ドイツのはじまり1

明日から一週間、久しぶりにドイツへ視察研修に訪問します。このドイツ視察研修は4回目になりますが、今までとは違って日本の伝統文化を深めているからか改めてその国の多様性や暮らしについて興味が湧き、新たな発見の予感がありワクワクしています。

せっかくなので訪問前にドイツの歴史について少し深めてみようと思います。

このドイツという国は、ヨーロッパのほぼ中央にありおよそ人口8,108万人、総面積357,121㎢で16の州からなる連邦国家です。もともとローマ帝国時代には、ゲルマニアと呼ばれていました。その後ゲルマニアは次第にローマに溶け込み、800年にローマ皇帝としてのちの神聖ローマ帝国の祖とされるカールが帝冠します。そしてカール大帝はイギリスの神学者アルクィンを宮廷に招き相談役として共に「カロリング・ルネッサンス」と呼ばれる古典古代(ローマ)文化、カトリック、ゲルマン文化の要素を融合した独自のヨーロッパ世界を創り上げました。

その後は、息子たちに遺産相続として領土を分割します。この時に、現在のドイツ、フランス、イタリアの原型ができました。ドイツ王国の初代国王は選挙で選ばれたコンラート1世といいます。三代目に選出されたオットー1世が神聖ローマ帝国という国家理念を樹立しキリスト教理念に基く普遍的な帝国を目指していきます。ここで宗教的な理念の対立が生まれローマからドイツが離れていきます。そして有名なマルティン・ルターが現れ宗教改革が行われます。ルターを擁したドイツが、新約聖書のドイツ語版を完成させます。こうしてカトリックとプロテスタントに分裂しました。その後、30年間に渡りこの両者の勢力によってドイツ国内を中心に戦争が続きました。戦争が終わって衰弱しきった国家にペストなどが流行し人口は激減、神聖ローマ皇帝の地位は名目上のものとなりドイツは300もの領邦に分かれた領邦国家として存在していくことになります。

そして名目だけ存在していた神聖ローマ帝国は、フランスのナポレオン皇帝の台頭により完全に解体されました。そしてナポレオンの衰退と共にドイツはオーストリアを盟主として連邦国家として名乗りを上げます。その後はプロイセンが中心になりドイツ統一国家の道へと繋がっていきます。

このようにもともとゲルマニアのローマの融合からそれぞれの国家間の融合に続き、それぞれの領邦の融合がありました。ドイツという国は、いわば多様性を維持したまま存在する連邦国家であるというのが歴史から見て取れます。

それぞれの地域性や生活文化を大事にして伝統がいつまでも遺り大切にされているのは、それが領邦の暮らしを守るものであったからです。

引き続き、はじまりを深めつつ近代ドイツを深めていきたいと思います。

 

 

 

日本伝統教育の甦生

日本には古来から優秀な教育方法があります。明治時代に教育方法も西洋式のものに移行し、それまでの日本の教育を捨てていきました。150年前にあったものがなくなってしまい、現代の状況を省みると今一度、自国の歴史に学び、日本の伝統的な教育の本質を学び直し温故知新していく必要性を感じます。

以前、深めた教育方法の一つに鹿児島の「郷中教育」というものがあります。もともと島津藩で編み出されたこの教育方法はその後、大勢の偉大な人物を輩出する基礎になりました。最近では西郷隆盛が注目されていますから、同時にその西郷を育てた教育も改めて参考になるように思います。

その郷中教育とは何かと説明すると、現代でいうところの郷中=町内で実施していた教育方法です。薩摩藩は城下町の一定範囲を「郷」で区分していましたこの「郷」を現代で言う所の町内のようなものです。つまり町内会の教育制度のようなものでそれぞれの「郷」で暮らす中で子どもたちは町内で見守られながら教育を施されました。具体的には6、7歳〜10歳までを「小稚児」(こちご)、11歳~14、15歳までを「長稚児」(おせちご)14、5歳〜24、5歳までを「二才」(にせ)、24、5歳以上を「長老」(おせ)と呼び、それぞれがグループになり、読書、剣術などの修行を行いました。

