職人の志事

昨日は無事に聴福庵の床の間に、砂鉄塗の壁が塗り終わりました。たくさんの左官職人さんたちが見守る中で、一人の左官職人が真摯に壁に向き合って黙々と塗っていく姿には深く心が打たれるものがありました。

職人の志事に取り組む姿勢、まだお若い方でしたが親方について学び、親方が見守る中で真剣に塗っている様子に講習を受けていた他の左官職人さんも次第に目が奪われていくのがわかりました。

職人たちはまるで本物の家族のように温かい感じがして、一緒にいるととても居心地がよく、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。みんなで同じ道に生き、同じ釜の飯を食う、こんな当たり前のことが懐かしく感じるのは、それぞれが日本文化そのものの受け継いで根っこがつながっているからかもしれないと感じられました。

みんな言葉は少なくても、それぞれが材料をつくってみたり、調合を変えてみたり、また塗り方を試してみたり、正解のないものの中からもっともその素材を活かしどのような壁にするのかを研究して周りをみながら研鑽を積んでおられました。

今回、来庵された左官職人さんたちはほとんどが独立してそれぞれの場所で左官仕事を請けておられる方々ばかりでした。日ごろはみんな離れていますが、お互いにみんなそれぞれの持ち場で真摯に挑戦し努力していると思えるから存在そのものが励みになるそうです。

そう考えると、師や仲間の存在があるからその人はさらに向上していこうとする。道の中で誰に出会うかどうかは、その人の生きる姿勢で決まります。

働く姿勢は、そのまま生きる姿勢なのです。

昨日の道場では、心構えをまず親方の姿勢から学び、技術はそれぞれの現場で日々に真摯に磨き、その実践を身体と行動で示す。その生き方を確認する機会であったように思います。

昨日も道具に対する姿勢について、たとえ年上であってもそれは間違っているとその道具への姿勢を叱責したり、あるいは火加減一つにしても厳格に指導したり、あるいは塗りにくくないかと配慮をしたり、あるいは弟子の悩みを朝からじっくり聴いてアドバイスをしたりと、そこには気づきと学びが凝縮された場が醸成されていました。

今回の体験で、左官職人たちがあのように自ら学び、自らが主体的に同じ道の上で切磋琢磨していく姿に本来の学校のあるべき姿を感じることができました。

なぜあのようになるのかをもう一度見つめ直し、日本古来からの精神の伝承、さらには文化伝承の仕組みを引き続き紐解いていきたいと思います。

砂鉄の壁は、紫黒の中に星がキラキラと煌めき、陰翳の中で瞬いている宇宙のようです。この宇宙空間の中に、私たちも存在させていただいていることを改めて悟り、このことを忘れないでいようと初心を定めました。

今回の左官講習ご縁に深く感謝しております。それぞれがお元気でお志事に邁進し、皆様にいつの日かまたお会いできるのを楽しみにしております。本当にありがとうございました。

道の師弟愛

昨日から聴福庵の床の間の砂鉄塗のための準備を、各地の左官職人さんたちと一緒に行いました。夜はそれぞれ自己紹介をしながら左官の仕事や生き方について語り合う豊かで味わい深い時間を過ごすことができました。

若い職人さんたちはみんな一生懸命で、親方の指導を受けて真剣に土の配合や塗り方などを学び取っていました。親方も弟子たちや左官職人さんたちの持ち味や性格を見抜き、それぞれに必要なアドバイスやまた励ましをしていたのが印象的でした。

そこには単なる技や能力を教えるのではなく人間としてその弟子たちや職人たちが健やかに成長していくのを見守っているようにも感じ親方の愛情と仲間たちの親愛の情に心が温かい気持ちになりました。

親方というのは、その道を究めその道で先を生きた人です。その親方が自分の歩んできた道から、葛藤し悩む弟子たちに生き方を語り、その姿でこの仕事の美しさや使命感、さらには何が人生において大切なことであるかを優しく諭します。そこに兄弟子や指導を受けた先輩が、他の未熟な弟弟子たちに「親方の顔に決して泥を塗るなよ、つまらない仕事をして名前を汚すなよ、心構えが甘いものや幼稚な技能をやるなよと本気で研鑽を積むように」と親方がいないところで厳粛に指導しておられました。

