歴史の産道~今此処の一歩~

山野の中には人が歩いている道や獣道があります。長い時間、何度も同じところを歩いていくことでそこに道ができます。已まずに歩かれ続けるとその道は踏み固められ、誰も歩かないとそのうちその道が消えていきます。

道といえば代表的な古い道に熊野古道があります。だいぶ前に熊野古道を歩いたことがありますがその道を歩きながら歴史や文化、そして風土や理念などを感じたことを思い出します。

道というものはただそこに道があるのではなくその道をどのような人たちが何の目的でどのような心で歩いたのかという「太古から流れる一筋の思い」を鑑みることができるのです。

今まで続いてきた道というのは、過去にその道を歩んで今の自分にまでつないでくださった方々があるということです。その消えそうになっている道を、自分が後でまた歩むことでその踏み固めた一歩はまた次の人たちへの礎になっていくのです。

誰も見ていないからや誰も通らないからではなく、自分が通る道だからこそ責任をもって歩まねばならないと思うのです。みんなが通ったから安心ではなく、自分が通らなければならぬ志があるのです。

ひとたび歩めば、そこはもう鬱蒼とした密林の中で道なき道をかき分けていくものかもしれません。しかしだからこそ自分が進まねばならぬ、だからこそ自分がもう一度かき分けて入っていかなければならぬという道を開くという使命感です。

私が好きな三つの言葉があります。一つは二宮尊徳、「古道に積る木の葉を掘分けて天照す神の足跡を見む」。そしてもう一つは種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」、最後は源重之の「つくば山 葉山蕃山 しげけれど 思い入るには あわらざりけり」です。

そのどれも自分の境遇に左右されず、自らの道を切り開く真心を感じます。

幼いころ、生前の祖父が山登りをするのに連れられて道なき道を登り山の中を歩き回ったことがあります。今思い返せば、きっと山芋を探していたのかもしれませんが子ども心に迷子になるのではないか、二度と戻れないのではないか、何か獣と遭遇するのではないかと不安を感じつつ背中を見つめては歩んだ記憶が残っています。どこに出てくるのかも、どこに向かうのかもわからず、山の中に何時間もただ分け入って往くのです。しかし思い返せばその体験が山に入る霊妙さと道を歩む崇高さを覚えたのかもしれません。

道は時であり、時は人であり、人は旅です。

そしてその道は歩む中に由って顕れます。

きっと私たちは歴史の産道を歩んでいる最中なのかもしれません。その歴史の産道の意義を決して忘れず、自分の足で今此処の一歩を大切に歩んでいきたいと思います。

 

長い目~地球観~

先日、養鶏場で鳥インフルエンザが蔓延し約10万羽の鶏が処分されました。他の鶏に感染するからと全部の鶏を処分するのですが果たしてこれが人間ならどうだろうかと思ってしまいます。

もともと鳥インフルエンザは昔からある病気で今にはじまったものではありません。鶏自体に免疫があれば感染せず、かかってもそんなに広がらなかった病気です。自然界に棲んで自然界の生活をしていれば、自ずから病気もまた天敵と同じように自浄作用の中で働いているものの一つです。

しかし、人間の都合で鶏を飼育され抗生物質を大量に投与されている合成人工餌を食べている養鶏場の鶏では病気に対する抗体がなくほとんどが死んでしまいます。その卵を食べたり、その肉を食べる私たちもまたその弱体化したものを取り入れて弱くなっていきます。

自然農に取り組み、自然の畑の中に入り感じるものは厳しい環境の中でいのちを育んでいく自然の姿です。寒さに負けず、暑さに負けず、虫にも負けず、病気にも負けずに逞しく育っていきます。苦労という苦労をまともにしながらも、その生はゆるぎなく元気そのものです。

時折、運命に負けそうな出来事が起こっても再び這い上がってきます。天候の変化や人間の余計な手出しがあったにせよ、強く逞しく自ずから主体的にいのちを発揮します。

農薬も同じく、一部の虫が問題だからとほとんどの生き物たちを処分してしまいます。そして除草剤も同じく、ほとんどの草を処分します。それで一時的に処分したとしてもすぐにまた同じ出来事が起こります。根本的に解決しない方法を繰り返しとったとしても、その時は乗り切ってもあとにもっと大変なことになります。

