忘れないこと~実践の真価~

私たちはなんでも忘れていく生き物です。日々に情報量が多ければ多いほどに、かつての出来事は忘れてしまいます。これも一つの生存本能で、全部おぼえてしまえば膨大に混雑した情報を整理することができなくなります。言葉ができ本ができコンピューターができるように、今では脳の代わりを道具が担うようになりました。そこに情報を保存して溜め込み、それを取り出すことができるのです。

しかしそれも自分が在る程度は引き出すための情報を持っていなければ取り出すこともできません。つまりは、覚えている機能は自分自身なのだから主はあくまで自分であって道具ではないのは分かります。

そして何かの決断や判断をするときは、その膨大な情報量の中から自分の中で吟味し決心して物事を決定します。それは何のためにやるのかや、なぜこれをやるのかと、自分の心に尋ねてはそこからできる最善の決断を自分が下すのです。

それは初心とも言います。その初心は物事のはじまりであり、自分がそれを行うための動機の元です。原点といってもいいし、根本や本質、目的という言い方もします。その決断を下すにはシンプルな答えが出てくるものです。情報量がいくら膨大であっても、何のためにかと問うとき情報の束に隠れていた真実が出てくるように、かき分けてもっとも真底にあるものを探し出すのです。

しかしそれをまた見つけても、日々の情報量の塵や埃が降り積もりまた気が付くと見失ってしまいます。これは忘れてしまいますと言った方がいいかもしれません。まるで神社の参道に積る落ち葉のように、日々に掃除をしていなければ参道がどこであったかもわからなくなるほどです。

だからこそ神社では参道の掃除を神職の方々は欠かしません。それは初心や原点を忘れないための実践だからです。なぜ日々に塵や埃を自ら掃き清め洗い流し澄ませる必要があるのかは初心を忘れるからです。

情報量が多ければ多いほどに、どんな時も初心を忘れていないか、道を見失ってはいないか、一人慎み内省し、また初心に出会うのです。

理念など誰でも分かるし知っているという人も沢山いますが、しかしそれを片時も忘れたことはないと言い切る人たちはどれだけいるのでしょうか。人間の修養というものは、己に克つことですがそれは初心を忘れない人になるということのように私には思えます。

常日頃忘れないための実践とは、塵や埃にかぶらないように大切に守ることです。常に心の原点に回帰し、心の原点を忘れないために掃除のような実践、つまりは初心の実践を実直に守り続けることで忘れないように工夫していくことが最善のように思います。

人生は一度きりですから、大事な役割や使命を忘れないように実践を何万回と積み重ねて修業していきたいとおもいます。

生活人の智慧~郷中教育~

鹿児島には風土の教育文化として「郷中教育」というものがありました。この郷中教育とは藩内に「郷中」と言う数十戸で構成された自治組織を設けこの組織内における異年齢の子ども同士の間で学び合う仕組みです。

具体的には、六歳か、十歳までを小稚児と呼び、十一歳から十五歳の長稚児が生活万般のモデルを示す。さらにこの長稚児を指導するのは、十五歳以上の二才(にせ)と呼ばれる青年が担います。二才のリーダー格を二才頭(にせがしら)と言い、西郷隆盛はこの二才頭を務めていました。

所謂、「子どもの自治」を行うことで子どもたちをたくましくさせる仕組みがあったのです。今では大人が教え込まなければ子どもは育たないなどと刷り込まれ、知識や規範を厳しく躾けるようなことがいいように思われますが、かつて歴史で立派な人たちを沢山輩出した郷中教育では子ども同士の学び合いを何よりも重視しました。

そこには規則はありましたが、基本的には先輩がモデルを示し後輩を思いやり、己に克つための生き方を導いたリーダーが存在しただけです。非常に理に叶った方法で、異年齢による養育を行っていました。

その仕組みは、私たちの行う一円対話とよく似ています。磯田道史さんのニュースの紹介記事から抜粋していますがここにはこう書かれています。

「薩摩の子供は、まず早朝にひとりで先生(主に近所のインテリ武士)の家に行って儒学や書道などの教えを受けるのですが、誰を先生に選び、何を学ぶかは、子供が自分で勝手に決めていいんです。そして次は子供だけで集まって、車座(くるまざ)になり「今日は何を学んだか」を各自が口頭で発表します。決まった校舎や教室はなくて、毎日、子供が順番で、地域の家に「今日はこの家を教室に貸してください」と交渉します。社会性も身につきますよね。何より大事なのは、皆の先生がバラバラなことです。思想が統一されないし、話す本人は復習になるし、口伝え・耳聞きによって、知識を皆で効率よく共有できる。ちゃんと理解してるか、親よりも厳しく仲間同士でチェックし合います。」

