音の神秘

音の神秘性というものはまだ科学でも解明されつくしていませんが、この音というものはすべてのエネルギーの根源であることは直感的にわかります。宇宙が真空ではじめて誕生するとき、最初に発生したのは音であろうということは誰でも安易に想像できるからです。

昨日は、音はどのようなものかを書きましたが今日はその音の持つ振動や周波数というものを深めてみたいと思います。

私は法螺貝を吹きますが、法螺貝は音を増幅させ音を回転させ、振動させる力があります。山で吹けばやまびこが発生し、あちこちから音が呼応するものです。山で音を鳴らすと、山の音が聴こえてくるのです。もともと山にいると、心が安らぎ穏やかになるのは山の周波数に人間が癒されているからだとも言えます。マイナスイオンなどという言い方もしますが、山に入ると自然に眠気がくるのもまた山の周波数が体に影響を与えているからです。

もともと地球も同じように周波数を放っています。これを振動数ともいいますが、これは地球の直径と電離層の高さによって決定され、主に7.8Hz(ヘルツ)の周波数で振動しているそうです。

この7.83Hzのような極々低音というのは、普通の人間の耳では聞こえません。人間が聞こえてくるのは20Hzあたりからだといいます。以前、映画ガイアシンフォニーで宇宙飛行士が撮影した映像から地球の音といって低音のゴーという深い音が映像で紹介されていました。それぞれの惑星にはそれぞれの周波数があり、それぞれの音が鳴ります。私たちの耳は、最初から聞きたいものを聞こうとし聞きたくないものは聞こえないようにする脳の作用がありますから聞こえないだけです。

実際には、地球にいるだけでこの約8ヘルツの音は鳴り続けているのだからどんなに静かな場所にいても音がない世界は存在していないともいえるのです。さらに最近では研究が進み、海の波の音を外すと地球は固有振動数による自由振動を行っており、その周波数は2.9ミリヘルツから4.5ミリヘルツだったという事実です。このミリヘルツというものはこれは通常のヘルツ(Hz)よりも1000倍遅い振動周期になるそうです。つまり「1mHz」は1000秒かけて振動が1回という振動です。

地球の振動は、とてもゆっくりです。私たちは一秒の中に様々な人生やいのちがありますが長生きしているすべての存在はゆっくりと振動しているのかもしれません。人間の耳には聞こえませんが、これだけ静寂の中にも音があるということです。

では大きな音はといえば、地球では音の限界というものがあります。私たちの鼓膜にも限界があるように地球の大気内での音の限界は194デシベルだといいます。それ以上の音圧は空気を通り抜けられないのでそのまま衝撃波になります。つまり高圧状態の空気を爆発的に押し出します。核爆発や噴火の映像をみると、音が衝撃波になって地球全体に広がっていくのがわかります。

私たちの耳は、寝ても覚めてもいつも活動しています。音が聴こえない時間などは存在せず、音は暮らしにとても大きな影響を与えます。人間にとっても調和する音というものがあります。その逆に不協和音という不調和のものもあります。

この辺はまた別の機会で書いてみようと思いますが、子どもたちには音の持つ意味や神秘、そしてこれからの未来への可能性を先人の知恵も借りて伝承していきたいと思います。

音の甦生

音というものがあります。正確には、周波数ともいい波動ともいいます。音は、どのように人間に聴こえるのか。もともと音がするスピーカーや声を出しているときの喉に触れてみるとビリビリとした振動を感じます。この空気を伝わってくる振動が音ということになります。

その音として脳が認識するためには、まず外耳といって耳介で集めた振動が外耳道を通って鼓膜に伝わります。その後は、中耳といって鼓膜の振動を耳小骨が蝸牛へと伝えます。さらに内耳といって蝸牛で振動が電気信号に変換され、聴神経へ送られます。最後は、脳神経が電気信号を受け取って音として認識します。これは味覚も同様に、脳が味を認識するには同じように舌や鼻、目などが信号を受け取って味として認識します。

