観光創生化とは何か

引き続き「まちづくり」の観点から私の造語でもある「観光創生化」について少し深めてみます。

そもそも「観光」という言葉は辞書によれば『[名](スル)他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。「各地を観光してまわる」「観光シーズン」「観光名所」[補説]近年は、娯楽や保養のため余暇時間に日常生活圏を離れて行うスポーツ・学習・交流・遊覧などの多様な活動をいう。また、観光庁などの統計では、余暇・レクリエーション・業務などの目的を問わず、1年を超えない非日常圏への旅行をさす。』(goo辞書)とあります。

この補説の部分が世間一般的な常識的な観光のことを指し、旅行によってその地域に遊覧にいくことをいうように思います。しかしこの「観光」の語源の由来は中国古典四書五経の「易経」で出てきた言葉で本来の意味は『国の光を観るは、もって王に賓たるに用うるに利し』といいます。

私の意訳では、「他国の宝を観て学ぶことは自国の宝を見つけ磨くためでもある、これは王の徳の近くにおいて大変な価値がある」とします。つまりは「観国之光」の光とは「徳の宝」のことを指し、この徳の宝を観ることがまさに自分を磨き、自国の魅力をも発掘する基礎であるという意味に解釈します。

日本は、観光を重要な政策の柱として掲げ「観光立国」を打ち出しました。しかし、私自身が観光地を色々と観てみるとあまりその地域の観光の徳の宝が出ているとは思えない利用の仕方が目立っていたように思います。

例えば、古い文化財の建物だけを補助金で修理し見学料だけとって案内しているもののそこには暮らしがなく、保存したものを見るだけでは生きた施設にはなりません。それに見た目は古い町並みであっても中身は県外からの企業に運営を委託され御洒落な店舗やそこでなくてもいい目新しいものを買い物できるようにしてもそこに暮らしは創生しません。

かつての暮らしが遺っているところ、伝統が今でも連綿と息づいているところに人々は本質的に徳の宝を感じるものでありそれを学ぶために集まってきているのです。人が感動するのは、長い時間をかけていまでも伝承されている暮らしを感じるときであって見せかけの見世物をみてもまた再び観たいとは思わないものです。すぐに飽きられるようなものに光はなく、そこに宝を感じません。光り続けるのは暮らしを磨き続けるからであり、それを私は観光創生化と名付けているのです。

観光創生化がちゃんと実現している地方は、いまでも懐かしい未来があり、いつまでも古くて新しい光を放ち続けて人を集めます。その光はたとえ世界広しといえども世界各国からその徳の光を観て多くの観光客が訪れてきます。

付け焼刃の予算で、付け焼刃の観光をやろうとしても長続きするはずはありません。古来のたたら製法で打つ本物の日本刀のような本来の観光の意味を正しく捉え、如何に暮らしを甦生させていくかを真摯に足元から見つめ直すことでその地域の徳が魅力として顕現すると私は思います。

引き続き、子どもたちのためにも未来にその地域の徳がそのままに継承していけるように今の世代を生きるものとしての役目を長い目で観て粛々と果たしていきたいと思います。

 

まちづくりとは何か

今月は、近畿大学九州短期大学主催でまちづくりの座談会と子どもたち向けに縁日を聴福庵にて21日、22日の2日間で開催します。縁日では長年協働しているクラムアートの代表の福田康孝氏にも千葉県館山から来庵いただき貝磨きのワークショップをしていただきます。地域のお取引先の保育園、幼稚園の子どもたちにも案内を出し、はじめてこの「場」を提供して触れ合ういい機会になりそうです。

もともと聴福庵は、復古創新という言葉を島根の石見銀山生活文化研究所の松場登美様から教えていただき私なりに暮らしの甦生に取り組んできました。様々な伝統技術や日本的精神を伝統職人さんたちから学び直し、その初心を子どもたちに「伝承する場」、つまりは「学舎・道場」のように活用して場を育てながら暮らしを甦生していきました。