子ども同士で気づき合うのがもっとも偉大な先生という発想です。異年齢で教え合うことで仲間の発達や気づきから、自分自身を鏡のように内省し、自らの改善点を自らで発見しそれを克服していく。

人間が育つということは、己を修めるということです。その己の修め方は先生が机上で教えるのではなく、仲間の挑戦から学ぶという方法です。決まりは、負けるな、嘘をつくな、弱い者いじめはするなと明瞭です。その他、自らに打ち克つためのことが書かれるくらいです。

教育といっても今のように知識偏重型だけのものではなく、人本育成について真剣に考えて編み出した仕組みがこの郷中教育であったということです。

西洋のメソッドばかりを見ては、学者が言う事をさもそれが最先端だと思い込みますが日本の風土に遺っている歴史の篩をかけられても真実の記録が残っているものこそ、最先端のような気がしてなりません。

温故知新とは、かつての本質を今の時代に甦生させるものです。

私が今、提案して実践をしている一円対話はその郷中教育の仕組みを随所に取り入れています。人は教えなくても育つ、できるようになるには異年齢による見守りが必要であるというのは古今東西の発達の真理なのでしょう。

さらに磯部さん郷中教育の仕組みをついてこう語っています。

「判断力、決断力、実行力を伴った、まさに「知恵」ですね。定まった知識をテキストで身につけるのでなく、(1)あらゆる事態を仮想し、(2)それに対処するアイデアを考え出し、(3)その中から正しいものを選択し、(4)実行する“度胸”を持つという。」

生きる力とは何か、子どもたちが立派に自分の使命を果たし仕合せに役割を全うするための社會人、生活人にしていくための仕組みを考えた先人には頭が下がります。そしてこの郷中教育の基本は文字で教えず、全て実地実行、実践によってのみ行ったということです。

今年はこの郷中教育も少しずつ深めていきたいと思います。

 

人生の情

鹿児島に来ると、いつも西郷隆盛を深めています。他にも鹿児島には郷中教育をはじめ、数々の智慧が風土に遺っています。厳しく雄大な大自然の中で育まれたその思想がかつて日本全体を動かす維新回天の原動力になったことも頷けます。

その風土の模範のような人物の一人が西郷隆盛です。

「不怨天、不尤人、下学して上達す。」があります。天命を知る者は天を恨みず、己を知る者は人を恨まず自らの修養に徹せよというように、自らの不遇を全て受け容れて天命に生きた実践、まさに「敬天愛人」を座右とした西郷隆盛の人格的魅力に強く惹かれます。

何より正義感が強く正直であったからこそ数々の誤解を受けては酷い境遇に晒されていきます。しかしその中で仲間を大切にし、自らの信念を貫き、多くの人たちから必要とされその都度自分を天に委ねては人情に真心を盡していきます。

勝海舟からも、西郷は人に好かれ過ぎた、早死にするのは分かっていたというように評されていたり、英国の外交官だったアーネスト・サトウも西郷がほほ笑むとなんともいえぬ魅力的な表情になったと言われます。

もう時代が過ぎて残り香もわずかですが、その書物や周囲の人たちの発言からも人徳の薫風が伝わってくるものです。人から愛され、天からも尊敬される生き方というのは、無我無私であり思いやりに生きたということなのかもしれません。

西郷隆盛の人柄を思うとき、もっとも好きなものに西南戦争の終焉に際したときの中津藩の隊長、増田宋太郎の手記の話があります。

この増田宋太郎は、敗走する薩摩軍が最後の場所と決めていた鹿児島の城山に向かうに際し、中津隊員の皆に君らは中津へ帰れと指示して自分自身は一緒に城山で西郷に殉じると言いました。なぜひとりだけ残り西郷に殉ずるのか不審がる隊員たちに増田宋太郎は涙しながら話したといいます。

「われ、ここに来たり、初めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ」

意訳ですが、「私はここにきて西郷隆盛先生に接する機会を得ることができた。一日、西郷先生に接すると一日の真心をが生じた。そして三日間、西郷先生に接すると三日間の真心が生じた。もはや西郷さんと一緒にいる真心が一体になり、別れることもできなくなった。今はもう善も悪もなく、その死生を共にしようと思っている」と。この増田宋太郎の享年は28歳です。

