学問とは何か~日本の学問~

先日から伝統的な教育を深めていますが、明治初期に西洋の教育手法が入ってくるまでは日本では学問は儒教を中心に「天」というものを相手にするという思想がありました。この天は、日本ではお天道様やお日様に例えられ自分自身を片時も離れずに見守ってくださっている偉大な存在として崇め自らに学び問いました。

孟子は「学問の要は、唯諸己に反求するに在るのみ」といい、常に己に問い、内省反省し、慎独するなかで実践するものこそ学問の要であるといいました。

教育手法ばかりが注目され競争する昨今において、そもそもやり方ではなく根本的なあり方がどうであったかは歴史から学ぶものです。日本の伝統的な教育は、社會のために行われるものであるから公のものであり、さらにはその公のために如何に個々が社會のお役に立てるか、そしてその命のお役立ちこそを天命あると導いていたのが分かります。

教育者本来の本文は、この天道に導くことであり如何に道からそれないように我を省き、その人が利他に生きることができるようにするかを様々な言葉で伝えてきました。

例えば、かつての日本の親子の教育の柱で伝承されてきたものに「お天道様が見ている。ご先祖様に恥ずかしいことをするな。故郷に錦を飾りなさい。」というものがあったといいます。

これは道に入るための導きの言葉でもあり、社會の中で自分の天分を活かしなさいと励まし応援するものでもあります。

今の時代は、自分のことばかりを心配して自分の思っていた通りにうまくやることが人生が成功したと思って我ばかりが増大していく環境があります。しかし本来は、どんな自分であろうがその社會の中で如何に自分の天分を周りに活かしていけるか、言い換えるのなら自分をお役立ちさせていくかに本来は専心することが肝心であり、自分のことなど考える必要もなかったのです。

俺が私が自分がの我を主語にするのではなく、主語を社會や天や世の中などその公器を主語にして生きれば自ずからお役に立てるところに命が役立てる仕合せに出会えるようにも思います。

自然界も等しく、私たちは同じ太陽の下みんなで協力して共生しながら貢献し合って存在しています。だからこそその自然の法則から離れないように、天道地理から外れないようにと道を照らしたのが教育者だったのでしょう。

私たちは教育を職業の一つとして認識していますが本来は道の一つです。この道は親子でも兄弟でも子弟でも、すべての関係の中に存在する一本道でもあります。未来の日本の子どもたちのためにもその道をもう一度、再認識し今の時代に温故知新していきたいと思います。

 

日本の伝統的な教育

日本の伝統的な教育に寺小屋というものがあります。これはウィキペディアには『江戸時代の上方において、寺院で手習師匠が町人の子弟に読み書き・計算等を教えた学問施設である。「寺小屋」の名称は上方で用いられ、江戸における町人の子弟の学問施設は「筆学所」「幼童筆学所」と呼ばれた。』とあります。

江戸時代の日本人の識字率は75%以上であったといいます。イギリスでも25%、フランスでも15%だったことをみると如何に全国的に教育が盛んであったかが分かります。

この背景には今のように学校という施設が義務教育によって子どもたちを集めて一斉に教えていたのではなく、全国各地に私塾や寺小屋といった場所が約一万カ所以上開かれ、身分の差を超えて子どもたちに教育がいきわたっていたことがわかります。

その寺小屋での教育は、師匠は場を見守りながら子どもたち同士で学び合うというやり方が用いられていたのが古い文献などからわかります。薩摩の郷中教育なども同様にに、師匠や先輩、後輩たちが一緒一体になって学び合う「場」が創造され優秀な人材を多く輩出していきました。またそのころは安価な貸本屋などもあり、どんな貧しい家に生まれても学びたい人は自由に教育ができるような仕組みができていたといいます。

