとつなげていくのが今を生きる私たちの使命ですから自分の代の私腹を肥やすための理念経営などはありません。

引き続き、子どもたちのためにも目的に向かって生き方と働き方、生き甲斐と遣り甲斐の組織を世の中の広め社會をさらに豊かにしていく手助けに邁進していきたいと思います。

 

配慮の学び直し

人間は自分の思ったこととは別に配慮というものがあります。この配慮の字を分解してみると「慮る」という言葉と「配る」という言葉でできています。似た言葉に気遣いという言葉がありますが、気を遣うのと心を慮るのもどちらも自分自身が相手に行うだけではなく、相手のことを自分が思いやるときに用います。

人は、自分の思い通りに自分勝手にやろうとすると思いやりが欠けていきます。自分都合の気遣いや配慮は、それは気遣いや配慮ではありません。相手が自分のことを心配してくださっていると感じたり、自分のことを気遣ってくれているというのは心を用いて感じます。

よく配慮に欠けるという言葉もありますが、これは思いやりが足りていなかったということです。ここでも思いやりは、どれだけ全体のことを気遣ったか、どこまで観通していたかということになります。

つまり配慮とは自分を中心に自分だけの小さな視野で物事を観るのではなく、全体を観て広い視野で物事を観るということです。

また前提に自分自身が周りのことを信じているからこそ相手を思いやれ、疑っていれば思いやりに欠けます。相手がもしも自分だったらと、自分を相手の立場になって慮る、つまりは相手の心を勝手に思い込んだり決めつけりするのではなく、相手の心になってみる、相手がもしも自分だったらと共感するときに人は配慮ができていきます。

共感というのは、自他が分かれていない境地だとも言えます。それは相手が自分、自分が相手という思いやりが一緒一体になっている状態です。そしてそれが全体の一部になっている自分があり、自分自身が全体そのものであることなるのです。

それを調和とも言いますが、調和はみんなの配慮が折り重なって発生していきます。自然界は、自分の分度を決め、分を弁えます。自分の分を超えてしまえばそれが周囲に影響があることを知り、それが巡り巡って自分に帰ってくることも本能で自覚しています。

人間の配慮なき行動は自然を揺るがせています。

そう考えると、配慮は人間が学び直すうえで大切な徳目です。引き続き、自分自身と全体を見つめ学び直していきたいと思います。

湿式工法の瓦葺き3

昨日は再び屋根にのぼりみんなで土葺きでの瓦葺きを体験しました。職人さんが軽々とやっているのを見るのと自分たちでやるのでは勝手が異なり、瓦一枚を葺くのに大変な時間がかかりました。

しかしみんなで協力して葺いた瓦には愛着が湧き、そこに綺麗に波打ついぶし瓦の様子にぬくもりを感じます。日本の伝統的なものを伝統的なやり方で実践する、まさに心と技術が調和することで和の家が実現することを再確認する有難い機会になりました。

この後は数週間の間、土を乾かし仕上げにのし瓦や鬼瓦をのせて完成です。時間をかけて土を乾かす間もまた、味わい深い大切な時間です。のし瓦は屋根の棟に来る雨水を表側と裏側に流すために積まれる瓦の事を言います。そして鬼瓦は屋根の棟の端に置く大きな瓦のことでこれは厄除けと装飾を目的として設置されています。

少し鬼瓦を深めますが、この鬼瓦のルーツはパルミラにて入口の上にメデューサを厄除けとして設置していた文化がシルクロード経由で中国に伝来し、日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れだした頃、急速に全国に普及したとウィキペディアにはあります。

この鬼瓦を眺めていると、家を守る存在が屋根であることをより実感します。中国での鬼は、厄災をもたらすものとして忌み嫌われますが日本のオニは厄災を転じて福にするオニです。

例えば、大みそかに山から降りてくる神さまを祀るのに神が鬼の姿に転じた行事が日本各地に残っています。人々は鬼を恐れながら囃(はや)し、もてなします。また仏教では敵対していた悪が仏法に帰依し仏法を守護するものとして鬼があります。日本では牛若丸と弁慶のように、純粋な魂や義を守る守護神としてオニのような強さを持つ存在を守り神として大切に接してきました。

この屋根のオニは、日本の精神を顕すものでありオニの存在が屋根を守り、私たちはいつも守られながら暮らしているということを忘れないということに気づかせてくれます。

家を思うとき、私は守られている存在である自分に気づきます。家が喜ぶかということは、守られているということに感謝してその家に住まうことをゆるされている自分たちがあると実感して楽しく豊かに暮らしていくことだと思います。