西郷隆盛の南洲墓地が、鹿児島市上竜尾町にあります。

情を愛した仲間たちと一緒にその真ん中に坐する西郷隆盛に触れていると、「仲間を大切にする」ことの本質を改めて学んだ気がしました。私は鹿児島に御縁をいただいてから、人生の情について考え直すようになってきました。

偉大なひとさまにいただているご縁に感謝しつつ、御蔭様の日々を精進していきたいと思います。

 

鏡の法則~心の鏡~

人間の心は鏡のようなものではないかと思うことがあります。その人のものの観方や考え方が相手の心に投影するからです。

例えば、なんでも人の善いところを発見しようとしている人が相手を自分の心に鏡に映すならその相手の善いところを映し出します。相手はその人の心の鏡を眺めることで映し出された新たな善い自分に出会うことができるのです。

このように人は人に出会うことでお互いを鏡のように映し出しますから、自分の心を澄ませて美しくしておくことは、相手の心の穢れや曇りを洗い清めることにもなるように思います。

自分はどのような鏡になるのか、そういうことを考えないかもしれませんが鏡の法則の本質とは自分の心を在り方をどうあるべきかということを伝えているように私には思います。

自分の心や自分の思いをどのようにメンテナンスしておくか、それは自分の考え方の基本姿勢をどこに置くかということでもあるのです。自分が毎日出会う人たち全てに自分が影響を与えているわけですから自分自身の心に責任を持たなければならないように思います。

どんな出来事も善いことに思い信じることや、どんな相手に出会っても相手を認め、相手の善いところを伸ばそう、持ち味を活かしてあげたいと思うことは、より善い豊かな人間社會を担う一員として大切なことのように思います。

それが自分が機嫌悪くし、嫉妬や妬みを持ち、人を信じず、不安をまき散らし、相手の欠点ばかりをつき、人と比較しては、損か得かとばかりを考え、物事を悲観的にし、どうせ無理だとあきらめているような心の鏡では、周りの自信も奪ってしまうことになり貧しい人間社會に傾かせてしまいます。

そういう心の穢れを祓い清めて、自分の心の鏡を如何に善心へと転じるかが自分自身で取り組む実践のように思います。日々に内省するのも、自分の心を正し修めるためです。そしてひとたび、多くの人に影響を与えている自分を自覚するならば自分自身の心の鏡を相手の心の鏡に映して相手を善い方へと導くことがその役割と使命だと思うのです。

コーチングであろうがコンサルティングであろうが、カウンセリングであろうが、その人の心が曇っていては相手の心を見守っていくことはできません。相手を見守るということは、相手から見られる自分ばかりを心配するのではなく相手を見守る自分の心こそ心配することです。

自然を観る心、思いやりを感じる心、仕合せを願う美しい心、利他に生きる優しい心、大義に生きる強い心、私はそれを「真心」と呼びますが、日々に真心のままに生き方を一に帰し、内省を鑑に実践を続けていきたいと思います。

本物の継承~原点回帰~

人間はその人を判断するとき、その人の職業や性別、年齢、見た目、経歴など様々な情報をもとに分類していきます。例えば、医者、職人、芸人、営業マン、お坊さん、経営者など、その人の立場を見ては分類分けしていきます。分類分けしてわかるのは表面上のやっている業務全般を知ることはできますが、その理念は何かとまでは確認しているわけではありません。

言い換えれば、人間か猿かライオン、オスかメスかという分類はしていてもそのものが本当は何を目指しているのかや本当は何がしたいのかということまでは知らないままに役割を勝手に決めつけてしまうものです。

そもそも自分の役割というものは、理念があってはっきりしてきます。その集団が目指しているものは何か、その社會が目指すものは何か、全体の集団の中で自分の役割を知るのはその全体の集団が何を目指しているのかによるのです。

例えば、全体の集団が人類の幸せを目指し見守ることを優先しようと理念を持つなら、それは見守る社會を創造する社會ですから、そこでの人たちは見守る医者、見守るお坊さん、見守るコンサルタントのように、その人の肩書きの前に何をする人か、つまり理念がはっきりしているように思うのです。