そもそもまちづくりとは何かと訊かれると、私はそれは「暮らしである」と断言します。暮らしのないまちづくりは単なる箱だけを用意したものであり、そこに確かな暮らしが甦生されてはじめてまちづくりになっていると言えるからです。このまちづくりは、「まち+づくり」からできている言葉ですが、私の勝手な解釈ではここでの町は単なる町ではなく、「暮らすまち」のことです。そして「づくり」というのは何か、これも私の解釈では「磨き甦生」させることです。その合体した言葉がこのまちづくりの本質です。

暮らしを磨き、如何に新しい価値を今に温故知新しそれを甦らせていくか。

もしもこの逆に、暮らしをやらず、甦生もしないのであれば、それは単なる新しいものを増やしたにすぎません。お金をかけて箱ものを用意しても長続きしませんし、かえってそのサービスに依存する人たちが増えていきます。これではまちづくりへの参画にはなりません。縮退時代に入り、地方の人口が減り少子化になり、空き家が増え、行政のサービスも減縮し、いよいよ過去の遺物が保存できなくなるなかで、今までのような町作りばかりやっていても何も変わっていくことはないと私は思います。

一人ひとりが本来のまちづくりに目覚めることは、原点に帰り一人ひとりが自分自身の暮らしを甦生していくことを実践していくことで醸成されていきます。ただ町にいてそのままにして流されるのではなく、故郷を守り住む一人として、一人ひとりが今一度、「暮らしの甦生」に取り組み、「暮らしから地域を変えていく」ことではじめて本物のまちづくりは為ると私は思っています。

そしてこれは子どもたちがイキイキと個性を発揮して社會を創っていくのも同じです。一人ひとりが、主体的にその空間や場で活動する中でその場は創造され空間が醸成されます。その行為の一つ一つこそ暮らしの本質であり、その暮らしがみんなと一緒に体験したり味わったり学び直したり磨いたりする中で甦生するのです。

今回は、タイトルに「まちづくり×古民家甦生=観光創生化」とした意味はまさに「まちの宝を創造していくのは民家としての暮らしを甦生する人々がその場に参画することでまちの魅力が磨き直され光り出し、その品によって人々を集める」という意味です。

私たちの取り組む理念は、子ども第一義ですが子どもたちの保育現場は小さな社會ですがそれは未来の社會そのものです。どのような未来を子どもたちに遺していくか、どのような未来にしてほしいかは、一人ひとりの今の大人たちの社會への参画意識に由ります。その大人たちの背中をみて子どもたちは真似をし、近い未来に訪れる自分たちのまちづくりを創造していくのです。つまりこの観光創生化は、まさに次世代のために今を生き抜く私たちの本業そのものなのです

引き続き、新しいことばかりへの挑戦が続きますがこれも一つの大切なご縁として学び直していきたいと思います。

土の芸術

いよいよ今月、聴福庵の離れの建築にて念願の瓦葺きを体験するご縁をいただくことになりました。離れの伝統的な日本家屋を自らの手で職人さんたちと一緒にクルーたちと共に取り組めることは本当に仕合せなことです。

床下には今まで自然農や自然養鶏、妙見高菜や埋炭技術で培ってきた発酵場を創造します。そして屋根には、呼吸大学の宮本代表や田口理事長、伝統瓦葺き職人の野殿様の御力をお借りして古来からの伝統技術でもある湿式工法にて葺いていきます。

今回はさらにご先祖様の智慧を結集させ、建て方一つ一つに古来の工法にこだわり、また柿渋や渋墨、ベンガラの塗料、さらに水は井戸水を用い、炭で沸かす風呂も設置されます。板戸や格子戸、無双窓も用いられ、横からの風通しにも配慮しました。

地球には天地があります。天から雨が下に降り、その雨が地中から天に帰っていく、この当たり前の循環を邪魔しないこの聴福庵の新しい建物はまさに日本の暮らしの基礎、日本的精神の理念を体現するものです。