長い目で物事を観ることを已めてしまうということは、それだけで悠久の歴史の中の智慧を失ってしまうことになります。生き残るという意味が、どれだけ長いスパンで考えているかはその人の生き方に由るものです。

ある程度の数を制限し、広い空間の中で、自然の雑草や穀物、昆虫を譲られた分を自然に食べるようにすれば全体とのバランスの中で病気にもかからなくなっていきます。これは鶏だけの話ではなく、すべての動物に言えることです。

もっとも悍ましいことは、人間が今動植物に行っていることが人間にも行われていくということです。戦争も同じく、自然に天敵があるように、人間にも天敵があります。それが決して外界にあるものではなく人間の精神や心の中にあることに気づいている人は多いはずです。

何千年も前から悠久の歴史には人間は自分に打ち克つことを戒めてきた言葉ばかりが刻まれます。今の時代、スピードを上げるばかりで内省する時間もないようですが根本に立ち返り、本質に立ち止まる勇気と、流れを断ち切る信念が必要なのかもしれません。

なぜ自然養鶏なのか、なぜ自然農なのか、なぜ自然の生き方なのか、自分の中にある自然の力を外側から抑え込んでもそこには限界があることを自然はいつも教えてくれます。

私たちは46億年の地球の一部ですから、地球観を持ち、長い目で静かに物事を判断していく力を身に着けていきたいと思います。

志の意義~親孝行~

今年は大河ドラマで吉田松陰に関することに触れる機会が多いため、今まで見聞きし調べてきたことを何回かに分けて深めてみたいと思います。

吉田松陰は脱藩をしたり、ペリーの黒船に乗ったり、討幕を訴えたりと危険なことばかりを繰り返した我儘な人物ということをよく誤解されます。当然、人間は封建的なものを持っていますから秩序を乱すようなことをすれば排斥されてしまうものです。特に明治維新前の時代は思想をはじめ言論から行動まで非常に強く抑え込まれていた時代ですから危険人物の中では突出していたとも思われていたのでしょう。

先日も吉田松陰のことについて他人に聞かれましたが、親に迷惑をかけて周囲に迷惑をかけてなんて勝手な人だという人がいましたが決してそうではないのです。

吉田松陰はいつも自分が行ったことで親に申し訳ない、周りの家族に、親族に、お世話になった方々にと涙しながら前進した人物でした。脱藩の時は、毎晩のように涙を流して親の安否を心配し続け、ペリーの時は有志の師の佐久間象山先生の安否を気遣い続け、牢獄に入れられ私塾を開き討幕を訴えて兄は失職し両親も仕事がなくなり、養父の責任も巻き込み、申し訳なさに涙涙しながらも志を貫き至誠を通し真心を盡した生き方の人でした。

それは手紙や詩の中にたくさん残っています。

「知るや否や親を思う連夜の涙、天衷自ら万人同じきあり」(分かっているのだろうか、両親のことを心配し流している連夜の涙を、人間には必ず天から与えられている情があるのだから私もまた同じなのです)

「吾が家の父母兄弟いずれもつつがなきに候や」(我が家の父母兄弟はいずれもご無事であろうか)

「これからは、拙者は兄弟の代わりに此の世の禍を受け合うから、兄弟中は拙者の代わりに父母へ孝行してくれるがよい。左様あれば、つづまるところ兄弟中皆よくなりて、果ては父母様のおしあわせ、また子供が見習い候えば子供のため、これほど目出度き事はないではないか」(これから私は兄弟の代わりにこの世の災難を請け合うから皆はどうか両親に孝行してください、そうであればみんな家族は仲良く両親も仕合せで子どもがそれを見習えばきっとめでたいことだから)

最期の別れでは、母親に元気な姿で帰ってくると約束し母親を安心させ旅だち、処刑前に遺した詩が「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」(私が両親を思いやる心以上に私を思ってくれる両親の真心、今日の私の死の知らせをどう思うだろうか)とするのです。

このような人物が我儘で自分勝手に生きたわけはありません。吉田松陰は何よりも孝行を大切にし、忠義を盡して、至誠に生きた人物なのはすぐにわかります。激しい一面だけを見ては危険な人物というところだけを見ては、世の中の批評はあったけれど、内面や内心、本心はとても思いやりのある優しく純粋で正直な子どものような人だったのです。

