昨日も滝行をしてきましたが、お水がとても清らかで心地よく清々しい時間になりました。私の滝行の場は2種類のお水があり、それが混ざり合う場で座禅をして瞑想をします。強く流れるお水と、静かに優しく流れるお水。水は同じに見えますが、実際には同じ水は一つも存在しません。
流れてくる経路も異なれば、どのくらい土中にいたか、あるいは雲として何処から流れてきたものか、そして落ち方、音、揺れ方、時間帯でもすべて異なります。また、お水はお水を感受する側の状態によっても変化します。自分の気持ちが真心や感謝で充たされているのならお水もその状態に合わせて応えます。また激しい感情や煩悩があれば同様にお水は状態に合わせ応えます。
まさに和合の象徴で和合の化身がこのお水ということです。
これはお水に限らず、火でも同様のことが起きます。この世はあらゆるものが渾然一体となっている存在です。だからこそ、渾然一体の中の一つが自分の出す波動の一つにいって応えるのです。あらゆる引き出しが自然の中にはあり、その自然の一部が自分の状態に合わせて和するということでしょう。
滝行の有難さは、お水の尊さを自覚できることにあります。滝行後は、肌の感覚が変わります。少しの水気でも肌が感応します。例えば、杜の中に近づくと奥から流れてくる水の気配で全身がその杜の深さや厚みを感じるほどです。
他にも田んぼからのお水の流れ、空の風と共に動く雲の気配、飲み物や食べ物などからもお水を徳を感受感応します。
本来、私たちの身体や意識はお水で形成されています。そのお水であることを忘れてお水ではないものに囚われていくものです。滝行はそれらのお水の感覚を呼び覚まし、原点回帰してくれる有難い行です。
人生の中で滝行に出会ったことに喜びを感じます。ついやりすぎると冷えが蓄えられて、調整が大変ですが炭火を含め色々と暮らしフルネスの実践に役立ちます。
子孫や人類、平和のためにも日々の実践を磨いていきたいと思います。
今日から大阪の神晃講の修験者の方々を英彦山、守静坊でおもてなしします。みなさまがお山で静かで安らかなひと時になるよう人事を盡していきたいと思います。