見守る世の中

1000年先のことを考えてみます。当然、自分は死んでいますが子孫たち、またそのずっと先の子孫たちのことを思います。すると、何を願い、何をいのるでしょうか。

ちょうど昨日のブログでは1000年前の人物のことを書きました。その人が生きていた時代から1000年、世の中は何が変わって何が変わらないでしょうか。

例えば、地球にあるお水がいつまでも綺麗で飲めるお水であってほしい。または木々や山の自然が残り生き物たちが分かち合って助け合って食べていけるものがあってほしい。人々が家族になって仕合せを謳歌してほしいなどはすぐに想像できます。

しかしそれは今だからこそそう思うのです。本来、太古の自然ではお水はいつも美しく自然は豊富で人々は小さな集落を育て仲睦まじく暮らしていました。しかし今は、行き過ぎた資本主義に包まれ権力とお金に支配され、動植物は絶滅するものが増え、核兵器がうまれまるで終末期です。極端な表現かもしれませんが、1000年前の人たちは今の時代を想像していなかったように思います。きっと自然と調和し共生し助け合い平和な暮らしができる日常を願ったのではないでしょうか。

自分なら子どもが子どもらしくいられるような世の中を遺したいと願い祈ります。

これは、社會がそれだけ「見守る世の中」になっているということです。それはいのちが安心して存在できるような世界です。

そのために今、何ができるだろうか。

私は場を調えていくこと、生き方を繋ぐこと、智慧や伝承を守ることなどを思いつきました。他にも子どもたちの発達を見守ることや、甦生やお手入れをはじめ寿命を大切にする仕組みづくりです。

まだまだ今、生きていますから丹誠を籠めて正直に丁寧に1000年先の未来を予祝するように日々を実践していきたいと思います。

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