猪突猛進?

昨日は、自然農の畑に今年2回目の妙見高菜の種を蒔きました。昨年は、虫に食べられさらにはイノシシにあちこち掘り起こされ見るも無残な状態でしたから今年は丁寧に見守りながら畑の手入れをしています。

しかし昨日、また見に行くとイノシシが鉄柵を2か所突き破り、突き破ったところから反対側の柵まで一直線に猪突猛進しているのが痕跡に残っています。何回も突進したというよりも、一度の突進で鉄柵が曲がっていましたからすごい力です。

ちなみにこのイノシシとはニホンイノシシのことです。

イノシシは成獣で、体長は100cm~170cm、体重は80kg~180kg程度の大きさになります。 体毛は明るめの茶褐色~黒褐色をしていて、色は個体差があります。そして走れば時速40km、垂直ジャンプならば1m以上を飛ぶという脅威の身体能力があります。さらに大抵の生物は鼻先が急所ですが、イノシシの場合は鼻先は強靭な武器です。 その硬い鼻先で重さ70kgの岩をも動かします。さらには泳ぎが得意で、犬かきのような動きで池や川を、時には海を泳ぐこともあるそうです。毎年中国地方から四国まで瀬戸内海を泳いで渡るイノシシも発見されています。すごい野性ぶりです。

そしてニホンイノシシは雑食性で普段は植物性のものを食べていて秋になれば冬を越すためにドングリなどの木の実、果実、タケノコ、地下茎、芋などを食べ体力を蓄えます。 動物性のものでは、ヘビやカエル、ネズミ、ミミズ、土中の幼虫などを食べます。

イノシシの天敵は、幼少期はキツネや野犬、フクロウ、カラスなどですが成獣になってしまえば現在の日本においては敵なしです。昔はオオカミがいましたから、成獣でも天敵がいたかもしれませんが今では鹿と同じく増え続けています。

このイノシシにまともに立ち向かっても勝てないので、対策として鉄柵をしましたが頭もよく賢いのでこうも毎年破られては大変ですから色々とこちらも相手のことを調べては知恵比べをしています。畑の中にあるサツマイモが狙いみたいなので、収穫までが勝負であとは柵を破ってこないのでこの先また破られたら来年は別の場所にサツマイモだけを移動させていこうと思います。

文献を読み進めると、農耕社会がはじまってからイノシシやシカによる農作物の被害はずっと続ているようです。江戸時代の文献では、戦国時代くらい前からの鉄砲による追い払いや鹿威しの設置など、さまざまな対策が取られています。

人間の数が圧倒的に増えてからかもしれませんが、お互いの境界線を超えて生息地域が重なるとお互いをどう尊重していくかが課題になります。人間だけが生きているわけではないのだからどう調和していけばいいか、色々と考えは尽きません。

引き続き、7年目になる妙見高菜を見守りながら自然から学び直していきたいと思います。

 

 

木と水はいのちの父母

以前、佐賀の老舗漬物店で譲っていただいた50年前の奈良漬けの大樽を加工して聴福庵のお風呂に甦生したのはブログで紹介しましたがその際に半分に切ったものが桶屋さんに置いたままだったのでそれを受け取りにいきました。

だいぶ壊れてしまいましたが、これをまたみんなで別の活かし方がないかを考えて甦生していきたいと思っています。

昨日は桶と樽の違いについてじっくりと話をお伺いする機会もありました。最近ではあまり見かけなくなった桶や樽には、その用途にも違いがります。簡単に言えば日常の暮らしの中で身近に置いてあるのが桶です。そして樽は、酒・醤油などを入れ、保存・運搬などどちらかといえばお店や業務用として用いられました。

また樽は蓋が閉じられた容器が多いのに対し、桶はおひつや寿司桶など蓋が閉じられていない容器であることが多いです。また側板に板目板を使うのが「樽」であり、柾目板を使うのが「桶」になります。この板を横に切るか縦に切るかは木の特徴を活かし、水が滲み出すか滲み出さないか、蒸発するかしないかなど見極めています。

