徳の戦略 

江戸中期の徳の実践家で思想家の三浦梅園に、「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」があります。これは、西洋ではグレシャムの法則といって、「悪貨は良貨を駆逐する」が同じように有名です。私は、徳積循環経済に取り組み、ブロックチェーンの技術を徳で活用していますからこの辺の話は参考にしています。

そもそもこの三浦梅園が自著「価原」でなぜこういうことを言ったのか、それはこの明和9年(1772年)から発行された、南鐐二朱判は一両当りの含有銀量が21.6匁であり、同時期に流通していた元文丁銀の一両当り27.6匁と比較して不足している悪貨であったといいます。このことが南鐐二朱判を広く流通させ、このような計数銀貨が次第に秤量銀貨である丁銀を駆逐していったということもあったといいます。これよりも前の元禄8年(1695年)に行われた品位低下を伴う元禄の改鋳後にもまた良質の慶長金銀は退蔵され、品位の劣る元禄金銀のみが流通したともあります。

そしてグレシャムの法則の方は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来しています。これを19世紀イギリスの経済学者・ヘンリー・マクロードが自著『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し「グレシャムの法則」と命名してできた言葉です。

他にも調べると、似たようなことは古代ギリシアでも行われていました。劇作家アリストパネスは、その自作の登場人物に「この国では、良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」という台詞を与え、当時のアテナイで行われていた陶片追放(オストラシズム)を批判していたといいます。

今の時代もまた似たようなものです。これは貨幣に限らないことは半世紀ほど試しに人生を生きてみるとよくわかります。市井のなかで、「本物」と呼ばれる自然な人たちはみんな私心がありません。世間で騒がれている有名な本物風の人ばかりが情報消費に奔走し、あるいは流通し、同様に消費されていきます。実際の本物は粛々と自分の持ち場を実践し磨き上げ場をととのえています。そこには消費はありません。

そういう人たちは、世の中では流通せずにそれぞれに徳を積み、そうではないものばかりが資本主義経済を拡大させていきます。そもそも人間の欲望と、この金本位制というのは表裏一体の関係です。そして金本位制を廃止してもなお、人間は欲望のストッパーを外してはお金を大量に発行して無理やり国家を繁栄させ続けようとします。すでに、この仕組みで動く世界経済は破綻をしているのは火を見るよりも明らかです。国家間の戦争も歴史を省みればなぜ発生するのかもわかります。

かつて国富論というものをアダムスミスが定義提唱し、富は消費財ということになりました。この辺くらいから資本主義の行く末は語られはじめました。如何に現代が新しい資本主義など世間で騒いでみても、そもそものはじまりをよく観ればその顛末は理解できるものです。ジャッジするわけではありませんが、歪みを見つめる必要性を感じます。

実際の経済とは、経世済民のことです。その経世済民を支えるものは、相互扶助であり互譲互助です。つまりは、人は助け合いによって道と徳を為すとき真に富むということです。この時の富むは消費財ではなく、絶対的な生産であり、徳の醸成です。そういうものがないのに経済だけをブラッシュアップしても片手落ちです。

本来、テクノロジーとは何のために産まれるのか。それはお金を増やすためではありません、世の中を調和するためです。だからこそ、どのように調和するかを考えるのが技術まで昇華できる哲学者たちであり、思想を形にする実践者たちです。

私はその調和を志しているからこそ、ブロックチェーンで三浦梅園の生き方を発信していきたいと思っているのです。そこには先人への深い配慮や思いやりが生きています。

先人たちのこれらの叡智、そして知恵は何世代先の子孫のために書き綴られそれは魂と共に今も私たちの中に生きています。少しでも子孫たちの未来が今よりも善くなるように私の人生の使命を果たしていきたいと思います。

剣聖の生き方

生涯無敗の剣聖として有名な、「塚原卜伝」(つかはらぼくでん)がいます。有名な言葉に「戦わずして勝つ」という教えがあります。もともとは、日本の戦国時代の剣士、兵法家で父祖伝来の鹿島神流(鹿島古流・鹿島中古流)に加え、養父祖伝来の天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新當流を開いた人物とされています。