自らを「情人」であるといつも言っていた松陰は常に立つときその情に於いて煩悶するがそれでも往く、「慈母の愛、父淑の責めは人情の堪え難きところ、唯だ非常の人のみ能く非常のことを為す。孔孟の国を去り、釈迦の山に入る、皆常情にあらざるなり」という。孔子も孟子も自ら家族を遺して国を去り、釈迦もまた同じように山に入っていったように決して比べられない大事なもののために覚悟するのだと自戒し言うのです。

自分の真心を信じてくださる両親に甘えつつも、同時にそのことで多大な迷惑をかけてしまう苦悩に煩悶し涙する日々の中「已むにやまれぬ大和魂」(それでもやめることはできない私の善心)という言葉は、それでも已めるわけにはいかないという透徹した純粋で正直なその人の心魂から吐出す信念の血言霊だったのではないかと私は思います。

本当に未来を憂い、世界の将来を心配し、人々の行く末を案じるのなら魂の先輩から志の本意を学ばなければなりません。私たちは単に義理か人情かではなく、志ということがどれだけ苦労の実践実行と関与しているのかを自覚しなければなりません。親孝行の中に大切な教えは全て入っているように思います。

親孝行をするというのは、志を練り上げる第一の徳です。

子ども心に憧れた松陰はいつも心の中に居ます。時機を心待ちにしているのなら、いつの日か同じ境地に近づけるのでしょうか。これからも何をもって親とし、何をもって孝行とするか、その志の意義をよくよく考えて生き切っていきたいと思います。

伝心

人は知識があるないにかかわらず、信じているか信じていないかは言葉に表れて出てくるものです。何のために知識を持つのか、それがかえって不安材料になってしまうのではせっかくの知識がうまく活かせないことになるかもしれません。

先日ある人が、若いときは「できないことが増えるから挑戦したくない」ということを言っていたという話を聞きました。優等生で優秀であったために、何かをすればできないことが増えるから何もしたくないという心理があったとのことです。それを聞いた周りの人は「できないことが増えるのはできることがそれだけ増えることだからもったいない」と言っていましたが、その人はできないことが増えることは可能性が広がるという考え方でした。

同じ事柄であっても、できるできないをどう捉えるかというのはその人のセルフイメージが決めています。セルフイメージとは自分の心と思いのことです。自分の中で何を信じているか、自分の中でどのような思いがあるかということに気づけば自分の努力の方向性が分かるようにも思うのです。

人は対話をします。その対話はただ言葉を行き来させているのではなく、その人の心や感情を伝えるものです。いくら上辺を繕って表面上は誤魔化してみても、心はそのまま相手に伝わります。心や思いがどうなっているのかは、語らずとしても伝わるものです。

これを以心伝心といいます。信じるということもこれに似ています。その人が言っているから鵜呑みにして信じるではなく、自分から能動的にどれだけ信じようとするかということが大事なのです。

言葉にはその人の信が入ります、そして眼差しにも信が入ります。信じ合っている絆は強く簡単には崩れません。しかし信が弱くなれば、絆は脆くなります。お互いが信じ合っているという関係を維持するのは、お互いにその信を送り続ける努力が必要なのです。

信じるというのは、自分が信じる実践を積み重ねていくことで溜まっていきます。自分との約束を果たし続けていたり、自分に打ち克ってきた場数によって信はより篤く盤石になっていきます。もしくは自分の信じる人が信じているものを一緒に信じることでその信を結び信頼の手綱を握り合うこともできます。

目には見えませんが、その信があるからお互いに頼り合うことができるのです。自立というのは、信頼関係を築けるということです。つまり自ら信じることができるようになるということです。

信じさせてもらおうという態度では、いつまでも他人のせいにできるような姿勢では信じることは難しいものです。自分を如何にだまし続けるかは、自分が如何に信じ続けられるかです。本来の知識とは、自分を信じ騙すためにあるもののように私には思えます。そしてそれは信じる方も同じです、信じているかどうかが相手の信の礎になるのです。

どんな情報も知識も受け取る側の考え方次第ですから、それを善いものへと転じるのは具体的な実践による智慧に換えた時に変わるように思います。知識をどのように活かすかは、その人の生き方ですから長い目で観て世の中を仕合せにするために遣っていきたいと思います。

