疑死再生

昨日は、英彦山の宿坊でたくさんの方々と一緒にお彼岸のご祈祷と英彦山伝承や鷹についての勉強会を行いました。改めて、鷹という鳥がどのような存在であるのか、北部九州の中での英彦山がどういう歴史的役割の場所であったか、そして山伏や修験者、宿坊とは何かということについて語り合い学び合いました。

そもそも修験道には「疑死再生」という修行があります。これは実際に死ぬのではなく、一度死んだものとして扱われることで、古い自分を手放し、新たな存在として生まれ変わるという精神的なプロセスを体験できる修行のことです。

お彼岸でこの世とあの世の境界線の話をしましたが、その境目がないところにいのちの甦生や再生が深く関わります。私たちの親祖たちは、蛇の脱皮や鷹の羽の生え代わりや、鮭がまた川を遡ってきて卵を産卵する様子や、他にも熊の冬眠から目覚めたり鹿の角が生え変わったり、カエルや蝶などもあります。生きたまま老いて死ぬのではなく、別の世界や異なる姿に変化して新しく甦生して生き返るのです。

この変化というものを得る場所を「お山」の修行を通してというところに修験道の妙味があります。

鷹の選択という動画があります。これは事実はどうなのか、自己啓発の創作動画などとは言われていますがとても面白い内容になっています。具体的には、熊鷹は長寿の鳥とされ、40歳頃に大きな転機を迎えるといいます。老いた鷹は爪やくちばし、羽が衰え、このまま死を待つか、苦しい変化を選ぶかの決断を迫られると。そしてその時に変化を選んだ鷹は標高の高い山にこもり、くちばしや爪、羽を再生させる試練を経て、新たな姿で再び飛び立ち、残りの人生を生き抜くという話です。

そもそも鷹という鳥は、あの世とこの世を結ぶ境界線を生きる存在だと信じられてきました。山の中に棲み、大空から下界を眺めて目的目標に正確に狙い打ちして的をはずしません。そして天高く飛び去り、何処かに連れていきます。

この生態は山に棲む「山伏」ともとても似ています。むかしの人たちは山伏たちを鷹のような存在だと同一視していたのではないかとも感じます。そして山で修行をすると、別人のように生まれ変わる姿を何度も観たのかもしれません。

この鷹の選択の動画で示唆を受けるのは、それまでの自分自身を毀し、新しい自分になって寿命を延ばすというものです。そのためには、今まで身に着けてきた力を一度、すべて捨て去り、もう一度、はじめからやり直すという決心をするということです。

疑死再生の本質とは、その覚悟を決めることで甦生するという世の中の道理を示したものかもしれません。

智慧というものは、言葉で残すのではなく生き方で遺るものです。鷹伝説があるというのは、それだけこの英彦山というお山は鷹のような生き方をした人物を輩出した場所であるともいえます。

私も、大切な節目を迎えており今一度、お山や場から自分自身をみつめ直し、いのちの在りようあるがままを観て道を選んでいきたいと思います。

ありがとうございます。

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