怒りと毒

仏教では怒りについて語っているものがたくさんあります。この怒りという感情は最も自己を修養するのに正対するために必要なものの一つのように感じます。特に怒りは三毒の一つになっていて怒りという毒をどのように解毒するか、その方法についても智慧が残っています。

例えば、仏教の十善戒の中にはこういうものがあります。不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使わない。というものがあります。

これも怒りの毒が発生しない、あるいは毒を受けないための極意の一つだと思います。

考えてみると、嘘をつき、いい加減なことをいい、乱暴に話して二枚舌で腹を黒くする。これはすべて毒であり自分の身を傷めつけ滅ぼしていきます。結局、日々の小さな毒が自分の身体をむしばんでいくのです。そしてその毒の反応として怒りという感情が育ちます。

怒りの感情は深く他人を傷つけます。そして同時に自分も深く傷つけます。怒りはまさに毒から発生してくるからです。怒りを溜め込んでいる人は、毒を溜め込んでいる人ともいえます。毒を溜め込めば自分自身が毒に呑まれます。そしてその毒を周囲にまき散らしていきます。毒を減らす努力をするのではなく、毒を限界まで増やしてしまえば怒りの感情に完全に呑まれてしまいます。

怒りに呑まれてひとたび行動すれば後で大きな後悔がやってくるものです。

弘法大師空海がこのような対処法を残しています。

「怒りや謗りに言い返すは、己の人生の舵を他者に渡すことと同義なり。真の「無視」とは逃げや冷酷にあらず、己の人生の主導権を取り戻すための気高き選択であると心得よ」と。

意訳ですが「他人からの怒りや誹謗中傷や妬みなどに言い返していると主体性を他人に渡してしまうことになります。本来の無視とは、冷たくすることや逃げることではない。自分の主体性や主導権を常に自己で維持すための大切な誇りある決心であると心に刻みなさいと。」

私はいつも事があるときに「自分の機嫌は自分でとる」ということを意識して周囲とも分かち合っています。怒りにまかせて周囲にそれをぶつけると、そういう場が産まれていきます。簡単に言えば、毒が撒き散らかされた場所になってしまいその環境が周囲の毒も誘因してい増大していきます。

そうならないように、乾いた風通しのいい清々しい環境にするために笑いを用い、掃除をし、光をいれて空気を通します。そうすると、次第に毒がデトックスされていくものです。

身体は怒りの毒で傷んでいきます。身体は外からの心への攻撃を防ぐバリアにもなってくれています。その身体を労わり大切にするためにも、毒を溜めず毒を流すような暮らしを実践していくことが肝要だと感じます。

仏教には、不動明王のような怒りと慈悲があったり、十一面観音のように様々な感情の顔を持つ存在があります。

色々な体験を通して、仏道のことをさらに深める機会にしていきたいと思います。

 

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