愉快な仲間

昨日、久しぶりに共に苦労を分かち合った園長先生と一緒に会食をすることができました。

今では別の組織へ移動し、改革の担い手として新しい道を切り開こうとしていらっしゃいます。

歩んだ道が確かだったかどうかは時間が経つことで観えてきます。共に何を信じて実践してきたか、そして何を信じて生きてきたかが道跡として遺っているからです。思い出話に花が咲きましたが仕合せだった出来事にすべて美化されていきました。今の仕合せに出会うということが本当の幸福なのかもしれません。

善いご縁をいただけるということは運命であるようにも思います。人は自分が生きようとする生き方で仲間を集めてご縁が広がります。生き方が運命を決め、運命が人生を決めていきます。誰と出会うか、そしてどう生きるのかはその人のものですから学問の有難さ、仲間のお蔭さまに涙がでます。

私は最初に創った理念ブックのはじめのページに次の論語を書きました。

「子曰わく、与に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権るべからず。」

道中では色々な方々とのご縁がありますが、その一つ一つの出会いが深い意味があります。みんな道は一人で歩みます、しかし道中は語り合うこと、支え合うことができるのです。それが人生の美しさなのかもしれません。

その方が何より素晴らしいことは「愉しむ」ことを忘れないことです。思い返せばお会いしたときから、苦しいことがあっても愉しむ方でした。そして神仏の御加護だと謙虚に真摯に学ぶ方でした。今でも本当に理想を志して大変な中で奮闘しているのではないかと察しましたが愚痴ひとつ溢さずに「知らないことが沢山で毎日が愉しい」と快活に語られる姿に歩みかたの醍醐味と覚悟の仕方を教えていただきました。

「おもしろきことなきこの世をおもしろく」という高杉晋作の言葉は、ひょっとすると全ての人生の責任は自分のものなのだから自分の人生を愉しむのだという志を立てよと仲間を激励しているのかもしれないと実感しました。

ご縁は本当に不思議で日々に辿っていけば、目の前にいる人も目の前にいない人もそこでは確かな糸と絆で結び合っていますから出会いは何よりの学びです。

そして出会いを実感するとき、同時に誠に有難きは生きているということです。

生きてさえいれば、いのちさえあれば愉しみも希望もそこに全部丸ごと存在します。

昨日の気づきから自分は愉しみをまだまだ存分に伸ばしていけると実感しました。仲間や同志、先達が愉快な背中でそれを語り掛けてきます。あんまり真面目に頑張りすぎて悩まないこともまた道の福処世術なのかもしれませんね。

生きているこのいのち、どのような華を咲かせるかは人生の終焉の愉しみですから唯一の自らの天与の道を明るく素直に小唄でも口ずさみながら朗らかに歩んでいきたいと思います。

また一緒に道中を愉快な仲間たちと味わい語り合える日が楽しみになりました。
有難うございました。

バカになる生き方~神家人~

吉田松陰の松下村塾に高杉晋作がいます。

学問を同じくし、志を高めて生涯を貫いた同志として松陰亡き後燦然とその性を時代に発揮します。行動力と勇気と責任感がある人物であるのはその人の生き方からも実感できるものが多く、その遺した言葉からは魂の情熱を感じます。

人は志を立てるなら狂人となることを恐れないというのは、他人から愚かだといわれようが為すべきことを為すということに求道者としての使命を実感します。この愚か者でありつつ求めよというのはあのアップルのスティーブジョブズの学生へ向けたスピーチの中で残した「Stay hungry, Stay foolish.」と同じ言葉です。

高杉晋作はそれをこう言います。

「少年の頃、読んだ本に「学問を成すなら世間から利口と思われる人になるな。世間から愚者と思われる人になれ。」とあったので世間から愚者と思われる人になろうと僕は願った。」

愚者と思われる人になっているというのは、一途であるということです。自分の真の使命のために一心不乱、わき目も振らずに突き進む集中力がなければ物事は大成することはありません。私も直感を信じる人間ですから、色々な雑念をかき分けながらも真心を尽くそう、誤解されても遣りきろうと発奮してはふざけた自分を味わっています。

「天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。」

これも私の生き方と同じです。

思いを形にしていくというのは、その志を磨くということです。そしてその志は実践と実行してのみ心が働くのです。その例として下記のような言葉もあります。

「心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。」

「戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい。」

戦う前に負けるというのは、戦わないから負けるということです。戦って負けるのではなく、戦わないのも負けなのだということを言い切るのです。そして思っていることを口に出せるというのは、心が行動に直結しているということです。まずはやってみるのだという、草莽崛起する志を自らが示すことを忘れないのです。