その共通する理念の中で、自分の役割を考えることで役割を押し付けるのではなく自分の得意分野で役割を活かしあうことができるように思います。それはまるで森の中の木々たちのように、百花繚乱の花々のように、また発酵場にあるような土壌の中の菌類や生き物たちのように、皆で互いのいのちを見守り合います。

どんな社會にしていきたいか、どんな世界にしていきたいか、そういうものがまず先にあって職業はそのあとであるのが本質なのです。しかし今の時代は、原点には触れず職業だけで自分の立場や役割を決めつけてはその範囲を勤めることが仕事だと刷り込まれています。

自分が何のために産まれてきたのか、自分の本当の役割とは何かとは、使命感のようなものです。突き詰めて深めていけば、志や思いやりに人は生きるように思います。この時代の中での自分の役割は何か、この自分の人生での全体の役割は何か、いつも周りの世界に心や眼を開いて何のために在るのかを自覚することが役割に目覚めることかもしれません。

理念とは、本質そのものであり本来の原点です。

不易と流行、温故知新、刷り込まれず素直に正直に理念を観て、本物を継承していきたいと思います。

口伝と体得~初心伝承~

一昨日から紹介している鵤工舎の小川三夫さんの「棟梁」(文春文庫)には共感するものばかりです。王陽明はかつて「道統を継ぎ、絶学を紡ぐ」と言いましたが、師の教えを忠実に守り伝統を継承する志に子々孫々への思いやりや真心を感じます。

そういう理念を持つ組織だからこそ、その教え方も本質的であり実践的、体得体認することを重んじています。口伝の重みでも実感したことですが、口伝できるというのはその志を受け継ぐ心があってのことです。血肉に伝わっていくような関係の中にこそ、大切な原点や初心、その志や伝統は伝承できるのではないかと今でははっきりと思います。

今年は伝統文化や老舗から日本の職人文化を学び直そうと思っていましたが、その最初に鵤工舎のことを学べて有難く思います。

文章の中で修業について書かれているところが沢山あります。修養も修行も、その心構えのことでしょうが具体的な実践事例で「研ぐ」ということの意味が書かれているので紹介します。

「刃物というのは、なかなか研げないものや。砥石にぴったりし刃を当ててゆっくり擦ればいいだけだが、それができんのや。人間の身体というのは思いの通りには動かないんだな。・・・中略・・・言葉は常に後や。自分の身体が考えの通りには動かないことにまず気がつかなならん。だから修業するのや。言葉や考えが役に立たないことにも気がつかなならん。無心で研げるようになって初めて刃物が研げるようになる。じゃあ無心ってどういうもんかと考えるかもしらんが、刃物が研げたときや。答えは刃物や。」

西岡棟梁から学んだ刃物研ぎの本質が記されています。無心とは研げた時だといい、答えは刃物だといいます。これは仕事でも同じように思います、無心でできるときは自他一体になっているということでその答えは仕事そのものだということです。そしてこう続きます。

「苦労して、悩みながら研いでいるうちにある日、「おっ」と思うことがある。そうやって階段を上がっていくんだな。精神修業のようだが、そうじゃない。大工は体を作ることだ。頭や考えも体から生まれてくるんや。俺はそう思う。だから刃物を研がせる。」

体をつくることと言います。以前、メンターから「からだ」という字は肉体だけではなくそこには心や精神も入っていると聞いたことがあります。「からだ」で覚えるというのは実践で染み込み自分のものにするということでしょう。

「よく研げるようになれば、道具を使ってみたくなる。木を削ってみたくなる。穴を穿ってみたくなる。それが大工として最初や。切れない刃物で木を削らせたところで、辛いだけでうれしいことも気持ちがいいこともない。そんな心で仕事をしていてもいいものはできない。だから刃物を研げないやつには道具を持たせない方がいいんだ。手道具は体そのものだ。体の一部として、考え通り、感じたとおりに使えなくては意味がない。その最初が研ぎや。」

”手道具こそ体そのもの”とあります。仕事では何が手道具であるかということです、それが商品であり自分そのものでもあります。

最後にこうあります。

「嘘を教えれば嘘を覚える。研ぎは全くそうや。ほんとうを覚えるには時間がかかる。時間がかかるが一旦身に着いたら、体が今度は嘘を嫌う。嘘を嫌う体を作ることや。それは刃物研ぎが一番よくわかる。・・・中略・・・上手になれば過去の自分の未熟さがわかる。それも上手になって初めてわかること。つまり、判断は常にその時の自分を超えないということや。刃物は自分の力量を表す鏡や。一心不乱に研ぐことによって、大工としての感覚と研ぎ澄まされた精神も養われるんやな」