こうやって職人たちはその場で一緒一体になって、心技体を学びます。優しく穏やかに見守る親方と、厳粛に指導する先輩職人、そしてそれを受けて生き方を見つめる若弟子の姿、この伝承の学び合いの美しい瞬間に立ち会えて仕合せな気持ちになりました。

今の時代は、一般的な会社では師弟関係などはありませんしあくまで仕事とプライベートは分かれていますから生き方や働き方まで指導してもらおうなどとは思ってもいない人が多いでしょうし、何かあればパワハラなどと言われ遠慮してあまり深入りしないのが今の世の中の風潮です。

しかし道に入るというのは、生き方を変えるというこですから師は弟子に本気で愛情を注ぎますし、志を持った弟子はその愛情を受けて必死に育とうとします。師弟愛というのは、教育の原点であり、伝承の要諦です。

最後に、ある若い弟子の一人が今の左官の仕事は大きな会社の下請けでモルタルばかりを塗り自分のやりたい伝統の土壁や古来からの左官の仕事ができず煩悶し葛藤している人がいました。親方が、その状態を見守りながらあなたがどうするかとその弟子が覚悟を決めるのを寄り添い見つめているのを感じました。その若い弟子は、「親方に出会わなければ一生私はこんなことにも悩むことはなかった、土(生き方)に出会えたのは親方とのご縁があったから」と仰られていました。確かな「導き」を感じた瞬間に、伝統が伝承されていく心安らかな思いがしました。

最近は私も人生の後半に降りていくなかで特に日本人の次世代の未来のことばかりを考えるようになりました。

子どもたちには「生き方を学び直すことで道は拓ける、その生き方を一つでも多くこの世に遺したい」と願い祈るばかりです。

子どもたちが健やかに自分らしい人生を歩み、日本の先人たちの智慧や文化に見守られ根とつながり仕合せに花咲、実をつけ、種になれるよう、引き続き私の天命に従って遣りきっていきたいと思います。

永久の間(トコノマ)

明日、いよいよ待ちに待った床の間の壁の砂鉄塗が行われます。1年半越しに、準備をし伝統の左官親方とお弟子さん、また技術を学びたいと各地から左官職人さんが来庵され文化伝承の場として使われます。

この床の間への私の思い入れは大変強く、この床の間の甦生は暮らしの実践の中でも特に重要な意味を持っています。最近ではマンション住まいになり、床の間がなくなってきた家が増えていますが私たちの先祖は常にこの床の間に神様を祀り大切に暮らしを積み重ねてきました。

改めて床の間とは何かと説明すると、一般的には和室の一隅が一段高くなっているところで掛軸や置物、生花などが飾られています。しかし本来の床の間は、16世紀頃に登場した書院造りに取り入れられた「主君の座」だったといいます。そこは神聖な空間で、またハレの場であり、その主人そのものが顕現する場です。

この「トコ」という響きは、「トコシエ(永久)」、「トコヨ(常世)」と同じ音を持ち、古来から「永遠」という意味で語られます。一家の求心力や、一族が絶えることなく永久に続く象徴そのものが「床の間」であり、この床の間こそ家全体の中心であると私は思っています。

またかつての暮らしがいまでも色濃く残る沖縄では、「床の間は屋敷を守る男の神様がいる神聖な場所なので、床のある和室を一番座と呼び住宅の中で最も高貴な場所である。」と言い伝えられています。実際に、明治頃までは、床の間には神様が宿ると信じられ、神様が依り代になるものを設置し、そこに神様が入ってきてくださる空間であると信じられていました。

実際に、空間という字は、「空」と「間」からできている言葉です。これは入れ物のことであり、器を示します。神様がどれを依り代に降りてこられるか、次々に家の中に入ってきてくださる八百万の神々がそこに鎮座し、その神様をお祀りしおもてなしする至高神聖な場がこの「床の間」であると私は直観するのです。

もっとも清浄で神聖なその永久の空間を、どのようにするかは聴福庵がはじまったときからの主人としての大きな命題でした。それが地球の星魂の欠片でもある砂鉄を用いることができるご縁が本当に有難く、感謝の念が湧いてきます。