心は思っているだけでは成長せず、実地行動してこそはじめて育つものですから自らが勇猛果敢に取り組むところにこそ息づくのでしょう。

「シャクトリムシのように身を屈するのも、いずれは龍のように伸びるためだ。そのためには、奴隷になっても、下僕になっても構わない。」

ここからも自分の保身ではなく、「何のために」ということを決して忘れない生き方があります。保身とは何のために行うのかを忘れるときにこそ行う自己満足のようなものです。そんなことでは世界を変える前に自分を変えることすらできなくなるのです。

人間の人生は短く、やるかやらないかは自分次第ですからできるできないを物差しにするのではなく何のために生きるのかを物差しにすることが志なのでしょう。大事な局面で自分のことや相手のことばかりを考えるのではなく、全体の仕合せ、世の中の幸福のためにどう生きるのかを覚悟することが志士の心得なのかもしれません。

歪んだ正義を振りかざす前に、本来の大義に生きた人たちのことを思い、その人たちに恥じないように自分を見つめることが初志を定めることなのかもしれません。

高杉晋作は維新の原動力の一人だと思いますが、「おもしろきことのなきこの世をおもしろく」生きたかったのだと思います。その愚かな一言を参考に、真面目も糞真面目も乗り越えてふざけきって歌舞いていきたいと思います。本質で観たらすぐに自明することですが本当に自分が真面目だというのなら、真面目風をさっさとやめてしまった方がまだ真面目なのです。

「これよりは神家男児の腕前お目に懸け申すべく」

それが神家で生きる神家人らしさと背中を育てていきたいと思います。

世間からいくらバカだと言われようが、おかしなことを考えると思われようが、自分には全くそれは志には関係がないことです。

私が子どもだったなら、いつも子ども心に憧れるようなかっこいい大人の生き方を最期の最期まで時処位を見逃さず生き切っていきたいと思います。

真心の醸成(志道と志事)

吉田松陰の志というものは、多くの志士の心を動かしました。

そこには志というものが何か、そしてそれは何をもって志が育っているのかということを自らの背中を通して塾生に語り掛けました。周囲からは狂人と呼ばれ、危険人物として疎まれました。

本来、志高く歩む人を理解するというのは周りからみれば変人の類なのかもしれません。一般的な姿と考え方も異なり、見た目も異なり、素行も異なるのは、常識の枠に囚われることがないからです。

吉田松陰もその時代には常識的に理解されず、それでもそれを貫きました。たとえば、友との約束のために脱藩をします、今では外国に亡命するくらいのことです。そのあと黒船に乗ろうとします、これは宇宙船に乗るようなものです。そして安政の大獄の真っただ中、仮保釈中に老中暗殺のために武器を藩に願い出ます、これなどは仮出所中に銃や武器を国家や裁判所に貰いたいと嘆願するようなものです。

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」という言葉も遺ります。塾生たちに遺した言葉には「諸君、狂いたまえ」などという言葉も残っています。これなどは、「もっとおかしくなりなさい、遣り切りなさい」と他人と異なってもいいからもっと変人になることを奨めているのです。

なぜこうすればこうなるとわかっていながらもこれをやり遂げたのか、そこには本人にしかわからないものがあったのだろうと私は思います。

吉田松陰の立志という生き方はまずこれらの言葉に見られます。

「志を立てて、以って万事の源となす」「志定まれば、気盛んなり。」

すべては志からはじまり、そして志におわるという意味でしょう。そして志は覚悟が決まれば、気が満ち溢れ燃えているはずだというのです。

そして孟子の下記の言葉を引用して「講孟余話」という授業の中で弟子たちに発奮激励を語ります。

「志士は溝壑にあるを忘れず、勇士はその元を喪うを忘れず」

意訳ですが(志士ならば道義のためなら窮死してその屍を溝や谷に棄てられてもよいと覚悟し、真の勇士は志のためならばいつ首をとられてもよいと覚悟を決めているのだ)という意味です。