下剋上、裏切り、謀反、暗殺、と生き残るためには手段を選ばない戦国時代に人を殺す剣ではなく、人を活かす剣を貫いた生き方をした剣豪でした。

この無手勝流の奥義、戦わずして勝つというものがどういうことか。それが色々な説話からも残っています。例えば、家督を3人の養子の誰か1人にその家督を譲る際にも「無手勝流」でやりました。ふすまを開けると木枕が落ちる仕掛けで3人を試し、次男と三男は剣を構えて木枕を斬ったが、長男は仕掛けを見抜いて先に木枕を取り除いたので、長男に家督を譲ったとあります。戦いとは戦略ともいい、戦略は戦いを省く知恵ともいいます。戦わないで済む方法を持つ者こそが、真の剣豪であるとしたのかもしれません。

また他にもこういう説話が残っています。これは塚原卜伝に弟子入りを志願した人との対話です。

弟子入りの志願者は「剣術を習いたいので入門を許して下さいませんか。私は一所懸命に修行します。どれくらいで免許皆伝していただけますか」と。それには卜伝は「一所懸命にやれば、5年で免許皆伝になるじゃろうよ」そしてまた「では、寝食を忘れて修行に打ち込めば、何年で免許皆伝になりますか」と尋ねると、卜伝は「寝食を忘れてやれば、10年で免許皆伝になるじゃろうよ」と。さらに「それじゃあ、死に物ぐるいで修行すれば、何年で免許皆伝になりますか」と最後に尋ねると卜伝は「死に物ぐるいでやれば、一生、免許皆伝にならんじゃろうよ」という話です。

通常であれば、必死に頑張れば頑張るほどに早く免許皆伝できるだろうと考えます。特に弟子入りする人は、早く免許皆伝するのはどうすればと考えるものです。そういう気持ちもあって色々と尋ねたのかもしれません。しかし卜伝は、本質で応えます。

「一所懸命で5年、寝食を忘れて修行すれば10年、死にもの狂いは一生無理」という話。これは今でも通じている知恵の一つです。中庸というものは、執着と離れたものです。そして私心が出れば出るほどに悟りは遠ざかるようにも思います。

如何に、私心を離れていくのか、

生涯無敗という意味の奥深さをその生きざまから感じます。塚原卜伝の教えは国に平和をもたらす剣であったといいます。真の剣豪、そして剣聖とはどういうものか。

今の時代も学ぶところばかりです。生き方を学び直し、徳や聖というものの生きざまも磨いていきたいと思います。

徳あるものは永遠に生きる

山本玄峰先生という方がいます。百万遍念仏のことを調べていて知ったのですが、素晴らしい生き方をされ示唆をいただいております。終戦にも深く関わっておられ、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」という言葉に影響を与えた人物としても知られている方です。

多くの政治家をはじめ、リーダーたちを指導して国を導きました。まさにあの頃の国師のような存在です。

この山本玄峰先生は、若い時に失明を宣告され絶望をして死地を求めてあらゆるところを探し回りました。そしてどこでも死にきれず、四国巡礼の道を開いた弘法大師に願をかけ「自分は死にきれずここまで来ました。私が少しでも世の中の役に立つものならば、結縁をおさずけてください。役に立たなければ、早く命を引き取って下さい」とお遍路に最後の希望を懸けました。

そして7回目の巡礼の三十三番目の高知県の雪蹊寺(せっけいじ)の門前でついに行き倒れました。その後、無銭宿泊所の「通夜堂」で、3、4日過ごしついに出家を決意して同寺の太玄和尚に相談します。

「自分は紀州の山奥で育って、目も見えず、読み書きもできませんが、坊さんにしていただけますか」と。

すると太玄和尚は答えます。

「いくら目が見えても、障子一枚向こうは見えない。いくら耳が聞こえても、一丁先の声は聞こえない。目や日が悪くても、心の眼が開けたならば、世界中を見渡し、天地の声を聞くことができる。葬式や法事をする坊さんにはなれなくても、心の眼が開ければ、人天の大導師になることができる。これは誰にでもできることだ。お前でもやればできる」と。