今回の瓦葺きから、日本建築が如何に「守る」精神に包まれているかを学び直しました。引き続き、聴福庵の離れの完成までのプロセスを味わい子どもたちに初心を伝承していきたいと思います。

湿式工法の瓦葺き2

昨日は、引き続き土葺きでの瓦葺きを行いましたが土の吸着力のみで瓦は葺かれていきます。私たちの先祖は、土の持つ性質を巧みに活かし、土をあらゆるところで活用してきました。家においては、土壁であったり瓦であったり、また竈であったり、土鍋や食器だったりと土はあらゆるところで私たちの暮らしを支えてきました。

現代ではあまり土に触れることもなく、土は汚いと嫌悪されることが増えてきましたがずっと長い間、私たちの命を守る大切なパートナーでした。土は汚いものではなく、ありとあらゆるものを浄化する清らかなものです。どんなものでも土に埋めれば時間がかかりますが必ず分解されまた循環の一部に回帰してくれます。土は、甦生の代名詞であり、土はどんなものにも姿かたちを変え、そして何回も何回も新しく生まれ変わります。

世界では土で作った建築は無数にありますが、私たちの日本では高温多湿の気候と自然の水気の多い瑞々しい土の建築があります。基本的には日本の家の中心は木を用いますが、その木を活かすのは土であり、土を活かすのは木です。さらには、紙や石など日本の風土に適ったもので構成されます。

幼いころ、三匹の子豚の寓話でレンガ造りの家だけが狼から守ったという本を読みました。しかし大人になって日本建築に触れてみるとその逆で頑強な家よりも柔弱の家の方が、そこに住む家人たちを守り、末永く住み続けられる仕組みがあることを知りました。

柔弱とは和かいということです。

この和の家は、自然災害が起きたとき真っ先にそれぞれの土や木や紙が自らが先に壊れ合ってしなやかに周りの損壊を防ぎます。自分だけを守ろうとするのではなく、自分の方が周りのために少し崩れることで周囲を助け守ります。

これはまるで日本的な生き方のようであり、日本建築や家にはその日本の精神が凝縮されていることに気づきます。当然のことですが、日本人が建てたからこうなったのであり、日本人が考えたからこうなったのです。

私たちは家に住むことで教えられるのは、どのように先祖が生きてきたか、何を大切に暮らしてきたか、どんなことを理想としてきたかに気づきます。

今回の土葺きでいえば、瓦は土に載せているだけで、瓦自体は一切どこにも固定していません。瓦と土が載ることでかなりの重量が屋根にかかりますが、その御蔭で地震が発生したときに建物が左右に大きく揺れていきます。その揺れ幅が大きければ大きいほど、家が倒壊するより先に瓦が先にずれ落ちることで家を守ります。

今のように修理する気のない家であれば、全部捨ててやり直しですが古来の日本の家は傾くだけならすぐに元に戻せましたし、土葺きの土も再利用できます。そうやって自然災害を体験し何度も改善を繰り返し、悠久の年月を持たせることができる家に昇華してきたのでしょう。

この体験も未来の子どもたちに譲り遺せるように真摯に学び直していきたいと思います。

 

歴史を継ぐということ

昨日は、郷里の炭鉱遺構でもある大門炭坑(原口炭坑)に見学にいくご縁がありました。長年、住んでいながらちゃんと見たのははじめてで,、ここの土地のオーナーの方に隅々まで案内していただきました。

ここは市が運営しているのではなく、完全に個人で整備し無料で開放して見学者に炭坑の歴史を遺してくださっています。かなりの広さに合わせて、竹林の伐採や除草など大変な費用や労力がかかっていると思いますが、これだけの炭坑跡はなかなか遺っておらず有難いことだと感じます。

ここは明治27年に開坑し、昭和38年ころに閉坑したそうで巻揚機台座などがまだまだしっかりと遺り、ボタ山も立派に存在しています。足元には、1億年前の木の化石でもある石炭が大量に転がっており、かつては黒ダイヤとして非常に価値が高く、燃料として人々の暮らしを支えたものですが今はひっそりとした佇まいにかつての歴史を感じます。

本来、自分たちの先祖が何をしてきたか、そこにはどのような文化があったか、そのルーツを知ることで私たちは自分たちのアイデンティティの源泉に触れていきます。特に子どもの頃に、どのような風土や環境の中で育成されたかが自分たちの将来の誇りになっていくこともあります。

よく私はどこどこ出身とか、幼いころからこのような行事をしてきたとか、何が有名だとか、自分たちを語るとき、自分たちの郷里や風土を語るとき誇りや自信を感じます。かつて留学した時、世界各国の人々が集まりそれぞれに自己紹介するとき最初に話をするのは自分が何処からきたものであるか、そしてこれから何処にいこうとしているか話していました。