そうしてみると酒樽や醤油樽は、水を用いますから水が滲み出さないように板目でなければなりません。そして水を長期間保管し長く使うものだから樽となります。そして桶は水気をなるべく通し乾かすためには柾目であった方が水が滲み出し使い勝手がよくなります。また鉋をかけて表面を滑らかにし、乾きやすく短時間何回も使うものが桶になるのです。

桶職人や樽職人は、木の職人ですが木を活かす精神を持つ日本文化にとって本当に譲り遺したい大切な技術を持った方々であるのを改めて感じます。現在は中国をはじめ東南アジアから機械で大量生産され表面を化学塗料でコーティングされた桶がたくさん輸入されて価格が壊れて古来からの伝統の技術も職人さんたちも失われてきています。私たち日本人が本物に触れて日本の文化を守ってほしいと祈るばかりです。

また最近は日本文化を深めていると、この日本が木と水によって醸成されてきたのがよく分かってきました。森を活かし杜を守る、神社がこれだけ全国各地にあり土地の水と木を大切にしてきたのはこの日本の風土の中心に常に「水と木」があるからです。

この森は、あらゆる生き物たちを活かす存在です。そこから流れていく水が、最後には海のあらゆる生き物たちを繁栄させていきます。森があるから肥沃な風土が豊かになり、木の一つ一つがその森の役割を果たします。私たちの親祖が山をカミとし、山を守るのはいのちの源を育む生き物たちの父母なる存在であるためにです。木と水はいのちの父母であるからその信仰もまた山から起きるのは山には結びやいのちの原点が存在しているからです。

話を戻せば現代は便利な石油製品が出回り、プラスチックや金属、コンクリートで埋め尽くされましたが本来は林業を通して私たちは里山での暮らしを実現させ木や水を上手に活用して自然の豊かな恩恵をいただいて末永く生きてきた民族であったともいえます。

その智慧の結晶ともいえる代表的な道具がこの樽や桶であり、この道具を通して私たちは先祖の生き方や智慧を伝承してきたともいえます。そしてまさに自然循環の道具のシンボルともいえる桶や樽が身近にあるのは私たち日本人が古来より循環の中で水と木と共生してきた民であるというシンボルでもあります。

聴福庵には、100年以上前の桶がいくつもありますが改めて懐かしい道具に触れることで心が安らぎます。失われていく日本文化の中で、失われずに残っている日本文化の伝承者としての職人の皆様の踏ん張りに心が打たれます。私もその道具や智慧や生き方を学び直し、後世の子孫たちに先祖たちの偉大な真心や智慧を譲れるように真摯に実践を積み重ねていきたいと思います。

無常流転

世界というものはお互いに影響を与え合ってそれぞれの文化を高めていくものです。国の違いを超えて、また人種の違いを超えて、私たちはお互いから学び合い、水が万物を融和していくように一つのものになっていきます。

この文化を融和するというのは、振り子のように右へ左へと揺れ動く中でどこが中心であったのかを知ることに似ています。あるいは、螺旋のように円く回っているようで確かに上下に巡りながらどこが中心であったのかを知ることに似ています。

同じように行き来しているように見えても、それは単なる行き来ではなく其処には確かな文化の融和があるのです。歴史というものも等しく、私たちはいろいろなことを体験しその体験を融和しながら文化を創造し続けていきます。まさに諸行無常であり、万物流転しているのです。

この無常流転の仕組みは、中心に「いのち」の存在を感じるものです。

私たちはカタチがあるものにどうしても囚われがちですが、カタチがないものの中に中心があります。すべてが調和している場所、すべてのバランスを司っている空間、そこに全ての中心が存在しています。