子どもたちのためにも、できるできない、分かる分からない、知識か智慧かではなく、信じるということ。何よりも主体的に心を育てて思いを揺るがないものに成長していきたいと思います。

時間の使い方~未来の自分~

人は自分の時間の使い方でその人の人生観が観えてきます、一度しかない人生を何に遣っているかは時間が証明します。時間とは何か、それが人生とも言えます、その時間にどれだけの意味と感謝を持つかでその質は変化していくように思います。

志を持ち実践し継続するという時間こそ、その人の天命に応じる生き方かもしれません。

自分の時間であるけれど、それは他人のための時間でもある。

そう考えることができるならば、その人はスケジュールというものを有意義に使えるように思えます。なぜなら人はみんなご縁で結ばれていて、そのご縁に感謝すればするほどに自分の時間は大切な誰かのために使いたいと願うようになるからです。不思議なことですが、自分の事ばかり考えて自分の時間ばかりを持つ人ほど時間を持て余してしまいます。いつも誰かの役に立ちたい、誰かのために力になりたい、だからこそ誰かのために成長したいと願う人は無限の時間を持っています。

論語に、「夫れ仁者は己立たんと欲して人を立て、己達っせんと欲して人を達す」(雍也第六の三十)があります。

これは弟子の子貢が孔子に人を救うことについて尋ねた質問への問答です。私の意訳と解釈ですが子貢は、人々を多くの災難から救い施し豊かにするのが真心の人ですかと尋ねます。すると孔子は、それができたら真心の人ではなく聖人だ、古代の聖帝の尭・舜ですらそれができなくて苦労されたのだ。

そしてここからが上記の有名な一文「己を立てようとして他人を立て、己達さんと欲して他人を達す」の意味ですが、真心の人は自分が立ちたいと願えば他人を同時に立て、自分が達したいと思えば同時に他人を立てる、つまり他人のことも自分のことのように思いやることができる、まるで自他一体なのだよと言います。

このことは、私のかんながらの道にも通じるものがあります。つまりは真心の実践とは自他を分けないということ、つまりは思いやるということです。逆説ですが、他人を立てることができる人だから自分で立つことができます、そして他人を達させることができる人だからこそ自分も達するのです。

私は自分のために成長したいのではなく、その他人の力になりたい、助けられる技術や仕組み、救えるための法則を学びたいと真摯に祈り探し深めつづけて歩んできました。するとその力は自分のために必要なのではなく、力になりたい誰かのために必要になるのです。自分が達したいと思う願いの本質は、相手があってのものだからこそ自他を達することができるのです。

人間は自分と他人とをどこかで選別しています。まさか目の前の人が自分だとは思わないものです。しかしよく考えてみると、自分とは何か、それは関わる人たちとの出会いに由って存在しているものであり、それによって変化していく存在です。

その自分という物は、単に自分と認識できる範囲の小さな自分ではなく世界丸ごと含まれた中にある自分という存在もあるのです。つまりは、自分とは相手であり相手が自分という世界のことです。

自分が助けたその人に由って同時に自分が助けられているという事実、自分が真心で実践したことが相手の真心に通じて同じ実践ができることも全ては自分というものの認識の別に由るのです。

人間には外見では同じようなことをしている人でも実際に実践するとその深さが異なることに気づきます。自他一体も、同時というのも、己というものの捉え方一つということなのでしょう。

自分の周りを仕合せにできる人は、自分も仕合せになる人です。

全てを真心と思いやりのために時間を遣え生きれる人が、常に己に克っている人ということなのでしょう。分けない実践、選ばない実践、全ての人を未来の自分だと思える実践を引き続き深めていきたいと思います。

命維れ新なり~維新の本質~

今年の大河ドラマ「花燃ゆ」では吉田松陰の妹の文を主役にしたものが放映されます。吉田松陰は優しく暖かく見守る家族に恵まれていることは松陰の過去の手紙から察していましたが、妹についてはあまり関心を持っていませんでした。今回の大河で妹がどのように松陰の影響を受けて生きたのか、私なりにも深めてみたいと思います。

吉田松陰は、孟子を使った講義を野山獄で囚人仲間に対して行いました。野山獄ではお互いの得意なところを学び合おうと学問を続け、その中で自らは孟子の解釈を語りました。その講義録を「講孟剳記」といい、完成したものを「講孟余話」といいます。