この日本の風土の中で、如何に何百年も持つ建物を建てるか。それは御先祖様が長年様々なことを実験し、さらには日本文化に昇華して子孫へと譲り渡してきたものです。その智慧は、何よりもこの風土で積み上げられたものであり、この風土にまさに適ったものであり、唯一無二のものです。

この風土と一体になったものを文化というのです。

そして日本文化を学ぶのに、この日本古来からの家づくりというものは大変貴重な経験になります。

日本では土を焼いて固めた土器類を「カワラケ」と言っていたそうで「日本書紀」の中で甲冑の事を「カワラ(伽和羅)」と言い亀の甲羅のように固く上を包むものという意味です。日本では屋根瓦は「カワラ」と言い、「カワラケ」は土器類の総称として残ったのではないかと言われます。

この土の文化というものは、かつては縄文時代から私たちは様々な土器を土を用いて創造してきました。瓦と土による湿式工法での瓦葺きはまさに、土の芸術とも言えます。

最近は、左官職人とのご縁も増えましたがその原料である土が今回は屋根の上に用いられ家を守ってくれます。土は地球そのものですから、その土をどのようにご先祖様は暮らしに活かそうとしたか、その技術だけではなくその精神も学び直したいと思います。

子どもたちに確かなものを、また本物を譲り渡していけるように、引き続き覚悟を決めてリスクを選び、真摯に本質を掴み取って伝承していきたいと思います。

 

 

猪突猛進?

昨日は、自然農の畑に今年2回目の妙見高菜の種を蒔きました。昨年は、虫に食べられさらにはイノシシにあちこち掘り起こされ見るも無残な状態でしたから今年は丁寧に見守りながら畑の手入れをしています。

しかし昨日、また見に行くとイノシシが鉄柵を2か所突き破り、突き破ったところから反対側の柵まで一直線に猪突猛進しているのが痕跡に残っています。何回も突進したというよりも、一度の突進で鉄柵が曲がっていましたからすごい力です。

ちなみにこのイノシシとはニホンイノシシのことです。

イノシシは成獣で、体長は100cm~170cm、体重は80kg~180kg程度の大きさになります。 体毛は明るめの茶褐色~黒褐色をしていて、色は個体差があります。そして走れば時速40km、垂直ジャンプならば1m以上を飛ぶという脅威の身体能力があります。さらに大抵の生物は鼻先が急所ですが、イノシシの場合は鼻先は強靭な武器です。 その硬い鼻先で重さ70kgの岩をも動かします。さらには泳ぎが得意で、犬かきのような動きで池や川を、時には海を泳ぐこともあるそうです。毎年中国地方から四国まで瀬戸内海を泳いで渡るイノシシも発見されています。すごい野性ぶりです。

そしてニホンイノシシは雑食性で普段は植物性のものを食べていて秋になれば冬を越すためにドングリなどの木の実、果実、タケノコ、地下茎、芋などを食べ体力を蓄えます。 動物性のものでは、ヘビやカエル、ネズミ、ミミズ、土中の幼虫などを食べます。

イノシシの天敵は、幼少期はキツネや野犬、フクロウ、カラスなどですが成獣になってしまえば現在の日本においては敵なしです。昔はオオカミがいましたから、成獣でも天敵がいたかもしれませんが今では鹿と同じく増え続けています。

このイノシシにまともに立ち向かっても勝てないので、対策として鉄柵をしましたが頭もよく賢いのでこうも毎年破られては大変ですから色々とこちらも相手のことを調べては知恵比べをしています。畑の中にあるサツマイモが狙いみたいなので、収穫までが勝負であとは柵を破ってこないのでこの先また破られたら来年は別の場所にサツマイモだけを移動させていこうと思います。

文献を読み進めると、農耕社会がはじまってからイノシシやシカによる農作物の被害はずっと続ているようです。江戸時代の文献では、戦国時代くらい前からの鉄砲による追い払いや鹿威しの設置など、さまざまな対策が取られています。