それだけ私たちは自分を語るとき、自分が何者であるかご先祖様はどのような人であったかと伝え合うのです。今も残る世界各地の少数民族もまた神話を通して自分たちの歴史を語りルーツから今までを伝えます。

それが誇りであり、どのような生き方をした人がどのような生き様であったかと伝え自分はその文化を伝承しているということを語ることで自分を知るのです。

今ではこの炭坑跡も、お金にならないからと産業廃棄物を捨てる場所になったり整地されてソーラーパネルが置かれたりしています。この文化や遺構の価値に気づく人も次第にいなくなり、跡形もなくなくなり誰も語られなくなることは本当に残念なことです。

歴史を継ぐというのは、私たちがこの伝統の民族であり続けるということでもあります。子どもたちに、誇らしく感じてもらえ、自信をもって世界に出ていけるような存在にしていけるように真摯に時代を見つめ直して福に転じていきたいと思います。

聴福庵離れ上棟式

いよいよ今日は聴福庵の離れの上棟式を迎えることができました。ここまで来るのに1年半以上、復古創新の実践の一つとしての風呂場にするために古来からの智慧を結集して建築します。

風呂桶は60年前の大きな奈良漬けの樽と明治頃の炭で沸かす桶風呂を甦生し、建具は時代物の格子戸をはじめ蔵戸や板戸と甦生し、屋根は古建築の智慧を甦生し、床下は菌を用いた発酵床に備長炭と水晶を設置し、玄関の踏み石は古代の六方石を甦生し、壁面の塗料は柿渋と渋墨を用い、ご鎮座する神様は禅宗の跋陀婆羅菩薩をお祀りし、古材の板と水場は古瓦によって装飾されます。その風呂やシャワーの水は仲間と一緒に手掘りした井戸水を用います。そして明後日には屋根に上り呼吸する伊賀の土を用いて伝統の瓦葺きを仲間と一緒に行う予定です。

文字を並べただけでも数多くのご縁の賜物でよくもここまで集まったものだと感謝が湧きあがってきます。一つ一つを深堀りしていきながら、どのようなものが未来の子どもに本当に譲っていきたいか、生き方と働き方の一致を通して学び直してきました。

古からの先人の智慧を学び、それを伝承していくことはまさに連綿と続いてきた日本民族の生き方の踏襲であり、同じ道の上を歩んできた過去と今がつながる瞬間でもあります。どんなに世界や時代が変わっても、その風土で生きてきた暮らしは変わらずに存在しているのです。日本に育った私たちは風土とは切り離すことはできず、私たちは自然の一部として存在しているのだからその暮らしを守り続けるために常に今を温故知新し自分自身を毀し続けて本質を磨き直していく必要があります。

このように感慨深いものがありますが、話を戻して上棟式のことを紹介すると家などの建物を建てる際に末永く持つ堅牢で安全な家が建つこと願いこれから住む家族の健康や幸福を祈ります。そこから式典を設け工事の安全と建物の末永い神の加護を祈る行事として行われてきました。

この上棟(むねあげ)とは木造建築で柱や梁などを組み立てて、屋根の一番上の部材である棟木を取り付けるときのことをいいます。

最近では神主さんを呼んでまで行わず略式で施主と大工棟梁で略式で行うところや、上棟式をしないところも増えてきているといいます。式典というよりも大工さんへの労いなどもあって直来といって食事会を開きお互いに関係を結んでいくということもあるそうです。

私の幼いころは、近所で上棟式があるとお餅まきを目当てに子どもたちと一緒に必ず訪問していました。50円玉を躍起になって拾っては、お餅がいくつで小銭がいくらとみんなで数え合ってそのまま駄菓子やさんに直行していました。

今ではそういう場面を見かけることも少なくなりましたが、懐かしい風習がなくなっていくのは寂しいものです。今日は大安吉日、とても目出度い日ですから自分たちになりに、懐かしい未来を体験して味わい深い祈りの一日を過ごしていきたいと思います。

 

火から学ぶ

古民家甦生を実践する中で、囲炉裏や竈、和ろうそくなどかつての暮らしの火を中心に甦生していきますがこれはとても現代の暮らしとの対比をするのに重宝しています。

かつて日本の民俗学者である柳田國男氏にこのような記述があります。

「世の中が進んだということを今が昔とくらべてどのくらいよくなっているのかいうことを考えてみるのには火の問題が一番わかりやすいと思います。闇を明るくするために昔は大変な苦労をしたのであります。」

