品を磨く

懐かしい道具には懐かしい品があります。この品は、そのものがどのように出来上がってきたものか、またどのように使われてきたか、そして長い年月を経てどのように変化してきたかというものが顕れてきます。

大量生産大量消費するものには品があまり感じられないのは、質が異なるからです。よく品質の良し悪しを観て品質を見定めるというものがありますが、質とは品であり、品が質のことですが品質とはつまりそのものが持っている本物の姿であるということです。

品という字は、そもそも品格や上品、気品といって最上のものを語られる言葉で使われます。つまりは品とは、そのものの価値であり、そのものの本質、そのものが顕現していることを品といいます。

これを人で例えば、その人がどのような心や精神の人物か、またどのような生き方をしてきたか、どのような信条を持っているか、どのような存在価値を持っているか、そこに品が顕現します。

古い道具は品があるのは、それは作り手や使い手が長い年月正直に磨き上げ、そして育て、さらには真心が伝承されてきているからに他なりません。人の心が入らず、工場で不自然に簡単便利に加工されたものはどうしても品が失われるのは道具本来の本質の価値が磨かれていないからです。

品を磨くというのは、ただ道具を磨けばいいのではなくその道具によって磨かれるということです。切磋琢磨とも言いますが、自分自身のガサツな性格を磨き直し、心を丁寧に入れて丹誠を籠めるような生き方を変えていけば品もまた備わっていきます。

品質や品格といったものは、大切に育てたいのちの醸し出す薫りのようなものですがその薫りが周囲を穏やかにし懐かしい気持ちにさせてくれます。

生き方の学び直しは本物の道具に触れることからです。

引き続き、本物にこだわり品質を高め恥ずかしくない品格を道具から学び直していきたいと思います。

和合

昨日は無事に聴福庵での天神祭の実施と勉強会を実践することができました。菅原道真公をお祀りし、場を整え、寺小屋にし学問とは何かについて話を深めていくことができました。

改めてご縁というものの不思議さ、そして初心の大切さを感じる機会になりました。

裏方では、みんなで力を合わせてお祭りの準備を行いました。最初はお祭りのおもてなしとはどのようなものをすればいいのかと悩みましたが、結局はご縁がつながって生まれた物語を辿っていただけでした。

例えば、地域の氏神様が天満神社だったから最初の勉強会と実践が菅原道真公の天神祭になったこと。そして菅原道真公といえば梅を愛したことで有名だったので、梅に纏わる道具や梅料理を用意することになったこと。その梅も太宰府天満宮に信心深い方からの紹介で素晴らしい梅をいただいたこと。その梅を、梅干しや梅酒にしたこと。さらに80年前の梅干しと出会い、その梅干しのみで炊き込みご飯を備長炭を用い竈で炊いたこと。その炊き込みご飯のお皿は神社でお社にかかっている竹を刈りその竹を割って削り創り、室礼もまた境内の参道にかかる紅葉などを用いて飾ることになったこと。ウェルカムドリンクもある染の老舗の方からお譲りいただいた年代ものの梅ジュースを出せたこと。お味噌汁は、地域の方々と一緒に創って発酵した味噌を使い、かつお節も物語ばかりでしたが、その本節を削り出汁を取ったこと。さらには恩師が別の講演会でタイミングよく福岡にお越しになっていたことなど、他にもご縁を辿ればキリがありませんが様々な組み合わせと物語によって出来上がったのです。

これらの偶然が重なりあって、奇跡のような天神祭を執り行うことができました。これらの御蔭様を思うとき、私たちは本当にありがたい貴重な体験をさせいただいたことに気づきます。

当日のお祭りの裏方は何をするのだろうかとわかりませんでしたが実施してみると、みんなで協力して助け合い、まるで昔の日本の寺小屋のように学び合い、ご飯を共に作り合い、食べ合い、片付け合い、手伝い合い、まさに「和合」した姿が随所に垣間見ることができました。

和合という言葉も、ようやく私の心にストンと落ち着いてこの体験が和合であったのかと日本文化の持つ、一緒に働くことの仕合せを懐かしく感じました。

恩師からは「自分の人生のゲストではなく、スタッフで生きていく」ということの大切さをも教えていただきました。これは単に主人公であることを言うだけではなく、みんなで能動的に和合する生き方、つまりは共生と貢献、利他に生きつつみんなで一緒に働きを活かし合って協力して生きていこうとする人類存続の智慧の言葉です。

