和道

天神祭の準備を進めていますが、孔子と菅原道真公の生き様と生き方に共通点が多いことを感じます。共に憧れの君子に向かって学問を求道し、子孫たちへ人類の目指す理想に向けての光を照らし今でも私たちを見守ってくれている存在になっています。

孔子は中国の人物ですが、論語を通して私たちはその教えを血肉にしてきました。日本人というのは、「和」という言葉にあるように、他を排斥せず、他を鵜呑みにせず、他を尊重して混ぜ合わせ渾然一体にして文化と溶け込ませていく民族でもあります。

澄んだ水に、あらゆるものが溶け込み受け入れるようにその寛容で素直な精神が私たちの根底を支えています。自然のようにゆったりと悠久の流れの中で、自ずから最適化していくようにお互いの持ち味を活かしあい和合するのが私たちの文化の原点です。

そもそも風土で醸成されたものは、その風土が象ったものですからその風土の適性を帯びています。それが別の風土に移動するとき、その風土に適した人物や存在が新しく顕れ、古いものが甦ります。

こうやって自然は、何度でも甦りを繰り返し、その風土の時の流れと一体になって生き続けていくのです。教えや智慧もこの自然の仕組みがあり、ただ外からそのままになって入ってきたものは風化しますから風化しないように日々に手入れを行い、時々に生まれ変わり新鮮さを維持し続けていくのです。

私たちは同様に、日々に増えていく文化や文明に対してそれを温故知新し続けていくことで本来の姿をいつまでも守り続けていきます。それを伝統といいますが、それを伝承するためには時代の変遷の中で何度も原点回帰を続けて和製にしていく必要があるのです。

言い換えるのなら、その時代時代の通訳者が必要になるということです。何が本質かというのは、その時代に生きる人が翻訳し通訳しなければなりません。そして本物のであり続けるために、その意味の解釈が正しくできなければなりません。

目指す生き方が同じである人が、時代時代に顕れ、同様に自分の人生で体験したものをその時代の人たちに示していくから受け継がれていくのです。

天神様は、人物が神様になったものです。

これはどのような生き方を目指したか、その生き方の先に神様が在るということです。ここの神様の神は「カミ」のことで本来、日本人は宗教とかどうこう分別する前に、太古から暮らしを通して息づいている自然の存在をカミとしその道から離れないように生きていこうとした民族です。

だからこそそうやって生きた存在をカミとして称え祀り、その生き方を模範にしていこうと祈り継承し続けてきたように私は思います。

天神様は、学問のカミですから何のために学問をするのかをその存在から私たちは気づかせていただけるように思います。

引き続き、子どもたちのためにもこの時代のかんながらの道を伝承する民族の独りとして実践しながら伝え遺していきたいと思います。

古井戸の甦生

郷里で古民家甦生を続けていますが、昨日ついに手掘りで彫り続けた井戸に念願の水が湧き出てきました。一か月も前から少しずつ掘っていましたがいつまで掘ればいいのだろうかと仲間と不安にもなっていましたが、湧き水が出てきたことで一安心です。

今回、私たちがやったのは古井戸の甦生です。かつては使用されていた井戸も、もう何年もそのままに放置され、大量のごみが井戸の中に投げ込まれていました。出てきたものは、前の住人の方の遺品やガラス、陶器、金属の破片や井戸蓋、鉄筋コンクリートなども出てきました。その他、粘土や真砂もありましたがほとんどがゴミとして誰かが井戸に投げ込んだのでしょう。

昔は水神様として井戸を大切にしてきたといいます。それは暮らしの中心に井戸があり、暮らしを支える存在として水は欠かせないものであったからです。その井戸に感謝して、井戸神さまをお祀りしていつも清浄にしていた暮らしがありました。

火の神様はガスの出現でいなくなり、水の神様は水道の出現でいなくなり、火と水を祀るという暮らしも失われていきました。

私が取り組んでいる古民家甦生というものは、古民家再生とは異なります。なぜなら、古民家はそのままあったものを再生していくものですが私のやっているのは現代になりすでに壊されて失われていたものをもう一度、かつての暮らしをお手本に甦生していくからです。