この家の暮らしの中心の床の間の甦生は、すでにはじまった聴福庵の息吹と誕生の大きな節目です。これから子どもたちのために風土や初心を伝承していくために主人のいのちが入る瞬間です。

炭と鉄に見守られ、火と水に支えられ、心玉が磨かれて光り輝いていく日本刀のように和魂円満の永久の間を味わいたいと思います。

 

石工の魂

昨日、江戸時代末期から続く郷里の老舗石屋の五代目主人の方にお話をお聴きするご縁がありました。聴福庵の沓脱石を探している関係でご縁をいただきましたが、改めて石大工の仕事の深さを感じる機会になりました。

そもそも石屋は、石を刻んで細工する職人のことをいい石大工、もしくは石工(いしく)と呼びます。

石大工の歴史を辿れば、はじまりは遺跡にもあるように石を様々に加工して暮らしの中で利用したところがはじまりだと思いますが主に進歩があったのは鎌倉時代で社寺造営に石材が使われはじめ石大工の活動が活発になった頃からだといいます。室町時代には一般庶民の神仏信仰が盛んとなり各地に石仏や石卒塔婆が作られるようにもなってきます。そして戦国末期から江戸初期になると築城用石材が多く使われ、茶の湯の流行もあり茶庭におく石燈籠や手水鉢など小型石材加工品が出てきます。さらに江戸時代も中頃になると庶民でも墓石をつくることが一般的となります。そして全国各地で石切場の開発がなされ、石屋が急増したといいます。近代は、戦争があって戦死者を祀ることでたくさんの墓石が建てられました。そのころがピークであとは、安い韓国製や中国製、手作業から機械に代わり大量生産が可能で加工が便利になり、かつての石屋が激減して今に至ります。

昨日、老舗石屋の五代目主人にお話をお聴きしていると石大工の仕事は心が必要であること、石という何億年も何万年もかかってできたものを加工するのは神仏と深いかかわりもあり、神聖な仕事であること、先祖先人が遺した真心の手を入れた石にはいつまでも守る責任があることなど教えていただきました。

現代は、墓石も建てられないどころか捨て去られ、安価に購入できる外国産の石が国内には溢れています。またかつて貴重といわれた石も、卸業者によって価値が壊れてしまいゴミの山のように廃棄されています。石の最期は、産廃業者が集めて粉々にし砂利にすると言っていましたが長い期間をかけて出来上がった石をいとも簡単に機械で粉々にして捨てるという現実をお聴きし、人間の都合の便利さの陰に昔ながらの自然との共生が失われていくのを改めて実感しました。

最近では伝統の石大工は激減し、ほとんどが廃業に追い込まれてしまったそうです。五代目主人が修行した四国の伝統的な石屋も先年に倒産したそうです。畳や桶と同じで、日本の大切な文化が消えかけているのはこの石工にも起きていました。

また石場で捨てられた石が山積みになったところをみると、お地蔵さんや名前の入ったお墓、その他、仏塔や石碑、ありとあらゆる石がゴミのように捨てられていました。

江戸時代末期から明治の頃のお話をお聴きすると、先祖の石大工は鑿と金槌を持ち山に入り石があるところで墓を加工していたともいいます。また墓を建てるというのは、祝事ですから地域の人たちがみんなで無償で協力して石を運び、助け合って建てていたといいます。その頃は、石工も一緒にご祝儀をいただいていたそうです。そのころの方が、石も喜んでいたのではないかと感じます。戦争時に戦死者が増えてみんなが墓を建てた理由は、その人たちの御蔭で今の自分たちがあることを忘れまいとしたからだそうです。今はその建てた世代が亡くなり、途端に管理が面倒だからと墓が子孫によって捨てられていくようになったと嘆いておられました。

悠久の年月、いつまでもその人の御恩を忘れないようにと頑強で丈夫な石を選んでしっかりと心を籠めて刻んだものが今ではそれが処理するのが高価で不便になり、そのまま放置して誰も管理せずに捨てていく理由になっているというのはとても残念なことです。これは古民家の空き家と同じです。