かつての「日本の教育の定義」は、江戸時代の武士の学校の最高峰でもある昌平坂学問所の学長である佐藤一斎のこの言葉から窺い知れます。

「能く子弟を教育するは、一家の私事に非ず。足れ君に事うるの公事なり。君に事うるの公事に非ず。足れ天に事うるの職分なり。」

これは意訳ですが「子どもたちを教育するのは一家の私事ではありません。またこれは社會のための公の使命があります。そしてこれは公の使命だけではありません。子どもたちがそれぞれに天命を果たすための大切な本文なのです。」と。

本来、誰かが誰かに教え込みコントロールするために用いられた西洋式の教育とは定義が異なり、日本では「天命を果たす」ことができるように見守っていくことを教育の定義としていたように私は思います。

それぞれの子どもたちが、社會の中で自分の役割を果たしていくことでお互いの仕合せだけではなく全体の幸福につながっていきます。そのような社會を創るために取り組むことが教育者であり、その使命は天命を全うすることに由ります。社會を創るために命懸けで人を育てる志事こそが教育であったのですから、全国各地で平和で安寧な世の中を継続していくために寺小屋はとても大きな役割を果たしたように思います。

現代の教育と古の日本の教育、似て非なるものになっているように感じます。

古からの伝統的な日本の教育は世界に誇れるものでしたが、西洋式に換えてしまって変わったこの教育の定義をどれだけ原点回帰し温故知新できるかは今の時代の教育者たちに懸かっています。天命を活かすとき、社會は活かせます、その時、世界は永久的な幸福に包まれます。これは自然界がすでにお手本になっているのと同じです。

社會のため、天命のためにと改めて原点回帰が必要な気がしています。

引き続き、日本の教育のことを深めながら世界の多様性に一石を投じられるよう研究して発信していきたいと思います。

 

観光創生化とは何か

引き続き「まちづくり」の観点から私の造語でもある「観光創生化」について少し深めてみます。

そもそも「観光」という言葉は辞書によれば『[名](スル)他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。「各地を観光してまわる」「観光シーズン」「観光名所」[補説]近年は、娯楽や保養のため余暇時間に日常生活圏を離れて行うスポーツ・学習・交流・遊覧などの多様な活動をいう。また、観光庁などの統計では、余暇・レクリエーション・業務などの目的を問わず、1年を超えない非日常圏への旅行をさす。』(goo辞書)とあります。

この補説の部分が世間一般的な常識的な観光のことを指し、旅行によってその地域に遊覧にいくことをいうように思います。しかしこの「観光」の語源の由来は中国古典四書五経の「易経」で出てきた言葉で本来の意味は『国の光を観るは、もって王に賓たるに用うるに利し』といいます。

私の意訳では、「他国の宝を観て学ぶことは自国の宝を見つけ磨くためでもある、これは王の徳の近くにおいて大変な価値がある」とします。つまりは「観国之光」の光とは「徳の宝」のことを指し、この徳の宝を観ることがまさに自分を磨き、自国の魅力をも発掘する基礎であるという意味に解釈します。

日本は、観光を重要な政策の柱として掲げ「観光立国」を打ち出しました。しかし、私自身が観光地を色々と観てみるとあまりその地域の観光の徳の宝が出ているとは思えない利用の仕方が目立っていたように思います。

例えば、古い文化財の建物だけを補助金で修理し見学料だけとって案内しているもののそこには暮らしがなく、保存したものを見るだけでは生きた施設にはなりません。それに見た目は古い町並みであっても中身は県外からの企業に運営を委託され御洒落な店舗やそこでなくてもいい目新しいものを買い物できるようにしてもそこに暮らしは創生しません。

かつての暮らしが遺っているところ、伝統が今でも連綿と息づいているところに人々は本質的に徳の宝を感じるものでありそれを学ぶために集まってきているのです。人が感動するのは、長い時間をかけていまでも伝承されている暮らしを感じるときであって見せかけの見世物をみてもまた再び観たいとは思わないものです。すぐに飽きられるようなものに光はなく、そこに宝を感じません。光り続けるのは暮らしを磨き続けるからであり、それを私は観光創生化と名付けているのです。

