真贋と虚偽

文化や歴史を学んでいると、常に原点というものに出会います。1000年も昔から今でも残っているものは、時代の篩にかけられてもなくならかったものです。それはつまり何かといえば、それが今でも最高のものであった証明です。

人は本物を知るということはとても大切なことであろうと思います。

なぜなら本物を知る人は、偽物がわかるからです。真贋を見極める力というのは、どれだけ自然に精通しているかということに他なりません。なぜなら自然というものは嘘偽りが一切なく、すべて真実の姿を現すからです。

自分自身のことも本物であるかどうかもすでにわからなくなってしまった現代において、本来の本物を伝世伝承するというのは今を生きる文化の伝承者たちにとっての大きな使命ではないかと私は思います。

古民家甦生を通して様々な骨董品とのご縁があります。昔の道具だと思ってみたら、プラスチックでよく似せてあったり、煤竹なども何百年も前のもののように見せて実際は加工してあったりと、本来のものが安く簡単便利に手に入るようなものがあふれてきています。

本物か偽物かと問う前に、そもそも心も籠めずただ売れればいいで作られたものや、その場しのぎで誤魔化せばいいというものなどは虚偽物です。先日の原発事故でも、その場しのぎで誤魔化し続けたことも虚偽物といえます。

真贋には、上手物、下手物とありますがこれはあくまで本物に近づこうとしての技術の差や作り手の達人度などによって決まるものです。より本質的でシンプルであるものが美しく、その物に魂が宿っています。しかし無名の人が暮らしの中でつくる道具もまたその機能美や世界に一つしかない個性が豊かで美しく、その真贋はどちらも味わい深いものです。

しかし先ほどのように本物に近づこうなどという気もなく、暮らしで用いようという気もない、ただ人々を騙してはお金儲けをしようとするようなものは虚偽や嘘であって本物かどうか以前の問題です。

今の時代は、詐欺をはじめそういう虚偽や嘘が蔓延しており心無いものがあふれてきています。だからこそ心を込めたものや、心が入っているもの、心を尽くしているものや現場に触れてその経過を知ることで本来の姿、ものづくりの原点を学び直す必要を感じます。

修理する気もなく、修繕する気もない、長持ちさせる気もなければ、改善する気もない。そんなものづくりは真贋を見極める以前の問題で、それはものに対する畏敬を失っているともいえます。

今は3Dプリンターなどで簡単に誰でも似せてコピーしプリントできる時代になっていますが、1000年残るなどという発想はもう誰も持たなくなっていくでしょう。1000年残るというのは、本物を創ろうとするものづくりの根本精神です。

根本精神が風化すれば、その時は何も風化に耐える文化も遺らないでしょう。前提がどうなっているのか、もう一度この時代のものづくりをする人たちはその点を向き合う必要があると私は思います。

未来の子どもたちや子孫が、先祖は立派だったといわれるような生き方を通して子孫たちが未来永劫発展していけるような祈りと願いをもって風化しないような文化を譲り遺していきたいと思います。

 

  1. コメント

    「〇〇風」で誤魔化そうとする人もいますが、一方で、それで満足しようとする人たちもいます。小さいときから、本物を見たことがなく、本物と偽物の違いというものを知らないからかもしれません。本物を知っている人からすれば、偽物を見て喜ぶ姿は理解できないでしょう。本物とは、果てしなく磨かれた技と高められた精神によって作られているものです。私たちの生き方も「偉人風」にならないように注意しなければなりません。

  2. コメント

    職人さんと関わらせて頂く中で、解説をしてくださることで初めて知ることばかりです。いかに普段接していないかということもそうですが、昔はどうだったか、今はどういったものが広がり、その中で今はどうしているかなど、その一つ一つをお聞きしやっと偽物を何の気なしに使っていることを感じます。初めて知ることの多さにも驚きますが、自分自身で元々どうだったのかと考える意識をもっと大切にしていきたいと思います。

  3. コメント

    本物を知った上でも時に偽物を使うこともあるかもしれませんが、何が本物かわからなかったり、偽物を本物と勘違いしていては本物は消えゆく一方なのだと感じます。それは今、見つめなおしている「日本」についても同じことが言えるのかもしれません。自分自身が本物・本来のものを見極められるよう探求していきたいと思います。

  4. コメント

    本物か偽物かは、その作り手や担い手自身が本物であろうとしているか、磨き続けているか、自利に走っていないかと、モノよりもその人の価値観に重きがあるように感じています。受け継いでいく人々自身が本物であろうとするからこその伝承なのだとすると、モノを商品とするのではなく、人を商品、会社を商品としていく前提が1000年という目線を作っていくのかもしれません。視座を高めるということを恐れず、忘れず、大切に挑戦し続けていきたいと思います。

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