意味の存在

世界には様々な歴史があります。その歴史の中には、それぞれに大切な意味があり物語を継承しています。そしてその物語はこの今の私たちにつながりその意味は私たちが世界に伝承することで人類の発展に貢献しているとも言えます。

その物語の中には、人類としてどうあるべきかという挑戦と冒険が溢れています。ある人は、こう生きた、またある人はこう生きたというものが、様々な組み合わせによって遺ってそれを受け継いでいくのです。

これは人類に限らず、すべてのいのちに必然的に存在する使命でもあり生死を度外視して私たちは「どのような意味を存在したか」ということを試みているのです。

その意味は、目に見えて残っているものとすでに消失して目には見えなくなっているものもあります。しかし、その「場」で行われた歴史や意味は確かにその空間に時を超越して遺っているように感じるのです。それは生きている私たちが、無意識に伝承されているいのちの様相であり、いのちある限り様々な物語や意味はずっと続いているのです。

近代に入り、ありとあらゆる人種が融和し融合し混然一体になってきています。数々の意味がここにきて合わさってきているとも思うのです。その中で、伝統というものはそれぞれの意味を純度の高いままに保存してきた記憶媒体の一つでもあるのです。

これらに触れることで、かつての純度の高い精神や魂から確かな意味や物語を継承する人々がいます。彼らは、新しい時代を創造する人類の叡智を使いこなす子どもたちです。

私が伝統の継承にこだわるのも、いくら宗教とか言われても構わずに「場」を伝承しようとするのもまた意味の存在を守るためなのです。これは私だけではなく、いのちあるすべての生命がやってきたこと、人類の歴史を鑑みればなぜ大切なのかは必ず時間が経てばわかることだからです。

意味の存在を見つめることは、自分自身を深く見つめていくことです。残された時間、少しでも大切な意味の存在を伝承できるように伝道につとめていきたいと思います。

  1. コメント

    「事実」と「真実」という二つの言葉があります。「意味を知る」というのは、この「真実を探求すること」ではないでしょうか。大事なのは、その時代の、その時のその場における「真実」を探求することでしょう。今の価値観で、安易に「意味」を変え、勝手な解釈をしないようにしなければなりません。「変えてはいけない真実」を探求するためには、「臨場感」を磨くことが必要かもしれません。

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