観光創生化がちゃんと実現している地方は、いまでも懐かしい未来があり、いつまでも古くて新しい光を放ち続けて人を集めます。その光はたとえ世界広しといえども世界各国からその徳の光を観て多くの観光客が訪れてきます。

付け焼刃の予算で、付け焼刃の観光をやろうとしても長続きするはずはありません。古来のたたら製法で打つ本物の日本刀のような本来の観光の意味を正しく捉え、如何に暮らしを甦生させていくかを真摯に足元から見つめ直すことでその地域の徳が魅力として顕現すると私は思います。

引き続き、子どもたちのためにも未来にその地域の徳がそのままに継承していけるように今の世代を生きるものとしての役目を長い目で観て粛々と果たしていきたいと思います。

 

自信を育てる

人間は出来事が起きてもその捉え方は全く異なるものです。ある人はネガティブに物事を捉えていればそういう出来事であったと感じるものだし、またある人はポジティブに物事を捉えればそういう出来事であったと感じます。

つまりは物の見方というのは、その人の心の捉え方そのものでありその捉え方が異なれば事実も全く異なるということです。これは当たり前だと思われますが、この捉え方といった心の大前提がどうなっているのかを確認しなければ物事が好転したり、事物を転換したりすることができないのです。

例えば、物事を評価するときに減点的に見ると何が不足したのか、何がよくなかったか、どうすれば100点になるのかを考えます。これはすでに起きていることはマイナスであり、そのマイナスをどのようにすればプラスにできるかを考えます。すでに自己評価は低く、その低いものを少しでも上げようと考えるのです。

しかしこの逆に加点的にみると、何が足りているのか、何がよかったのか、どうすれば善かったものをもっとよくできるかと考えます。これはすでに100点であり、さらにプラスしていけるのは何かと考えます。自己評価も高く、その高いものをもっとどうすれば活かせるだろうと考えます。

この物事の捉え方というのは、その人の自信を顕します。

自分はこのままでいい、今の自分にはこれが相応しいと、ありのままの自分を認め、そのうえで自分の強みをどう伸ばしどう活かすかと常に考えて周囲のために自分を使ってもらおうと考えるようになります。そして弱みは、誰かに助けてもらうことで他人の強みをも活かそうと考えます。自分がいつも誰かのお役に立ちたいと利他に生きる人は自然に考え方も加点的になりポジティブになっていくようにも思います。

人間が自信を失い誰かと比較するのは自分ばかりを見て自分が評価しているからです。自分がダメだからとか、自分はできそこないだとか自分を卑下して自己否定ばかりをするのをやめ、自分は自分のままでいい、この自分の持ち味のままどうすればみんなのお役に立てるかと肯定的にやっていくことが大切だと思います。

自己肯定感が低いのは、誰かと比較するからであり誰かからの評価ばかりを気にして生きているからです。自分らしく生きることは、周りの人たちにも自分らしくいることを奨励する生き方であるし、自分がもっとも自分らしくいれば周りも自分らしくいていいと安心するものです。

比較するのをやめ、それぞれに持ち味を発揮していけばお互いの存在は無二であることを知り、仲間や家族があること、繋がり団結できることに感謝の気持ちが湧いてきます。人を信じるというのは、まず自分を信じることからはじまります。そして信頼とは、自分の強みを活かし弱みをカバーしてもらうときに深くつながります。

相手を自分の思い込みで裁いたり疑ったりするのもまた、自信のなさから発生してきます。自分を誰かと比較するのをやめ、周りが困っていることに自分の強みでカバーすることに自信を持ち、自分が困っていることで周りのカバーを頼めるような自信を持ち、本物の自信に育てていくことが自分を信じれるようになるプロセスのように思います。

人間は誰もが世界で一つのユニークな存在なのだから、子どもたちもまた同様にユニークな天性をもって生れています。それぞれがそのユニークさを存分に発揮して天分を活かしていく福世かな世界になっていければと願います。

猪突猛進?