そしてここにはこう続きます。「書を読むの要は、是れ等の語に於て反復熟思すべし 」と。

志士が本を読む意味は、これは孟子のいうところを繰り返し繰り返し読み直しその書いている本人の真心に透徹するまで思うことであると。読むというのは単に字を読めばいいのではなく、志で道を切り開く同志を思いそれに志心を奮い立たせていくということでしょう。

吉田松陰の志道というものは、決して仕事ではなく志事であったのです。

言い換えれば、人生を懸けて志を貫こうとし、それを塾生たちが感じ取ったのです。吉田松陰は出来合いの指導などを行っていたのではないのです。では塾で何を行ったのか、それは志道と志事を実践していたのです。

その塾生の一人、高杉晋作はこう言残します。

「何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大ばか者なり」

そしてもう一人、高杉と合わせて塾生の双璧と呼ばれた久坂玄瑞の言葉で締めくくります。

「私の志は、夜明けに輝く月のほかに知る人はいない」

私の志も、あの天高く広がる宇宙のほかに知る人はいないという心境です。別に誰に分かってもらう必要もないし、誰に知ってもらう必要はない、ただ自分の志道を貫くだけというのがこの志の道の目指すところなのでしょう。

色々な出会いがあり今がありますが、易経の「潜龍用いるなかれ」、その信念を日々に棲む水面に憂いつつもその真心を醸成し、確固不抜の志を高めていきたいと思います。

立志という生き方

人にはそれぞれに生き方というものがあります、同時に働き方というものもあります。私たちは生き方と働き方を一致するということを目指していますが、これは志を育てるためです。

そもそも志というものは、最初から誰でも持っているわけではりません。生き方を定め、言行一致させていく中ではじめて志は育っていきます。そしてその志は、様々な現実の中の紆余曲折、艱難辛苦の中で、それでも自分は生き方を貫けたかどうか、言い換えれば道を切り開き脚下の実践を遣り切ることができたのかという内省により醸成されていくものです。

志を持つのも育てるのもその人次第です。

途中でそれを已めてしまえば、世の中の安逸の中であっという間に自分の生を終えてしまいます。人の人生はとても短く、志を育てていかなければ気がつけば何をやっていたのかと悔いてしまうことにもなりかねません。自分の生き方と向き合うのは自分にしかできませんから、それに生き方には嘘がありませんし他人のせいにもできませんから志とはもっとも身近で自分のことを信頼する伴侶そのものになっていきます。

吉田松陰は、塾生との手紙のやり取りの中でその志が育つような数々の叱咤激励を送っています。

たとえば、塾生の山田顕義へは「立志は特異を尚ぶ、俗流と与に議し難し。 身後の業を思はず、且だ目前の安きを偸む。 百年は一瞬のみ、君子は素餐する勿れ。 」と記します。

これは私の意訳ですから意味が違ってくるかもしれませんが敢えて訳すと、「志を立てるのならば他人と異なることを恐れてはいけない、世俗のことや常識の中でそれを実践するのはとても難しいことだ。しかし世間の常識に囚われれば自分の身の保身ばかりを思い煩い、目先の安楽安逸に流されるばかりになるのです。百年という月日は一瞬に過ぎないのですから、君子は決して現状に甘んじるんではなく志に生きるのですよ。」と。

これは山田顕義が15歳の元服(成人式)の時に、吉田松陰が扇に書いて送ったものですが何を優先してあなたは生きるべきかとその初心を塾生に自らの生き様で与えています。

そしてさらに感動的で印象に残る叱咤激励に塾生の高杉晋作に送った手紙があります。
そこにはこうあります。

「貴問に曰く、丈夫死すべき所如何。僕去冬巳来、死の一字大いに発明あり、李氏焚書(明の学者李卓吾の書)の功多し。其の説甚だ永く候へども約して云はば、死は好むべきに非ず、亦悪むべきに非ず、道盡き心安んずる、便ち是死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。又一種大才略ある人辱を忍びてことをなす、妙。又一種私欲なく私心なきもの生を偸むも妨げず。」

これはそのままに味わってほしいものです。吉田松陰と高杉晋作が如何に志で絆を結び、共に不二の道を切り開いていたのかが分かり感動します。死を前にしての、生を語り、その生き方を示しています。

そして志を立てることを最期に述べます。

「死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし。僕が所見にては生死は度外に措きて唯だ言うべきを言ふのみ」

これは私の人生観からの意訳ですが、「もし死んだとしても志がそれで立てられるのならいつでも死んでもいい。しかし生きて志が立てられるのなら生きることだ。常に志を求め言うのなら、常に自らの生死のことなどは度外視して志は語るものだ。」