これが一般的に音というものを認識するという仕組みです。しかし、実際には脳だけでなく音は五感を使って感じることもできます。それは振動や波動です。もともと音は波であり、振動させる媒体になるものがなければ音が発生しても伝わることはありません。なので真空だと揺れないので音が出ません。

そして音は周波数の単位「ヘルツ(Hz)」で表現されます。 この周波数の単位「ヘルツ(Hz)」は、1秒当たりの波の数を示します。振動数ともいいます。一秒間に波が10回なら10ヘルツです。超音波などは、100万ヘルツくらいあったりします。一般的に人間の耳で聞き取れない振動数が毎秒2万ヘルツ以上で定常音として耳に感じない音だといわれます。これが超音波です。

音はこのように周波数や振動数によって色々な音になっているということです。どのような揺らぎや波長があるかで音は変わっていきますから音を重ねると倍音といって無限の可能性が出てきます。

音には「大きさ」「高さ」そして「音色」という3つの要素があります。この三要素が2つ以上組み合わせていけば倍音となります。このブログを書いている最中も、外は雀や鶏をはじめ様々な鳥の声、そして犬や風の音が聞こえます。まさに自然界は常に倍音が調和しています。

この調和のことをハーモニーともいいますが、その反対が不協和音ともいいます。そこには440ヘルツや432ヘルツなど、時代の音楽というものもあります。この辺のことを書くと長くなるので、また別で深めてみようと思います。

音は私たちに調和をもたらすものです。音楽が平和に通じているのは、音によって私たちはいのちをととのえてきた存在だったからだと私は思います。

子どもたちは音がよく聴こえているといいます。自然の調和するいい音を知っているからこそ、自然のいい音が聴こえるのでしょう。なぜ大人は聞こえなくなっていくのか、音の洗脳というものもあるのかもしれません。

子どもたちがいつまでも自然の音が聴こえ続けることができるように音を甦生していきたいと思います。

暮らしの甦生

昨日から国東の友人のところに来ています。ここは、古民家を甦生し自らで暮らしを親子でつくりこまれていてとても落ち着いている場があります。
子どものために環境をつくることを考えれば考えるほど、大人も子どもも共に暮らしをつくっていくことが大切であることがわかります。

本来、家というものは何を守るところか。それは、いのちを守るところです。このいのちとは、暮らしを守るということでもあります。

現在、暮らしというのはどこか労働に対しての休みの日のような使われ方をします。特に、暮らしに関する商品を売っている人たちは、暮らしというものをそれぞれで売り込みますから物ばかりが増えていきます。しかし本来の暮らしは、物もいのちがあり共に生きていますからそんなに増えても困ってしまうものです。

例えば、テーブルや椅子があったとしてそれは単に置いている物ではなくお互いに寿命を生かし合う仲間だとも言えます。

そういう道具たちは、いのちがあります。

私たちのいのちというものは、日本では古来から八百万の神々とも呼ばれ、共に暮らしてきたパートナーたちのことをいいます。

時代が変われば、パートナーの扱いと変わります。今の時代は、歴史を顧みても最もパートナーには過酷な時代かもしれません。大量生産大量消費のなかで、いのちは消えて心も蝕まれることが増えています。

そういう時代でも、そうではない生き方をする方々もたくさんおられます。

子どもたちの未来のためにも、一つずつ丁寧に暮らしを甦生させていきたいと思います。

徳の戦略 

江戸中期の徳の実践家で思想家の三浦梅園に、「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」があります。これは、西洋ではグレシャムの法則といって、「悪貨は良貨を駆逐する」が同じように有名です。私は、徳積循環経済に取り組み、ブロックチェーンの技術を徳で活用していますからこの辺の話は参考にしています。

そもそもこの三浦梅園が自著「価原」でなぜこういうことを言ったのか、それはこの明和9年(1772年)から発行された、南鐐二朱判は一両当りの含有銀量が21.6匁であり、同時期に流通していた元文丁銀の一両当り27.6匁と比較して不足している悪貨であったといいます。このことが南鐐二朱判を広く流通させ、このような計数銀貨が次第に秤量銀貨である丁銀を駆逐していったということもあったといいます。これよりも前の元禄8年(1695年)に行われた品位低下を伴う元禄の改鋳後にもまた良質の慶長金銀は退蔵され、品位の劣る元禄金銀のみが流通したともあります。