昨日は、自然農の畑に今年2回目の妙見高菜の種を蒔きました。昨年は、虫に食べられさらにはイノシシにあちこち掘り起こされ見るも無残な状態でしたから今年は丁寧に見守りながら畑の手入れをしています。

しかし昨日、また見に行くとイノシシが鉄柵を2か所突き破り、突き破ったところから反対側の柵まで一直線に猪突猛進しているのが痕跡に残っています。何回も突進したというよりも、一度の突進で鉄柵が曲がっていましたからすごい力です。

ちなみにこのイノシシとはニホンイノシシのことです。

イノシシは成獣で、体長は100cm~170cm、体重は80kg~180kg程度の大きさになります。 体毛は明るめの茶褐色~黒褐色をしていて、色は個体差があります。そして走れば時速40km、垂直ジャンプならば1m以上を飛ぶという脅威の身体能力があります。さらに大抵の生物は鼻先が急所ですが、イノシシの場合は鼻先は強靭な武器です。 その硬い鼻先で重さ70kgの岩をも動かします。さらには泳ぎが得意で、犬かきのような動きで池や川を、時には海を泳ぐこともあるそうです。毎年中国地方から四国まで瀬戸内海を泳いで渡るイノシシも発見されています。すごい野性ぶりです。

そしてニホンイノシシは雑食性で普段は植物性のものを食べていて秋になれば冬を越すためにドングリなどの木の実、果実、タケノコ、地下茎、芋などを食べ体力を蓄えます。 動物性のものでは、ヘビやカエル、ネズミ、ミミズ、土中の幼虫などを食べます。

イノシシの天敵は、幼少期はキツネや野犬、フクロウ、カラスなどですが成獣になってしまえば現在の日本においては敵なしです。昔はオオカミがいましたから、成獣でも天敵がいたかもしれませんが今では鹿と同じく増え続けています。

このイノシシにまともに立ち向かっても勝てないので、対策として鉄柵をしましたが頭もよく賢いのでこうも毎年破られては大変ですから色々とこちらも相手のことを調べては知恵比べをしています。畑の中にあるサツマイモが狙いみたいなので、収穫までが勝負であとは柵を破ってこないのでこの先また破られたら来年は別の場所にサツマイモだけを移動させていこうと思います。

文献を読み進めると、農耕社会がはじまってからイノシシやシカによる農作物の被害はずっと続ているようです。江戸時代の文献では、戦国時代くらい前からの鉄砲による追い払いや鹿威しの設置など、さまざまな対策が取られています。

人間の数が圧倒的に増えてからかもしれませんが、お互いの境界線を超えて生息地域が重なるとお互いをどう尊重していくかが課題になります。人間だけが生きているわけではないのだからどう調和していけばいいか、色々と考えは尽きません。

引き続き、7年目になる妙見高菜を見守りながら自然から学び直していきたいと思います。

 

 

天との対話

老師の遺した有名な言葉に、「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失。」があります。これは「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ら来り、然として善く謀る。天網恢恢疏にして失わず」という意味です。

天に問い、天が見ているとし、ありのままであるがままに生きる人は正直の徳を磨いていきます。この正直の徳とは、自分の心を天に映す鏡として鑑照する生き方を実践していくということです。

私が尊敬する吉田松陰は、その辞世の句で「吾 今 國の爲に死す 死して 君親に 背かず。 悠悠たり 天地の事 鑑照 明神に 在り。」といいました。

これは意訳すると「私は今、故郷の国のために命を捧げ死んでいきます。私は死ぬに際しても親祖や恩君へ対する道に背くことはありません。悠久に続く天地のことだからこのことは天が観てくださっている、八百万の神々、どうかご鑑照ください」と。

天が観ているという心境は、自分にとっての都合や損得、その他の利害などを優先しているのではなく文字通り天に問い天が見ているとし天の基準に沿って歩んでいくという道の生き方です。

天が見ているという生き方はとても明るくのびのびした精神を持っています。そこには自己を中心に裏表があるのではなくそのままの自分を天に見てもらっているという偉大な安心感を持っています。