この存在があるから無常流転が繰り返されるのであり、この存在の周りで私たちは様々な体験や邂逅を経てお互いに影響を与え続けてその中心を存続し続けるのです。

つまりその存在とは何か、それは心です。

文字通りこれは心が中であると書いて「中心」と読みます。

この心が無常流転の正体であり、私たちは心を中心にして万物が流転していることをはじめて自覚自悟することができるのです。

自己の対話や、世界との調和を繰り返していく中で私たちは心を育み続けていきます。自己とのバランスが崩れれば世界もまた不調和になります。調和と不調和もまた心のなせる業です。

禅の教え無門関第十九則に「平常是道」があります。

この公案の私なりの答えは、道は心の中であるということです。

引き続き、心を澄まし魂を磨き道を精進していきたいと思います。

天との対話

老師の遺した有名な言葉に、「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失。」があります。これは「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ら来り、然として善く謀る。天網恢恢疏にして失わず」という意味です。

天に問い、天が見ているとし、ありのままであるがままに生きる人は正直の徳を磨いていきます。この正直の徳とは、自分の心を天に映す鏡として鑑照する生き方を実践していくということです。

私が尊敬する吉田松陰は、その辞世の句で「吾 今 國の爲に死す 死して 君親に 背かず。 悠悠たり 天地の事 鑑照 明神に 在り。」といいました。

これは意訳すると「私は今、故郷の国のために命を捧げ死んでいきます。私は死ぬに際しても親祖や恩君へ対する道に背くことはありません。悠久に続く天地のことだからこのことは天が観てくださっている、八百万の神々、どうかご鑑照ください」と。

天が観ているという心境は、自分にとっての都合や損得、その他の利害などを優先しているのではなく文字通り天に問い天が見ているとし天の基準に沿って歩んでいくという道の生き方です。

天が見ているという生き方はとても明るくのびのびした精神を持っています。そこには自己を中心に裏表があるのではなくそのままの自分を天に見てもらっているという偉大な安心感を持っています。

自分の心に正直であるか、自分の心は真心のままであるか、それは自分ではわからないものです。だからこそそこを天に問い、天がどうなさるのかの判断にゆだねて任せて生きていくのです。

私自身もいつも真心で生きたいと思っていますが、果たしてこれが真心であったのかどうかわからないことばかりです。しかし天が見てくださっていると信じて、天の判断に任せてそれをすべて受け入れて受け止めると覚悟を決めて歩んでいけばそのすべては天の采配であったと直観し、これでいいとすべてを丸ごと受け容れることができるように思います。

この天の采配とは、偉大な天の真心に触れるということです。

吉田松陰は生き死にが判断基準で良し悪しを考えたのではなく、まさに天の采配のすべてを信じて道を貫いたのでしょう。

最後に、常岡一郎氏にこんな言葉があります。

「宝物は大切にされる。危険なところに置かないように心を配る。人の世の宝と仰がれる人がある。そんな人は自ら求めてなくても大切にされる。心の使い方の美しい人はよい運命に守られている。危ないところから遠ざけられている」

吉田松陰は俗世にまみれてなお魂を磨いて俗世の穢れを取り払い、澄んだ心を磨き切った宝だったように思います。今でも大切にされるのは、その心の使い方が美しかったからです。生き死にが問題ではなく、天命のままにやり遂げたというところに運命から守られたという余韻を感じます。

このように死してなお今でも燦然と輝き続ける吉田松陰の魂のように、天は必ずその人の天命に沿う生き方を未来永劫変わらずに応援してくださいます。私の歩んでいる道はかんながらの道、悠久の八百万の神々と共に往く道ですから常にその古の神々がいつも見ているとし天との対話を続けて歩んでいきたいと思います。

生き様

人間はその時々において学び方というものがあるように思います。例えば、様々な知識を詰め込んでいろいろな人に会って智慧を獲得していくという学び方があります。そしてその学んだ智慧を今度は、後に続く人たちやこれから学ぼうとする人たちが獲得できるように伝承していくような学び方もあります。