石は私たちに記憶を刻むように心を留めます。その心に留めたものを捨てるのは、私たちが初心や原点を忘れているからかもしれません。

改めて石大工の棟梁の心構え、石工の魂をお聴きし、ここにも日本の職人文化が深く根付いていたことを学び直しました。改めて、聴福庵の仲間になってくれる沓脱石の存在と今回のご縁を結び、自然を尊び、石の本質を確認しながら和の甦生に取り組んでいきたいと思います。

風土人の使命

懐かしいものに触れていると心が安心するものです。その懐かしさは決して物だけに限らず、景色や景観、食べ物や遊び、それに人柄や雰囲気などにも感じます。この懐かしさというのは、私たちが慣れ親しんできたものともいえます。

この慣れ親しんだものが身近にあることで、私たちは風土の存在を感じます。環境というものは、それまで暮らしてきたものが集まってできてきているものですから長い間一緒に暮らしてきた関係性というのは懐かしいものです。

文化が醸成されていく中で進化というものがあります。本来は、時間をかけて自分たちの文化に馴染むように少しずつ取り入れていくのが進化の過程ですが現代のように、文化の入れ替えといってそれまでの文化を異なる文化に換えてしまうというのは進化ではありません。

例えば、住宅においても食においても価値観においても私たちはアメリカから渡来した文化に総入れ替えしています。それまであった文化は、古臭く価値がないと捨て去り、新しく欧米から入ったものだけを新鮮で価値があると教え込みます。

少しずつ、日本のものへ和訳したり和合したりして自分たちの風土に即したものにすればいいのですがその時間がないのか、不便だからか、あっという間に風土を無視した取り入れ方をしていきます。

住宅においては、日本の田舎でさえ最近はまるでアメリカやカナダ、ヨーロッパにあるような住宅を建てます。またマンションなどもそうですが、鉄筋コンクリートで完全密封し総合空調を入れているところがほとんどです。風土に即していないから、大量の電気代やその他の費用を人工的に補てんしながら便利な生活を満喫しています。

しかし西洋にいけば、上手にアジアの文化を自分たちの中に取り入れて新しいものを生み出しています。それは住宅においても、またその他の食や衣服にいたるまで世界にある多様な文化を取ってつけたように挿げ替えるのではなく、時間をじっくりとかけてその国の人たちが自国の文化に合うように醸成していくのです。

日本の文化で海外で花が咲いたものには、禅や柔道、それに食でも寿司やうどん、先日の包丁やアニメなども世界にじっくりと取り入れられその国のものになっています。

本質は無視して形だけを便利に挿げ替えるやり方は何も考えなくてもお金さえあれば簡単に加工できます。しかし文化とは本来、本質を学び本質を取り入れることですからじっくりとそのものの文化が由来した意味や価値、自国の風土に照らしてどのように和で料理するか見極めるのがその風土人の使命でもあります。

懐かしいものや親しんできたものには、その意味や価値がしっくりくるように馴染んでいます。子どもたちのためにも風土人としての世代の責任を果たしていけるように、和魂円満の実践を高めていきたいと思います。

包丁の続き

先日、包丁のことを書きましたがもう少し書き足しておきたいと思います。そもそも包丁の歴史をかんがえてみると、はじまりは古墳時代にある石器によります。先の尖った石で食材を切っていたことが古墳から出てきています。

その後は、製鉄技術が発展し日本刀を経て今の包丁になっていきました。しかし包丁の質と量でいえば、かつての日本の暮らしや和包丁の方が遥かに発展しており、今の便利な三徳包丁一つで済むようなものとは異なりました。

なぜ和包丁が減っていったかと洞察するとこれは明治時代の文明開化の際に日本人が西洋食を中心に食べるようになったことが関係があります。西洋の料理は肉が多く、包丁も西洋式の牛刀を用います。これは肉には健などの固い部分がありますから体重をのせて切りますから和包丁のように引いて切るものではありません。しかし牛刀だけでは野菜や魚を切ることが難しいのでその後、万能包丁として三徳包丁というものが発明されその一本ですべての食材を切るようになってきます。