この郷中教育の特徴は、子ども同士で学び合う仕組みです。保育の世界では、異年齢保育などという言い方をしますが、子どもの発達段階に応じて年長者が年中少者を教え導く伝承の仕組みです。つまり長老(おせ)が二才(にせ)を教育し、二才(にせ)が長稚児(おせちご)を教育し、長稚児(おせちご)が小稚児を教育する。このように、年長者が年少者を教育するのです。西郷隆盛が生きた幕末の薩摩藩には、全部で23の郷中があったといいます。この23の町内でそれぞれに見守られながら子ども同士で学んでいました。本来、むかしの日本はほとんど両親は農作業などの日常の暮らしに没頭するため家庭での子どものお世話はお祖母さんが行っていたとも言えます。教育ママなど出てきたのはエリート教育を施し始めた明治頃からであり、それまではほとんどは教育はお寺のお坊さん、武士、儒学者などの一部の人たち、それ以外はすべて子ども同士で行っていたのです。それを地域の大人たちが遠目に見守っていたという具合です。

基本的には子どもはほとんど両親の手伝いで勉強をする時間はありませんでした。実際に暮らしていくことはやることがいっぱいですから、子どもが子どもの世話をするのは当たり前だったのです。戦国時代を経て江戸時代になると藩の教育方法をさらに発展させ、全国各地にできた私塾や寺小屋によって子どもたちは劇的に学ぶ環境が出来上がりましたがそれまでは学校などもなく教育制度は発達していなかったのです。

郷中教育に話を戻します。

それではどのように郷中で子どもたちで学び合っていたのかということです。この仕組みがとてもユニークで、その教育のほとんどが徹底した口述「対話」が重視されたといいます。

具体的にはまず子どもは早朝からひとりで先生の家に行って儒学や書道などの教えを受け、その後は子どもだけ集まって「車座(一円)」になり、今日学んだ内容を持ち寄り口頭で発表しあいます。それを「詮議」といいます。

この「詮議」こそ郷中教育の根本的な教育方法であり、「君ならどうするか?」とお互いに質問し合ってそれぞれの解決方法をみんなで問いあい自分の意見を言いあう訓練をするのです。主体性や自主性、問題意識などを自分の力を使って物事を判断し行動する力を養ったとも言えます。

現代は、自分がどうしたいのわからないといった指示命令型の組織の中で教育された人は主体性が失われ受け身であることすらわからずに自分を見失うことが増えています。そういう幼い頃から、「自分で考える」ということを諦めた人は考えていいのは指示を出された後だけであり本来の「自分はどうするか?」、「君ならどうするか?」という根本問題を考えようとしなくなっていきます。これこそが主体性の欠落になり、自分の人生を自分の足で歩んでいくことができなくなるのです。

そのようなことがないようにここでは、必ず「詮議」をして「自分はどうするか、あなたはどうするか」と訓練をしてお互いの多様性を認め合う人間力や聴く力を高めます。

その後は、内省をして振り返り、どのように改善すればいいかを語り合い学び合いまた日々の修養に努めます。この「対話」という仕組みはまさに人間尊重の教育のあり方であり、私たちが取り組んでいる一円対話や団欒などにも通じています。

教育の根本的な方法は、古来からの日本の伝統教育の仕組みの中に入っています。この智慧を復古創新していくことが人財育成の鍵にもなります。

世界に誇れる日本の文化や教育が単なる輸入品だけというのは寂しいものです、私たちも社業を邁進しながら試行錯誤し日本の教育を甦生させていこうと思います。

 

日本人の教育の原点

日本の民話や昔話には、深い智慧がありそれを読み聞かせることで子どもたちはそこから様々なものを直観するものです。特に終わりがはっきりしていない物語ほど、考えさせられることが多くなぜという意味を感じさせるものばかりです。