人間の数が圧倒的に増えてからかもしれませんが、お互いの境界線を超えて生息地域が重なるとお互いをどう尊重していくかが課題になります。人間だけが生きているわけではないのだからどう調和していけばいいか、色々と考えは尽きません。

引き続き、7年目になる妙見高菜を見守りながら自然から学び直していきたいと思います。

 

 

木と水はいのちの父母

以前、佐賀の老舗漬物店で譲っていただいた50年前の奈良漬けの大樽を加工して聴福庵のお風呂に甦生したのはブログで紹介しましたがその際に半分に切ったものが桶屋さんに置いたままだったのでそれを受け取りにいきました。

だいぶ壊れてしまいましたが、これをまたみんなで別の活かし方がないかを考えて甦生していきたいと思っています。

昨日は桶と樽の違いについてじっくりと話をお伺いする機会もありました。最近ではあまり見かけなくなった桶や樽には、その用途にも違いがります。簡単に言えば日常の暮らしの中で身近に置いてあるのが桶です。そして樽は、酒・醤油などを入れ、保存・運搬などどちらかといえばお店や業務用として用いられました。

また樽は蓋が閉じられた容器が多いのに対し、桶はおひつや寿司桶など蓋が閉じられていない容器であることが多いです。また側板に板目板を使うのが「樽」であり、柾目板を使うのが「桶」になります。この板を横に切るか縦に切るかは木の特徴を活かし、水が滲み出すか滲み出さないか、蒸発するかしないかなど見極めています。

そうしてみると酒樽や醤油樽は、水を用いますから水が滲み出さないように板目でなければなりません。そして水を長期間保管し長く使うものだから樽となります。そして桶は水気をなるべく通し乾かすためには柾目であった方が水が滲み出し使い勝手がよくなります。また鉋をかけて表面を滑らかにし、乾きやすく短時間何回も使うものが桶になるのです。

桶職人や樽職人は、木の職人ですが木を活かす精神を持つ日本文化にとって本当に譲り遺したい大切な技術を持った方々であるのを改めて感じます。現在は中国をはじめ東南アジアから機械で大量生産され表面を化学塗料でコーティングされた桶がたくさん輸入されて価格が壊れて古来からの伝統の技術も職人さんたちも失われてきています。私たち日本人が本物に触れて日本の文化を守ってほしいと祈るばかりです。

また最近は日本文化を深めていると、この日本が木と水によって醸成されてきたのがよく分かってきました。森を活かし杜を守る、神社がこれだけ全国各地にあり土地の水と木を大切にしてきたのはこの日本の風土の中心に常に「水と木」があるからです。

この森は、あらゆる生き物たちを活かす存在です。そこから流れていく水が、最後には海のあらゆる生き物たちを繁栄させていきます。森があるから肥沃な風土が豊かになり、木の一つ一つがその森の役割を果たします。私たちの親祖が山をカミとし、山を守るのはいのちの源を育む生き物たちの父母なる存在であるためにです。木と水はいのちの父母であるからその信仰もまた山から起きるのは山には結びやいのちの原点が存在しているからです。

話を戻せば現代は便利な石油製品が出回り、プラスチックや金属、コンクリートで埋め尽くされましたが本来は林業を通して私たちは里山での暮らしを実現させ木や水を上手に活用して自然の豊かな恩恵をいただいて末永く生きてきた民族であったともいえます。

その智慧の結晶ともいえる代表的な道具がこの樽や桶であり、この道具を通して私たちは先祖の生き方や智慧を伝承してきたともいえます。そしてまさに自然循環の道具のシンボルともいえる桶や樽が身近にあるのは私たち日本人が古来より循環の中で水と木と共生してきた民であるというシンボルでもあります。