「立志」という生き方。

これを実現したのが松下村塾なのでしょう。

孟子はこう言い遺します。

「自ら反りみて縮くんば、千万人といへども、吾往かん」

そして孔子はこう言い遺します。

「三軍も帥を奪うべきなり匹夫も志を奪うべからざるなり」

引き続き、君子の道とは何かを自問自答しつつ覚悟を育てていきたいと思います。

 

野生種と共生

世界では30万種の植物があると言われますが、その中でも私たちが主に栽培しもっとも生活で利用しているのは3種類だと言われます。それは稲と麦とトウモロコシです。その中でも稲は世界人口の4分の1が毎日食べますからそれだけ稲の存在は大きいということです。

今回そんな中で、偶然にご縁があって自然農での野生種の蕎麦をはじめることになったのですがそこでもいろいろな発見があります。

そもそも私たちが暮らしの中で食べている植物は、先祖が長い時間をかけて野生していた植物を栽培してきたものです。その栽培を通して、色々な品種改良を行われてきました。それは長い時間の関係性においてそのものとの相性を高めて共生をすることでお互いにメリットが多い絆を結ぶのです。

たとえば有名なものでは、犬がありますが犬はもともとオオカミや山犬というように野生のものは人間と暮らすようには変化していません。それを長い時間をかけて人間とともに生活していく中で顔は丸くなり、尻尾はふるようになり、番犬や狩りの手伝いなど人間と一緒に食べて暮らしていく中で変化してきたといいます。

他にもミニマムでは麹菌という発酵をする菌も、同じように最初は野生のカビ菌で人体に有害でしたが麹屋が長い時間をかけて人体に有害なカビだけを取り除き、人体に有益なカビを長い時間種菌として育てて増やしていくうちに今の麹菌になったのです。

野生種と栽培種というのは、言い換えれば人と共に生きてきたか、それとも人とは異なるところで生きてきたかという違いのことを言います。

蕎麦というものにも同じくそれがありますが、蕎麦はもともと石がゴツゴツしたあまり土地が栽培に適さないところに野生するのが本来の姿です。タデ科といって、あまり虫も食べず周りの野草を抑制することで有名ですが昔は飢饉のときにそなえて農民たちが栽培に取り組んできたものです。

野生種には特徴があります。

その一つは「種子の脱粒性」です。これは稲や麦などは収穫する際にも種が着いたままですが、野生種は少しでも触れるとポロポロと落ちていきます。野生は、実れば自然に地面に種を落とすのですが栽培種は落とさなくなっています。これも長い時間をかけて種を落とさない種だけを大切に育てて栽培に適するように変化させたのです。

他には、「種子の休眠性」というものがあります。これは大豆などはほとんど毎年発芽しますが野生種は周りの状況を観て発芽するかどうかを自らで判断するというものです。よく発芽率などと書かれていますが、本来野生種はあまり発芽しないのです。何年も、自分の出ていくときを狙い定めて出ていくという具合です。これも長い時間をかけて先祖が発芽するものだけを選んで残し育てて栽培に適するように変化させてきました。

野生というものはそのまま地球自然に合わせて自らが自生したものであるのに対し、栽培したものは人間に合わせてお互いに共生したものです。如何に関係性を結ぶかということの中に、この地球で長い時間を生きていく共生と貢献が育て育ちあう関係ということでしょう。

お互いが必要とし、お互いが協力をする、これが何よりも種の永続性を保障すると確信していた先祖には本当に頭が下がります。今の時代は、共生ではなく管理によって自分のみの利害によって生き延びようとしています。昔の品種改良はお互いの共生と貢献ですが、今の遺伝子組み換えなどの品種改良は言い過ぎかもしれませんが人間側の一方的な強制と迫害、搾取のようにも目に映ることがあります。

果たしてこれが本当に永続性を保障するのか、先祖が選択しなかった方法ですがこれがどうなるのかは農薬や肥料の先に土が疲弊し涸渇するのをみていたら一目瞭然です。先祖が大切に何千年の何万年も築いてきた今までの関係を破壊するツケがいつの日かまわってくるようにも思います。

野生種を育てるということがどういうことか、もう一度考えて学び直してみたいと思います。蕎麦ははじめてですが、野生種に近いものと触れるのは発見ばかりです。楽しく取り組んでいきたいと思います。