特に、日本の昔話や民話は動物たちや妖怪、幽霊や鬼、また植物などをはじめすべてのものが擬人化されて語られます。八百万の神々といって日本では、どんなものにもいのちが宿っているとして当たり前にそれが民話や昔話で語られます。

つまりは日本人の価値観として、無生物といわれる「物」に至るまでいのちがあると信じているということです。

もともと「物体」とは、「物」の「本性」という意味です。この「体」とは、そのものの本体のことを示します。物体とはいわば、そのものの本性のことを示しそのものの本性は何かということを現わしている言葉です。そして「勿体ない」という言葉は、そのものの本性が消失すること、つまりは本体のハタラキが消えてしまったことを指します。

物の本性は「いのち」ですから、そのいのちが失われてしまうことを勿体ないとむかしの日本人は言いました。すべての物にはいのちが宿っていくからこそ、そのいのちを失わないように大切に使い切っていこうとするのです。

供養があるのは、そのいのちのハタラキが消えたものたちに対しての思いやりと感謝でありむかしは当たり前にそのいのちを観ながらその物を活かしていたとも言えます。

現代は、物にいのちがあるとか言うとすぐに気味が悪いと煙たがられたりまだ使える懐かしいものでもゴミのように簡単にポイ捨てしまう世の中です。むかしの日本人の価値観が失われていくことで、八百万の神々といった価値観や日本人の文化もまた塗り替えられていくように思います。

昔話や民話を大人が子どもに読み聞かせることは、大人も子どもも日本人の価値観を学び直して文化を習熟していく伝承の仕組みです。改めて子どもの頃に読んだ話や聴いた話を思い出しながら子どもに言い聞かせていると自然に子どもの頃に感じていたことや直観したいのちを思い出すことができます。

大人になって知識が増えて、子ども心に当たり前に観えていたものを忘れてしまった頃にもう一度思い出すことは大切なことです。そして子どもから学び直し、子どもと共に先人たちが出会った出来事から学んだ大切な道理をまるで絵本を読むかのように自然に習得していくという教育方法は道理に適います。

これは学校で試験やテストや受験で学ぶ教育とは異なり、好奇心のままに愛情深い真心が水が真綿に沁み込むように自然に智慧が入っていきます。

この智慧の伝承の仕組みこと教育の本質であり、日本人の学び方だったのかもしれません。

色々と現代はテクニックでエリート教育が過熱していきますが、本来の教育とは何のためにあったのか、そしてどのようにしていたのか原点回帰する必要性を感じています。

引き続き、子ども第一義の理念に取り組んでいきたいと思います。

伝承の知恵

むかしのことを調べていると、時代環境によって伝承の仕方が変わってきているのが分かります。現代はむしろ伝承だけが消失している気がして大きな危機感を感じます。

例えば、むかしはお坊さんが説法などで因果応報が原理原則などを怖い物語で語っていたことなどもあります。幼い頃は、鬼が出るや妖怪や幽霊、地獄の話やバチがあたるなどの話を聞くと怖くて身震いしていた記憶があります。

怖いという感覚は、そのまま畏怖になり神様の存在や目には観えないけれどそこには外れてはならない道が存在していたように感じました。日本昔話に出てくるお地蔵さんの話や、各地での伝承の話にはすべてその土地や風土で起きた悍ましい出来事に子孫たちが再び出会わないようにと口伝によって伝承されてきたものもあります。

まさにこの伝承は人類の知恵であり、人類は教えずとももっとも大切なことは何百年、何千年と教わってきたとも言えます。神話なども同様に、恐ろしいものもたくさんありますがこれは怖ろしい物語によってかつて先祖たちが何かしら体験した教訓や回訓を直観して気づくような仕組みになっているのです。