私にとっての甦生は、この古井戸の甦生と同様に現代ではいならなくなったものを拾い、それを新しくしていくプロセスを通して子孫へと伝承していくものです。

ただ水が欲しいから井戸を掘るのでもなく、ただ珍しいから竈を使うわけではありません。本来、大切にしてきたものを粗末にしていく現代においてなぜそれが大切であったのかを教え諭すためです。

学問が今ではただの受験勉強のようにすげ換っている様相を見せる現代において、本来の学問とは教えずにして教え、学ばずにして学ぶものであったということをこの寺小屋のような古民家甦生を通して伝承していくのです。

日本の家は私たちの日本的精神を磨かせ、日本の道具や暮らしはそれを活かすことによって文化を伝道してきた継承の仕組みを支えているのです。

引き続き、古井戸の甦生を通して子どもたちに先祖からの智慧を譲り渡していきたいと思います。

 

梅の徳3~梅の生き方~

天神祭に向けて梅を深めていますが、梅の花の紅白について考える機会がありました。梅は一つの木で、紅色や白色に咲く花もあり、紅白美しく咲く様子にはうっとりするものです。菅原道真公もこの紅白の梅の花を一生愛した人物だったといわれます。

紅白の由来には諸説ありますが、赤色が赤ちゃんというように出生を意味し、白色が死装束の色のように死や別れを意味するところから、その 2つの色を組み合わせることによって「人の一生」を顕すという説、また花嫁衣裳の色であるという説、赤飯を炊いて祝っていた説などが主な由来とされています。

紅白歌合戦などの紅白は、むかし源平合戦が紅色と白色の旗印で行われたことから名づけられたという説もあります。日本の国旗もまた、この紅色と白色の2色で彩られます。

この紅白の持つ意味は、私たちが思っている以上に深く日本人の精神に大きな影響を与え続けているのかもしれません。

菅原道真公も梅の木に自分を照らしながら歩んだ一生だったのではないかと私は思います。梅の詩には、その梅の木をまるで父母ように慕い愛した心情を私は感じます。

「梅の花 紅の色にも似たるかな 阿古がほほにも つけたくぞある」

「月の輝くこと晴れたる雪の如し 梅花は照れる星に似たり 憐れむべし 金鏡転じ 庭上に玉房の馨れることを」

この2つは、幼少期に菅原道真公が詠んだ詩です。両方の詩には、梅を憧れの先生のように素直に慕っている心情が読み取れます。

中国から伝来したもっとも君子を顕す梅と共に自然から学び自らの魂を高め続けた菅原道真公の姿が梅の姿から観えてきます。

同様に、天神様を信仰する学問の志士たちは「梅花香自苦寒来」を信じ、どんな境遇においても常に独り慎む君子のように「高潔」を顕す梅の徳を君子に見たて、その紅白の花を咲かせる梅のように歩みたいと梅を師とし、友とし、伴侶として歩んだのかもしれません。

不遇の生涯であっても後世のために使命を果たした大徳、中国の孔子のように私はこの菅原道真公の功徳の偉大さを感じます。私にとっては、菅原道真公は日本における孔子の役割を果たしているように思います。

高潔な一生を生きる梅の徳を梅の生き方から学び直し天神祭に向けて、学問を深めていきたいと思います。

 

梅の徳2~梅と信仰~

天神様を深めていく中で「梅」が深くかかわっていることに気づきます。それは菅原道真公が「こよなく梅を愛した」ことが縁起になっています。ご神体には、胸のところに梅紋が入ったものをよく見かけます。全国各地には、同じように梅紋様の家紋が多くあるのは天神様の信仰者が多いことにも由来します。

またあまりにも 多くの家が「梅紋」を用いたため、菅原道真公の子孫を称した加賀の前田家は 特に区別をした「加賀梅鉢」というものを考案したといいます。特に梅紋は、天神信仰の広まっている近畿、 北九州地方に多く分布しています。

菅原道真がどのくらい梅を愛していたかということは、その詩や住まいにも見てとれます。例えば、天神御所は別名で「白梅御殿」、そして別邸は「紅梅御殿」と呼ばれていたくらい多くの梅が植えられていました。

産まれてから死ぬまで、最初から最期の絶筆にいたるまで梅についての詩を詠みます。梅は、いついかなる時も菅原道真公の御傍を離れなかったということで飛梅伝説というものも産まれています。天神様と梅はその生き方があまりにも似ていたのでしょう。