その後は、すべてを手放し出家して修行にあけくれました。その師匠の言葉どおりの人物になり、葬式や法事をするためではなく、真理を開眼するような大導師になったのです。

その山本玄峰先生は、こういう言葉を遺しています。

『力をもって立つものは、力によって亡ぶ。金で立つものは、金に窮して滅び、ただ、徳あるものは永遠に生きる』

何を拠り所にすることが、もっとも生きるのか。死を求め続けて、生きることの真の意味を悟られた先生の法の言葉は深く心に沁みます。

暮らしの中で禅で生きるというのは、暮らしのすべてで徳を積むということだと感じます。実際にはとても難しく、先達の偉業に深く尊敬の念がこみあげます。

今に集中して、暮らしフルネスで徳を実践していきたいと思います。

純善たる伝承

レッジョエミリア教育というものがあります。これは、イタリアのローリス・マラグッツィという人物の思想や実践が一つの形として表現されたものです。

もともとこのレッジョエミリアは、第2次世界大戦後1946年の北イタリアの町の名前です。その街の郊外のヴィラ・チェラという村でガレキの中から復興を志し、幼児教育に力を入れようと熱心な親や町の人々が教育者、専門家と一体になって立ち上げたことがはじまりでした。このチェラでは、戦後に住民たちが戦争で残った石やレンガを使って、幼稚園を建てるためにドイツ兵が残した戦車やトラック、馬などを売って運営資金にしていたといいます。その後の数年間でレッジョ・エミリアでは女性たちを中心にして60にも及ぶ幼稚園が開園・運営されました。

戦争で子どもたちを保育する場所を自分たちの手で母親たちが主体的に復興するのです。そしてようやく1963年にイタリアで最初の公立の幼児学校がこのレッジョ・エミリアで誕生しました。そこから公立の幼児学校はイタリア全土に広まっていきました。

そもそもイタリアは元々昔から地方分権が強い場所でレッジョ・エミリアはファシスト政権に対する「レジスタンス運動」の本拠地で市民たちの自治意識が高い土地だったといいます。

その当時、教師やジャーナリストとして活動していたレッジョエミリア教育の中心となるローリス・マラグッツィは地域の教育活動に尽力していきます。

このローリス・マラグッツィは「100の言葉」という詩を書きその理念や哲学の中心になるものを残しました。そこにはこうあります。

「子どもには 百とおりある。
子どもには 百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方 驚き方 愛し方 歌ったり理解するのに 百の喜び
発見するのに 百の世界 発明するのに 百の世界 夢見るのに 百の世界がある
子どもには 百のことばがある…それからもっともっともっと…

​けれど九十九は奪われる
学校や文化が 頭とからだを ばらばらにする

そして子どもに言う 手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい 話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい 愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ

そして子どもに言う 目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち 九十九を奪ってしまう

そして子どもに言う 遊びと仕事 現実と空想 科学と想像 空と大地 道理と夢は 一緒にはならないものだと つまり百なんかないと言う

子どもはいう でも 百はある 」

自分なりの意訳ですが、それぞれの子どもにはそれぞれの子どもの人生がありその人生には正解などなく、それぞれに自分らしい人生があるということのように思います。この時代、いや今の時代も、子どもが真に尊重されているかといえば教育はその真逆で今でも軍隊のように権利を奪われ、画一的に個性をつぶし、あるいは大人の都合で子どもが主体的に自分のままであることを認めないものばかりです。

「子どもは無限の可能性をもち、あらゆる権利を持っている。そして、それは誰にも奪われず、主体として大切にすることが教育のあるべき姿だ。」とローリス・マラグッツィは静かに諭します。