学び方というのは、つまりは道ともいいますが古来より受け継がれていくものであり知識や智慧というものは伝承されて次世代へと紡がれていくものです。

それを伝統文化ともいいます。

この伝統文化は辞書には「世代を超えて受け継がれた精神性」「人間の行動様式や思考、 慣習などの歴史的存在意義」と書かれています。

学び方というのは、生き方ですからその人の生き方が伝統として世代を超えて受け継がれていきます。

何を遺していくか、何を次世代へと譲っていくかと考えるときに、私はこの伝統文化の価値の偉大さを感じます。

会社や組織は、もって100年とも言われます。日本では300年以上続く老舗が400社以上あるともいいます。形あるものはいつかは必ず滅びますが、日本ではそういう伝統の精神が引き継がれて今にまで続くものが多いといいます。そこには道があり、その職種職業にも生き方があったからに他なりません。

例えば親祖の伊弉諾や伊弉冉をはじめその後に和を理念とした聖徳太子、国風文化の礎となった菅原道真などの生き方は、世代を超えて今でも私たちの暮らしや思想に影響を与えています。名前をいちいち思い出さなくても自然に自分たちの血肉となり精神となりいつまでも私たちの生活を見守り続けてくださっているようにも思います。

この伝統文化の偉大さというのは、生き方が継承されていくということです。

自分の生き方を遺すという偉業は、遠くの先まで観通し長い目で観て今何をすべきかということを問い、先人からの智慧を次世代へと揺るぎなく紡いでいくための徳行でもあります。

自分の身の心配よりも、世代を超えて子孫たちのことを慮る心はすべて思いやりから発心しているものです。

こういう志事に関われることは人生の一大事であり、何のために生まれてきたのかという答えを生きていくという生き様です。

引き続き生き様を優先し、その生き方を貫く人たちを支え、自らのその学び方生き方を高め続けて精進していきたいと思います。

 

活かし合う社會

もともと人はそれぞれに価値観が異なります。生まれ育った環境から、あるいは遺伝子の繋がりから、あるいはもって生まれた天性もあり性格なども異なります。その価値観の異なりは文化として出てきては、それぞれの個性、持ち味としてそれが社會の中でお互いに有効に活かしあいます。

これは自然界でも同じで、一つの植物は他を活かし、また一つの虫もまた他を活かし、お互いに異なりながらも活かしあう存在して自然は社會を創造しています。そこには一つの価値観だけで他を排斥するようなものはなく、お互いに必要な存在であると認め合っていることが大前提にあります。

その大前提が人間中心主義で崩れれば、人間以外のものは尊重しないという価値観があたり前になってしまいます。そうすると、何が自然で何が不自然かが分からなくなります。

現在、人類が大きな分岐点に来ているといわれるのはこの自然からの乖離が顕著になってきたことが原因だと私は思います。西洋から入ってきた人間中心主義が蔓延し、自然に活かされているということを忘れ、お互いを尊重し合うことをやめたことが加速度的に人類の危機を高めてしまっているように思います。

国家間においても、共異体であることを認めようともせずグローバリゼーションの名のもとにお金を用いて一つの価値観に塗り替えてしまおうとしていますが、それをすればするほどに多様性は失われより自然は破壊されていきます。

本来、それぞれの持ち味や価値観の違いはお互いを活かしあう上で大変重要な自然の摂理ですからもっと異なることを大切に他を思いやり排除するのではなく共に異なるままで活かしあおうとした方が自分が生き活かされる美しい社會が創造されます。

人類の未来のためにも、子どもたちの未来のためにもまずは自分の中にある刷り込みを取り払い、周囲の環境を改善し、実践によって気づき合えるよう学びを深めていきたいと思います。

職人の志事

昨日は無事に聴福庵の床の間に、砂鉄塗の壁が塗り終わりました。たくさんの左官職人さんたちが見守る中で、一人の左官職人が真摯に壁に向き合って黙々と塗っていく姿には深く心が打たれるものがありました。

職人の志事に取り組む姿勢、まだお若い方でしたが親方について学び、親方が見守る中で真剣に塗っている様子に講習を受けていた他の左官職人さんも次第に目が奪われていくのがわかりました。