この三徳包丁の特徴は、肉や魚を捌きやすいように切っ先は尖り気味で刃先は反っています。ただし野菜の千切りなどにも対応できるように、刃の反り具合は非常に緩やかにできています。つまり西洋の牛刀と日本の菜切包丁の「良いとこ取り」をしているからこそどんな食材でも楽に切ることができるという訳です。

しかしこの万能包丁はホームセンターに販売されているその他の便利な道具などと同じで誰でも簡単に素人でもプロのように使えるというもので本格的にプロが使おうとすると使いにくいものになります。

三徳包丁は万能ですが、しかしやはり和包丁のようにその食材に合せて造られたものではないわけですからすべてが100点満点ではなくすべてにおいて平均以上くらいの使い勝手があるということです。万能は言い換えれば、可もなく不可もなしとも言えます。

私は「持ち味を活かす」という方に特に興味がありますから、全部が平均であるよりも強みも弱みも併せ持っているものの方がそのものらしいあるがままの個性が発揮され、みんなと一緒に存在する全体の中で活かしあえますから多種多様な包丁の方が豊かで楽しく感じます。

いくら三徳包丁があるからとはいえ、肉はやはり牛刀の方がよく、魚は出刃包丁、野菜は菜切包丁の方が本来の使い手にもよく、食材にもよいのは明らかです。なんでも誰にでも便利な方へと価値観が変化したのが明治時代以降だということが包丁文化からも観えてきます。

この明治時代以降の食文化の変化と共に包丁文化も失われてきましたが、今一度、明治時代の前がどうであったのかを学び直し、便利さを追求した先に合った今はどのように豊かになったのか、本来の私たちの先祖が大切にしてきた生き方や暮らしはどうだったのかを見極めていく必要を感じます。つないでいく文化の担い手は今を生きている私たちだからこそ、文化を知ることは自分のルーツを知ることなのです。

子どもたちに日本の文化を伝承していくために、身近な道具から学び直していきたいと思います。

暮らしの信仰

昨日、長崎県平戸市にあるお客様の寺院にてお風呂の神様として祀られている「跋陀婆羅菩薩」(ばったばらぼさつ)のお話をお聴きする機会がありました。ちょうど聴福庵のお風呂場の甦生に取り組んでおり印象に残りました。

古来より日本の家には多くの神様がいて祀られていました。福を授ける大歳神、家全体を守る天照大神、台所の火を守る三宝荒神、家中の火を司る火之迦具土神、家の穀物を守る宇迦之御魂神、台所には他にも布袋、恵比寿、大黒神、井戸や水場を守る弥都波能売神、トイレには烏枢沙摩明王と弁財天、家宝を守る屋敷神の納戸神、窓や風を司る志那都比古神、門を守る神様の天石門別神。家屋、屋根を守る大屋毘古神。家の戸の神、大戸日別神。他にも似た神様に座敷や蔵の神様に座敷童子、そして先ほどの風呂場の跋陀婆羅菩薩です。

いざ書き出してみると、これだけ多くの神様が守ってくださっている家。ここにはもはや宗教の違いを超えて常に身近に神様がおられ私たちの暮らしを守ってくださっているという生活をしてきたことがわかります。

先日、ある方が祖母が早朝より古民家の中にあるありとあらゆる神棚の御水替えでだいぶ時間がかかっているとお聞きしましたがそれだけ昔から家の中の守り神を日本人の先祖は大切にしてきたように思います。

今の西洋式の家屋では神棚もない家が増えてきました。家を守っている神様が一つも目に見えるところにもなく、信仰する場もない環境ができてしまえばかつてのような日本の民家の暮らしもまた消失していくのは時間の問題なのでしょう。

昔は水も火も風も、土も穀物もすべて自然からの恩恵でありその恩恵があって家での暮らしが成り立っていました。その感謝を忘れないで大切に守ってくださっていることに祈る日々が暮らしの根っこにあったように思います。

当たり前になってしまっている現代の便利な生活の中で、失ったものが何かは神様がいなくなったことでわかります。私たちは暮らしを通して信仰心を養い、生き方を磨いてきたからこそ日本人らしい感性が伝承されてきたようにも思います。

