「信義」というものがあります。この言葉は論語や孟子などでもよく出ますが「信義」は相手を信じ約束や道徳を守るという誠実さを意味する言葉として有名です。「信」は誠実さや約束を守ることをいい、「義」は正義や道徳的な義務をいいます。
そしてこれは日本では古来から武士道の精神とも言われます。私の先祖の野見山家は、野見宿祢以降代々、武士でしたからこの「信義」には強く惹かれるものがあります。信義に悖るという言葉や、信義に反するという言葉もあります。これは自分や相手との約束を守らなかったり、信頼関係を裏切ること、そして義務を果たさず道理に反することをいいます。具体的には、利己的で裏切る、不誠実、戦国時代なら下剋上です。
武士して、侍として恥ともいえる生き方かもしれません。
戦国時代といえば、加賀100万石の大名、前田利家という武将がいます。彼はこのようにいいます。
「武門とは信義の番兵であり、人の生涯は心に富を備える為にある。」
信義を忘れたり捨てると、心が貧しくなるというのでしょう。本当の心の富み、宝は信義を守ることで得られるという格言ということでしょう。お互いを深く信頼し合い、道理を守り共にいのちを用いて一緒に生きる。この仕合せは信義によって得られるとしたのでしょう。
また私が尊敬する武将に上杉謙信がいます。下剋上の裏切りばかりの戦国時代に、義を貫いた生き方を全うされた人物です。敵に塩を送った話も有名です。
「大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。」
そしてこういいます。
「義とは、人が人としてあることの美しさよ。」
まさに人としてどうあるか、信義を守るというのは、人としてを守るということでしょう。裏切り、騙し合い、殺し合いの修羅のような世の中でも「人であること」を大切にする。美しく生きていこうとした、武士たち、侍の魂に感動します。
最後に、大阪の石門心学の石田梅岩の言葉です。
「学問の道とは行動を慎み、目上の人を敬い、両親には仁愛を持ち、友には信義を持って接し、人類を愛し、貧乏な人には恵み、功績があっても自慢せず、倹約して派手な生活をせず、家業をおろそかにせず、家計は収入以上には使わず、秩序を守って家を治めるということである」
友とは、「信義」を守る関係であること。信頼関係というものは、信義がなければ成り立ちません。人間は、お互いに助けあい、共に生き延びてこれたのは心にこの豊かさがあったからでしょう。
今日はお彼岸、ご先祖様のご供養で一日を過ごします。未来の子どもたちによい未来、よい智慧と場が譲れるように禍転じて福にしていこうと思います。