”判断は常にその時の自分を超えない”とあります。今の自分の刷り込みを取り除くには、”からだ”で身につけろということです。言い換えれば一心不乱であるし、私の言葉だと全身全霊です。それだけの実践をどれだけ積んでいるかで本物や本質が磨かれるように思います。ここでの刃物とは人格に似ているように思います。何を研ぐのか、手道具とは何か、もう一度そのものの在り方から見直してみないといけません。

そして「技と人」の伝承とは、つまりは「口伝と体得」ではないかと改めて実感します。今の時代の人と技の教え方、学び方に対して刷り込みを見つめているととても大きな危機感を覚えます。子ども達には自学自悟、自分らしく自らを磨き上げていってほしいと思います。まだまだ職人文化や初心伝承を高めていきたいと思います。

職人文化~思いやりとやさしさ~

昔から職人文化という言い方をしますが、これは職人=文化ということです。人の育成に於いてまで文化の高みに到達していたのが私たちの先祖であり日本であるように思います。その育成方法も明治維新以降の教育改革の中で次第に喪失してきました。今では徒弟制度なども遺っているところも少なくなり、技の伝承や継承も次第に喪失してきているように思います。

昨日のブログでも書きましたが、学問が単なる勉強になってしまっては深さを知らず篤きを覚えません。要領よく楽をしては周りと比較して勝負はしても自分自身とは正対せずに打ち克たないでは本質は学べないように思います。

昨日紹介した鵤工舎の小川三夫さんの「棟梁」(文春文庫)の中で徒弟制度のことが書かれていましたがいくつかまた抜粋します。

「大きな建物は一人ではできん。大勢の力ではじめて建て上がるんや。一緒に仕事をしていくには、やさしさと思いやりがないと無理や。一緒に飯を食い、一緒に暮らし、同じ空気を吸っていれば、自然にやさしくなる。思いやりがなければ、長いこと一緒には暮らせん。隠し事も十年は隠せない。いい振りをしていても地が出る。素顔で暮らすのが一番楽や。そうしているとやさしくないと暮らしていけないことに気がつくんや。」

一緒に働くことにおいて何よりも大切なものが何かを知る人だからこそ、「同じ釜の飯を食う」ことの大事さを説きます。共視共食もそうですがなぜそうする必要があるか、それは心を通じ合わせて心を入れる志事だからです。頭だけでやれることなどはたいした仕事ではなく、本物の志事は其処に心が入っています。何より理念を重んじる組織に於いてはその心がどうであるかを何よりも優先であるとするのです。

如何に日本は職員文化の中でお互いに心を通じ育ち合ってきたか、師弟一体にあるがままに学びを与えあう環境構成と活人技継承の仕組みには感服することばかりです。そしてこう続きます。

「しかし、言っておくけどな、共同生活で、思いやりも、やさしさも身に着けていくが、本当のやさしさというのは、ただ人の面倒を見るのとは違うで。本当のやさしさは、自分自身に厳しく生きてないと身につかんもんや。厳しさのないやさしさは、甘えにつながる。そんなものはうちにはいらんし、人も育っていかん。技も身につかん」

今の時代は、やさしいばかりで叱れない人も増えてきています。叱咤ができないのはその人が自分に甘いからです、叱咤激励とはその人に期待しているということです。期待しているというのは、己に克てと応援するのです。逃げようとするその人の心に厳しい「喝」を入れられるのはその人が優しいだけではなく「自分との勝負を続けている自分から逃げない厳しい実践者」だからです。私のメンターもまた厳しい人です、まるで不動明王のように自分の中で打ち克っている人だからこそその人に憧れ私淑しています。

人が他人を尊敬することが大切なのは自分が成長できるからであり自分が素直になれるからです。足るを知らず傲慢になり自分の実力を見誤れば多くの人たちに大きな迷惑をかけてしまいます。だからこそ真摯に真独して一心不乱に一つごとに打ち込んでいくことが弟子の志業のようにも思います。そのことではこう言います。

「まず修行中は大工ということに浸りきることや。寝ても覚めても仕事のことしか考えんでいい。それでは仕事バカになると思うかもしれなんが、そうやない。一つのことに打ち込んでおれば、人間は磨かれる。中途半端よりずっといいで。自分の自由になる時間なんて全くないんだが、こういう暮らしをしていると、自分の癖や自分のことがなんとなくわかる気がしたな。アパートから通わせてくれという弟子もおったが、そういうのはお断りや。体から体に技や考えや感覚を移すのが職人の修業だ」