この天神祭の体験から私は子どもたちに遺し譲りたいもの、人類の理想の形を発見することができました。この奇跡のようなご縁を活かし、世界に大切なことを伝えられるように実践と精進を重ねていきたいと思います。

壁と共に生き続けるもの

昨日は、聴福庵のおくどさんのある厨房の壁の漆喰塗りを会社のクルーたちと一緒に行いました。左官職人の方のご指導のもと、みんなで鏝を持ち塗っていきましたが慣れない作業の中でも笑顔で楽しく味わい深い時間を過ごすことができました。

漆喰風のものが出回っている中で、材料を調合する過程からすべて見せていただき安心してこれが漆喰本来の姿であることを教えていただきさらに壁に愛着が湧きました。

かねてからみんなで一緒に塗った壁を眺めたいと念じていましたが、今朝がた早起きして陰翳の中で豊かに映りだされた模様や、個性があって味わいがある壁にうっとりとしました。

自然物の美しさというのは、マニュアルような技術でできるものではなく生きものそのもののいのちを扱いますから一つとして同じものはありません。画一化されて工業化してマニュアル化された近代においては、いつでもどこでも同じものができることを最良であるという価値観になっていますが、昔ながらの懐かしいプロセスの中には、お互いの信頼や尊重、そして一つ一つに刻まれたその瞬間の思い出や意味が籠められていきます。

こんなに豊かで楽しい時間を過ごしていたのかと、左官職人さんの感じている豊かさや仲間と一緒に生きていく歓びを改めて感じます。

また土をみんなで塗っていると、ある人から子どもが遊んでいるみたいと言われましたが本当に子ども心が湧いてきて夢中でみんなで塗ったのであっという間でした。終わった後の充実感も一入で、子どもはこうやって自然物を触り水と土といった融和したものを人生に取り込んでいたのかと大切なことを学び直した気がします。

みんなで一緒に楽しく塗った思い出は、壁と共に生き続けていきます。きっと京都や古民家で観てきた漆喰の壁も、その時代時代の左官たちがみんなで和気藹々と誇りと志を持って塗り込んだ壁だったのでしょう。だからこそ壁を眺めていると心が感応しいつまでも魂に響いていました。

今、ここで子どもたちのためにとクルーたちと一緒に志で取り組んだ壁もまたいつまでもこれからの世代の心に響くものになってほしいと願います。生き方の甦生は、日本人の大和魂の甦生です。

明日、いよいよ節目となる第一回目の天神祭の勉強会の実施です。

一つ一つをみんなと一緒に空間に宿し遺しながら、初志貫徹の第一歩を踏み出していこうと思います。

伝来の宝

いにしえより伝来したものに触れていると仕合せな心地がします。特に経年変化によって木が飴色になったものや、古鉄を磨いたときに出てくる深い黒色、それに土壁の中からにじみ出てくる錆び色、反物がしっとりと濃い蒼色になっている姿が美しく、心が落ち着いてきます。

色が変わっていくというのは、単に明暗が出たり強弱がついているのではなく暮らしそのものが出ているのです。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」と松尾芭蕉はおくの細道で詠みましたが、まさにその境地を感じます。伝来ものというものは、まるで旅人のようにこの永遠の月日の中を彷徨いながら旅をします。そしてその時々にその時代の伴と出会い、一緒に過ごしながらまた色を深くしていきます。

薄明りの中で、しっとりと反射して映ろう古い伴は心の安息を与えてくれます。

私たちは本来、伝えるということと承るということを通してかつての親祖や先祖たちに出会い続けていきます。根からつながっていると実感することは、今の自分があることの仕合せを感じるものであり、そういうものと触れていたらいつも心が穏やかです。

わびさびは、その旅人の境地でありその旅を住処として永遠を漂うことは不幸ではなく無尽の幸福でもあります。

古いかつての仲間たちに囲まれながら、未来の子どもたちを見守り続けるというのは自分自身の心にも感応するものがあり、決して本質を見誤るなよ、決して安易に流されるなよとつかず離れずに見守ってくださっているかのようです。

懐かしいと感じる心は、日本人の心のことです。

この懐かしさこそ、伝来の宝であり私たちはその宝を子どもたちに譲っていく責任があると私は思います。引き続き、日本人としての生き方の甦生を実践しつつ脚下の実践を仲間たちと一期一会に味わい楽しんでいきたいと思います。