そしてグレシャムの法則の方は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来しています。これを19世紀イギリスの経済学者・ヘンリー・マクロードが自著『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し「グレシャムの法則」と命名してできた言葉です。

他にも調べると、似たようなことは古代ギリシアでも行われていました。劇作家アリストパネスは、その自作の登場人物に「この国では、良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」という台詞を与え、当時のアテナイで行われていた陶片追放(オストラシズム)を批判していたといいます。

今の時代もまた似たようなものです。これは貨幣に限らないことは半世紀ほど試しに人生を生きてみるとよくわかります。市井のなかで、「本物」と呼ばれる自然な人たちはみんな私心がありません。世間で騒がれている有名な本物風の人ばかりが情報消費に奔走し、あるいは流通し、同様に消費されていきます。実際の本物は粛々と自分の持ち場を実践し磨き上げ場をととのえています。そこには消費はありません。

そういう人たちは、世の中では流通せずにそれぞれに徳を積み、そうではないものばかりが資本主義経済を拡大させていきます。そもそも人間の欲望と、この金本位制というのは表裏一体の関係です。そして金本位制を廃止してもなお、人間は欲望のストッパーを外してはお金を大量に発行して無理やり国家を繁栄させ続けようとします。すでに、この仕組みで動く世界経済は破綻をしているのは火を見るよりも明らかです。国家間の戦争も歴史を省みればなぜ発生するのかもわかります。

かつて国富論というものをアダムスミスが定義提唱し、富は消費財ということになりました。この辺くらいから資本主義の行く末は語られはじめました。如何に現代が新しい資本主義など世間で騒いでみても、そもそものはじまりをよく観ればその顛末は理解できるものです。ジャッジするわけではありませんが、歪みを見つめる必要性を感じます。

実際の経済とは、経世済民のことです。その経世済民を支えるものは、相互扶助であり互譲互助です。つまりは、人は助け合いによって道と徳を為すとき真に富むということです。この時の富むは消費財ではなく、絶対的な生産であり、徳の醸成です。そういうものがないのに経済だけをブラッシュアップしても片手落ちです。

本来、テクノロジーとは何のために産まれるのか。それはお金を増やすためではありません、世の中を調和するためです。だからこそ、どのように調和するかを考えるのが技術まで昇華できる哲学者たちであり、思想を形にする実践者たちです。

私はその調和を志しているからこそ、ブロックチェーンで三浦梅園の生き方を発信していきたいと思っているのです。そこには先人への深い配慮や思いやりが生きています。

先人たちのこれらの叡智、そして知恵は何世代先の子孫のために書き綴られそれは魂と共に今も私たちの中に生きています。少しでも子孫たちの未来が今よりも善くなるように私の人生の使命を果たしていきたいと思います。

剣聖の生き方

生涯無敗の剣聖として有名な、「塚原卜伝」(つかはらぼくでん)がいます。有名な言葉に「戦わずして勝つ」という教えがあります。もともとは、日本の戦国時代の剣士、兵法家で父祖伝来の鹿島神流(鹿島古流・鹿島中古流)に加え、養父祖伝来の天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新當流を開いた人物とされています。

下剋上、裏切り、謀反、暗殺、と生き残るためには手段を選ばない戦国時代に人を殺す剣ではなく、人を活かす剣を貫いた生き方をした剣豪でした。

この無手勝流の奥義、戦わずして勝つというものがどういうことか。それが色々な説話からも残っています。例えば、家督を3人の養子の誰か1人にその家督を譲る際にも「無手勝流」でやりました。ふすまを開けると木枕が落ちる仕掛けで3人を試し、次男と三男は剣を構えて木枕を斬ったが、長男は仕掛けを見抜いて先に木枕を取り除いたので、長男に家督を譲ったとあります。戦いとは戦略ともいい、戦略は戦いを省く知恵ともいいます。戦わないで済む方法を持つ者こそが、真の剣豪であるとしたのかもしれません。