職人たちはまるで本物の家族のように温かい感じがして、一緒にいるととても居心地がよく、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。みんなで同じ道に生き、同じ釜の飯を食う、こんな当たり前のことが懐かしく感じるのは、それぞれが日本文化そのものの受け継いで根っこがつながっているからかもしれないと感じられました。

みんな言葉は少なくても、それぞれが材料をつくってみたり、調合を変えてみたり、また塗り方を試してみたり、正解のないものの中からもっともその素材を活かしどのような壁にするのかを研究して周りをみながら研鑽を積んでおられました。

今回、来庵された左官職人さんたちはほとんどが独立してそれぞれの場所で左官仕事を請けておられる方々ばかりでした。日ごろはみんな離れていますが、お互いにみんなそれぞれの持ち場で真摯に挑戦し努力していると思えるから存在そのものが励みになるそうです。

そう考えると、師や仲間の存在があるからその人はさらに向上していこうとする。道の中で誰に出会うかどうかは、その人の生きる姿勢で決まります。

働く姿勢は、そのまま生きる姿勢なのです。

昨日の道場では、心構えをまず親方の姿勢から学び、技術はそれぞれの現場で日々に真摯に磨き、その実践を身体と行動で示す。その生き方を確認する機会であったように思います。

昨日も道具に対する姿勢について、たとえ年上であってもそれは間違っているとその道具への姿勢を叱責したり、あるいは火加減一つにしても厳格に指導したり、あるいは塗りにくくないかと配慮をしたり、あるいは弟子の悩みを朝からじっくり聴いてアドバイスをしたりと、そこには気づきと学びが凝縮された場が醸成されていました。

今回の体験で、左官職人たちがあのように自ら学び、自らが主体的に同じ道の上で切磋琢磨していく姿に本来の学校のあるべき姿を感じることができました。

なぜあのようになるのかをもう一度見つめ直し、日本古来からの精神の伝承、さらには文化伝承の仕組みを引き続き紐解いていきたいと思います。

砂鉄の壁は、紫黒の中に星がキラキラと煌めき、陰翳の中で瞬いている宇宙のようです。この宇宙空間の中に、私たちも存在させていただいていることを改めて悟り、このことを忘れないでいようと初心を定めました。

今回の左官講習ご縁に深く感謝しております。それぞれがお元気でお志事に邁進し、皆様にいつの日かまたお会いできるのを楽しみにしております。本当にありがとうございました。

道の師弟愛

昨日から聴福庵の床の間の砂鉄塗のための準備を、各地の左官職人さんたちと一緒に行いました。夜はそれぞれ自己紹介をしながら左官の仕事や生き方について語り合う豊かで味わい深い時間を過ごすことができました。

若い職人さんたちはみんな一生懸命で、親方の指導を受けて真剣に土の配合や塗り方などを学び取っていました。親方も弟子たちや左官職人さんたちの持ち味や性格を見抜き、それぞれに必要なアドバイスやまた励ましをしていたのが印象的でした。

そこには単なる技や能力を教えるのではなく人間としてその弟子たちや職人たちが健やかに成長していくのを見守っているようにも感じ親方の愛情と仲間たちの親愛の情に心が温かい気持ちになりました。

親方というのは、その道を究めその道で先を生きた人です。その親方が自分の歩んできた道から、葛藤し悩む弟子たちに生き方を語り、その姿でこの仕事の美しさや使命感、さらには何が人生において大切なことであるかを優しく諭します。そこに兄弟子や指導を受けた先輩が、他の未熟な弟弟子たちに「親方の顔に決して泥を塗るなよ、つまらない仕事をして名前を汚すなよ、心構えが甘いものや幼稚な技能をやるなよと本気で研鑽を積むように」と親方がいないところで厳粛に指導しておられました。