日本人の心と言葉

日本語には、深い意味があるものがたくさんあります。そのいくつは、外国語にも訳せないもので「モッタイナイ(MOTTAINAI)」とそのままの音で世界では認知されています。他にも「オモテナシ」や「ムスビ」、そして私たちが取り組んでいる「ミマモル」もまた古来からある外国語にそのまま訳すことができない素晴らしい日本語の一つです。

先ほどの「MOTTAINAI」は、日本では当たり前に「もったいない」と使われますがこれをアフリカで初のノーベル賞受賞者のワンガリー・マータイさんが日本に来た時に出会って感動しそのままの言葉で世界共通語としたのです。

具体的には『3R+R=MOTTAINAI』と表現され、意味は〇Reduce(ゴミ削減): Produce less waste.〇Reuse(再利用) : Use things over and over for a long time.〇Recycle(再資源化): Spread things around so they can be used repeatedly.の頭文字の3R。それと+して〇Respect(尊敬): Respect people who value the MOTTAINAI concept.が入っていると説明されます。

具体的には、農家さんがつくってくださったものに感謝し、お米一粒でも無駄にしないようにという心や、今まで助けてお世話になった古いパートナーだからこそその御恩を忘れずに粗末にしないようにしようといった日本人の元来持っている大切な感性のことを「尊敬」という言い方で整理したように思います。

日本語にはどれも、御蔭様や感謝の念が入ってその言葉が素晴らしい響きを持ちます。

現在ではこの素晴らしい日本語が消失してきています。日本人が日本語が分からないというのは、日本人が日本人の心が分からなくなっているということです。日本人の心を失った人たちが増えれば、それまでにあった日本人が使っていた古来からの素晴らしい言葉もまた同時に失われます。

日本人の心が美しい日本語を産出し、その美しい日本語が使える日本人が美しい心を持ったまま暮らしていたのでしょう。私の祖父母の時代は、その美しい言葉をたくさん会話の中で用いていた記憶があります。

それが失われてきている今だからこそ、敢えて古来からの日本の言葉にこだわる必要を私は感じます。「MIMAMORU」もまた、「信じきる」といった日本人の心が入っている言葉です。この言葉が世界共通になるとき、世界は今よりももっと子どもたちが創り出す未来に安心できるように思います。

引き続き子どもたちのために古民家甦生もそうですが言葉の甦生、日本の大和心、大和言葉の甦生にも取り組んでみたいと思います。

 

歴史は先生

歴史を学び直していると、後世に名誉回復した人たちがたくさんあることに気づきます。その当時は意図的に罪を被せられ歴史から消された人物であったとしても後世にその本当の業績や遺徳が遺志を継ぐ人物から見出され再び燦然とその価値が世の中に認められるのです。

菅原道真公もそうですが、他には楠正成公や最近になると杉原千畝氏なども有名です。歴史は勝者の歴史ですから、都合が悪いことはほとんどが燃やされて消されます。しかしのちに、その恩恵を受けた人々や遺徳を偲ぶ人たちが活動をしてその人の名誉を回復するのです。

同様に名誉回復をした人物に西郷隆盛があります。「敬天愛人」を貫き、人を相手にせず、天を相手にせよ、天を相手にして己を尽くし、 人を咎めず、 我が誠の足らざるを尋ぬべしという一生を送りました。

その西郷隆盛も亡くなった後に、政争で破れて朝敵として歴史の汚名を受けていたところ明治天皇、黒田清隆、勝海舟をはじめ多くの人たちが名誉回復のために奔走していきます。

誠心誠意生きた人は、たとえ汚名をかけられていても必ずその汚名は恩恵を受けた人々によって浄化され澄んでいくのかもしれません。それはまるでもともと美しく澄んだものが、泥をかけられて見えなくなっていたとしても時という川の流れの中で水が泥を押し流して最後は透き通った砂利が見えてくるかのようにその本来の姿や真心が顕れてきます。真心は隠せず、真心はいつの時代も風化せずに永遠に時空に輝くのかもしれません。