孟子は、江戸時代では禁書とされ社会秩序を乱すものとして読むことも禁じられていました。儒教は別名で「孔孟の教え」と呼ばれるのに、孔子は読むが孟子は読んではならぬというのはおかしな話です。孟子は、性善説を唱え人間の本性は善であると言いました。それに対して荀子は性悪説を唱えその反対を言いました。

しかし、本来は善も悪も一体であり真善と真悪は極め尽くせば最善であるのだから言っていることは同一のことなのでしょう。ただ解釈の仕方としては、孟子は惻隠の情という言い方をし、どんな人間も幼い子どもが死にそうならかわいそうだと思う真心が誰にもあるように人は思いやりを持って産まれてくるものだと言ったと私は解釈しています。

赤ちゃんが笑顔になるように、周りのことを思いやるようにできるのは人間は地球の中で見守られ多くのつながりの中ではじめてこの世に産まれてきます。生き物を殺して食べては存在しているのが私たちですから自然の慈愛は偉大なものです。

そう捉えてみれば、「人間の本性は善である」というのは言い換えれば「自然の本性は善ですよ」という意味になると思いますからこれは孟子の言う通りです。人間を含めて自然に生き活かされるものは全て善なのでしょう。

孟子は、孔子と同じく王道政治について語りました。今の時代の言葉にすれば、王道社會とはどういうものかを広め続けました。王道とは、人道の極みであり何よりも人間として正直である道とは何かを説いたのです。人間として正直であるというのは、お互いに思いやりを忘れずに助け合って見守り合う協力調和した世界の実践を行うことです。

それを君子とはどうあるべきかと、国を治める人たち(政治家やリーダー)に対して誠の政道とは何かを全国各地を行脚しながら民衆をはじめ国王へ教えを広めました。今も昔も人類は安心して暮らせる平和な社會を夢見てきました。その夢の実現をしようと語り掛けた教えは2500年を経ても燦然と光っているのはそれが本物本質であるからなのでしょう。

その大河ドラマの中で、妹の文が詠んだ孟子の一文がありました。

「庠序学校を設け為し以て之れを教ふ。 庠なるは養ふなり、校なるは教ふるなり、序なるは射なり。 夏に曰ふ校、殷に曰ふ序、周に曰ふ庠しょう、学は則ち三代に之を共にす、皆な人倫を明らかにする所以なり。 人倫の上に明にして、小民の下に親しむ。
王者の起る有り、必ず来たりて法を取る、是れ王者の師と為すなり。 」

私の勝手な現代意訳で申し訳ありませんが、(名君の居た世は常に学問をするところ全てにおいて正直正道を何よりも重んじ人としてどうあるべきかを明らかにしました。そうやって正直正道をみなで実践しているものであってはじめて民は王道を知り、それを広める王をお手本として正しい法に則っていきました。)と。

さらにここから「維新」という言葉が続くのです。

『詩に云う、 周は舊邦と雖も、其の命維れ新たなり、と。 文王の謂ひなり。
子、力めて之を行はば、亦た以て子の国を新たにせん、と。』

また現代意訳ですが、(詩経にこうあります、周は旧い国ではあるけれど、その命は維新されていると。これは文王が言うように徳を大事にして自らが実践すれば同じように国のいのちは新しく生まれ変わり続けるのです。)と。

「命維れ新なり」

正月を迎え、一年の新たな始まりに於いてこの「維新」という言葉。神道の式年遷宮のように「いのちが新らしく甦生する」ということを行うのは、それを実践するものたちの生き方や生き様、いわば道に由ってということなのでしょう。

孔子と孟子の行間からもう一度、仁義の本質を学び直してみたいと思います。

 

循環型社會の本質~一緒に生きる~

昨年は、社業を通してなんでも一人でやるのではなくみんなで協力しシャッフルすることから大切なことを学び直しました。

何でも一人でできる社会は、なんでも自分の都合で物事を進めることができる便利な社会です。人は自分の都合でできることを良しとして、自分の好き勝手にできることを自由だと勘違いしてしまうと不便さというものは排除するものとなってしまいます。