むすひ

日本には古来から「むすひ」(結び)の信仰があります。

禮を深めて最初に出会うのがこの結びという考え方です。本来、中国で産まれた禮ですが日本に渡来してから日本のものへと発展しているように感じます。先日、流鏑馬でご縁をいただいた小笠原流礼法も紅白の紙で包むや糸を結ぶという作法が沢山存在しています。

これは日本の古来の精神と禮が合間って取り入れられたのかもしれません。

この「むすひ」というものが何であるか、京都の平安神宮のHPから引用させていただくとこう書かれています。

『日本の「結び」は「物を結ぶ」という以外に、人と人、心と心の関係をも「結び」として表され、特別な意味がふくまれています。たとえば結婚式は、男女が結ばれ両家が結ばれる大切な儀式です。神楽殿 ご縁を表す「むすび」は、古くは「産霊(むすひ)」いって、すべての物を生み出すご神威のことを表していました。天地・万物を生み出された神様に高皇御産霊(タカミムスヒノカミ)・神皇産霊神(カミムスヒノカミ)、出産の際に見守って下さるのが産神(ウブガミ)という産霊の神様です。 また、産土(ウブスナ)の神様というのはわたしたちが生まれた土地の神様で、氏神様や鎮守様とも呼ばれますが、どこにいても自分の一生を見守って下さる神様です。神と自然とすべてのものと結ばれている存在が、わたしたち人間です。そして、この感覚を信仰の形で伝えているのが神社なのです。神社の祭りでは、まず始めに神様にお供え物をして、終わると「直会(ナオライ)」といって、そのお供えをおさがりとして食します。神と共にいただく、つまり神様と一体に「むすばれている」ことが大切なことなのです。』

神道では、連綿と絆が結ばれて永遠であるものを縁起としています。言い換えれば出会いやご縁というものには何かしらの偉大な見守りがあると信じているということです。

そしてその結ばれたところにこそ神威が宿ると観えていたのでしょう。

自分が一体、何と結ばれてここまで来たのか。ご縁は果てしなく結ばれた中に今の自分が存在し得ています。これはつまり宇宙とは結びによって存在しているということを意味するのです。

たとえば、父母が結ばれなければ自分は存在できず、その土地と結ばれなければ自分は育たず、魂が結ばれなければいのちも産まれません。言い換えれば、「むすひ」とは、万物のはじまりを顕し、そこが永遠に続いているということを示す言霊なのでしょう。

他人に対する禮の真意は、この「むすひ」をどれだけ忘れていないかということでしょう。

出会ったこと、ご縁があったことにどこまで感謝を示しているか。それは出会って何が産まれたのかを信じているということです。様々なことと結ばれるところに発展と繁栄が存在しています。その発展と繁栄に感謝を添える、真心を尽くす、そこに禮の姿があるということです。

一つ一つをキチンと結んでいくのか真の自立なのかもしれません。心というものをどのように表現するか、その禮をまだまだ深めていきたいと思います。

禮と義

中国、論語の一つに礼記があります。これは論語の四書五経のひとつで禮について書き記るされたものです。

仁、そして義、次に禮というように何よりも君子の徳が明らかになったことで顕現する真心の現れをそれぞれの言葉で表現しているように思います。実際はどれも分かれているものではないものですが、それをどの道から入るかが示されるように思います。

その礼記には、色々なエピソードが書かれておりその中から禮とはどういうことかということを学ぶのです。その一つ、特に印象的なものが大学を記した曾子の最期の場面です。

「曾子、疾ひに寢ねて、病なり。樂正子春、床下に座し、曾元、曾申、足もとに座し、童子、隅に坐して燭を執る。童子曰く「華にして睆なるは、大夫の簀か?」と。子春曰く「止めよ!」と。曾子之を聞く,瞿然として曰く「呼!」と。曰く「華にして睆なるは、大夫の簀か?」と。曾子曰く「然り,斯れ季孫の賜なり、我未だ之を能く易へざるなり。元、起ちて簀を易へよ。」と。曾元曰く「夫子の病、帮なり、以て變かすべからず,幸にして旦に至れ、請ふ、敬みて之を易へん」と。曾子曰く「爾の我を愛するや、彼に如かず。君子の人を愛するや徳を以てす、細人の人を愛するや姑息を以てす。吾、何をか求めん?吾、正を得て斃るれば斯に已まん。」と。舉げ扶けて之を易ふ。席に反りて未だ安んぜずして沒す。」