歴史の面白さというのは、教科書通りに読むのではなく生き方を見つめよく深め、本当はどうだったのかともう一度見直して後世になってその価値を見つめ直す中で出てきます。

生き方を学ぶにも、未来を見通すとき歴史は常に私たちの先生です。

今の時代や世間の評価ばかりを気にして生きるのではなく、未来に生きる子どもたちのためにも歴史が観照することを信じて誠実に理念を貫いて実践していきたいと思います。

義の繋がり

天神祭の準備に向けて菅原道真公のことを深めていますが、残っている文献や資料からできる限り情報を集めてその功績や事績、そして和歌などからその人格や人柄を想像しています。

しかし歴史というものは、勝者の歴史といわれるようにその当時の権力者や政府が自分たちに都合の悪いところを消していきますから消されてしまうとほとんどが遺っていません。だから今の時代になって、改めて歴史を客観視して直視するとこれだけの偉大だと信仰されている人がなんの功績も出てこないのだろうかとしっくりこない人物もたくさんいます。

まさに菅原道真公はその代表でもあり、天神信仰をはじめ全国の天満宮に祀られ、学問の神様としてこれだけみんな崇敬しているのに和歌や遣唐使を廃止したことくらいしか遺っておらず、右大臣にまでなって政治を司り、その後の「延喜の治」と呼ばれるほどの治世の礎をつくり、国風文化の発祥の根源になったにもかかわらずその実の功績のところが歴史の表舞台に出てきません。

私が思うには、過去にこれだけの人々から1100年以上尊敬され今でも篤く信仰されている人物がちょっとしたことだけでそこまでになるとは思えません。菅原道真公も、その当時の人々のことを心から思いやり仁慈をもって接した立派な方でさらに大義を貫く生き方が美しくまるで神様のようだったからこそそのままに神格を持ったのではないかと思います。

実際にわかっているのは「昌泰の変」にて901年1月、左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした事件があったということ。その後、権力を醍醐天皇と藤原時平が握ったこと、そしてそれから10年も経たずにまた宇多上皇と藤原忠平に権力が戻ったこと、そして菅原道真公の名誉を回復した流れになったことは書かれた通りであることが分かります。

ただしこれもまた勝者の歴史ですから、真実はどうだったのかとなるとそのまま鵜呑みにすることはできません。しかし菅原道真公が、どのような学問をし、何を愛し、どのような生き方をしたのかは、その遺した言葉や、その当時に関わりのあった弟子たちや同志たち、子孫たちによって語り継がれていきます。

これは幕末の吉田松陰のように、弟子たちが師がどのような人物であったか、弟子たちがその後、政治の中で如何に自分たちがその恩恵を受けたか、そして師の遺した文章にどれだけ励まされたか、そのようなものが信仰としていつまでも遺ります。

その当時、菅原道真公の学問の弟子たちが官僚の多くを絞め、道真公亡き後も志を持って政治に中ったように思います。だからこそその後に延喜の治と呼ばれるほどに平安文化が発展していったように思うのです。

菅原道真公をいつまでも信仰するのは、今の日本があるのはその当時に道をつけてくださった恩師のことをいつまでも忘れまいとする子孫たちの「義の繋がり」なのでしょう。

ただの学者ではなく、本物の学問を志した人物としての菅原道真公は実践を重んじた方です。だからこそ、その至誠が天に通じ、天神様となったのでしょう。まさに至誠の神様と呼ばれる由縁です。

私にとっても特別な存在になったこの天神様は、国家鎮守の風土と共に氏神様としていつまでも子どもたちを見守ってくださるように祈りを奉げていきたいと思います。

 

学び直し~刷り込みからの脱却~

幼いころから正解を求められて生きていると、正解思考の刷り込みを持つものです。正解思考とは、どこかに正解があると信じ込まされるということです。正解を知ることが目的になっていると、本来の意味やその価値よりも正解に囚われ正解を出すことが目的になります。

例えば、学校では教科書がありそこに書かれているものが正解だと信じ込まされます。すると正解を知ることが正しいことであり、正解が分かると褒められ評価してもらえます。発明王のエジソンが昔、1+1=2であると教師に教えられたとき1つの粘土と1つの粘土をくっつけて2ではないというと気ちがいだと罵られ退学させられた話があります。

正解かどうかよりも探求することや、なぜそうなるのかと実験をすることを目的にしてしまえば正解を持っている側からすれば厄介な人物になります。この正解思考とは、人工的に育てるときには重宝されます。特に優秀な生徒と褒められる人ほど、自分は先生の言うとおりに正しいことをしているのだから間違っていないと信じ込んでいるものです。