聴福庵には、100年以上前の桶がいくつもありますが改めて懐かしい道具に触れることで心が安らぎます。失われていく日本文化の中で、失われずに残っている日本文化の伝承者としての職人の皆様の踏ん張りに心が打たれます。私もその道具や智慧や生き方を学び直し、後世の子孫たちに先祖たちの偉大な真心や智慧を譲れるように真摯に実践を積み重ねていきたいと思います。

無常流転

世界というものはお互いに影響を与え合ってそれぞれの文化を高めていくものです。国の違いを超えて、また人種の違いを超えて、私たちはお互いから学び合い、水が万物を融和していくように一つのものになっていきます。

この文化を融和するというのは、振り子のように右へ左へと揺れ動く中でどこが中心であったのかを知ることに似ています。あるいは、螺旋のように円く回っているようで確かに上下に巡りながらどこが中心であったのかを知ることに似ています。

同じように行き来しているように見えても、それは単なる行き来ではなく其処には確かな文化の融和があるのです。歴史というものも等しく、私たちはいろいろなことを体験しその体験を融和しながら文化を創造し続けていきます。まさに諸行無常であり、万物流転しているのです。

この無常流転の仕組みは、中心に「いのち」の存在を感じるものです。

私たちはカタチがあるものにどうしても囚われがちですが、カタチがないものの中に中心があります。すべてが調和している場所、すべてのバランスを司っている空間、そこに全ての中心が存在しています。

この存在があるから無常流転が繰り返されるのであり、この存在の周りで私たちは様々な体験や邂逅を経てお互いに影響を与え続けてその中心を存続し続けるのです。

つまりその存在とは何か、それは心です。

文字通りこれは心が中であると書いて「中心」と読みます。

この心が無常流転の正体であり、私たちは心を中心にして万物が流転していることをはじめて自覚自悟することができるのです。

自己の対話や、世界との調和を繰り返していく中で私たちは心を育み続けていきます。自己とのバランスが崩れれば世界もまた不調和になります。調和と不調和もまた心のなせる業です。

禅の教え無門関第十九則に「平常是道」があります。

この公案の私なりの答えは、道は心の中であるということです。

引き続き、心を澄まし魂を磨き道を精進していきたいと思います。

天との対話

老師の遺した有名な言葉に、「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失。」があります。これは「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ら来り、然として善く謀る。天網恢恢疏にして失わず」という意味です。

天に問い、天が見ているとし、ありのままであるがままに生きる人は正直の徳を磨いていきます。この正直の徳とは、自分の心を天に映す鏡として鑑照する生き方を実践していくということです。

私が尊敬する吉田松陰は、その辞世の句で「吾 今 國の爲に死す 死して 君親に 背かず。 悠悠たり 天地の事 鑑照 明神に 在り。」といいました。

これは意訳すると「私は今、故郷の国のために命を捧げ死んでいきます。私は死ぬに際しても親祖や恩君へ対する道に背くことはありません。悠久に続く天地のことだからこのことは天が観てくださっている、八百万の神々、どうかご鑑照ください」と。

天が観ているという心境は、自分にとっての都合や損得、その他の利害などを優先しているのではなく文字通り天に問い天が見ているとし天の基準に沿って歩んでいくという道の生き方です。

天が見ているという生き方はとても明るくのびのびした精神を持っています。そこには自己を中心に裏表があるのではなくそのままの自分を天に見てもらっているという偉大な安心感を持っています。

自分の心に正直であるか、自分の心は真心のままであるか、それは自分ではわからないものです。だからこそそこを天に問い、天がどうなさるのかの判断にゆだねて任せて生きていくのです。

私自身もいつも真心で生きたいと思っていますが、果たしてこれが真心であったのかどうかわからないことばかりです。しかし天が見てくださっていると信じて、天の判断に任せてそれをすべて受け入れて受け止めると覚悟を決めて歩んでいけばそのすべては天の采配であったと直観し、これでいいとすべてを丸ごと受け容れることができるように思います。