改めて、古来からの暮らしの信仰を見直して引き続き子どもたちのために家を甦生していきたいと思います。

包丁の文化

先日、聴福庵に古来のたたら製鉄法を用いた玉鋼の出刃包丁が届きました。和包丁の一つ出刃包丁は魚を捌くためのものであり、現代では肉を切るのにも用いられます。

出刃包丁の名前の由来は、「出刃包丁について確認できる最も古い記録は江戸時代の『堺鑑』であり、「魚肉を料理する庖丁」と紹介されている。その時には既に堺の名品として知られていたらしく、詳細な登場時期や普及過程などは明らかになっていない。 『堺鑑』には「その鍛冶、出歯の口もとなる故、人呼んで出歯庖丁と云えり」と記述されているが、これが普及や時間経過とともに「出刃」に変わっていったものと考えられる。」とウィキペディアにもあります。

なぜ出刃というのかと気になっていましたが、まさか大阪の堺にいる出っ歯の鍛冶職人が名前の由来とは思わず驚きました。大阪らしい感じがしますが、出刃包丁がよほどの使い勝手の良さと切れ味、個性のある鍛冶師だったのではないかと思います。

今ではスーパーでなんでも便利に用意してくれているため、昔のように魚の三枚おろしなどしなくなっていき出刃包丁も家庭での出番が失われてきました。肉も洋包丁を用いていますからますます出番がなくなってきています。

そもそも用途の歴史を辿れば、日本最古の包丁で現存しているものは奈良時代のもので奈良の正倉院で保存されていますがこの包丁は柄が長く日本刀に似た形をしているといいます。江戸時代になるまで、包丁はほとんど日本刀で切っていたということになりますからその切り方もまた日本刀に準じて「引いて切る」という切り方になったのでしょう。

江戸時代に入ると、平和が続き刀鍛冶の仕事が少なくなってきましたから包丁鍛冶師に転向していきました。江戸時代は例えば寿司の文化も開花しているように、他にもさまざまな食文化の発展と共に包丁鍛冶師も和包丁もまた進化していきました。

ちなみに寿司のはじまりは江戸時代後期の文政年間(1818~30)といわれ、創始者は江戸両国の「与兵衛寿司」の華屋与兵衛(はなやよへい)とも、江戸深川は安宅六軒堀(あたけろっけんぼり)の「松のすし」の堺屋松五郎ともいわれています。

そして明治時代に入ると西洋文化が入ってきて同時にいろいろな料理方法や料理と共に西洋のナイフが広まっていきました。特に牛刀という名前は、包丁で牛肉をさばくための包丁と言うことで呼ばれるようになったとも言われます。

そして西洋と日本の食文化を合体させた日本人は牛刀と菜切り包丁の機能を持つ「文化包丁」を創り出します。そして一般家庭でどの種類にも便利に使える「三徳包丁」になっていきました。今ではセラミックやステンレスの技術が入り、包丁はあらゆる素材で作られホームセンターなどでも販売されています。

私は現在、今の時代に包丁文化を甦生させている最中ですから敢えて玉鋼の包丁を用い研ぎ、学び直しながら創意工夫をしていますが改めて使えば使うほどに、その持ち味に感動しますから引き続きこの包丁の文化もまた子どもたちに伝承していきたいと思います。

風土と暮らし

昨日から京都の鞍馬寺に来ています。少しずつお山が秋の気配に色づきはじめて空の秋風の透き通った青さと流れる雲の白さ、そして緑が合わさって水がキラキラ輝いてみえます。

自然というものは、その風土の中で一体となって一緒に存在しているため小さな変化は全体の変化を促していきます。いのちが輝くというのは、その偉大な存在の中にあってすべての生命が一緒に生きている中でこそ燦然と輝きます。

もしもこれが人工的にバラバラになったのなら、それぞれが輝くことはありません。生き物がイキイキといのちを働かせてハタラクには、風土の存在が欠かせないのです。その風土の存在があって私たちは存在することができますから、常にいのちは風土と一体になっているということを忘れてはいけません。