こうやって職人たちはその場で一緒一体になって、心技体を学びます。優しく穏やかに見守る親方と、厳粛に指導する先輩職人、そしてそれを受けて生き方を見つめる若弟子の姿、この伝承の学び合いの美しい瞬間に立ち会えて仕合せな気持ちになりました。

今の時代は、一般的な会社では師弟関係などはありませんしあくまで仕事とプライベートは分かれていますから生き方や働き方まで指導してもらおうなどとは思ってもいない人が多いでしょうし、何かあればパワハラなどと言われ遠慮してあまり深入りしないのが今の世の中の風潮です。

しかし道に入るというのは、生き方を変えるというこですから師は弟子に本気で愛情を注ぎますし、志を持った弟子はその愛情を受けて必死に育とうとします。師弟愛というのは、教育の原点であり、伝承の要諦です。

最後に、ある若い弟子の一人が今の左官の仕事は大きな会社の下請けでモルタルばかりを塗り自分のやりたい伝統の土壁や古来からの左官の仕事ができず煩悶し葛藤している人がいました。親方が、その状態を見守りながらあなたがどうするかとその弟子が覚悟を決めるのを寄り添い見つめているのを感じました。その若い弟子は、「親方に出会わなければ一生私はこんなことにも悩むことはなかった、土(生き方)に出会えたのは親方とのご縁があったから」と仰られていました。確かな「導き」を感じた瞬間に、伝統が伝承されていく心安らかな思いがしました。

最近は私も人生の後半に降りていくなかで特に日本人の次世代の未来のことばかりを考えるようになりました。

子どもたちには「生き方を学び直すことで道は拓ける、その生き方を一つでも多くこの世に遺したい」と願い祈るばかりです。

子どもたちが健やかに自分らしい人生を歩み、日本の先人たちの智慧や文化に見守られ根とつながり仕合せに花咲、実をつけ、種になれるよう、引き続き私の天命に従って遣りきっていきたいと思います。

永久の間(トコノマ)

明日、いよいよ待ちに待った床の間の壁の砂鉄塗が行われます。1年半越しに、準備をし伝統の左官親方とお弟子さん、また技術を学びたいと各地から左官職人さんが来庵され文化伝承の場として使われます。

この床の間への私の思い入れは大変強く、この床の間の甦生は暮らしの実践の中でも特に重要な意味を持っています。最近ではマンション住まいになり、床の間がなくなってきた家が増えていますが私たちの先祖は常にこの床の間に神様を祀り大切に暮らしを積み重ねてきました。

改めて床の間とは何かと説明すると、一般的には和室の一隅が一段高くなっているところで掛軸や置物、生花などが飾られています。しかし本来の床の間は、16世紀頃に登場した書院造りに取り入れられた「主君の座」だったといいます。そこは神聖な空間で、またハレの場であり、その主人そのものが顕現する場です。

この「トコ」という響きは、「トコシエ(永久)」、「トコヨ(常世)」と同じ音を持ち、古来から「永遠」という意味で語られます。一家の求心力や、一族が絶えることなく永久に続く象徴そのものが「床の間」であり、この床の間こそ家全体の中心であると私は思っています。

またかつての暮らしがいまでも色濃く残る沖縄では、「床の間は屋敷を守る男の神様がいる神聖な場所なので、床のある和室を一番座と呼び住宅の中で最も高貴な場所である。」と言い伝えられています。実際に、明治頃までは、床の間には神様が宿ると信じられ、神様が依り代になるものを設置し、そこに神様が入ってきてくださる空間であると信じられていました。

実際に、空間という字は、「空」と「間」からできている言葉です。これは入れ物のことであり、器を示します。神様がどれを依り代に降りてこられるか、次々に家の中に入ってきてくださる八百万の神々がそこに鎮座し、その神様をお祀りしおもてなしする至高神聖な場がこの「床の間」であると私は直観するのです。

もっとも清浄で神聖なその永久の空間を、どのようにするかは聴福庵がはじまったときからの主人としての大きな命題でした。それが地球の星魂の欠片でもある砂鉄を用いることができるご縁が本当に有難く、感謝の念が湧いてきます。