この天の采配とは、偉大な天の真心に触れるということです。

吉田松陰は生き死にが判断基準で良し悪しを考えたのではなく、まさに天の采配のすべてを信じて道を貫いたのでしょう。

最後に、常岡一郎氏にこんな言葉があります。

「宝物は大切にされる。危険なところに置かないように心を配る。人の世の宝と仰がれる人がある。そんな人は自ら求めてなくても大切にされる。心の使い方の美しい人はよい運命に守られている。危ないところから遠ざけられている」

吉田松陰は俗世にまみれてなお魂を磨いて俗世の穢れを取り払い、澄んだ心を磨き切った宝だったように思います。今でも大切にされるのは、その心の使い方が美しかったからです。生き死にが問題ではなく、天命のままにやり遂げたというところに運命から守られたという余韻を感じます。

このように死してなお今でも燦然と輝き続ける吉田松陰の魂のように、天は必ずその人の天命に沿う生き方を未来永劫変わらずに応援してくださいます。私の歩んでいる道はかんながらの道、悠久の八百万の神々と共に往く道ですから常にその古の神々がいつも見ているとし天との対話を続けて歩んでいきたいと思います。

生き様

人間はその時々において学び方というものがあるように思います。例えば、様々な知識を詰め込んでいろいろな人に会って智慧を獲得していくという学び方があります。そしてその学んだ智慧を今度は、後に続く人たちやこれから学ぼうとする人たちが獲得できるように伝承していくような学び方もあります。

学び方というのは、つまりは道ともいいますが古来より受け継がれていくものであり知識や智慧というものは伝承されて次世代へと紡がれていくものです。

それを伝統文化ともいいます。

この伝統文化は辞書には「世代を超えて受け継がれた精神性」「人間の行動様式や思考、 慣習などの歴史的存在意義」と書かれています。

学び方というのは、生き方ですからその人の生き方が伝統として世代を超えて受け継がれていきます。

何を遺していくか、何を次世代へと譲っていくかと考えるときに、私はこの伝統文化の価値の偉大さを感じます。

会社や組織は、もって100年とも言われます。日本では300年以上続く老舗が400社以上あるともいいます。形あるものはいつかは必ず滅びますが、日本ではそういう伝統の精神が引き継がれて今にまで続くものが多いといいます。そこには道があり、その職種職業にも生き方があったからに他なりません。

例えば親祖の伊弉諾や伊弉冉をはじめその後に和を理念とした聖徳太子、国風文化の礎となった菅原道真などの生き方は、世代を超えて今でも私たちの暮らしや思想に影響を与えています。名前をいちいち思い出さなくても自然に自分たちの血肉となり精神となりいつまでも私たちの生活を見守り続けてくださっているようにも思います。

この伝統文化の偉大さというのは、生き方が継承されていくということです。

自分の生き方を遺すという偉業は、遠くの先まで観通し長い目で観て今何をすべきかということを問い、先人からの智慧を次世代へと揺るぎなく紡いでいくための徳行でもあります。

自分の身の心配よりも、世代を超えて子孫たちのことを慮る心はすべて思いやりから発心しているものです。

こういう志事に関われることは人生の一大事であり、何のために生まれてきたのかという答えを生きていくという生き様です。

引き続き生き様を優先し、その生き方を貫く人たちを支え、自らのその学び方生き方を高め続けて精進していきたいと思います。

 

活かし合う社會

もともと人はそれぞれに価値観が異なります。生まれ育った環境から、あるいは遺伝子の繋がりから、あるいはもって生まれた天性もあり性格なども異なります。その価値観の異なりは文化として出てきては、それぞれの個性、持ち味としてそれが社會の中でお互いに有効に活かしあいます。

これは自然界でも同じで、一つの植物は他を活かし、また一つの虫もまた他を活かし、お互いに異なりながらも活かしあう存在して自然は社會を創造しています。そこには一つの価値観だけで他を排斥するようなものはなく、お互いに必要な存在であると認め合っていることが大前提にあります。

