清らかで澄んだ場をたくさん観たことがあります。日々に心を澄ませていると、そのような場にたくさん遭遇します。今朝も、凍てついた霜が降りるところに澄んだ光が水面に反射していました。空気も音も静かで、神々しくいのちの場を感じます。鶏や猫の動き、そして家がきしむ様子に暮らしの妙を感じます。
私は暮らしの中に澄み切った場をつくろうと日々に精進しています。
もしも仏教でいう浄土というものがあるのなら、私は場の中にこそ存在するものであると直観します。鶏が先か卵が先かのように、場が先か浄土が先かと論じるのです。
私はやはり場が先のタイプのようで、あまり理屈や言葉で何かを伝えるよりも場に先に顕現した方がいいと感じています。
人は環境によって大きな影響を与えられるものです。殺伐とした場や、欲望で濁った場、ゴミだらけの乱雑な場ではなかなか場は調わないものです。
その逆に、静かで穏やか、安心や居心地のよい清浄な場では誰もが調和の心地よさを感じるものです。
私たちの先祖は、生き方として戻ってくる場所があるように、初心が忘れられないようにと創意工夫して知恵を場で伝承してきました。
私が場道家を目指すのもまた、ご先祖様たちの叡智や智慧を子孫へと伝承していきたいと願うからです。
引き続き、場を調えて、場を残し、場を譲り場の一部になっていきたいと思います。