「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」

「城に盈(み)ち郭に溢れて 幾ばくの梅花ぞ 猶(な)ほ是れ風光 早歳の華 雁足(がんそく)に点し 将(も)て帛(はく)を繋(つな)げるかと疑い 鳥頭に点著して家に帰らむことを憶ふ」

そして古代に思いを馳せれば、昔の人たちが如何に梅を愛したのかを想像できます。

厳しい冬を耐えて最初に美しい花を咲かせ百花の魁とも呼ばれる梅の花は、いつか咲くと信じて待つという心を顕します。耐え忍ぶ心は、自然を信じ待つ心であり、苦労を厭わずに真心を盡せば必ず美しい花が咲くことを梅の生き方をもって信じられたのかもしれません。

そして紅白に咲く梅の美しい花は、吉祥を顕しています。現代でも紅白はおめでたい縁起物として私たちの暮らしに活かされています。古来の日本人は、この紅と白の梅の花に何を観たのでしょうか。

信じる生き方というのは、その後も天神様を通して子どもたちに語り継がれ今でもその功徳は私たちを見守ってくださっています。待ち信じる中にいのちの美しい花が咲くという真理はいつまでも私たちの生き方の模範になっています。

引き続き、天神祭までに梅の徳を深めてみたいと思います。

 

 

 

 

天神様の生き方~和魂円満~

来月の天神祭にあわせて準備を進めていますが、改めて菅原道真公の遺徳を感じることばかりです。もう1100年以上前の人物が、今も大切に祀られ子孫である私たちを見守ってくださっているだけですごいことですが、至誠の神だけでなく、雪冤の神、正直の神、文學の神、書道の神、相撲の神としてあらゆる分野で先祖たちは畏敬の念をもって接してきました。

また「和魂漢才」といって、日本固有の精神をもって外国から伝来した学問を活用する模範となった方でもあります。

人生としてはたったの57年ほどのもので、その最後は冤罪によって大宰府に送られましたが真心が天に通じてその後に人々に至誠を盡すことが大切であることを生き方で伝道された方でもあります。

その切り拓かれた道を、後世の人たちがその時代時代に続いてきたからこそ今もその恩徳や霊験が大切に信仰として遺っているように思います。

江戸時代の復古神道の大成者の平田篤胤が記した「天満宮御伝記」というものがあります。道徳の規範として、菅原道真公の生き様、またどのような恩恵があるかについて記されます。

「仰天満宮世に在ませるときは、第一に神を尊び御二親に御孝行にましまし、君にはよく忠義を盡し給い、もの読み手跡を好み給ひ、御心正しく直に坐ませる故に、神となりても世人の忠孝の道を守らず正直ならざる者は悪み給ひ、読み書きをきらふ物をば恵み給はねば、能能親の示し、師匠の教えを忘れず守り、主に事へては大切に勤め心を正直に持ちて偽はる事なく、読書手習ひに精出して、天満宮の御心に叶ふやうに心を持つべし、もし此事を守らざれば、天満宮の御罰蒙りて遂には禍を受べし」

とあります。

何を大切にすることを天満宮が示したか、どのような生き方をすることが学問の意味であるか、千年を超える信仰の中に私たちはこの教えにより繁栄を続けてきたことを実感します。

小さな島国において、和魂を盡しつつその才を活かし伸ばすということが風土が顕現した学問の原点です。

私は「和魂円満」という言葉を用いますが、この円満は天満と同じ意味になります。八百万のものを受け容れながらそのものを丸ごと活かす境地こそ、学問がある高みに達してその学問を大成した証になるように私は思います。

天神様の教えが、如何に幸福な生き方を私たちに伝承されてきたか。日本人が今の日本人になるために偉大な師匠であったことを改めて実感します。生き方や生き様な燦然と輝く天満宮を、古民家甦生信仰の柱にしたいと思います。

風土の民

私たちは少し前の常識を歴史として認識するものです。少し前の時代に、新しい基準を設けそれを3代ほど繰り返せばそれが新しい常識になります。歴史や伝統もまた、新しい基準に合わせて変わればそれが繰り返されるうちに当たり前になるのです。たとえそれが二千年続いたものであっても、ものの数十年で違うものに変えてしまうことができます。それが歴史の姿です。