まさに頭で学ぶのではなく、体で学べ、体得せよ、つまり全身全霊でやれと言い切ります。そして最後に、本物であることの重要性を説きます。後世が判断するのはどの仕事でも同じです、自分で責任を以て成し遂げた仕事だからこそその仕事の後を見た人はその人がどのようにその前に仕事をしたかが自明します。隠せません。だからこそ全身全霊で人事を盡して精一杯だったかを重んじるのです。そこにはこう書かれます。

「技というのは独立してあるわけじゃないからな。俺は「真摯な、そして確実な建物を建てること。それが唯一、弟子を育てる手段」やと思っているんだ。一緒にやった者はそこで学ぶやろ。後の時代になって解体した者は解体しながら、俺たちがやった仕事を見、良ければ学び、悪ければ捨てていくやろ。精一杯造った建物さえあれば、必ず技や精神を見抜くやつは出てくるんだ。本物とは、いつの世でも変わりなく人の心を打つもんだと思う」

技もまた生き方なのです。職人文化とは、勘違いしていますがそれは古臭いのではなく「本物の香り」なのです。

どのような仕事をするのかは、その人の技がどのように磨かれているか、しいてはその人の人格がどのくらい練磨されているかを知ります。隠せないからこそ愚鈍に正直に真摯にというのは原則なのでしょう。本や言葉では教えられんことを教えるのが師匠だとしたら、棟梁とは何かも自ずから明らかです。志道もまた然り、王陽明の滴骨血です。

どんな生き方を見せていくのか、その背中が見える距離感で子どもたちにはその生き方をありのままに示していきたいと思います。

 

師弟と撫育~志事の流儀~

今の時代、徒弟制度などもなくなり対等な立場で物事に取り組みます。学校のようにいつも教えてもらえるものだと思っている人はあまり伸びません。それは素直ではないからのように思います。そういう意味では、徒弟制度というものは職人文化ですが日本人としての育ち方、教え方の粋を集めた智慧だったのではないかと思います。

一緒に暮らし、師のことを理解し近づこうと努力しまた師も弟子のことを知り弟子を伸ばそうとするのです。両者一体の中で教えたことは、決して知識ではなく親がわが子を育てるように感化薫風し陶冶したように思います。今の時代の育成の関係性に危機感を覚えてなりません。

法隆寺の宮大工、西岡常一さんの一番弟子に鵤工舎の創業者小川三夫さんがいます。この方の著書「棟梁」(文春文庫)に師弟の生き方が書かれています。自分の昔に照らしていくつか感銘を受けたものを紹介します。

「昔は十二、三歳になれば親方のところに弟子に入るか、店に丁稚に行ったそうだな。年季を決めて、前渡金を親がもらって働き手として出すのもあったそうだし、親方の元で雑用をしながら仕事を覚えるというのもあった。せいぜい十四歳、五歳までに行ったんだな。これより年を取ったら反発したり、生意気になって素直に言うことが聞けんようになる。遊びも覚える。世間も気になる。お金を勘定するようになる。そうなったらひたすら言われるままに働くのは難しいわな。ものを教わる、覚えるために一番大事なのは、素直なことや。教わる方もその方がいいし、教えるほうもそうや。そのためには、そのぐらいの年齢がちょうどよかったんだな。それ以上になると体ができてしまう。体ができるということは、頭もできるということだ」

とあります。以前、自由の森学園の校長から「中学生は体だけではなく心も精神も出来てくる大事な時期だからこそその時期をどのような環境で過ごすのが大切か」と言われたことを思い出しました。素直さというのは刷り込まれる前の姿ですから本質を理解するのに余計な知識が邪魔になる前にあるがままを体得することで一道の深淵に触れる機会を持てばいいということかもしれません。

またこう続きます。

「体がきついと、楽を考える。楽を考え出したら、終わりや。楽なんてないということに気づくまで、ずっと遠回りせなならん。もしくは、楽を求めてやめてしまうことになる。何もかもその職業で生きていくために自分が身につけることやから、他人の目をごまかしても何にもならん。損なだけや。そのためには体と頭、技が一緒に身につくことがいいんやな。」

