怪我と静養

人間は以前の苦労をすぐに忘れるものです。かつてたくさん苦労しても過ぎてしまえばあまり思い出すこともありません。たとえば、怪我などもかつて大きな怪我で入院したりリハビリが大変だったりしましたがまた健康に歩けるように忘れてしまいます。しかし後遺症をもったり、その後の不便な生活がはじまると怪我が原因だったことを何度も思い出すものです。

そもそも「怪我」という語源の由来は、動詞「けがる」や「けがれる」の語幹から来ているともいわれます。つまり「思わぬ過ち」や「過失」を指し、身体に傷を負うことを意味していたといいます。時代と共に今では意味が変化し、現在では主に身体の傷や負傷のことを言うようになりました。また江戸時代には、過失犯を意味した刑法の名前だったともいいます。

漢字の中国語においては、「怪我 (Guài wǒ)」は「責める」の意味ともなります。過失や責任を責めて咎めることが怪我という意味です。

古来より「怪我」は単なる「負傷」の意味でだけではなく、「過ち」や「汚れ」を指す「穢れる」の当て字ともされてきました。

怪我というのは、心が澄んでいないときに発生してくるものかもしれません。また注意することが大切ですが、この注意という言葉の語源も古代中国語に由来し、「注」と「意」から成り立ちます。つまり「注」は「そそぐ」という象形で、水が一点に流れ込む姿を表し、「意」は心臓の形をかたどった「心」と「音」を示す部首が合わさって「心に宿る思い」としています。

注意するということは、心を離さずに心のままでいるということです。意識を常に丁寧に集中しているときは「氣をつける」ことができているということです。事故や怪我は氣をつけないときに発生するということでしょう。

だからといって怪我は決してよくないことだけではありません。有名な諺には、「怪我の功名」というものがあったり、「禍転じて福になると」ということや、「人間万事塞翁が馬」や、「踏み外して得たもの」、「転んでもただでは起きぬ」などともあります。

重要なのは、どのような出来事からも學びがあり、素直に真摯に取り組めば相応の氣づきを得るということかもしれません。

久しぶりに骨折しましたが、學ぶことや氣づくことががまた増えそうです。怪我は穢れに氣づくチャンス、心を研ぎ澄ませて丁寧に止静の静養をしていきたいと思います。

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