また他にもこういう説話が残っています。これは塚原卜伝に弟子入りを志願した人との対話です。

弟子入りの志願者は「剣術を習いたいので入門を許して下さいませんか。私は一所懸命に修行します。どれくらいで免許皆伝していただけますか」と。それには卜伝は「一所懸命にやれば、5年で免許皆伝になるじゃろうよ」そしてまた「では、寝食を忘れて修行に打ち込めば、何年で免許皆伝になりますか」と尋ねると、卜伝は「寝食を忘れてやれば、10年で免許皆伝になるじゃろうよ」と。さらに「それじゃあ、死に物ぐるいで修行すれば、何年で免許皆伝になりますか」と最後に尋ねると卜伝は「死に物ぐるいでやれば、一生、免許皆伝にならんじゃろうよ」という話です。

通常であれば、必死に頑張れば頑張るほどに早く免許皆伝できるだろうと考えます。特に弟子入りする人は、早く免許皆伝するのはどうすればと考えるものです。そういう気持ちもあって色々と尋ねたのかもしれません。しかし卜伝は、本質で応えます。

「一所懸命で5年、寝食を忘れて修行すれば10年、死にもの狂いは一生無理」という話。これは今でも通じている知恵の一つです。中庸というものは、執着と離れたものです。そして私心が出れば出るほどに悟りは遠ざかるようにも思います。

如何に、私心を離れていくのか、

生涯無敗という意味の奥深さをその生きざまから感じます。塚原卜伝の教えは国に平和をもたらす剣であったといいます。真の剣豪、そして剣聖とはどういうものか。

今の時代も学ぶところばかりです。生き方を学び直し、徳や聖というものの生きざまも磨いていきたいと思います。

徳あるものは永遠に生きる

山本玄峰先生という方がいます。百万遍念仏のことを調べていて知ったのですが、素晴らしい生き方をされ示唆をいただいております。終戦にも深く関わっておられ、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」という言葉に影響を与えた人物としても知られている方です。

多くの政治家をはじめ、リーダーたちを指導して国を導きました。まさにあの頃の国師のような存在です。

この山本玄峰先生は、若い時に失明を宣告され絶望をして死地を求めてあらゆるところを探し回りました。そしてどこでも死にきれず、四国巡礼の道を開いた弘法大師に願をかけ「自分は死にきれずここまで来ました。私が少しでも世の中の役に立つものならば、結縁をおさずけてください。役に立たなければ、早く命を引き取って下さい」とお遍路に最後の希望を懸けました。

そして7回目の巡礼の三十三番目の高知県の雪蹊寺(せっけいじ)の門前でついに行き倒れました。その後、無銭宿泊所の「通夜堂」で、3、4日過ごしついに出家を決意して同寺の太玄和尚に相談します。

「自分は紀州の山奥で育って、目も見えず、読み書きもできませんが、坊さんにしていただけますか」と。

すると太玄和尚は答えます。

「いくら目が見えても、障子一枚向こうは見えない。いくら耳が聞こえても、一丁先の声は聞こえない。目や日が悪くても、心の眼が開けたならば、世界中を見渡し、天地の声を聞くことができる。葬式や法事をする坊さんにはなれなくても、心の眼が開ければ、人天の大導師になることができる。これは誰にでもできることだ。お前でもやればできる」と。

