王道は正直

今の世の中は、何でも簡単便利に効率よくというものが人気があります。

販売されている商品も、負担を減らすためにという言い方をしつつもより楽をしようとするあまり反って本質から外れて忙しくなったり、初心や目的からズレて仕事を増えたりしているものです。

制度なども同じく、制度を作った方が便利だと用意したけれど結局はその制度のせいで思いやりが欠けたり、柔軟な対応ができなくなり硬直したりと、安易に即効性のあるものはその後は長続きせずに形骸化しそれが変革の邪魔になってしまったりするものです。

本来、学び方も教え方でも同じことですが「サプリメント」を与えるようなものを簡単便利だからと優先すればそのサプリメントで乗り切れると勘違いする人たちを増やしてしまうのです。コンビニで売られているサプリメントや薬の類は、結局は根本治癒をするものではなくその場しのぎを増やしていくだけでより状況は慢性化し悪化していくだけです。

根本治癒をするには、時間をかけてゆっくりと内省しつつ対話によって解決していくしかありません。それは結果さえよければいいではなく、そのプロセスをどれだけ大事にしているか、それは教えるのと同じで教えてできるのではなく、自分で考えて行動して自らが気づき答えを出していくということを何よりも大切にするということです。

人間を信じるということは、その人は必ず気づき覚るであろうと信じることかもしれません。

すぐには気づかなくてもじっと待っていれば、その時が来ると念じていればその日が訪れるのです。祈るようにその人の気づきを待ち、自分自身が実践を已まずに道を歩んでいればご縁の妙に導かれて必ずその人の気づきが訪れるのです。

それがいつになるのかは分かりませんし、自分が生きているうちにはこないかもしれません。しかし私自身がそうであるように、師から諭された言葉も気づくまでには何度も挑戦し、内省を繰り返しながら数年から十数年でハッと気づかされることが多いからです。

道には王道があり、王道を志すならば正直が一番です。

人に求めて焦る気持ちが出てくるときは、自分の足で自分の道を歩むことをお座なりにするときかもしれません。日々の脚下の実践を怠らず、克己の工夫を探求し子ども第一主義を深く掘り下げていきたいと思います。

 

  1. コメント

    先月の朝サミットでのFTの振り返りの時に野見山さんから指導いただいた言葉が重なりました。「福に転じよう、福にしようというのも、FTがしてはいけない。参加者が自分たちで福に転じられるような環境になること、それを信じて待つことが大切だ」という言葉に、改めて難しさを感じました。その場で信じようとしても、盲目に信じるしかないとなりました。しかし、一か月たって振り返ると、だからこそ、日頃やFTをする前までに、参加者のことを考える、思う事が大事なのだと気づきました。どんな参加者なのか、その人たちはいまどんな思いなのか、どんなことが起きているのか。そういったことに思いを寄せ、興味を寄せるからこそ、信じる拠り所、根拠が見えてくるのだと思います。今まで、盲目に信じることに力を入れてきましたが、まったく違うところに力を使っていきたいと思います。

  2. コメント

    「時間がかかるもの」は敬遠しがちです。しかし、「必要な時間はかけるもの」ということもできます。同じように、「手間暇がかかるもの」も避けがちですが、これも「必要な手間暇はかけるもの」ではないでしょうか。「かかる」という認識は、自分の都合から生じますが、「かける」という発想は、自然の摂理に基づいたものです。人やものが育つために必要な時間と手間暇には、私たちには見えないプロセスがあり、相手のなかで、たゆまない努力と極々わずかな変化を積み重ねているのでしょう。見えないところでの懸命な努力を想像しながら、じっと待てるようになりたいと思います。

  3. コメント

    今起きている事実は認識できても、それが何なのかはまだ分かっていないと思います。頭では事実を理解し納得しても、受け入れ難いものはやはりあります。避けて通れば避けられるのかもしれませんが、選んだ道はそうではないようです。逆らわず受け入れ今遣るべきことをしっかり行っていきたいと思います。【○】

  4. コメント

    出張から帰ってきたクルーの話を聴かせてもらい、気づこうとする人、道を歩もうとする人には必ず熱が伝わるものだと感じました。方法や技術ではなく熱を受けとることが出来ているか、発することが出来ているか。自分との対話を深めたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です