この家の暮らしの中心の床の間の甦生は、すでにはじまった聴福庵の息吹と誕生の大きな節目です。これから子どもたちのために風土や初心を伝承していくために主人のいのちが入る瞬間です。

炭と鉄に見守られ、火と水に支えられ、心玉が磨かれて光り輝いていく日本刀のように和魂円満の永久の間を味わいたいと思います。

 

変化の要諦

人は誰にしろ自分の常識というものを持っています。それを価値観とも言いますが、自分の与えられた環境が当然としてそれを常識にしてしまうものです。またその人がそれまで育ってきた環境によって常識はより強く形成され、自分の見ている世界や考え方が正しいと思い込んでしまうものです。

そうやって思い込んでしまった常識は、環境が変わると取り払われるものもありますが思い込みが強い場合は無理矢理に自分の常識に当てはめようとしてしまうものです。そうすると、本来の姿も湾曲して理解したり、自分の常識と異なるものを批判したり否定したり、さらには常識に従うように強制したりするものです。

人間関係において意見がかみ合わず折り合いがつかないのもまた、自分の常識を捨てられず手放せなせず、お互いに思い込みで話が平行線のままぶつかり合うことのほとんどがこの常識を毀せないことが理由です。

常識が毀せないというのは、自分の価値観から外に出れないということでもあります。自分がこうあるべきと思い込んだり、誰かや環境にそうあるべきと思い込んでしまうとそれを当然であると無意識にそれを正当化してしまいます。そうやって一度正当化したものは、考えられることもなく当たり前のことですから間違っているかどうかなども疑問にも思わないのです。

本来、正しいかどうかや常識であるかどうかよりも大切なものが本質です。何のためにやるのかと、目的に応じて優先順位を定めていかなければ理に適いません。この理とはあるがままの実相を理解する力であり、理由や意味を常識に囚われずに素直に見極めることができる力でもあります。

常識に囚われたり自分の思い込みが強い人は、自分の価値観の視野から抜け出しませんから必然的に視野が狭くなります。その視野は、自分の殻を破れないという言い方をしたり、自分の思い込みの外には出ようとはしないとも言えます。行動範囲も視野に応じて狭くなり、創意工夫もまたマンネリ化して変化することができなくなります。

如何に自分の常識や価値観を毀していくか、そのためにはあるがままに素直に人の話が聴けなければなりません。人の話を聴く中で、鵜呑みにするのではなく相手の言葉に一理あることを学ぶ必要があります。そうするためには、その意味する理由、つまりは理念や目的を確認し、その本質に対して自分の価値観や常識を毀し続けていく変化を求めていく必要があります。

そしてそれは新しい自分の発見をし、新しい常識を創り続けていくことでもあります。自分の常識に世界を従わせようと意固地になり頑張るよりも、自分の方を新しい常識に合わせて変えていけばいいというのが変化のコツです。

そして変化のコツは、如何にその新しい自分になっていくのを楽しむか、古い自分を毀し、新しい自分に出会い続けていくかという自分の視野を広めて価値観を柔軟にしていくプロセスをたくさん持つということです。

一生の中で、狭い視野の中で居続けているとそのうち周りの環境の変化に取り残されていきます。頑なに自分の価値観や常識から抜け出さないように努力するよりは、思い切って自分の価値観よりも大切な理念や目的に向かって自分を変え続けていこうと思う方が楽しい変化に富んだ豊かで充実した日々が過ごせるように思います。

人は自分の価値観の器をどれだけ大きくできるか、如何に柔軟に自分を変え続けるかで人生の歩み方が変わります。もっとお役に立つようにと、もっとみんなの力になるようにと、目的や原点に対してサラリと変われる人はいつも本質的ですし自然体です。

引き続き、子どものためにせっかく夢に向かって挑戦していくのだから楽しく豊かに変化の日々を味わい尽くしていきたいと思います。