その後は、すべてを手放し出家して修行にあけくれました。その師匠の言葉どおりの人物になり、葬式や法事をするためではなく、真理を開眼するような大導師になったのです。

その山本玄峰先生は、こういう言葉を遺しています。

『力をもって立つものは、力によって亡ぶ。金で立つものは、金に窮して滅び、ただ、徳あるものは永遠に生きる』

何を拠り所にすることが、もっとも生きるのか。死を求め続けて、生きることの真の意味を悟られた先生の法の言葉は深く心に沁みます。

暮らしの中で禅で生きるというのは、暮らしのすべてで徳を積むということだと感じます。実際にはとても難しく、先達の偉業に深く尊敬の念がこみあげます。

今に集中して、暮らしフルネスで徳を実践していきたいと思います。

動物たちとの暮らし

私はむかしから動物好きで、子どもの頃の夢は動物園の飼育係になることでした。色々と周囲から反対され気が付けばその夢はなくなっていましたが大人になってから自宅で様々な動物を飼う機会に恵まれました。

動物を飼育するというのは、動物を最後まで責任をもって看取るところまで一緒に暮らしていくということでもあります。犬であれば、もう5代目になっていますが毎回、喜びも悲しみも共有しています。家族のように毎日、顔をみて体調を心配し散歩をししては暮らしを味わいます。そして私よりも先に年老いて死んでいきます。病気になれば、病院にいき、看病を続けます。何回も死んで気が付くと5代目になりましたが、それでも犬がいる暮らしの仕合せの方が悲しみよりも大きく、子どもたちが犬との暮らしを望むうちに増えていきました。

他にも、ご縁から猫を飼ったり今は烏骨鶏などもいます。やはり寿命が短いから、みんな看取っていきます。その都度、悲しみもありますが想い出は増えていきます。

飼育というのは、一言でいっても色々とあります。

動物をまるで物や機械のように、商売のためだけに利用して消耗させては交換すればいいと思っている人たちもいます。特に、現代は動物が人間にとって単なる消費材になっているかのような扱われ方をしているところが多くあります。

私の家の烏骨鶏たちは、環境も餌も自然のものばかりで広い場所でのびのびと育っています。もう十数年生きて、みんな高齢化で私が介護をしているような状態ですが鳴き声や存在にいつも癒されています。しかし以前、ある養鶏場を見学したら狭いところぎゅうぎゅうに入れられ、たくさん卵を産ませるようにストレスを敢えて与えて、抗生物質入りの餌や不衛生な環境で育てているところもありました。まるで物のように扱い、使えなくなったら捨てるか肉にして売るという具合です。

気が付けば、牛も鳥も馬も人間と長く一緒に暮らしてきた動物たちは人間の欲望によってその大切な生涯を奪われています。

本来は、すべてのいのちや生き物は公平に自分の生を自分らしく全うするように平等に生を与えられていました。それが自然の共生の原理です。しかし、今ではその自然の共生は崩れ人間がつくりだした仮想の社会が自然というように刷り込まれています。

動物に生まれたら、どんな一生を送るのが仕合せなのか。決して先ほどのように、物や機械のようにいのちを粗末に扱われたくないはずです。今の時代、こんなことを思うことすらもなくなってきましたが家に動物たちがいることで自分も気づきやすくなります。

動物とも共生するような暮らし、本来の自然との共生との生き方を敢えて取り組むことで動物たちと共に知恵を子孫へと繋いでいきたいと思います。

日本人の原点

改めて、お米というものを深めていますが改めて私たちはこの当たり前にお米が食べられることに感謝すべきであることがわかります。そのそもの日本での稲作のはじまりは日本神話に登場する瓊瓊杵尊だといいます。もともと天照大御神から渡された稲を瓊瓊杵尊が植えたところ稲が実り豊作となるというものです。

実際の歴史では米の栽培は約1万5千年前にアジアの東南部地域であるインドのアッサム地方、中国南部雲南省からタイ、ミャンマーあたりで始まったと考えられているといいます。インドのシヴァ神などが合体した大黒天などもお米の神様とされているのもわかります。

他にもお米の神様は七福人であるとか、大国主命の御子神七人とか、「水、土、風、虫、太陽、雲、作り手」の七人であるとも言われます。

もともと元氣という字もあるように、そこには米の力宿っているという意味の字があてられます。この多くの神様が宿るお米は、私たちにご神氣を与える存在として何千年も前から大切にされてきました。