考えるということは総じて楽を選ぶときに行う作業です、だからそれは損やと言い切ります。

「親方が悪いんやと、他人のせいにするのは簡単や。しかし何も好転せんわな。ひがんで、ふて腐れてたらもっと悪いわ。他人のせいにするのも逃げや、ふて腐れるのも相手が悪いと思うからや。相手は親方や。代えられん。親方のとこに来たのは自分や。自分を変えることで状況を脱出せなならん。そう考えるんだな。俺は頭が悪いから、そうたくさんのことは考えられん。やめて逃げ出さないなら、がんばって早く仕事を覚えんべえ、と思った。それしかねえんだ。これはどんな時でも一緒だな。逃げたらあかん。逃げる前に考えるんやな。それと、他人のせいにして自分が正しいと思いこもうとしても無駄や。自分を騙しているだけやんか。ものを覚える、人と何かをする、ものを作る。何でもそうやが目的があるやろ。そのためにそこにおるんやろ。そういうところで、どうするか考えるんやな。俺もない頭で考えた。」

考えるということの定義が楽をすることではないからこそはっきりと示されます。目的を考えよと、そのために其処に居るのではないかと考えろと言います。

最後に私が何よりも共感したのは「はじめに」の中にある下記の文章です。私も同感で、何よりも自戒しているのは下記のことです。

「人から人へ技を伝えるというのは容易なことではありません。言葉で技や感覚を伝えることは不可能です。こうしたことは本文で詳しく話しますが、言葉や数字やデータ、映像に頼ってものを学んできた若者にそのことを教えるだけでも簡単ではないのです。学校では先生が教科書を使い、黒板を駆使して教えてくれます。子ども達は教わることが当たり前だと思っています。教わればわかると思っています。教わらないことは知らなくて当然です。中学や高等学校は一年が経てば進級し、三年経てば卒業します。学校には期限があります。生徒はみんな同じ能力があると設定され、同じ方法で、同じ期間学びます。進級するには最低、決められた点数を取ればいいのです。その点数を取るためには近道があり、早道があり、要領があります。学校ばかりではなく、塾も予備校も、家庭教師も、それを教えてくれます。このすべてが私たちの世界では、技や感覚を師匠から受け継ぐための障害になるのです。少なくともこの方法に慣れた子どもに、技を教え、感覚を身につけさせることは無理です。技も感覚も大工の考え方も、本人が身につけるものなのです。体に記憶させる、体で考える。このことを理解してもらうには、親方や師匠と一緒に暮らし、一緒に飯を食い、一緒に働くしかないと思っています。」

これは本来の本能の学び方、道理を悟った真理であり、動物からあらゆる生き物たちが如何に本質を掴みとっていくのかということの要諦が書かれています。頭が良くなったつもりが、刷り込まれていてかえって地頭が狂ったでは本末転倒です。

今でも身近でも私はその刷り込みを取り払うのに苦労苦労の連続の日々です。叱咤激励くらいではダメで、私の技術も忍耐も未熟そのものです。しかしだからこそ同じような志を抱き、鵤工舎を創業した方の信念にも少しだけ触れることができます。

物事に正対し、正面から坦々滔滔と歩みを進めていきたいと思います。

歴史の産道~今此処の一歩~

山野の中には人が歩いている道や獣道があります。長い時間、何度も同じところを歩いていくことでそこに道ができます。已まずに歩かれ続けるとその道は踏み固められ、誰も歩かないとそのうちその道が消えていきます。

道といえば代表的な古い道に熊野古道があります。だいぶ前に熊野古道を歩いたことがありますがその道を歩きながら歴史や文化、そして風土や理念などを感じたことを思い出します。

道というものはただそこに道があるのではなくその道をどのような人たちが何の目的でどのような心で歩いたのかという「太古から流れる一筋の思い」を鑑みることができるのです。

今まで続いてきた道というのは、過去にその道を歩んで今の自分にまでつないでくださった方々があるということです。その消えそうになっている道を、自分が後でまた歩むことでその踏み固めた一歩はまた次の人たちへの礎になっていくのです。

誰も見ていないからや誰も通らないからではなく、自分が通る道だからこそ責任をもって歩まねばならないと思うのです。みんなが通ったから安心ではなく、自分が通らなければならぬ志があるのです。

ひとたび歩めば、そこはもう鬱蒼とした密林の中で道なき道をかき分けていくものかもしれません。しかしだからこそ自分が進まねばならぬ、だからこそ自分がもう一度かき分けて入っていかなければならぬという道を開くという使命感です。