その大前提が人間中心主義で崩れれば、人間以外のものは尊重しないという価値観があたり前になってしまいます。そうすると、何が自然で何が不自然かが分からなくなります。

現在、人類が大きな分岐点に来ているといわれるのはこの自然からの乖離が顕著になってきたことが原因だと私は思います。西洋から入ってきた人間中心主義が蔓延し、自然に活かされているということを忘れ、お互いを尊重し合うことをやめたことが加速度的に人類の危機を高めてしまっているように思います。

国家間においても、共異体であることを認めようともせずグローバリゼーションの名のもとにお金を用いて一つの価値観に塗り替えてしまおうとしていますが、それをすればするほどに多様性は失われより自然は破壊されていきます。

本来、それぞれの持ち味や価値観の違いはお互いを活かしあう上で大変重要な自然の摂理ですからもっと異なることを大切に他を思いやり排除するのではなく共に異なるままで活かしあおうとした方が自分が生き活かされる美しい社會が創造されます。

人類の未来のためにも、子どもたちの未来のためにもまずは自分の中にある刷り込みを取り払い、周囲の環境を改善し、実践によって気づき合えるよう学びを深めていきたいと思います。

意識の磨き直し

先日から心技体のことを書くことがありましたが、その心技体によって顕現するものに意識というものがあります。意識の差というものは、すべての結果やプロセスに顕れてくるものであり意識の低さは問題意識に低さでもありますから自分の磨き方によって差が出てくるものです。

磨き方というのは、どのような意識で磨くかで光り方も変わります。先日、ある左官職人が泥団子を磨き上げ、それがあまりにも美しく、それに自分の名前をつけて名刺の裏に印刷しておられました。これは自分の紹介に、自分の目指している目標の高さを磨くことによって表現しておりここまで自分はやりたいという一つの自己表現でもありました。たかが泥団子、しかしされど泥団子なのです。どんな小さな仕事であってもその人の意識次第でその仕事は大変な価値があるものにもなるのです。そしてどのような意識を持つかは、人間の能力向上や才能開花において重要な価値を秘めています。

日本電産の永守重信氏にこのような言葉があります。

「人の総合的な能力は、天才は別として、秀才まで入れてもたかが5倍、普通は2倍しか違わない。ところが、やる気、士気、意識は100倍ぐらいの差がある。だから、少々能力がなくても、意識の高い人間を採ったほうがいいと思っている。世の中には、成績のいい人を採れば、さぞや立派な製品やいい客を開発するだろうと考える。もしそうなら、日本電産などとっくに大企業につぶされているはずだ。」

そして永守氏は、意識を変えることで人を育てるとし経営をそこに集中させて人や会社を変革させておられます。

この意識を変えるというのはどういうことか、それははっきりと自分は何をしたいかと目的を定めて目標を明確にすることです。それにより分かれてしまっている潜在意識と顕在意識という意識と無意識の力が合一します。そしてそのためにもっとも必要なのは覚悟を決めることです。

意識が高いか低いかの差、言い換えるのなら当事者意識があるかないかの差はすべてはこの覚悟が決めます。こうなればいいだろうとか、うまくいけばとか、漠然としたままで何かに取り組んでいても意識が変わることはありません。

まず意識を変えるのが先で、どんな時もまず先に何のためにやるのかを突き詰めたあと「自分はどうしたい?」と自分に確認し、その目的に対して覚悟を決め行動をコミットすることで意識を育てるのです。

意識が育つのと同時に、成果も育っていきます。覚悟を決めて目的を定めた30年と、いつまでも漠然としたままで過ごしてしまう30年ではどのような成果になるかはすぐにわかります。

そういう意味で日々は、意識を磨くための大切な一日ですから覚悟を決めて日々の仕事に如何に邁進するかはその人の一生を決めるだけでなく、その人の周囲への影響も決めてしまいます。

環境に左右されない力は、この意識の醸成にこそあります。

引き続き、意識を高め意識を育て、意識の磨き直しを続けていきたいと思います。