自分の心に正直であるか、自分の心は真心のままであるか、それは自分ではわからないものです。だからこそそこを天に問い、天がどうなさるのかの判断にゆだねて任せて生きていくのです。

私自身もいつも真心で生きたいと思っていますが、果たしてこれが真心であったのかどうかわからないことばかりです。しかし天が見てくださっていると信じて、天の判断に任せてそれをすべて受け入れて受け止めると覚悟を決めて歩んでいけばそのすべては天の采配であったと直観し、これでいいとすべてを丸ごと受け容れることができるように思います。

この天の采配とは、偉大な天の真心に触れるということです。

吉田松陰は生き死にが判断基準で良し悪しを考えたのではなく、まさに天の采配のすべてを信じて道を貫いたのでしょう。

最後に、常岡一郎氏にこんな言葉があります。

「宝物は大切にされる。危険なところに置かないように心を配る。人の世の宝と仰がれる人がある。そんな人は自ら求めてなくても大切にされる。心の使い方の美しい人はよい運命に守られている。危ないところから遠ざけられている」

吉田松陰は俗世にまみれてなお魂を磨いて俗世の穢れを取り払い、澄んだ心を磨き切った宝だったように思います。今でも大切にされるのは、その心の使い方が美しかったからです。生き死にが問題ではなく、天命のままにやり遂げたというところに運命から守られたという余韻を感じます。

このように死してなお今でも燦然と輝き続ける吉田松陰の魂のように、天は必ずその人の天命に沿う生き方を未来永劫変わらずに応援してくださいます。私の歩んでいる道はかんながらの道、悠久の八百万の神々と共に往く道ですから常にその古の神々がいつも見ているとし天との対話を続けて歩んでいきたいと思います。

生き様

人間はその時々において学び方というものがあるように思います。例えば、様々な知識を詰め込んでいろいろな人に会って智慧を獲得していくという学び方があります。そしてその学んだ智慧を今度は、後に続く人たちやこれから学ぼうとする人たちが獲得できるように伝承していくような学び方もあります。

学び方というのは、つまりは道ともいいますが古来より受け継がれていくものであり知識や智慧というものは伝承されて次世代へと紡がれていくものです。

それを伝統文化ともいいます。

この伝統文化は辞書には「世代を超えて受け継がれた精神性」「人間の行動様式や思考、 慣習などの歴史的存在意義」と書かれています。

学び方というのは、生き方ですからその人の生き方が伝統として世代を超えて受け継がれていきます。

何を遺していくか、何を次世代へと譲っていくかと考えるときに、私はこの伝統文化の価値の偉大さを感じます。

会社や組織は、もって100年とも言われます。日本では300年以上続く老舗が400社以上あるともいいます。形あるものはいつかは必ず滅びますが、日本ではそういう伝統の精神が引き継がれて今にまで続くものが多いといいます。そこには道があり、その職種職業にも生き方があったからに他なりません。

例えば親祖の伊弉諾や伊弉冉をはじめその後に和を理念とした聖徳太子、国風文化の礎となった菅原道真などの生き方は、世代を超えて今でも私たちの暮らしや思想に影響を与えています。名前をいちいち思い出さなくても自然に自分たちの血肉となり精神となりいつまでも私たちの生活を見守り続けてくださっているようにも思います。

この伝統文化の偉大さというのは、生き方が継承されていくということです。

自分の生き方を遺すという偉業は、遠くの先まで観通し長い目で観て今何をすべきかということを問い、先人からの智慧を次世代へと揺るぎなく紡いでいくための徳行でもあります。

自分の身の心配よりも、世代を超えて子孫たちのことを慮る心はすべて思いやりから発心しているものです。

こういう志事に関われることは人生の一大事であり、何のために生まれてきたのかという答えを生きていくという生き様です。

引き続き生き様を優先し、その生き方を貫く人たちを支え、自らのその学び方生き方を高め続けて精進していきたいと思います。

 