有名なものに暦の改暦というものがあります。日本も約140年前にそれまで800年以上続いていた旧暦をあっという間にグレゴリオ暦に変えてしまいました。現代ではほとんど新暦が当たり前になり、旧暦の存在すらも忘れ去られています。

季節の移り変わりや、潮の満ち引き、そういうものを一切無視してはそれまでの自然や伝統、暮らしに合わせて先祖が築き上げたものはなかったことにして世界の基準に無理やり合わせようとする。欧米から入ってきたカレンダーをみては季節感もなく、農や暮らしとも関わりがなく、ただそのスケジュール通りに生きていくのが生きることになればそれまで続いてきた自然と共生する智慧の暮らしが失われるのは自明の理です。

本来は変えてみてよくないと気づいたならすぐに原点回帰するというのが歴史の学問ですが、なし崩し的に伝統が消えてなくなってしまったらどこが原点かもわからなくなってしまいます。

グローバル化の中で、本来の変えてはならないものと変えていくものの違いがその時々の責任ある伝承者たちによって正しく継承されなければ文化はその時から次第に失われていくのではないかとも私は思います。

風土というものは、私たちにとっては切っても切り離せないものです。

地球のどの位置にいるか、その場によって気候も環境もそして暮らしも全く異なるからです。先祖たちは何千年もかけてその風土を学び、その風土に適応し、その風土と一体になって暮らしを創造してきました。

その暮らしの伝承があってこそ、私たちはその風土の民となります。

風土の民は、それぞれに独自の文化や信仰を発展させその風土の持つ魅力や価値、その風土から学んだ智慧を人類の未来に託してきました。その智慧は何のためにあるのかといえば、人類を存続するために必要だったのです。

それが急速に失われていくということは、人類が生き残る可能性も急速に失われていくということを意味します。

何千年もかけてきたことが、ものの数十年で消えてしまうという真実を私たちは本気で畏れなければなりません。もう一度、やり直せといわれても遺っていなければ最初からやり直しでまた数千年の歳月を実験していかなければならないのです。

なぜ生き残るためにこれを選んだかは、それが先祖たちが唯一学んだ人類存続の方法であったからです。

知識や情報は増えましたが、それはどれもあくまで短期的な利益をみれば効果はあります。しかし永続的なものや長期的なものを考えたときの利益はほとんど効果がないものです。

だからこそ風土の民として責任を果たすためにも、先祖を学び、先祖が暮らしてきたものを子孫へ伝承する使命とが今を生きる私たちにはあると思います。

引き続き子ども第一義を貫き、分度を守り、風土を推譲していきたいと思います。

 

風土

私たちはそれぞれに住んでいる国の風土があります。その多様な風土の中でそれぞれの文化が発生し、その文化によってその国の人々の暮らしの個性が出てきます。

世界には風土の数と同等数の多様な民族や暮らしがあり、それを継続して発展させて文化にまで昇華したものが伝統というカタチになって遺っているのです。

現在は、世界の国々でもともとあった風土とは異なる文化をそのまま移設しようと試みられていますがそのことによりその風土にあった「場」が失われてきています。同時に、場が失われれば文化もまた減退していきますから民族の個性や暮らしも失われていきます。伝統が消えていくというのは、その国の風土や文化が消失していくということに他なりません。

伝統文化において大切なのは、場と間です。

どのような風土の中で、どのような経過を辿ってきたか、それが混然一体となって和が産まれます。

日本には産霊や結びといった、あらゆるものが混ざり合い産まれる和という信仰があります。これは風土が他を排斥せず否定せず、お互いを尊重し合って一つのものになるということです。

これは日本の風土が、小さな島国の中であらゆる多様な気候の変化を受け容れることにもよります。こんなに小さな場所でも、この日本は非常に複雑で新鮮な風土環境を持っています。それは台風や地震、火山やあらゆる自然の猛威を潜り抜けている場所ともいえることでもわかります。

私たちはこの場に住んでいますが、今こそこの場を改めて見つめ直して学び直し、価値を再構築し再発見をする必要があるように思っています。

なぜなら世界は今、大きな岐路に立たされておりこの先の未来のためにも自分たちがどのように伝統を守りそれぞれの個性を互いに尊重して一和していくかが問われているからです。

風土を無視して同じ色に塗り替えるということが世界が一つになることではありません。多様な風土があるように多様な民族や伝統文化、暮らしがあってそれを尊重し合いながら生きていくことが人類の役割だと私は思います。