しかし本来の学問の面白さは自分は間違っているのではないかと正解を疑い正解までのプロセスの中で学ぶことが自分の成長の喜びや本質的な学びの味わいのように私は思います。AIなどいよいよ人工知能がでてきて、人間以上に暗記するだけでなくその知識を縦横無尽に大量のデータを構成して活用できるようになるからこそ人間本来の意味や智慧がまさに必要になってきます。

正解だけを植え付けられ、正解だけを求めてそこにたどり着くことを目的にすればできれば良し、できないところはなくせばいいというように常に優劣の思想に囚われます。そうなってしまえば、優秀か劣等かだけが物事の基準になり少しでも優秀であれば自分が救われると勘違いしてしまいます。

言われたことしかしなくなるリスクというのは、根底にこの正解思考の刷り込みがあるようにも思います。間違っていないと正解を信じ込むよりも、自分は間違っているのではないかと自分を疑うことが探求心の入り口であり成長の切っ掛けです。

学び直しというのは、知識の詰め込みでは得られないものです。何を間違っているのかと常識を疑い、何を思い込んでいるのかと刷り込みから脱却することで、物事の本質やありのままの真実が浮かび上がってくるものです。

あのエジソンや、世界の発明家たちは人工飼育することができなかったいわば障害だったのかもしれません。しかしその障害こそ特殊能力であり、天才と呼ばれる天から与えられた天性を死ぬまで維持できた自然野性人間だったとも言えます。

自然というものを壊すのは人工というものです。人工的に作られた自分で満足するのではなく、正解を超えて自然の未知に触れていこうとすることが新しい時代を歩む人類の生き方になるのではないかと私は思います。

刷り込みを取り払うためには「学び直し」が必要です。今までの人生の学び詰込みではなく文字通り「学び方を直す」のです。それは今までの学び方を捨てて、新しい学び方にすること。間違っていないと正解を信じる生き方をやめ、間違っているのではないかと自分を疑えということです。

思考停止して指示待ち人間で一生を終わることがないように、その人一人ひとりが自然体に自分らしくいられるように子どもたちには正解よりもプロセスを、そして優劣よりもそのことの意味を感じられるように素直に謙虚に学び直しを続けていきたいと思います。

 

伝承の意味~何のために~

昨日の西日本新聞の記事で下記のようなニュースが流れました。

「山梨県笛吹市の送り盆の行事「甲斐いちのみや大文字焼き」で16日、火の代わりに「大」の形に並べた発光ダイオード(LED)が点灯された。火をともす足場が風雨で滑りやすく、安全性を考慮して今年から切り替えた。同市観光商工課は「送り火のLED化は全国でも珍しいのでは」としている。甲斐いちのみや大文字焼きは、江戸時代に行われていたものを1988年に再開。実行委員会などによると、昨年までは山の斜面に木で組む井桁で火をともしていたが、延焼しないよう見守るスタッフを置く斜面は、足場が不安定だった。」

送り火をLEDに換えるという記事ですが、一見読んでいると安全面を配慮しと書いているのでそれはそれで理由は理解できます。しかし本来、何のために1988年に江戸時代に行われていたものを再開したのかの理由が失われているのがわかります。

事物にはその事物を行う優先順位というものがあります。何をもっとも優先するかというのが理念であり、その理念を優先するから本物が遺り続けて伝承の意味が出てきます。

どの時点で伝承が終わるかといえば、本質がすげ換ってしまうときです。報道と共に「大文字」の火とLEDが比較されていましたが明らかに品がなくなっているLEDを見てこれを見て江戸時代に行われていた送り火の意味は感じることはないだろうなと改めて思いました。

現代は、代用品があふれ似て非なるものばかりで構成される世の中です。価値観もそれでいいと思っている人が増えていますから、本物風や本物らしいものでもいいと思われがちですがそれは本物ではないのは火を見るよりも明らかです。

たとえば、室内植物なども手入れが面倒だからと造花などで誤魔化して一見、緑が多いと感じますが本来の植物が持つ癒しの効果はまったくありませんし美しさも似せているだけで自然物の持つ自然美はありません。

優先順位や理念を見失えば何のためにやっているのかがわからなくなるものです。そうやって何のためにを考えない人が増えれば、すぐに他の優先順位が上がってきます。それが目先の課題の解決であったり、身近な不平不満を解消するものであったりが正しいことになり、それが正論として誰も反対することもなくなり、なし崩し的に消えていくのでしょう。