しかしこの不便さというのは、そこに誰かへの思いやりがあったり自分が誰かのために義務を甘受するようなやさしさがあるのです。

循環型社會とは何か、それを昨年は思い知りました。

それは誰かの都合で動かない社會です。それは家族がみんなで協力して助け合う社會です。言い換えれば、全てを必要とし全てを活かしている社會です。そしてそれは不便の中、面倒の中にこそあるのです。

昨年、皆で取り組む実践の中で便利に一人で簡単に進めるよりも、たとえ不便でも面倒でも一緒にやる方が周りのためになっていることを実感しました。誰か一人だけが頑張るのではなく、みんなで力を合わせることでパワーもエネルギーもすべて循環します。

今の時代はパワーやエネルギーを一つのためだけに使い切りますが、しかし江戸時代などはみんなでそれを振り分けて役割分担をして活かし切りました。この使い切るという発想が自分の都合で起こり、この活かし切るという発想が自他一体で行われているのはすぐに自明します。

そもそも循環というものは、周りを思いやっているかということです。自分だけが良ければいいでもなく、自分がやっていればいいではなく、「一緒にやる」といった中庸の場所で物事に取り組むことができているかということです。

一緒にというのは、運命共同体です。私の言葉では自他一体になっているということです。相手が自分であり、自分は相手なのです。自分さえよければいいという考え方が社會を便利さに走らせ、周りを思いやろうとする社會こそが不便であっても一緒にやろうと思える社會を創造するのです。要はどこまで相手や周りのことを思いやって一緒にと思っているかです。自分の成長だけを思う人と、周りの成長まで思いやる人では同じ動きをしていてもエネルギーは循環するかしないかの差が産まれるのです。

子どもにどちらの社會を遺してあげたいか、それはみんな心では分かっているはずです。だからといってその便利さの恩恵を受けている今の文明や時代を否定する気はなく、むしろ有難いのだからもう一段場を高めてその中でも「一緒にどこまで為れるか」が今に生きる私たちの大切な課題なのではないかと私は思うのです。

循環型社會とは、ただ環境をそうすればいいというわけではなく、其処に住まい、此処に生きる全てのいのちと運命共同体になるということです。つまりは「一緒に生きよう」とすることです。

視野を広くして悠久の歴史に今を照らせば、今までもずっとみんなで一緒に地球の中で生きぬいてきました。苦しいときもつらいときも、楽しいときも悲しいときもいつも周りをみては同じいのちを慈しみ愛して生きてきました。

視野を狭くするから自分さえよければと思うのでしょうが、連綿と続いて継承されてきたいのちの姿かたちが今の「自分たち」なのだから過去が悠久の長さがあったように、未来をも悠久の長さで考えないといけません。

今年はさらにすべてを分けずにもう一歩深く踏み込んでみたいと思っています。これは循環が単に共生という言葉ではなく、「一緒」の方が循環の本質に近いのではないかと感じているからです。いのちと生活ということがどのような実践と環境なのか、それをこの時代、今此処ではどうなのかを突き詰めてみたいからです。

一緒に行うことの真価を、全ての機会を活かし切りクルーたちと一緒に深め、志のままに挑戦し試してみたいと思います。

観察眼~心の実力~

外は急に寒くなり、雪も降って冬景色です。

動物たちは小さく丸くなって寒さをしのいでいますが、人間は数々の暖房器具、防寒衣服に包まれてぬくぬくとしています。

今は水も水道をひねればすぐに出てきますし、火もガスコンロを回せばすぐにつきます。また空調によって室内の温度も自由に調整でき、食べ物はコンビニに行けば何でも買えます。調べたいものがあればインターネットで検索できるし、買い物もボタン一つで購入しそれがすぐに自宅に届きます。暇があればテレビをつければ娯楽番組が流れますし、音楽だって聴きたいものはすぐにダウンロードできる時代です。人間関係も同じく、お金さえあればと面倒なことを避けて関わっている人も増えています。

少し羅列してみてもそこに何の不便さもなく、「便利」に囲まれて生きていると言っても過言ではありません。これらの便利さと引き換えに失ったものの本質は、じっくりと考えて物事を判断する観察眼ではないかとも思えます。

年越しに火を焚き、薪をくべ満天の星空を眺めながらゆっくりと思想に耽る時間がありました。昔の人たちは変化をじっくりと考える時間があり、物事の判断をとても長いスパンで検討して決断をしてきました。今は、情報化社会の中で何でも簡単便利に迅速に快適になることが何よりも優先されています。欲望を中和するような時間も持てず、目先の快楽のために精神が怠惰に流されてしまうのかもしれません。