口語訳では、「曾子は病気で寢つき、危篤の状態だった。樂正子春は枕元にすわり、曾元、曾申は足もとに座り、子どもが部屋の隅に坐って燭台を守っていた。子どもは言った「すごく美しく輝いていますね、これは高級高貴な簀なんですか?」と。子春はすぐに「静かにしなさい!」と叱った。曾子はこれを聞いて驚いた様子で言った「ああ、そうだよ」。そして曾子は続けて「そうだ、この簀は季孫の殿が私に下さったものだ、私はまだこれを取り換えることができなかったのだ。曾元よ、立って来て簀を取り換えてくれ。」といった。それに曾元は言いました。「父上の御病気は重篤です、今はとても動かすことはできません、もし幸にも持ちこたえて朝になりましたら、謹んで簀を取り換えさせてください。」曾子は言った「お前の私への愛は彼(子ども)に及ばないのだよ。君子の思う人への愛は常に徳にこそ基づいている。小人の人への愛は間に合わせのありきたりなものだ。私が一体何の道を求めているのか、私は正しい道に適う行いをして死ぬのなら、もうこれでいつも死んでもよいと思っているんだよ。」と。そこで、皆で扶け起こして簀を換えてもとの席に戻って腰を落ち着ける前に曾子は亡くなりました」

曾子は「大学」の中で、「大学の道は明徳を明らかにするにあり、民に親しむにあり、至善に止まるにあり。」と徳を示していました。その徳に報いることを重んじた曾子の人柄を感じる話が礼記には紹介されています。

もちろん真心とは形式ではなく、その時、その場所、その状況によって示し方も変わりますがきっとここでは相手の立場になって思いやって行動したことを曾子が学問によって最期まで実践を尽くしたのでしょう。

お互いを察するということは、もしも自分が相手だったらと思いやることです。それは自分の立場ばかりを考えて保身に走るのではなく、もしも相手が自分だったらどんな気持ちだろうか?もしも相手は自分そのものであるのならどう感じるだろうかと自分と同じように大切にすることを言うのではないかと思います。

礼儀に問題があるというのは、言い換えれば自分のことしか考えなていないということでしょう。保身に走るのは、自分が一番かわいいからです。それを二番にする必要はないのですが、相手を一番にしていくことで自分もまた一番になっていくようにも思うのです。

お互いを慈しみ愛し、そして尊敬するという間にこそ真の禮もまたあるように思います。そしてそれを正しく実践することが義に近づくようにも思いますし、その先に仁の実践も徳の醸成もまたあります。

常に真心を優先して、損得利害の刷り込みに負けないように自らに打ち克って禮に復えりたいと思います。

 

自律と礼

ここ数日で自由のことを深めてきましたが、自由と同時に用いられる自律について自分なりに整理してみようと思います。

この自律というものは何かといえば、自由の中で自らが道徳的に人格を高め自ずから周囲への思いやりで行動することができることをいいます。これは他人に対する礼儀作法の礼のことです。

なんでも自由となれば、当然そこに法律というルールがあります。これは法によって律するという意味ですが、周りに迷惑をかけないようにこれが正しいというルールを社會によって定めます。たとえば、赤信号は渡らないのは法律によって従う義務があり、それを破るものは罰するという具合です。

しかしそのような法律は、いくらでも無限につくり設定することができますからもしもすべてを法律で縛ろうとすればするほどにこの世の中は暮らしにくくなっていくのです。今の時代は、見ての通りありとあらゆるところに変な法律が蔓延っています。道路交通法などというものも、何もここまでしなくてもというくらいきめ細かく出来上がっています。

危険をすれば法律で縛り、それを破れば罰するとしても本来の自覚が罰によっては芽生えないのだからイタチごっこは続くだけです。しかし人間自身の自律を育てていこうとしないのならば、永遠に法律でばかりで解決を検討しないといけません。法律さえ守っていればあとは全部自由だなどという考え方になってしまえば、さらに事態は悪化していくのは火をみるよりも明らかです。

だからこそ人間には自律というものがあります。

これは自ら自由の中で、如何に人格を高め一流人としての礼儀を弁える人物になるか、それを目指していこうというものです。江戸時代に流行した小笠原流礼法も、本来は武士の礼法だったものが庶民の中に反映され江戸しぐさなどという文化にまで発展しました。