地球上で生きるすべての生き物やいのちたちを追い払って自分たちだけになって果たしてその世界は楽しく豊かな場になっているのでしょうか。閑散としたビル群の中での生活は確かに便利で楽でしょうがお金を使うことばかりに創られた都市の中で本当の仕合せはないと私は思います。

あの美しい自然が私たちの心を癒すように、何が本来の姿だったか、懐かしいものを現代に伝承していくことも今の世代の責任だと私は思います。

引き続きこの先に地球に生まれる子どもたちのためにも、風土のあるべきようを究め直し、風土を活かした志事を実現させて和の甦生を実践していきたいと思います。

成長の本質

「習熟」という言葉があります。

辞書によれば「ある物事に慣れて十分に会得(えとく)すること。」と書かれます。類語には、「習得する 、 身に付く 、体得する 、 自分のものとする 、覚える 、我が物とする 、マスターする 、 修得する 、 肌でつかむ 、心得る 、 極める、磨きぬく、鍛錬する、錬磨する、熟達する」などがあります。。

この習熟は、パッと言葉で教えてわかったからと簡単にできるものではなく長い時間をかけて繰り返し繰り返し続けていく練習の中で身についていくということがここからわかります。

自分のことを思い出せば様々な智慧はどうやって身についてきたかと思うと、根気強く一つのことを求め続けていく中で何回も失敗を繰り返し改善を続けていくなかであるとき、コツを掴みできるようになりました。

そのためにはいつできるようになるのかがわからなくても、諦めずに求め続け高め続けていく中である瞬間に臨界期を超えて脱皮して新しい自分に生まれ変わるという体験が必要です。

この脱皮して生まれ変わるというのが、習熟であり発達したということです。その間は、なぜこんなにうまくいかないのか、なぜわからないのかと、どうすればできるのかと日々に煩悶しますがそれでも強く変わりたいと願い、挑戦し続けて取り組んでいく中で気が付いたときには変わっていくものです。

脱皮したり変化したりするのがうまい人は、好奇心が旺盛でなんでも楽しくやっているうちに変化していきます。あまりマジメ過ぎると、そのこと自体が楽しくなくなり、つらくなりさらには焦りや臆病風が吹いてきては怖くて新しいことに飛び込んでいく勇気がでないままに動けなくなりいつまでも変わらないこともあります。

だからこそ、変わるためにはもっと大らかに明るく楽しく求めていく必要があるように思います。それは道を究めようとする心であったり、やっていることの意味に気づき、その深さや面白さを味わったり、達人や熟達した人たちにその体験談やヒントを聴いてそれを試してみたり、また仲間や友人と共に現状を語り合いながら苦労や感想を分かち合ったりと、「創意工夫」をしながらやっていくとより脱皮しやすいように思います。

変わらないからと焦ってみても、自分を責めるばかりで周りのせいにしてはかえって変わることができなくなります。

どうせある日あるときに突然に気が付くとできるようになっているようなものが「成長の本質」であり、それが習熟するということですから日々はいろいろとやり方を工夫してみてその工夫の妙を味わっていくような気持でネアカに快活に歩んでいく方がいいように思います。

諺に「好きこそものの上手なれ」とありますが、まさにこれは先人が語る習熟するための至宝の妙法かもしれません。どうやってそのものを心から大好きになっていくか、そこが脱皮の最大のヒントのようにも思います。これはあるものを磨いてそのものに深々と愛着をもっていくことに似ています。

引き続き、様々な実践を楽しみ味わいながらその一つ一つがあるとき習熟してわかりできるようになる日を心持にしながらご縁を結び、日々の磨き直しを楽しんで取り組んでいきたいと思います。

 

社会の伝承

時代の変遷と共に子どもたちの取り巻く環境は変化してきています。戦後のベビーブームで急速に人口が増えていった多子社会の時の環境と、今のように高齢化少子社会の時では子どもたちが置かれた状況は一変しています。

私のまだ幼いころは、周囲には常に子どもがいて学校にも大勢の子どもたちがひしめくように狭い遊び場を取り合っていました。今では子どもの数が減り、空き教室なども増えています。それに近所にはたくさんの子どもがいて、ちょっと道を歩けば友達に会えましたが今では遠方に住んでいる友達ばかりで簡単には会えません。