活かし合う社會

もともと人はそれぞれに価値観が異なります。生まれ育った環境から、あるいは遺伝子の繋がりから、あるいはもって生まれた天性もあり性格なども異なります。その価値観の異なりは文化として出てきては、それぞれの個性、持ち味としてそれが社會の中でお互いに有効に活かしあいます。

これは自然界でも同じで、一つの植物は他を活かし、また一つの虫もまた他を活かし、お互いに異なりながらも活かしあう存在して自然は社會を創造しています。そこには一つの価値観だけで他を排斥するようなものはなく、お互いに必要な存在であると認め合っていることが大前提にあります。

その大前提が人間中心主義で崩れれば、人間以外のものは尊重しないという価値観があたり前になってしまいます。そうすると、何が自然で何が不自然かが分からなくなります。

現在、人類が大きな分岐点に来ているといわれるのはこの自然からの乖離が顕著になってきたことが原因だと私は思います。西洋から入ってきた人間中心主義が蔓延し、自然に活かされているということを忘れ、お互いを尊重し合うことをやめたことが加速度的に人類の危機を高めてしまっているように思います。

国家間においても、共異体であることを認めようともせずグローバリゼーションの名のもとにお金を用いて一つの価値観に塗り替えてしまおうとしていますが、それをすればするほどに多様性は失われより自然は破壊されていきます。

本来、それぞれの持ち味や価値観の違いはお互いを活かしあう上で大変重要な自然の摂理ですからもっと異なることを大切に他を思いやり排除するのではなく共に異なるままで活かしあおうとした方が自分が生き活かされる美しい社會が創造されます。

人類の未来のためにも、子どもたちの未来のためにもまずは自分の中にある刷り込みを取り払い、周囲の環境を改善し、実践によって気づき合えるよう学びを深めていきたいと思います。

職人の志事

昨日は無事に聴福庵の床の間に、砂鉄塗の壁が塗り終わりました。たくさんの左官職人さんたちが見守る中で、一人の左官職人が真摯に壁に向き合って黙々と塗っていく姿には深く心が打たれるものがありました。

職人の志事に取り組む姿勢、まだお若い方でしたが親方について学び、親方が見守る中で真剣に塗っている様子に講習を受けていた他の左官職人さんも次第に目が奪われていくのがわかりました。

職人たちはまるで本物の家族のように温かい感じがして、一緒にいるととても居心地がよく、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。みんなで同じ道に生き、同じ釜の飯を食う、こんな当たり前のことが懐かしく感じるのは、それぞれが日本文化そのものの受け継いで根っこがつながっているからかもしれないと感じられました。

みんな言葉は少なくても、それぞれが材料をつくってみたり、調合を変えてみたり、また塗り方を試してみたり、正解のないものの中からもっともその素材を活かしどのような壁にするのかを研究して周りをみながら研鑽を積んでおられました。

今回、来庵された左官職人さんたちはほとんどが独立してそれぞれの場所で左官仕事を請けておられる方々ばかりでした。日ごろはみんな離れていますが、お互いにみんなそれぞれの持ち場で真摯に挑戦し努力していると思えるから存在そのものが励みになるそうです。

そう考えると、師や仲間の存在があるからその人はさらに向上していこうとする。道の中で誰に出会うかどうかは、その人の生きる姿勢で決まります。

働く姿勢は、そのまま生きる姿勢なのです。

昨日の道場では、心構えをまず親方の姿勢から学び、技術はそれぞれの現場で日々に真摯に磨き、その実践を身体と行動で示す。その生き方を確認する機会であったように思います。

昨日も道具に対する姿勢について、たとえ年上であってもそれは間違っているとその道具への姿勢を叱責したり、あるいは火加減一つにしても厳格に指導したり、あるいは塗りにくくないかと配慮をしたり、あるいは弟子の悩みを朝からじっくり聴いてアドバイスをしたりと、そこには気づきと学びが凝縮された場が醸成されていました。