お互いを自ら思いやり、行動していこう。その所作から作法から自らを律していこうとする、社會の中で他や仲間に迷惑をかけないということを尊ぶように自らが律していたのです。

よりよい社會というものには、あまり厳しい法律も罰則もありません。本来、治世が行き届き平和で安心な穏やかな社會は、お互いにつねにお互いを見守り合い、助け合い、譲り合い、協力し合い、相互扶助とつながりに満ちた幸福の和の社會です。

それは一人一人が自らを育て、人格を高めていく中で実現するように思います。

自律というものは主体的でなければできません。それは自らが自らでで周りのことを思いやり、愛に溢れた社會をどのように築いていくか、そういう人と人がつながりや絆、ご縁に感謝し感動し感激する社會をどのように育てていくかということであろうとも思うのです。

自分から自分を律するというのは、礼の心を学ぶということでしょう。

孔子は論語で礼をこう語ります、

「己に克ちて、礼に復るを、仁となす。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すこと己に由る。」と。

かなりの意訳かもしれませんが、「自分自身の我儘を堪えて、自分を律し相手のことを思いやることで幸福な社會はできあがってくる。もしも一日自分に打ち克って誰かのために自律できるのなら、世の中は必ず思いやりに満ちるようになる。愛のある社會をつくるのかどうかは、あなた自身、そうあなた次第なのです。」

自由の中にある自律というものは、自分が社會の大切な一員だということを忘れないということです。その自分が法律だけにしたがったり、きまりは守っているのだからと自分勝手にふるまえばその陰に必ずその我儘を押し付けている誰かがいるのです。その我儘がさらに厳しい法律をつくり、そしてその我儘が社會から愛を奪うことにつながっていきつながりも絆も断裂させていくのです。

自分が愛されているという実感を持てる社會というものは、自律によって出来上がってくるように私は思います。そしてそれは自由の中でこそ真に試されるのです。自由だからこそ、如何に我儘を乗り越えて誰かのために自分を使っていくことができるのか。

人間はそういう時にこそ、道徳心が伸びていくのだと思います。自律を支えるというのは、自分を変えるということなのかもしれません。平和な社會の責任者が自分ということを忘れずに、礼と法を学びなおしていきたいと思います。

自由と責任

自由の関する責任についてもう少しだけ掘り下げてみます。

責任というものはそもそも人間を信頼しないというマネージメント下では押し付けられたり与えられたりするものです。世の中では、責任というものは取らされるという考え方をもっている人も多くいます。一人で多くを抱え込み、一人で全部の負担を負うようなことをするのもこの責任というものの認識がかかわっています。

しかしもし責任をそもそも人間を信頼するというマネージメント下で動いているとしたらそれは認められている証拠をしての責任感が育ちます。これは自分も組織の中で自立した一人として認められているのだからその役割や責任を果たしたいという具合です。周りが認めてくれているというのは、仲間のために協力したいと実感するということです。

信頼するというのは認めているということですが、自分が認められていると実感すればするほどに周りの人たちのために貢献したいと思うようになるのです。

これが集団というものです。そしてこの集団というものにも、そこにはどのような集団になっているかという理念によって集団での働き方も異なっているのです。

本来は集団というものは、お互いが認め合うところで集まって何かを為す組織です。そこがもし目的だけを重んじ、人間は卑下して効率や生産性のみを追求する組織になれば人は入れ替えがきくパーツのようになってしまいます。そうなると人は、信頼で関係を結べず誰かによって管理されることで集団を形成しようとします。そうなると個々がバラバラにならないようにすることがもっとも重要なマネージメントになるのです。

しかしもし集団が人間を尊重しつつ目的を達成するとなれば、非生産性な時間や非効率であってもそれが幸福につながるのならばと対話を大切にする組織になるのなら人間はますます周囲を信頼しその集団を大切にしようとするのです。

そうなれば管理するのではなく、見守り合い助け合い協力し合うといった組織になるのです。これは得意なところを活かしあいみんなで一緒に乗り越えていこうといった総力を合わせたマネージメントになります。

畢竟、責任というものはその人間がどれだけ自分を周囲へ貢献していこうとしているか、その社會の中で自分から周りのためにと協力をしていくかということに尽きるように思います。それは感謝が根っこにあるからこそ自分からもっと任せてもらえるようなことを実現したいと願うのです。

