今日は、午前中に正月に杵と臼とでお餅つきをして拵えた鏡餅の鏡開きをします。いつもこの時季になると、鏡餅を開いて御汁粉やおかきにして振舞います。正月の間、ずっと歳神さまの依り代として存在していた御餅の力をいただき、ご縁に肖ります。まさに、感謝を忘れずに思い出す大切な行事です。
私たちが主食で食べているお米は、誰がつくったものか。もちろん百姓をはじめ、うちでは自分たちで育ててきたものです。しかし事実をよく観察すると、稲を育てるのは土や田んぼや太陽や風、そして地球であり月であり宇宙です。まさにいのちが育つというのは、非常に偉大な恩恵をうけてはじめて育ちます。
特に身近では、お山の存在というものが大きくお山がいのちの和合を与えてくれます。現在、自然破壊が著しく山も荒れ、ソーラー発電などではげ山になっているところも増えています。
本来、自然に寄り添い暮らしていたころはこの当たり前の感謝をいつも忘れずに謙虚にいのちを育んできたように思います。その証拠に、神社には数多くの年中行事がありいつもそれらのいのちの循環の恵みに感謝します。
またしめ縄や藁ぶき、また御餅など結びつきや和合などと組み合わせてお米づくりそのものを知恵として伝承してきました。
そもそも暮らしというものは、自然に寄り添うことであり自然から遠ざかったところには暮らしはありません。人工的なものは人工的暮らしという言葉があるわけでもなく、単に自然の法則から離れる生活をすれば人工的ということになります。本来、人と自然は一致していたものです。この体が証明するように、今も人間は自然物が象って形成しています。
体こそ、自然の姿でありその自然の調和のために毎日、お水をいただき食事をとっています。不自然な生活をすればすぐに体に支障がでるのは、私たちは自然の法則の中で活かされている事実が変わらないからです。
このお米づくりを中心にしたかつての日本の懐かしい暮らしは、自然と調和してきた先人たちの偉大な知恵があります。
今の時代、農業という人工的なものではなく農家百姓といった自然の叡智を活かし伝承する存在が必要になってきているように私は思います。
暮らしフルネスでこれからの農を甦生していきたいと思います。鏡開きができることに感謝します。