長い時間をかけて、私たちの身体はお米を食べてきたからこそ、そのお米を神様のように大切にお祀りして食べ続けてきたのでしょう。

そういう意味でも、当たり前ではないことを忘れないようにしたいと思います。

もう少し歴史を深掘ると、本来は日本では赤米というものが明治時代まで主流でした。赤米は邪馬台国や大和朝廷への献上米として栽培されてきたと文献にも残っているほどです。それを明治政府が、赤米は雑草だと言い出し失われていったといいます。この明治政府は、またかと思うほどに日本の元々大切にしてきたものを破壊しまくりました。

さて話をまたお米に戻しますが、今では白米が当たり前ですが本来は玄米を私たちは食べていました。江戸時代くらいから白米が流行りだし、また明治頃には白米が主流になっていきます。しかし玄米を食べなくなって脚気という病気が流行します。脚気とは、ビタミンB1欠乏によって末梢神経障害と心不全をきたす疾患です。その後、昭和初期から20年にかけて、玄米食が見直され昭和20年には国によって玄米食を推進するようになります。

現代もこのビタミンB1欠乏症が増えているといいます。お米を食べなくなることで、色々な問題が発生するのもこの歴史を紐解けばよくわかります。

引き続き、お米に関われることに感謝して子どもたちに日本人の原点を伝承していきたいと思います。

お憑かれさま。

なんでも言い合える関係というのは有難いことです。色々な苦労をして辛酸をなめる中で、誰にも言えないような苦労があることがあります。真心を盡すなかで真摯に全身全霊で取り組んでいるなかで理不尽な目にあい、酷い目にあうこともあります。

特に人間社会においてはそれぞれの立場があったり、思想も時代背景も価値観も異なりますからすべての人が一つの正解であることはありません。それぞれの違いを乗り越えて尊重しあうためには、謙虚さや配慮も必要になります。

しかし人間は誰しも未熟ですから、持ちつ持たれつそしてねぎらい合いながら前に進んでいく存在のようにも思います。完璧なものなどはないからこそ、ある意味でもたれ合いながら助け合うようにも思います。そういう意味では私たちはみんなで、ねぎらい合う文化をもっているともいえます。日本人がよく使う、お疲れ様でしたというのもまたねぎらい合いの文化がその言葉を日常的にしたのかもしれません。

もともとこの「お疲れ様」というものを調べてみると、語源は「お憑かれ様」だといいます。何かにとり憑かれるという意味で、あまりよい言葉ではありません。むかしから、先祖供養を怠り、色々と感謝を忘れると変な霊に取り憑かれて不調になると考えられてたといいます。

そうやって不調になれば、元氣がなくなるので「お憑かれ」というようになりそのうち漢字が変化していって「お疲れ」という表現になったといいます。

本来は、元氣がない状態などは存在しないような日々の暮らしがあったということです。それが現代の忙しくなり、労働が過重になり、自然のリズムからも遠ざかった生活のなかでみんな「憑かれ疲れて」しまったのでしょう。

ねぎらい合うというのは、それだけ憑かれて大変でしたねという意味ですが憑かれている人たちが増えているからそれだけみんなねぎらい合いばかりの日々を過ごしていくのでしょう。

憑かれているのを祓うことが、この時代には必要だと私は感じます。それは浄化ですが、これは決して精神世界や宗教の話ではなく、ちゃんと自分を取り戻すことであり、本来の自分でいられる場所を用意することです。

私が取り組んでいる場には、このねぎらいがあるように思います。ねぎらいのねぎは、禰宜と同じ意味でねぎらうお役目の人のことです。私も気が付けば、禰宜のようなことばかりをやっています。