循環という言葉があります。

これはいのちがめぐり、様々なものが有機的につながり存在していることを顕していますがその本質は共に生きるという共生のことを意味します。一緒に生きているからこそ、お互いの存在を思いやり尊重して生きていくこと。それが循環の意味です。現代では、部分だけを見てはバラバラにし、部分だけを排除しようなどとしますが万物はすべて共生していますから一つだけを除いたらすぐに全体の何かがバラバラになっていくものです。

存在の原点を忘れてバラバラになるということは、一緒に生きるのをやめるということでもあります。豊かで瑞々しい風土の中で、共に仲間と生きていけばみんなニコニコと仕合せに楽しく生きることができます。その反対に、自分さえよければいいと風土から離れ自分勝手に孤立して生きていけば誰とも分かち合えません。

だからこそ「自分」というものを決して勘違いしてはなりません。自分しか知らない傲慢な自分ではなく、謙虚にみんなと一緒に生き活かされる「自分というものの存在」を静かに見つめ直す必要があるのです。

一つの風土をそれぞれが生きる主人公としてみんなで分かち合うというのは、いただいている恩恵に感謝しみんなで一緒に生きていく自然の姿、みんなのいのちが輝く姿です。

子どもたちもこのいのちの原点に魂が触れることによって、自分がどの風土に生まれ一緒に生きていくのかを確認します。その根のつながり、いのちの原点が感じにくくなっている現代の環境において、その後大人になった人たちが本当の自分を見失っていることが増えているように私は感じます。

風土と暮らしがなくなることは、自分らしさがなくなることです。

人類の未来の子どもたちのためにもこの美しい風土が育てた本物の環境を三つ子の魂百までに触れてもらい、そのうぶな心に真相を伝承していきたいと思います。

徳気

古語に「短気は損気」という諺があります。すぐにイライラしたり怒ったりしていたら結局は自分の損になるというものです。他にも「短慮功を成さず」のように、焦ってなんでも長期的配慮に欠ければ成功もしないというものもあります。他にも浅い考え方では、何も成功させる事はできないということでもあります。

この「短気」というのは説明すれば忍耐ができず、すぐに怒ったり飽きてしまったりする状態のことをいいます。 同義語には「気が短い」「気が早い」などがありすぐに結果を求めてしまいたいところがあります。

この短期の反対は「気が長い」という語はのんびりとして焦らないことを指し、時間をかけてじっくりと醸成するものを待つという状態です。短気は感情だけで動かしますが、気長に待つには根気とプラス思考、それに心の余裕やゆとりが要ります。

心の余裕やゆとりは、信じる心が先にあり、信じているから待つことができます。逆に不信や不安になると、ゆとりと余裕がなくなり焦り短気になります。感情に呑まれるのもまた、不安や焦りが出ているからだとも言えます。

私も何度も同じ現状が変わらずに、繰り返され変化がないと短気をおこして怒ってしまうことがあります。その後は、反省して恥ずかしいことをした、なんであんなに怒ったのかと後悔したりもします。よく考えてみると、相手は自分が自ら気づかなければ反省もなく、改善もなく、変わることもないのだから自らの気づきを根気よく待つしかありません。

気づかないのになぜ変わらないのかと怒ってみても、それは自分の気づかせることができない短気が原因であり、それが損気になって何事も悪循環を生んでいるということです。

時間がかかる人もいれば、パッと気づいて変わる人もいます。時間をかけた分、気づいたらそれを一生大事にする人いれば、気づいてもすぐに忘れてしまったまた同じことを繰り返す人もいます。

気づき方も人それぞれに個性がありますから「福は寝て待て」の心境で、そのうち気づいてくれるだろうと気長に待つ力を自分が磨いていくことがいいように思います。気長に待つという忍耐力は、これでいいとすべてを丸ごと受け容れる器を育てるということです。

はじめから簡単に思い通りに育つ人などはなく、その人が主体的に自分から取り組んだ分だけその人の気づきの質量が変わるのだから大切なのは「自分で気づいて反省すること」を繰り返していくだけです。相手に求める暇があるのなら、自分が先に反省した方が「徳気」を磨けます。これは私の造語ですが気長は得気、自省は徳気ということです。

聴福人として、待つことで徳を磨き、短気を反省することで己の足らざるところを恥じ、今日もまた己に克つ挑戦をし、自らの徳気を高めていきたいと思います。