今では文字や映像など記憶媒体が進化していますが、すぐに忘れ去られることが多く短期記憶になってしまいます。先ほどの畏怖は、一生忘れないような長期記憶であり大事な場面で私たちの判断基準に大きな影響を与えます。

特に勧善懲悪の話や、因果律の話、さらに道理や原理原則など昔の伝承の中にはその智慧がふんだんに詰まっています。それを幼い頃から知識ではなく智慧で持つことは、その後の人生の歩む道中の叡智となってその人を助け見守るのです。

学校で教えるような教科書的な知識でテストのために暗記するようなものではなく、その恐れを直観する人や道理に精通した人物たち、経験者や年配の覚者たち、むかしでいえばそれがお坊さんや長老、神官、儒学を学んだ武家、修身修養した人物たちによってそれは子どもたちに語り継がれてきたのかもしれません。

子どもたちを育てていたのは一体誰だったか、どのような環境だったか、時代が変わっても変わってはならない本質というものがありそれが文化や伝統の中に存在しています。

引き続き、子どもたちにとって温故知新する必要がある時代の保育環境を見つめ直していきたいと思います。

平和の祭典

2020年に東京オリンピックを控えて各地で競技場などの工事が行われています。オリンピックを誘致したときには盛り上がりましたが、あまり最近ではニュースになることもありません。どちらかといえば、エンブレムの問題や競技場のために木を切り倒して産廃に出したりと心ないことばかりが注目されています。

そもそも古代にはじまったオリンピックは、古代オリンピックは紀元前776年に古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアでゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされています。一つの神々への供養としてのお祭りの一つだったとも言えます。そこからキリスト教が国教になりオリンピックは廃止されます。

その後は、現代になってフランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵によって1896年第1回大会がアテネで開催されることで復活しました。クーベルタンがオリンピックを始めようとした根本動機はスポーツを通じて人間を変革することとしました。そこで単なる「スポーツの祭典」ではなく、精神の発達を願う芸術祭も含めてのものにしたのです。1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会まで芸術競技が開催されていて1952年第15回ヘルシンキ大会から「芸術展示」、1992年の第25回バルセロナ大会からは「文化プログラム」として実施されたといいます。

この文化的な側面を大事にしようとしたことは、人間をよりよくしていくための方法の一つとして開催されたことになります。そこから「平和の祭典」であると定義し、クーベルタンは「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことをオリンピックの目的と理念にしました。「勝敗だけではなく、ルールを遵守し正々堂々と全力を尽くす」という「フェアプレーの精神」がオリンピックでは重視されるのもこのためだとも言えます。

この平和の祭典という目的を忘れるところに問題があり、オリンピックの目的が政治利用されたり利害によって経済効果ばかりが注目されるようになってきたとも言えます。本来の意味を理解するのなら、スポーツは何のためにあるのか、ドーピングの問題なども出てきますが目的を忘れることで本質もまた変わっていくのかもしれません。

昭和の頃の東京オリンピックでは、日本が大きく変わった節目の年だったとも言えます。あの頃を振り返り、これからどう生きていくか考えるチャンスの節目かもしれません。

私たちも平和の祭典に参加しながら、子どもたちのために最善を盡していきたいと思います。

和魂の継承

明治の頃、欧化政策というものが新政府によって実施され文明開化というスローガンをもとに西洋の文明を積極的に取り入れていきました。本来ならじっくりと今までの日本の文化の価値観で取り入れていくはずのものが、急場しのぎのために西洋の文化を西洋の価値観そのままに日本を否定し入れ替えるというやり方で行われました。

この時の欧化政策や文明開化というものは、単に価値観の入れ替えであり違う国の子民と文化になろうとしたとも言えます。今、私たちが履いている靴や洋服といった洋装文化もまたこの明治から入れ代わりました。今では町中でほとんど下駄や和装をする人たちを国内で見かけることはなく、京都では外国人の観光客たちが面白がってレンタルしたものを着ている光景を見かけるくらいです。