子どもたちに、どんな時代でも環境でも自分のままで自分らしくいられて元氣を発奮できるような居心地のよい場を甦生し譲っていきたいと思います。

純善たる伝承

レッジョエミリア教育というものがあります。これは、イタリアのローリス・マラグッツィという人物の思想や実践が一つの形として表現されたものです。

もともとこのレッジョエミリアは、第2次世界大戦後1946年の北イタリアの町の名前です。その街の郊外のヴィラ・チェラという村でガレキの中から復興を志し、幼児教育に力を入れようと熱心な親や町の人々が教育者、専門家と一体になって立ち上げたことがはじまりでした。このチェラでは、戦後に住民たちが戦争で残った石やレンガを使って、幼稚園を建てるためにドイツ兵が残した戦車やトラック、馬などを売って運営資金にしていたといいます。その後の数年間でレッジョ・エミリアでは女性たちを中心にして60にも及ぶ幼稚園が開園・運営されました。

戦争で子どもたちを保育する場所を自分たちの手で母親たちが主体的に復興するのです。そしてようやく1963年にイタリアで最初の公立の幼児学校がこのレッジョ・エミリアで誕生しました。そこから公立の幼児学校はイタリア全土に広まっていきました。

そもそもイタリアは元々昔から地方分権が強い場所でレッジョ・エミリアはファシスト政権に対する「レジスタンス運動」の本拠地で市民たちの自治意識が高い土地だったといいます。

その当時、教師やジャーナリストとして活動していたレッジョエミリア教育の中心となるローリス・マラグッツィは地域の教育活動に尽力していきます。

このローリス・マラグッツィは「100の言葉」という詩を書きその理念や哲学の中心になるものを残しました。そこにはこうあります。

「子どもには 百とおりある。
子どもには 百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方 驚き方 愛し方 歌ったり理解するのに 百の喜び
発見するのに 百の世界 発明するのに 百の世界 夢見るのに 百の世界がある
子どもには 百のことばがある…それからもっともっともっと…

​けれど九十九は奪われる
学校や文化が 頭とからだを ばらばらにする

そして子どもに言う 手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい 話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい 愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ

そして子どもに言う 目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち 九十九を奪ってしまう

そして子どもに言う 遊びと仕事 現実と空想 科学と想像 空と大地 道理と夢は 一緒にはならないものだと つまり百なんかないと言う

子どもはいう でも 百はある 」

自分なりの意訳ですが、それぞれの子どもにはそれぞれの子どもの人生がありその人生には正解などなく、それぞれに自分らしい人生があるということのように思います。この時代、いや今の時代も、子どもが真に尊重されているかといえば教育はその真逆で今でも軍隊のように権利を奪われ、画一的に個性をつぶし、あるいは大人の都合で子どもが主体的に自分のままであることを認めないものばかりです。

「子どもは無限の可能性をもち、あらゆる権利を持っている。そして、それは誰にも奪われず、主体として大切にすることが教育のあるべき姿だ。」とローリス・マラグッツィは静かに諭します。

その後、1991年に「ニューズウィーク」誌は、レッジョ・エミリアのすべての市立幼児教育センターと保育園の代表として紹介し園長を務めたディアナ保育園を世界のベスト10校の一つに挙げました。今では、グーグルやディズニーでも採用され世界中に実践が広がっています。

そう考えてみると、日本ではどうでしょうか。

どのような保育こそが、真にその子どもの主体性を保障し、無限の可能性を奪っていないのか。私は自然農法なども行い、暮らしフルネスを実践しますが日本人はいのちとの繋がり、つまりは物も人もすべていのちの顕現したものという意識を持ちます。

本来は、子どもがもっとも世界で仕合せに暮らす国だったように思います。そういう文化の国が西洋からの古臭い教育で色々な歪が出てきました。今一度、本来の日本にある伝統の教育を今に甦生する時機に入っているように思います。

私が実践する暮らしは本来の日本の保育そのものです。それを大人がまず実践することで、子どもたちにその保育を伝承することができます。大人か子どもかではなく、共に生きる、つまり一緒に暮らすことで実現するのです。これは働き方と生き方の一致でもあるし、過去と未来と今の一致でもあります。

いのちの共生、ものも人もすべて繋がっている場をつくりだす。これが日本式の子どもを育てる伝承法である。それを純善たる伝承とも呼ぶのでしょう。

時機が到来していることに仕合せを感じつつ、かんながらの道を真摯に力強く動き出していきたいと思います。