私が好きな三つの言葉があります。一つは二宮尊徳、「古道に積る木の葉を掘分けて天照す神の足跡を見む」。そしてもう一つは種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」、最後は源重之の「つくば山 葉山蕃山 しげけれど 思い入るには あわらざりけり」です。

そのどれも自分の境遇に左右されず、自らの道を切り開く真心を感じます。

幼いころ、生前の祖父が山登りをするのに連れられて道なき道を登り山の中を歩き回ったことがあります。今思い返せば、きっと山芋を探していたのかもしれませんが子ども心に迷子になるのではないか、二度と戻れないのではないか、何か獣と遭遇するのではないかと不安を感じつつ背中を見つめては歩んだ記憶が残っています。どこに出てくるのかも、どこに向かうのかもわからず、山の中に何時間もただ分け入って往くのです。しかし思い返せばその体験が山に入る霊妙さと道を歩む崇高さを覚えたのかもしれません。

道は時であり、時は人であり、人は旅です。

そしてその道は歩む中に由って顕れます。

きっと私たちは歴史の産道を歩んでいる最中なのかもしれません。その歴史の産道の意義を決して忘れず、自分の足で今此処の一歩を大切に歩んでいきたいと思います。

 

長い目~地球観~

先日、養鶏場で鳥インフルエンザが蔓延し約10万羽の鶏が処分されました。他の鶏に感染するからと全部の鶏を処分するのですが果たしてこれが人間ならどうだろうかと思ってしまいます。

もともと鳥インフルエンザは昔からある病気で今にはじまったものではありません。鶏自体に免疫があれば感染せず、かかってもそんなに広がらなかった病気です。自然界に棲んで自然界の生活をしていれば、自ずから病気もまた天敵と同じように自浄作用の中で働いているものの一つです。

しかし、人間の都合で鶏を飼育され抗生物質を大量に投与されている合成人工餌を食べている養鶏場の鶏では病気に対する抗体がなくほとんどが死んでしまいます。その卵を食べたり、その肉を食べる私たちもまたその弱体化したものを取り入れて弱くなっていきます。

自然農に取り組み、自然の畑の中に入り感じるものは厳しい環境の中でいのちを育んでいく自然の姿です。寒さに負けず、暑さに負けず、虫にも負けず、病気にも負けずに逞しく育っていきます。苦労という苦労をまともにしながらも、その生はゆるぎなく元気そのものです。

時折、運命に負けそうな出来事が起こっても再び這い上がってきます。天候の変化や人間の余計な手出しがあったにせよ、強く逞しく自ずから主体的にいのちを発揮します。

農薬も同じく、一部の虫が問題だからとほとんどの生き物たちを処分してしまいます。そして除草剤も同じく、ほとんどの草を処分します。それで一時的に処分したとしてもすぐにまた同じ出来事が起こります。根本的に解決しない方法を繰り返しとったとしても、その時は乗り切ってもあとにもっと大変なことになります。

長い目で物事を観ることを已めてしまうということは、それだけで悠久の歴史の中の智慧を失ってしまうことになります。生き残るという意味が、どれだけ長いスパンで考えているかはその人の生き方に由るものです。

ある程度の数を制限し、広い空間の中で、自然の雑草や穀物、昆虫を譲られた分を自然に食べるようにすれば全体とのバランスの中で病気にもかからなくなっていきます。これは鶏だけの話ではなく、すべての動物に言えることです。

もっとも悍ましいことは、人間が今動植物に行っていることが人間にも行われていくということです。戦争も同じく、自然に天敵があるように、人間にも天敵があります。それが決して外界にあるものではなく人間の精神や心の中にあることに気づいている人は多いはずです。

何千年も前から悠久の歴史には人間は自分に打ち克つことを戒めてきた言葉ばかりが刻まれます。今の時代、スピードを上げるばかりで内省する時間もないようですが根本に立ち返り、本質に立ち止まる勇気と、流れを断ち切る信念が必要なのかもしれません。

なぜ自然養鶏なのか、なぜ自然農なのか、なぜ自然の生き方なのか、自分の中にある自然の力を外側から抑え込んでもそこには限界があることを自然はいつも教えてくれます。

私たちは46億年の地球の一部ですから、地球観を持ち、長い目で静かに物事を判断していく力を身に着けていきたいと思います。