その後、日本は西洋の文化にしてむかしから大切にしてきた和魂というものを捨てていきました。例えば、和魂の代名詞ともしていて侍の刀、そしてそれまで大事にしてきた日本の価値観としての道徳観や宗教観、暮らしなど一つ一つすべて手放していきました。今ではそんなことを言えば、国粋主義者ではないかなど評されますが明治の頃などは植民地政策が行われていたこともあり排他的になるのは仕方がないことです。

かつて聖徳太子が、神道と仏教と儒教を和合させていきました。その時、和を優先しようとしたのが日本の和魂の原点であり、そこから私たちの国は神話に習い排他するのではなく全体調和して和合することを重んじてきました。明治にはそれも廃仏毀釈によって神仏分離し、宗教の自由として日本の価値観を変えました。また菅原道真が中国から入ってきた文化を和魂で調和して和魂漢才といってその当時の様々なルールや仕組みを日本人の価値観に合うように道理を引き直しました。それも明治に入り、洋才を使って洋魂にしていきました。

本来、歴史の中で日本文化を使って日本人の和魂で調理する方法はその後の日本を創造し世界屈指の文化と文明を江戸時代に開花させたのですがそれも明治によって捨て去ってしまいました。明治に欧米の植民地化から日本を守るためにとった政策がここまで今の日本を変えてしまうとはその頃の先祖たちは果たして観通していたのかなと最近ではよく感じます。一時的に、その場は仕方がないと手放して捨てたものがちゃんと今それが修正され拾われて元に戻されているのだろうかと。

歴史は途切れることはなく、つながりの延長線上に積みあがって今があります。むかしの仕組みや智慧や伝統や暮らしは、日本人が長い年月をかけて醸成し形作ってきたものとも言えます。そういうものに守られながら私たち子孫はこの風土と一体になって今まで生き永らえ世界に貢献していく力を蓄えてきました。

そしてそれは地球でそれぞれの風土で多様化した文化はまさに人類が生き残るための知恵になるはずのものでした。

もしも西洋一辺倒で塗り替えてしまえば、地球は西洋文明だけになってしまいます。そうなれば風土が気候などで激変をしてしまったり、環境が今とは異なってしまった際に、私たちは打つ手が西洋文明の知恵だけになってしまいます。短期的にはそれで乗り越えても、何百年という歳月は西洋文明だけでは乗り越えていくことは不可能です。だからこそ私たちは多様な文化を尊重し、それぞれの善いところ、持ち味を活かし合いながら人類を存続していく必要があるように思います。

日本には神話の時代から今まで続く皇の系譜があります。そして私たちはその子孫です。これだけ永く続く文化と文明を維持していく日本には、人類がどうやってそれを維持していけばいいかといった循環の智慧の宝庫でした。

地球はもともと自然環境が多岐にわたり様々な表情を持つ星ですから、その星の中で生きていく私たちはそれぞれの気候風土に姿を変えて生きていく生き物の一つです。

子どもたちが自分たちがどのように今まで育ってきたか、先祖がどのように価値観を磨いてきたか、その風習や暮らしぶり、いわば原風景を知っていることはこの先の未来に自らで判断して行動できる基準になります。

現在の世界の教育のスローガンは、自ら考える力をつけることです。そのためには考える元になる文化をしっかりと再認識する必要があると私は思っています。子どもたちが安心して自分たちを自分たちで切り拓いていけるように、今、できることを自分の脚下で実践していこうと思います。

純粋無垢な真心

先日、ある料理店にいき日ごろの御礼にとみんなに食事をご馳走したことがありました。その後から体調が急変し、何人か感染症のような症状で私も含めて寝込んでしまいました。ひょっとしたら原因はそれだけではなかったかもしれませんが、本来は誰かや自分のせいではないのですがみんなが苦しんでいる姿を見ると申し訳なかった気持ちになってしまうものです。