今では電気をつければスイッチ一つでどんな暗闇も瞬時に明るくなりますが、昔は夜を明るくするということは大変なことでした。昔のことを調べていると、かつては夕方になるとじわりと送電線から電気が流れてきて夜は電気が灯され、朝方には自然に消えていたといいます。スイッチなどもなく、水力発電などで電気を送電していたそうです。

明治の頃、若い留学生たちが欧米に渡航した際にガス灯で明々と照らされた夜をはじめてみたとき、きっと今では計り知れないほどの衝撃であったかもしれません。それほどかつては、夜は真っ暗であり火を灯しながら暮らしを成り立たせていました。

現代においては、コンビニを中心に明々と町中が照らされ、どこもかしこも街灯があり都会などはまるで昼間のようなネオンの明るさでにぎわっています。夜が失われたことと同時に、火の暮らしも失われたのです。

しかしこの懐かしい火の暮らしは、人間を内省的にし、心に豊かさとぬくもりを与えていました。ゆらゆらと揺らぐ炎には、まるでいのちの様相を実感し、その灯りによって精神が落ち着いて心が穏やかになったものでしょう。

なんでも便利になっていくと当たり前のことに感謝できなくなっていくものです。そしてそれは物だけではなく人に対しても感謝の気持ちが失われていくものです。不便さというものは、当たり前ではないことに気付けるものです。電気の有難さは電気が失われて気づきます、そして火の有難さも火が失われて気づきます。

便利になればなるほどにもっとも当たり前である大切な存在を忘れ、そうではない存在ばかりを気にしてしまいます。太陽であったり空気であったり水であったり火であったり、私たちはもっとも当たり前にあって大切である存在に日々に感謝できているでしょうか。

便利さという豊かさは、真の豊かさではありません。不便さの中にある豊かさは、当たり前の存在をいつも気づかせてくれます。昔の人々は、人間として感謝の心が磨かれていたからこそ自然そのままの暮らしで善かったのでしょう。敢えて技術的な豊かさに走らず、もったいない質素で慎ましい暮らしの中にある心の豊かさを大切にしたのかもしれません。

火から学ぶものを、様々な心のカタチにして子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

日本人の役割

自由や平等という言葉は、以前からよく権力や支配に対立するものとして用いられています。言い換えれば、権力や支配によって社会を管理していく中で反発するものは排除していこうとするときにこの言葉が使われることが多いように思います。

人間は社会をつくっていく生き物ですから、そこに個々の主張が入ってくればどう折り合いをつけるかを考えなければなりません。それを誰かだけの主張を優先し個々を無視したり軽視すればそこに差別が発生し反発していくものです。

宗教論争や、戦争の発端になるのもまたこの人権のところが折り合いがつかずに争いは尽きません。歴史をみて今をみても、あまりその問題は変わっておらず世界情勢を観ていてもいつも問題は自由や平等の主義主張の話ばかりです。植民地化するということが前提になっている国造りではこの問題はいつまでもなくなりません。勝者や強者が敗者や弱者を支配すれば、対立がうまれすぐにまたその立場が栄枯盛衰で逆転すると何度も似たようなことを繰り返していることに変わりません。

7世紀初頭、日本ではこの似たようなことに正面から向き合った方がいました。それは聖徳太子です。この時代は、それまでの日本に渡来文化や宗教、他民族との融和などあらゆることが同時に発生していました。その争いの姿を観た聖徳太子は、未来の国と子どもたちの行く末を案じて国家の理念を明確に打ち出しました。それを17条の憲法を制定し、「和をもって尊しとなす」としたのです。

この「和」は、すべてのものが守るべき理念でありその理念を何よりも優先することとしました。これは日本の風土の中では、どんな民族、宗教、文化の違いがあったとしても、何よりも仲良く協力して調和することを優先しなさいといった考え方です。

誰かが誰かを支配するのではなく、一緒になって協力して調和を優先していこうとすること。言い換えるのなら、個々を尊重し合い和することを絶対的なルールにしなさいということにしたのです。

それぞれに信じたものを絶対的な正義にしてその正義を振りかざせば対立や争いは尽きません。そうではなく和を優先していけばそこには調和や融和、対立や争いではないところで対和していくことができます。そこからお互いを思いやることを大事にしてみんなで一緒に助け合い生きていく方法を考えようとなるのです。

日本の平和の精神の礎はこの「和」にこそ存在します。

あの時代から1300年、変わったようで変わらないのが人の世の常です。しかしあの当時に心配してきたものが世界の国々がいよいよ混ざり合う今の時代になってようやくはっきりとその意味と向き合う時期に来ています。

日本に産まれ日本人としての役割を世界に果たしていきたいと思います。