観察眼とは、心を感じる力です。

心で感じたり、心で動いたり、心で取り組むという心の力、言い換えれば真心の実践を行うには観察眼がいるのです。相手と心を通じ合わせたり、全体のために心を配ったり、心を籠めて丁寧に接するというのは、そこに心が入っているのに気づきます。

心無いことをしたり、心を入れなかったり、心がけもなくなれば、頭でわかった気になり過去の知識からこんなものだろうと忙殺してしまいます。心は目には見えませんから気づこうとしなければあっという間に観えなくなるものです。心で観るという習慣を持つには、自分が心をいつも遣っていく生き方をしなければなりません。それはよく面倒くさいといって人が自分からやりたがらないことを敢えて自ら進んでやることでその観察眼が磨かれるのです。

森のイスキアの佐藤初女さんにこういう言葉があります。

「私、“面倒くさい”っていうのがいちばんいやなんです。ある線までは誰でもやること。そこを一歩越えるか越えないかで、人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩越えて。ですからお手伝いいただいて、「面倒くさいからこのくらいでいいんじゃない」っていわれると、とても寂しく感じるのです。「(おむすびの祈り 集英社)」

心を失い、心を遣わないでいるとすぐに人は不安になり不信になり自我感情に呑まれてしまうものです。平常心や心の平安は常に心を感じるから視野も広くなり絶対安心の世界に住むことができます。

観察眼とは手間暇の実践です、手間暇という心を遣うそのひと手間こその中に心が籠っているからこそ「実践」を蔑ろにしてはならないと改めて思います。「凡事徹底」という言葉も、心を遣い観察眼を磨く智慧の一つということです。

人間生活の中でいくら面倒と感じても御蔭様の心を持ってもうひと手間ができるようになれば心の実力が備わってきていると考えていいと思います。今年も、雑さを戒め、自然の精妙さと丹精をモデルにして心がけ、かんながらの道を求めていきたいと思います。

2015年のテーマ

昨年も本当に沢山の有難いご縁をいただいた一年になりました。毎年、当たり前ではない出来事に恵まれ、日々に充実するのは一日一日が最期だと感じているからかもしれません。

人生はあって当たり前のものではなく、勿体ないものです。今の自分が今此処にあるのはそこには由緒があります。これは単に私だけの人生ではなく、連綿とはじまりから今まで続いている人たちがあってその中に自分も居るのです。

先祖代々から今まで、数々の困難や苦難を生き延び、私にまでいのちをつないでくださった方々に感謝を思わない日はありません。今の私が存在するのは、本当に偉大な御蔭様で成り立っています。決して私個人で生きるのではなく、志古人に生きたいと願うばかりです。

子どもたちのために生きようと志した日からずっと、自分の生を何のために遣おうかと覚悟を定めてきた日々でしたがいつも感じることは、祖神祖先への畏敬と慈愛への感謝ばかりです。有難くいただいた一期一会のいのちですから、悔いのない日々を魂に応じて従いつつ信念をもって歩ませていただきたいと思います。

また今年も師とテーマを共有することができました。ご縁をいただいてから十二年の歳月、共に錆びずに磨き続けて道と学問を共有できるものをいただけるのは真心の為せることだと師の恩沢洪大に心より感謝の念が湧いてきます。

今年のテーマは、「時代に翻弄されず、初心を忘れない」ということです。

変化の時は近くを見ては酔ってしまうものです、そうではなく夢を持ち常に本質でいることを忘れないということです。単に頭で理解すると簡単な言葉ですが、実際は今までの毎年のテーマの総合力が必要でこれが分かるにはまた沢山の実践が必要です。

夢を持つからこそ人はブレずに一つにいのちを盡していけます。時代が変化の時こそ、夢に向かって真摯に自分自身と正対して独立自尊の努力をできるかが大切になってきます。

世界は次第に激動期に入ってきています。どんなに寒く凍ったような闇夜がきても、明けない朝はなく、太陽が昇らないことはありません。私たちは地球にいるいのちの一つですから万事転じて安心し、信じた福世かな時代に換えていくのみです。