そのようなことを考えているとふと仏陀の最期の話を思い出しました。

仏陀は、説法の旅の最期には、金属細工師のチェンダという仏陀の信奉者が出したキノコ料理で食中毒になり衰弱してそのまま数日後に亡くなってしまいました。

今までは仏陀の動向にばかり注目していましたが、その仏陀の状況をしったチェンダは一体どんな気持ちだったろうか。そしてどれだけ深く心を痛めただろうかと、どうしても共感してしまいます。大切な人にもてなしたことが、それが原因で相手が苦しんだり死んでしまうということがどれだけ辛いことか、その後はどうなったのだろうと思ったのです。

調べてみるとやはりチェンダは非常に落ち込み自分を責めていたといいます。そしてそのチェンダを思いやり仏陀は弟子のアーナンダを使いにやって責めることが決してないようにと次のような伝言を託けます。

「わたしの一生には忘れることができない供養がある。その一つは悟りを開いた直後のスジャータの出してくれた食物、そしてもう一つはチェンダの供養を受けた食物です。それは、最高の功徳です。」と。

それを聴いたチェンダは、地に額をつけて泣きました。私もそれを知って仏陀の思いやりに心が救われました。

知らず知らずに大切なものを傷つけてしまったとき、本当に苦しくそれはどうしても責めるところは自分しかないときもあるものです。自分が間違って怪我をさせてしまったり、不用意な言動で相手の心を傷つけてしまったり、特に幼少期や未熟さゆえにそれが発生し本当に悲しく自分を責めたことが何回もありました。

この仏陀の供養というのは、スジャータとチェンダの純粋な真心のことであり、そのことで私は悟ることができたという仏陀の大切な気づきです。仏陀にとっての忘れることができない供養とは、純粋無垢な仏陀への真心そのものだったのかもしれません。真心からの純粋な行動がどのような結果になったにせよ、その現象の結果ではなく常にその真心の方であると、仏陀の供養を思い大切にして生きていきたいものです。

人にはそれぞれに因縁があり宿命があります。

そこには無数無限の不可思議なつながりがあり、人生はどのようになるのかは誰にもわかりません。だからこそ人としての道を自らの真理で習得し、その智慧によって生きていくしかありません。

仏陀の歩んだ足跡には、その生き方や生き様という智慧が詰まっています。子どもたちの純粋な真心や優しい気持ちを見守っていけるよう智慧や真理を学び続けていきたいとおもいます。

感情の源

人間はそれぞれに感情を持っています。感情とは物言わぬ言葉でもあり、感情が言いたいことが何かは感情に出ているものです。本当は何を言いたいのか、本当はどうしたいのかは感情が語るのです。

その中で特に「怒り」という感情があります。よく何かあると怒っている人がいますが、怒っているのはその怒っている感情を通して何を言いたいのかが分かります。

例えば、相手に「勝手なことをするな」と怒っている人は「自分を蔑ろにしないで」という本心を語っていますし、「なんで気をつかえないんだ」と怒っている人は、「自分を気遣って」と本心を語ります。もしくは黙って怒りのオーラだけ出している人もまた「自分をわかってほしい」と語っているのです。このように怒っていることの背景には常にその人の本心があり、それはあくまで本心から表出してきた一つの動作や言葉という反応であり、その反応に反射的に対応しているだけでそれで拗れたりトラブルに発展することがほとんどです。

人間はそれぞれに価値観が異なりますから、その人なりに自分の信じ込んでいる世界があります。それを誰かに無碍にされたり他人によって壊されることを避けているものです。怒りの感情はほとんどが、「自分を尊重してくれていない」とその人が感じるから出ているとも言えます。その自分を尊重してくれたかどうかは、自分の価値観(信じている世界)のことを認めてくれているか、自分の価値観を立ててくれているか、自分の価値観もわかってほしいということを求めているのです。