その後、1991年に「ニューズウィーク」誌は、レッジョ・エミリアのすべての市立幼児教育センターと保育園の代表として紹介し園長を務めたディアナ保育園を世界のベスト10校の一つに挙げました。今では、グーグルやディズニーでも採用され世界中に実践が広がっています。

そう考えてみると、日本ではどうでしょうか。

どのような保育こそが、真にその子どもの主体性を保障し、無限の可能性を奪っていないのか。私は自然農法なども行い、暮らしフルネスを実践しますが日本人はいのちとの繋がり、つまりは物も人もすべていのちの顕現したものという意識を持ちます。

本来は、子どもがもっとも世界で仕合せに暮らす国だったように思います。そういう文化の国が西洋からの古臭い教育で色々な歪が出てきました。今一度、本来の日本にある伝統の教育を今に甦生する時機に入っているように思います。

私が実践する暮らしは本来の日本の保育そのものです。それを大人がまず実践することで、子どもたちにその保育を伝承することができます。大人か子どもかではなく、共に生きる、つまり一緒に暮らすことで実現するのです。これは働き方と生き方の一致でもあるし、過去と未来と今の一致でもあります。

いのちの共生、ものも人もすべて繋がっている場をつくりだす。これが日本式の子どもを育てる伝承法である。それを純善たる伝承とも呼ぶのでしょう。

時機が到来していることに仕合せを感じつつ、かんながらの道を真摯に力強く動き出していきたいと思います。

 

月の心

この季節は、夜空の月をよく眺めるものです。夜半に目が覚めれば、家の隅々に月の光が差し込んできます。この月の光が強すぎては、気になってなかなか眠れません。この月の光は街灯のネオンなどとは違って、清らかに反射する真鏡の光のようです。

もともとこの中秋の名月はなぜ美しいかというと、秋の空気と月の適度な高さが関係しているといいます。この時期の空気は、水分量が春や夏に比べて少なく乾燥しています。それに月の位置も冬に近づくほど空の高い位置を通り、夏は低い位置を通ります。そして春は地上の埃などで月本来の明るさが霞んで綺麗にはみえません。月の通る高さと空気の水分量がより美しく観える条件になっているともいいます。それに加え闇夜に入っていく時間帯、またススキにはじまり枯れていく樹木や草たちがより光を反射させます。またものさみしく弱弱しく鳴いているコオロギや鈴虫、また水鳥たちの声の風情がより月を引き立てます。

この季節の月というのは、どこか日本の懐かしい原情緒や侘びさびを感じさせるものがあります。古来から月で詠まれた和歌がたくさんありますが、寂しさやせつなさを詠うものが多いのもその理由かもしれません。

私がその中でも月の詩でもっとも好きで肌身離さず手帳にはさんでいるものがあります。それは菅原道真公の詩です。

海ならず たたへる水の底までに きよき心は月ぞてらさむ

これは京都から九州へと向かうときに詠まれたものといいます。月の光が深い海の底も照らすように、曇りなき澄んだ心を照らしてくれるだろうという私心なき姿を詠まれたものです。

月の光というのは、私にとっては澄んでいるものの代名詞です。月の光は月そのものです。そして夜空の光のなかでもっとも私たちを見守っているのも月です。私は月の生き方に憧れ、社名もカグヤにしていますし、常に陰徳に憧れています。

月は私の心そのもの。

いつの日か、子どもたちに月を観ては心を澄ますような美しい場を譲り遺していきたいと思います。

人口の問題

世界は人口が80億人を超え、このままいけば2100年頃には160億人にまでなると予想されています。世界は先進国と発展途上国という言い方をしますが、先進国になっているということはそれだけ経済的にも裕福になっているということでそれは人口が増えているということになります。

例えば、現在はアフリカなども急速に発展を遂げ、最短で先進国入りをする勢いで経済を伸ばしています。インフラも、医療も、あらゆるものが先進国に追いつく追い越せのスピードで導入されて発展しています。

この背景には、資本主義経済によって未開拓のところを開発することで得られる利益があるゆえに競争しては未開の地を発展させていきます。結局、植民地支配を広げるのと似ていてそれが経済という仕組みで今も行われています。