今回の体験で、左官職人たちがあのように自ら学び、自らが主体的に同じ道の上で切磋琢磨していく姿に本来の学校のあるべき姿を感じることができました。

なぜあのようになるのかをもう一度見つめ直し、日本古来からの精神の伝承、さらには文化伝承の仕組みを引き続き紐解いていきたいと思います。

砂鉄の壁は、紫黒の中に星がキラキラと煌めき、陰翳の中で瞬いている宇宙のようです。この宇宙空間の中に、私たちも存在させていただいていることを改めて悟り、このことを忘れないでいようと初心を定めました。

今回の左官講習ご縁に深く感謝しております。それぞれがお元気でお志事に邁進し、皆様にいつの日かまたお会いできるのを楽しみにしております。本当にありがとうございました。

道の師弟愛

昨日から聴福庵の床の間の砂鉄塗のための準備を、各地の左官職人さんたちと一緒に行いました。夜はそれぞれ自己紹介をしながら左官の仕事や生き方について語り合う豊かで味わい深い時間を過ごすことができました。

若い職人さんたちはみんな一生懸命で、親方の指導を受けて真剣に土の配合や塗り方などを学び取っていました。親方も弟子たちや左官職人さんたちの持ち味や性格を見抜き、それぞれに必要なアドバイスやまた励ましをしていたのが印象的でした。

そこには単なる技や能力を教えるのではなく人間としてその弟子たちや職人たちが健やかに成長していくのを見守っているようにも感じ親方の愛情と仲間たちの親愛の情に心が温かい気持ちになりました。

親方というのは、その道を究めその道で先を生きた人です。その親方が自分の歩んできた道から、葛藤し悩む弟子たちに生き方を語り、その姿でこの仕事の美しさや使命感、さらには何が人生において大切なことであるかを優しく諭します。そこに兄弟子や指導を受けた先輩が、他の未熟な弟弟子たちに「親方の顔に決して泥を塗るなよ、つまらない仕事をして名前を汚すなよ、心構えが甘いものや幼稚な技能をやるなよと本気で研鑽を積むように」と親方がいないところで厳粛に指導しておられました。

こうやって職人たちはその場で一緒一体になって、心技体を学びます。優しく穏やかに見守る親方と、厳粛に指導する先輩職人、そしてそれを受けて生き方を見つめる若弟子の姿、この伝承の学び合いの美しい瞬間に立ち会えて仕合せな気持ちになりました。

今の時代は、一般的な会社では師弟関係などはありませんしあくまで仕事とプライベートは分かれていますから生き方や働き方まで指導してもらおうなどとは思ってもいない人が多いでしょうし、何かあればパワハラなどと言われ遠慮してあまり深入りしないのが今の世の中の風潮です。

しかし道に入るというのは、生き方を変えるというこですから師は弟子に本気で愛情を注ぎますし、志を持った弟子はその愛情を受けて必死に育とうとします。師弟愛というのは、教育の原点であり、伝承の要諦です。

最後に、ある若い弟子の一人が今の左官の仕事は大きな会社の下請けでモルタルばかりを塗り自分のやりたい伝統の土壁や古来からの左官の仕事ができず煩悶し葛藤している人がいました。親方が、その状態を見守りながらあなたがどうするかとその弟子が覚悟を決めるのを寄り添い見つめているのを感じました。その若い弟子は、「親方に出会わなければ一生私はこんなことにも悩むことはなかった、土(生き方)に出会えたのは親方とのご縁があったから」と仰られていました。確かな「導き」を感じた瞬間に、伝統が伝承されていく心安らかな思いがしました。

最近は私も人生の後半に降りていくなかで特に日本人の次世代の未来のことばかりを考えるようになりました。

子どもたちには「生き方を学び直すことで道は拓ける、その生き方を一つでも多くこの世に遺したい」と願い祈るばかりです。

子どもたちが健やかに自分らしい人生を歩み、日本の先人たちの智慧や文化に見守られ根とつながり仕合せに花咲、実をつけ、種になれるよう、引き続き私の天命に従って遣りきっていきたいと思います。