より善い社會貢献をしていこうと願う心に責任が一緒にあるのだから、責任を学び続けるためには常に認め合い助け合う風土を醸成していくことが何よりではないかと思います。自由というものは、信じるということです。

信じることが自由なのだから、信じられているからこそ自由を実感し、その自由を得ているからこそ自立しようと願う。そして自立できていると実感したとき、自分自身の責任に出会うのでしょう。

責任があるところには自由があり、自由があるところには自立があり、自立があるところには信頼があり、信頼があるところには感謝があるのです。

人間尊重の大切さというのは、お互いを同じ人間として大切にしていこうとする思いやりや真心があります。どのようなマネージメントを用いるかは、そのリーダーの考え方でしょうが人材を流用するだけか、それとも人材を育成するか、短期的にみるか長期的にみるかはその人次第です。

子どもたちの未来のことを思えばどちらを選べばいいのかはすぐに理解できます。保育や教育に関わる会社だからこそ常に責任を正しく理解できるように精進していきたいと思います。

道具の自味

先日、人吉にある日本で唯一の鋸鍛冶師「岡秀」の仕事を見学し鍛冶やその道具について話をお聴きする機会がありました。全国の山師が信頼を寄せるその鋸ですが実際に自分の手でその鋸を使ってみると驚くほどの切れ味と使い勝手に感動しました。

実際に鉄を打つ現場も見せていただき、その工程についても拝聴させていただくと大変複雑な工程を丁寧に一つ一つ心を籠めて手作りしている様子に、道具の作り手と使い手の真心を実感しました。

昔は、道具というものはその道具を用いる人、その道具を作る人が一緒になって創意工夫をし、その道具を育てていました。先人たちは、その用途にあわせ、また自分の技術や実力、器用さに応じてその場その時その性質によって道具を使い分けてきました。

農具などは、全国津々浦々のその土地の性質でまったく異なるものが作られてきました。その地方独特の道具が開発されてそれが代々受け継がれています。それと同時に各地方には鍛冶師がいて、道具を打ち直し、その道具のいのちを伸ばし、またその道具とともに伝統や歴史、その精神を受け継いできたともいえます。

同じ鋤や鎌、鍬ひとつとっても長さや重さ、そして形状、それは様々な性質を見抜いてはそれに沿って道具を工夫しているのを拝見すると昔の人たちは自然の見立て目立てができたということが観えてきます。

現在はホームセンターなどで画一化された道具や機械化されたものを使いますが昔の道具は人を選んでいたともいえます。だから道具も人も育てる必要がなくなったのでしょう。

昔の人たちは鍛冶からたくさんのことを学んでいたのがわかります、その証拠に鍛冶に関することわざがたくさんあるのです。

「鉄は熱いうちに打て」「付け焼刃」「頓珍漢」「焼きを入れる」「相槌を打つ」「しのぎを削る」「磨けば光る」等々、まだまだ相当数の言葉が遺っています。

それらの言葉が、お話を聴きながら自然に出てくることに道の職人の仕業の奥深さを体験しました。そして中でも印象深かったのは、「味」のお話でした。

「なんでも人は味わが分かるようにならないとその本質が観えない。切れ味は自分で確かめた方がいい。その道具の味がわかっている人にはすぐにその味の善し悪しがわかる」というのです。

何より今回の体験で鉄を打ち錬金する中にある「切れ味」という「味わい深い」世界が存在するということを知りました。切れ味がわかるようになるには、自らを研鑽練磨し、真剣勝負の実践の中で研ぎ澄まされた自味を育てていく必要性も実感しました。

自然の道具を人具一体に育て上げている職人に心から敬意と同時に、その道具を使いながら自分を育てていくという学びをこれから一つ一つ自助研磨しながら味わっていきたいと思います。

道具は思想そのものであり、その思想を使う使い手もそれによって活かされるということ。道具がちゃんと使いこなせるようになるには、道具が分かる人の生き方が身に沁みなければ近づけないということです。

私の作る様々なマネージメントという名の道具もまた、これと同じものなのです。道具を販売するのなら同時に道具の味わいが分かる世界を体験することがもっとも近道なのかもしれません。道具によって人を育てるという先人の知恵を活用しているからです。

有難いご縁に感謝しております、御蔭様でこれからの道程で手作業に入ることがより楽しくなりました。

道具から学び、その道具を深め育てて自己一心の道具を開発していきたいと思います。