都会では、田舎から人が集まってきますから人口はそんなに変わっていませんが子どもは昔と違って危ないからとほとんどが親の目の届く家の中で遊ぶか近所の公園や学童などの施設内で遊んでいます。

子どもが減って大人と子どもの関係ばかりが強くなると、子ども同士の関係は薄まってきます。しかし自分の幼いころのことを思い出すと、大人から過保護過干渉の縦の関係よりも子ども同士の横の関係で学んだことの方が多かったことを思い出します。

子どもたち同士で学ぶことは、そのまま実社会で役立つことばかりでそれを子どもながらに試行錯誤しそのころの友達と様々な遊びの中で智慧を培っていきました。子どもが子ども同士で学ぶのは社会を創る実験でもありました。その子どもたちが想像した社会実験が大人なってからの実社会になるのです。

子どもたちにとっては今の大人たちの社会が模範となって自分たちの社会を創造していきますから今の大人たちがどのような社会を育てていくかはとても大切なことのように思います。

大人たちが協力し合い、仲良く助け合う社会をみては子どもたちも同様にそのような社会を子ども同士で築き上げていきます。しかし反対に、競争や歪んだ個人主義の姿をみせばそれも真似をしていじめやひきこもりなどにつながっていくこともあります。社會は即、子どもたちの発達や成長に影響を与えます。

だからこそどのような社会を子どもたちに譲り遺していこうかと考えることは、人類にとっての教育のあるべき姿を追求する世界共通の課題であり、時代が変わっても子どもたちがどのような社会を望んでいるかは、常に私たちは子どもの今の姿から学び直す必要も感じます。

今の大人たちの社会を押し付けるのではなく、子どもたちが創ろうとしている社会をどのように信じて見守るかは現代の世代を担う責任であり、人類のための尊い使命のようにも思います。

引き続き、子どもの環境が変化していく中でも変わるものと変わらないものを見極め、子ども第一義の理念を実践していきたいと思います。

土の甦生

先日、古民家甦生で壊れた漆喰の壁を伝統工法で修復する作業がありました。糊も昔ながらの技法で海藻をコトコトと煮込み、漆喰を調合して壁面に塗り込んでいきます。

左官職人はまるで自由に滑らかに縦横無尽に鏝を使い繊細で緻密な作業を流れるように進めていきます。土づくりから参加してみてみると、下準備にかかる手間暇は膨大で最後の仕上げしか想像していなかった私には学び直すことばかりでした。

下準備や段取り次第では、仕上げの塗りができなくなることもあり、下塗りや中塗り、そして上塗りとコツコツと丁寧に壁を整えていきます。特に土の調合では、納得いくまで丁寧に何回もイメージしたものを混ぜ合わせていきます。

土は自然物ですから、その時々の気候や湿度、温度によって土の状況も異なります。その土と向き合い、その時々の環境の変化に合わせて微妙に調整をする、まさに職人技のなせるとことです。

今回は私も左官職人の指導で漆喰塗りを体験してみましたが、幼いころに遊んだ土遊びのことを思い出しました。幼いころは、川や水辺、田んぼの周辺で土を混ぜては様々な造形物を創りました。泥団子やダム、トンネルや、お城や動物など、想像したものを手で捏ねては塗り固めて遊びました。

あの頃のワクワクしたことを思い出し、土の存在を最初に身近に感じた頃の懐かしい記憶を思い出しました。土は、縄文時代以前からずっと私たちの身近にあって私たちの暮らしを支えてきたものです。

半永久的になくならず、そして甦生を繰り返して利用できる循環型の素材として土は永続的に家を保つのに活用されます。聴福庵の床の間や漆喰の壁の土もそこにあったものを剥ぎ取り、また混ぜ合わせて再利用されました。

どのような土で生きて、どのような土と共に歩んでいくか、土はその場所を動かないからこそ私たちはその土から生き方を学ぶようにも思います。

これから土は瓦の土と、茶室の土が入ってきます。特に茶室のものは、自然農で手塩にかけて育てて見守ってきた発酵した田んぼの土を使ってこれから左官職人と一緒に創りこんでみる予定です。

日本の伝統文化と職人の伝統芸術を遊びながら土の甦生を味わっていきたいと思います。