そもそも何のためにそれをはじめたのか、こういう時こそ一度みんなで考え直す必要がありますし、初心が伝承されなくなった理由が自分たちの都合ではないかと自分自身を見つめ直す必要があると私は思います。

伝統を継承するものとして、如何に意味を間違えないで維持し続けるかは先人たちの思いをそのままに受け継ぐ資格を持てているかと自反慎独して本質を大切に守る必要があると私は思います。

引き続き、時代が変わっていく中でも変えていいものと変えてはならないものを判断し伝承の意味を深めていきたいと思います。

土から学ぶ

先月から郷里で伝統を受け継いでいる三代目の左官さんが、古民家の漆喰をすべて塗り替える作業を進めてくださっています。糊も海藻からつくり、漆喰も古来からの調合で仕上げていくというかつての伝統に沿って取り組んでくださっております。

現在の住宅では、漆喰の壁というものをあまり用いられなくなり若い左官さんは漆喰を塗った経験がある人も少ないそうです。もっぱらモルタルやセメントなどの塗りが多く、かつての伝統的な土壁の仕事は年々減っているといいます。

日本古来からある伝統的な家屋が失われていけば、それまで伝統と共に先祖の智慧を紡いできた職人さんたちの仕事が失われ大切な伝承ができなくなってきます。家は自分のためだけに建てるのではなく、先祖から子孫にいたるまでずっと長くこの気候風土の中で幸福に過ごしてほしいといった先祖たちの祈りと共にあるようにも思います。ただ安いからや便利だから、見た目がよく流行りだけで飛びついてしまえば建てるという本来のプロセスや意味を素通りしてしまいます。

現在の住宅は平成8年当時の国土交通省が発表した『建設白書』によると、日本の住宅の平均寿命は26年だといわれています。これは1920年代に化学接着剤が発明されそれから50、60年前に尿素系の化学接着剤で合板というものが市場に出て住宅用建材として多く使われたといいます。 このような住宅建材としての合板普及が日本の住宅の寿命を短命にしたといわれます。他にも短命になっている理由はコンクリートも中の鉄筋が腐食することで建物の強度は落ちますし、シーリングやコーキングも劣化により隙間から結露が入ってきます。

古来からの湿式工法は、気候風土、自然素材を相手に作業をするので職人の技量の差がでてきますが乾式工法はマニュアルどおりに施工すれば、ある一定の水準は維持できます。大量生産大量消費の考え方は、家にも入り込んできていて誰でも簡単便利にプロ風にできて早く安いものが主流になっているのです。それに会社側のお金の観点で見ても乾式工法の方が早く建てられ壊しやすく、また年数経てば建て替え需要もありますから迷うことなくそれを進めていくのでしょう。

改めて家を建てるのに何を基準にするか、誰も疑問に思いませんが物を正しく買うことと同様に観点を間違ってしまえば間違えた通りの家になってしまうということだと私は思います。家は人生のパートナーですから、どんな家に住むかで一生の運気が左右されてしまいます。

今回の古民家甦生では以前からあった漆喰を剥がして新しい漆喰に塗り替えていきますがその下地には120年前に塗った藁が入り混じった荒土が出てきます。その分厚い荒土に触れていると、歴史を感じ、この土が長い間のこの土地の風土に順応し、呼吸をして今でも息づいているのを感じると風土と一緒一体になって私たちと共に生きている家のいのちを感じます。

梅雨から夏の終わりにかけて大量に発生してくる水分を溜め込んだ土は、秋から冬にかけてそれを吐き出していきます。温暖湿潤気候の日本の風土で、年間を通して一定の湿度を保ってくれている家はとても快適そのものです。

吉田兼好が徒然草の中で、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」といいましたが冷暖房をフルに使って電気代をかけて密閉住宅に住むというのはかえってお金がかかってしまうでしょう。お金をかけまいと乾式工法を選び、お金がかかる家に住む現代をみて吉田兼好はなんというでしょうか。

結局は、伝統というものが崩れていく背景にはこのお金というものの新しい価値観によって左右されていくということだと私は思います。これからさらに仮想通過やAIの出現により地域や風土を無視したものが増えていくと思いますが、振り子のように帰って本来の原点に回帰しようとする学び直しも出てきます。

一足先に取り組みつつ、時代の変わり目に子どもたちに大切なものを伝承していけるように思想も生きる姿勢も磨き直していきたいと思います。