ただ本来は、そういう経済とは無縁な自然と調和しているような小さな場所やそのままにしておけば特に問題もないような場所まで色々な理由をつけては先進国と同じ道を歩むように干渉していきます。

すると問題は、今の人口爆発につながっていきます。医療も食事も栄養もあっという間に便利に短期間で改善されるので人口も増えるのです。しかしこれはあくまで短期手的なもので長期的には人口は減っていきます。地球には限られた資源しかありませんから、人数が増えたら食べ物がなくなります。お金でどこかのものを買っても、それを作る人たちがいなくなれば食べ物は増えません。

小さな畑や田んぼしかないのに急激に大家族になった人数を養おうと思えば、どこか外から持ってくるしかありません。あるいは、工業化して大量生産する仕組みを考えるしかありません。

結局は、今の大量生産大量消費の仕組みはこの植民地化経済を世界の果てまで追い続けるのをやめないから発生しているともいえます。そして人口爆発は、その副産物でもあります。

だからどちらも両輪になっていきます。アフリカからすれば、飢饉もなくなり病気もなくなるのは有難いことです。子どもは家族を守る大切な労働者の一人として多子多産を続けていきますから、経済が発展するまで産み続けます。そうやって増えたら、今度は子どもを養うために経済をさらに追いかけるようになります。

そもそも何千年も同じように暮らしてきた場所に、別の価値観を入れたらもとに戻ることはできません。自然や野生の生き物を飼育するのと同じで、一度飼育してしまえば元の野生や山には戻せません。適応してきた力をなくしてしまうからです。

私たちはそういう意味では自然と共生し調和してきた力を捨ててきました。今さら元に戻れといわれても、身体も精神もそして社会も簡単に適応できません。

これは果たして本来の発展と呼べるものなのか、みんなで気づかなくなっていますがそれは子孫が証明することになります。発展と呼んでいるものこそ、実際には減退であり、科学を進化していると思っていることこそ、不自然を積み重ねているのかもしれません。

子孫のためにも、バランスを保ち続けられるよう本来の経済のあり方から換えていきたいと思います。

長老の木

昨日、古民家和楽の銀杏の対応のためにシートなどを設置しました。毎年、1万粒くらいの銀杏が実をつけてくれます。その銀杏を拾って、炭火で食べるのが仕合せで毎年仲間やご縁のある方々を招待して楽しんでいます。

短い期間に大量に拾えますから、とても数人では食べきれません。むかしもきっと、近隣の方々や家族親族で分け合って食べていたのでしょう。一気にとると、下処理が大変で辟易としますが毎日、落ちてくる分をその都度下処理をするのなら特に大変には感じません。

むかしの暮らしの時間では、この9月の1か月は銀杏祭りで毎日が美味しい食卓の一つの旬として楽しく味わえたように思います。

この銀杏の木は、あの氷河期を乗り越えてきた貴重な木だといいます。ほとんどの植物が枯れても生きているという、まさに生きる化石だといわれます。また同時に火にも強く、寺や神社、都市でも防火で植えられています。荘厳で長寿、まさに長老のような佇まいの木です。

私は、この銀杏の木が好きでもう20年くらい育てているものもあります。特に葉っぱの形や色が綺麗でうっとりします。銀杏の木陰もまた心地よく、木漏れ日が優しく穏やかな気持ちになります。

黄色に染まった姿に光が当たれば、輝きが反射してとても幻想的です。冬も間も、強い風から守ってくれていますし春の新芽もかわいらしくて瑞々しい水気を周囲に放ってくれます。鳥たちの休憩所にもなり、一年を通してあらゆる鳥たちがこの木に集まってきます。

この木の一生は、節目節目に私たち生き物のいのちを潤します。まさにご神木ともいってよい、長老の木です。

いつまでもこういう長老の見守りのなかで子孫たちが暮らしていけることは平和で幸せなことです。世間では、簡単に伐採したり自然から離れてさらに人間中心の世の中になっていきますがそこにこの銀杏の豊かさは失われて寂しさを感じます。