常に初心を忘れずに人類共通の夢の実現のために自分自身の真心を盡し切ってつながりの中で篤く貢献していきたいと願います。

今年も天恩に対して謙虚に、人恩に対して素直に、仲間を愛し思いやり、同志を勇気づけ励まし、師を真心で援け、後輩を命懸けで導き、子どもたちを深く信じ、清く正しい心で社會を広く明るく照らせるように、自然の道、かんながらを歩ませていただきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

メンターとメンティ②~信の徳~

メンターとメンティ①のブログで紹介した上杉鷹山と細井平洲は、互いに見守り合う関係においてとても参考になります。

上杉鷹山は、第九代上杉藩主として立派に藩政を改革し立て直し、終生民の幸せに尽力した人物として今でも名君と慕われます。この上杉鷹山が十四歳のとき、二十三歳年長の細井平洲と邂逅しメンターとメンティとして互いに真心を通じ合わせてお互いの人生に多大な影響を与え合います。

その細井平洲は享保十三年(一七二八)に、尾張国知多郡平島村の農家の次男として生まれ、名古屋、京都、長崎で勉学を積み重ね、後に江戸で塾「嚶鳴館」を開き、諸国の人びとを指導していました。尾張藩校明倫堂の初代校長でもあります。
この細井平洲の教えは知行合一であり、これを鷹山は『学・思相須つ』、つまり「学問(学んだこと)と今日(現実)と二途にならざるように実践実行せよ」といつも話されたそうです。すなわち、学問をするということは、知識を得るためだけのものではなく、学んだことを生活に生かして実践しより善くしていくことだと断言していました。

いつの時代も知識と行動が分かれているのは、知識ばかりに偏り大量に詰め込んできた教育の弊害ということです。「知ることはできること、わかることは努力すること」と私もいつも話していても、どうしても現実が変わらないのはそれだけ教育が生き方に影響を与えたものだからです。生き方を変えるというのは、人生を変えるということですから知識だけで変わるはずもなく、どれだけ善き習慣を与えるかということなのでしょう。

この二人のメンターとメンティのやり取りの中で、私がとても大好きな見守りのエピソードがあります。それは鷹山が、初めてのお国入りに当たって平洲に会って助言をいただいた時の話です。

鷹山は尋ねます「私は幼いままで藩の人々に藩主として臨むことになります。不安で心が落ち着かず、薄氷の上を歩むような気持ちで怖くて緊張しています。私は一体どうすればよいのか、ぜひ教えてください」と。

それに対して平洲は「藩主となるあなたに最も大切であると思うこと、お手本にしたほうが善いと思うことはもう全て教えています。あなたは、これからは「現実の政治」を実践していかなければなりません。藩の人々の暮らしを豊かにしていくためには、まず自らが身を正しく修めて、絶えず努力して、自分の信じるところを貫いていかなければなりません。」と語り掛けます。

そしてここからが大好きな名文「勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや」です。

意訳ですが「『自分を信じる』、これは勇気のある者だけができるのです。勇気ですよ!勇気なくして、どうして政治ができるでしょうか!いよいよその時が、やってきたのです。」と話すのです。

これに鷹山は「大事なことを教えていただきました。私は終生このことを帯に書いて忘れないようにします。」と答えたのです。

ここにメンターとメンティの生き方と働き方が合致したのを感じます。共に人生の中で、大事な局面において何よりも学び合っていたのは本気の覚悟です。知識として教えただけではなく実践も同時に教える。これがメンターの役割ではないかと私は思います。

知識だけでは人生は何一つ変わることはありません。人生とは、生き方が何よりも優先されそれに付随して知識が必要なのです。知識で先に刷り込まれてしまうと、その根本を見失ってしまうのかもしれません。実践の大切さが維持されるのは、メンターとの邂逅を求めるその人物の真摯な人生との向き合いがあるからでしょう。

今まで当たり前すぎて「勇気」というのをあまり考えてきませんでしたが、勇気とは人生の大事な局面において信じ合っているからこそ出てくるものなのかもしれないと考えるようになりました。信じているから勇気が出る、勇気が出るのは信じ合った証そのもの。

そしてその信の形として顕れる勇気こそ、「信の徳」なのかもしれません。

いつも勇気を与える存在になり、いつも勇気をいただいている存在であることを忘れないでいたいと思います。