子孫たちのためにも、身近なところから自然と共生し、未来世代への責任を果たしていきたいと思います。

自分のままでいられる場所

自分のあるがままを受け容れるということは大切なことです。それができないと苦しでいる人が多いといいます。では、なぜその自分のあるがままを受け容れることができないのか。言い換えれば、自分のままではいけないという他者や周囲からの影響を受けるからです。

例えば、全部がまっすぐに同じ大きさと長さ、形で同じスピードでと求められる植物があったとします。他はみんなそう育っているのに、自分だけ他と異なる状態になればこのままではいけないと焦るものです。しかしどうやって演じてもそうならない場合は、自分を責めてなぜこんなことになど悲嘆にくれます。あるいは、開き直って諦めてしまうこともあるでしょう。しかし、周囲と比べて奇怪な目で見られたり差別や排除されると苦しくなるのです。

本能的に私たちは社会をつくりますし、周囲と調和したいと思うものです。生き残るためには、周囲のお役に立ちたい、自分の存在が認められたいと思うものです。だからこそ、頑張って自分もそうなろうと思うのです。

しかしその自分が周囲から求められる姿が、あまりにも自分とは異なる歪なものであれば本人はとても苦しみます。鳥にカエルになれと言われても無理ですし、蛇にライオンになれというのも無理です。しかし、人間の可能性は無限で特に小さな子どもならほとんどどんなものにもなれるような気もするものです。

人間は、誰がどのように育てるかで変わります。動物に育てられれば、動物のようにもなります。そうやって、どのようなものにするのかというのが教育というものです。

自分らしくいられなくなるはじまりは、みんな同じように金太郎飴のようになる社会設計に組み込まれるときにはじまっています。

お互いを尊重しあう社会というのは、持ち味を発揮する社会です。持ち味が発揮されるというのは、その人がその人らしくいることができてそれをみんなもわかっているという社会です。みんなもそれをわかっているから、それをそのままに活かそうとします。自分がこれを役にたちたいと思っても、もっとお役に立てるものがあるとみんなが気づいてその人を尊重できるのです。

その人らしくいられる環境というのは、みんなが持ち味を活かせる場があるということです。こうならねばならないという、無理や頑張りは心を痛めていきます。

居心地のよい場所は、自分のままでいられる場所ということです。

子どもたちにも無理をしないでいいように、場の大切さを感じてもらいそれぞれの個性や持ち味、自分らしさをみんなで活かしあう豊かで平和な社会になるようにその実践事例やモデルケースを場でととのえていきたいと思います。

橋渡しという天命

昨日、京都で素晴らしい僧侶にお会いしました。この方は、橋渡しという意味の新しい造語で僧侶を「アンセストリスト」と名乗っておられました。確かに、人は誰しもが橋渡しです。

改めて橋渡しとは何かということを深めてみようと思います。

現代では、橋渡しというと核のことをよく国内では耳にします。唯一の核被爆国として、核兵器の廃絶、そして核原発をどうするかなど、私たちは常に核というものがどういうものかを直接的に体験してきました。

世界では核のもつ因果と実態をまだ経験しておらず、未来や子孫のためにはこの危険で不確実な核にどう向き合い、そして人類はどう対応していけばいいかの答えを出し、伝承する大切なお役目があるともいえます。もし世界を巻き込む核戦争が起こったら、もうどうにもできません。だからこそ、そうならないようにと今こそ安心と安全な橋を架けてそうならない道に導くことができる存在でもあります。

その他では、文化の橋渡しというものがあります。言葉も生い立ちも違う国の人たちがお互いの文化を交流する中で互いを理解しあい学び合うこともできます。仲立ちともいい、間を取り持つ人ともいえます。それだけ文化を尊重できる素地がある、共通のものや普遍的なものを共に学んでいるということでもあります。

そういえば、僧侶のお役目の一つはむかしは喧嘩をすれば間にたって仲裁していたという文献を読んだこともありました。村に人徳のある人格者がお寺に住んでいただくことで、村の治安を安心安全に守っていたのでしょう。まさに、思いやりの実践を通しての修身斉家治国平天下です。

つまりは橋渡しというものの本質は、この思いやりによって「結び、つなぐ」仕事ともいえます。

私は自分のことを私心なく少し考えてみると、子どもたちや子孫のためにと未来世代のために今を存分に使っているともいえます。「子ども第一義」という使命で、会社を起業し、今では徳を積むための活動に専念しています。これは親祖から今までという先人たちの遺徳をいただいた今の私が、同じように子孫たちへとより善いものにして橋渡しをしようとする歴史を思いやる事業をしているということになります。

私たちは縦の糸という、太古から流れてくる大河と、そしてその大河がさらに大海へと流れ続けるものがあります。途切れることのないそのお水といのちを安心してそして永遠に続いていけるようにと祈りすべてに橋渡しをするのです。

そういう意味では、他のいのちと同様にすべての人間はこの橋渡しをすることが人生においてのもっとも大切な命題ということになるはずです。子どもをつくり、そして未来のために今を善くする橋渡しをしない人はいないからです。

だからこそ、何が本当に今を善くすることなのか、そしてどういう橋渡しこそがもっとも未来を生きる子孫たちのためになるのか。その答えを誰もが平等に生きていく必要があるように思います。

私はこの時代に徳が循環する新しい結を甦生させようとしていますが、これは途切れかけた歴史や生き方、そして文化を再構築して伝承させていこうとする試みであり先人たちへの配慮と子孫への思いやりを実践していこうと決心したものなのです。遠大な理想へむけての試行錯誤ですが、普遍的な場に仲間はいつも見守っておられます。

一期一会にご縁を辿りながら自分の役割を今ここ、そして天命と実践において徳を磨いていきたいと思います。今日からまた、ご恩が響き合う新たな一日を過ごしていきます。

ご縁に感謝しています。

場の原点

昨日から久しぶりに鞍馬寺に来ています。コロナもありまた色々とあったのでじっくりとお山に来てお話をする機会もありませんでした。改めて、感じるのはお山の持つ場の素晴らしさです。

私は、今、英彦山をはじめ場づくりをしていますがその原点はこの鞍馬山です。鞍馬山で修養してきた十数年が今の私の血肉になりこの感覚を忘れずに実践しています。私たちはお山を大切にすることで、お山からたくさんの気づきをいただきます。その気づきをもってまたいつもの日常生活に活かしていくのです。

太古のむかしから、私たちは言葉ではなくても場によって多くのものを気づいてきました。不思議なことですが、ある場所にいくとそこには何かがあるという気づきがあります。その何かというものが、私たちが気づいていく本体であり正体です。

そしてその場を大切に磨きととのえていく人たちは、たとえ寿命が尽きていらっしゃらなくなったとしてもその場所の他のいのちと共に存在し続けていきます。

私たちは自分や個人といった、自他を分けてものごとを理解するようになってきました。この言葉や文字などもそうですが、分けることで理解する仕組みから世の中は分かれているものとして認識するようになっています。しかし、実際の現実のこの世は分かれているものなど一つもなく渾然一体になっているものです。

この渾然として一体になっているものに気づいているかというのが、先ほどのお山でいただく気づきと同化しているのです。

あらゆるいのちや物質も、分かれているものは一つとしてこの宇宙に存在しないという真実。わかれていないからこそ、場がそれを伝えていくことができるのです。そしてその場を伝える人々は、その場に渾然一体となって暮らしています。

何かを教えるのではなく、何かに気づいていくこと。

人は気づいたことでしか、変わりませんし、気づくだけで救われる境地もあるのです。むかしの先人たちは、なぜ山に入り山で修養してきたのか。そしてその山をお山として心や魂の故郷を実現させていったのか。

この感覚を忘れずに、丁寧に自分の今いる場を磨き上げていきたいと思います。