本来は成熟してくると、自分の信じている世界があるようにみんなそれぞれに信じている世界があると多様性を認められますが自分の信じている世界のみがすべてになってしまうと周りとの人間関係が築きにくくなります。もしもみんなそれぞれに自分の信じている世界のみがすべてだと思い込み、自分が正しいと自分の価値観だけの正当性を証明しようと躍起になれば人間関係がギスギスしてしまいます。

色々な価値観があり、それぞれの信じている世界が面白いと寛容な気持ちを持てるようになれば、それもいいね、これもいいね、それも一理ある、その発想はなかったと、認め合えるようになります。そうなれば人間関係も円滑になり、それぞれの持ち味を活かし合えるようになります。

感情の源になっているものが何かと思いやることでその人の価値観を知り、その価値観を尊重することでその人は自分の信じている世界を大切にされた、つまりは自分を大事にしてもらっているという自己肯定感を持つことができるように思います。

感情を押し殺したり、感情を武器のように振り回すのではなく、この感情の本心は何だろうとみんなで思いやる訓練をすることが内省の本質であり、社會をよりよくするためにその訓練を日ごろから実践してみんながお互いの絆を深めあい安心して仕合せに生きることを目指すのが一円対話です。

引き続き、自分たちの実践を通して本心に寄り添い本心を隠さずにオープンでいられるような多様な持ち味が活かせる世の中になるように精進していきたいと思います。

誓願

御縁あって、郷里のお地蔵様のお世話を御手伝いすることになりました。ここは私が生まれて間もなくから今まで、ずっと人生の大切な節目に見守ってくださっていたお地蔵様です。

明治12年頃に、信仰深い村の人たちが協力して村内の各地にお地蔵様を建立しようと発願したことがはじまりのようです。この明治12年というのは西暦では1879年、エジソンが白熱電球を発明した年です。この2年前には西南戦争が起き西郷隆盛が亡くなり、大久保利通が暗殺されたりと世の中が大きく動いていた時代です。

お地蔵様の実践する功徳で最も私が感動するのは、「代受苦」(大非代受苦)というものです。

「この世にあるすべてのいのちの悲しみ、苦しみをその人に代わって身替わりとなって受け取り除き守護する」

これは相手に起きる出来事をすべて自分のこととして受け止め、自分が身代わりになってその苦を受け取るということです。人生はそれぞれに運命もあり、時として自然災害や不慮の事故などで理不尽な死を遂げる人たちがいます。どうにもならない業をもって苦しみますが、せめてその苦しみだけでも自分が引き受けたいという真心の功徳です。

私は幼い頃から、知ってか知らずかお地蔵様に寄り添って見守ってもらうことでこの功徳のことを学びました。これは「自他一体」といって、自分がもしも相手だったらと相手に置き換えたり、もしも目の前の人たちが自分の運命を引き受けてくださっていたらと思うととても他人事には思えません。

それに自分に相談していただいたことや自分にご縁があったことで同じ苦しみをもってきた人のことも他人事とは思えず、その人たちのために自分が同じように苦を引き受けてその人の苦しみを何とかしてあげたいと一緒に祈り願うようにしています。

もともとお地蔵様は、本来はこの世の業を十分尽くして天国で平和で約束された未来を捨ててこの世に石になってでも留まり続け、生きている人たちの苦しみに永遠に寄り添って見守りたいという願いがカタチになったものという言い伝えもあります。

また地の蔵と書くように、地球そのものが顕れてすべての生き物たちのいのちを見守り苦しみを引き受けて祈り続けている慈愛と慈悲の母なる地球の姿を示しているとも言われます。

自分の代わりに知らず知らずのうちに苦を受けてくださっている誰かを他人と思うのか、それとも自分そのものだと思うのか。人の運命は何かしらの因縁因果によって定まっていたとしても、その苦しみだけは誰かが寄り添ってくれることによって心は安らぎ楽になることができる。

決して運命は変わらなく、業は消えなくても苦しみだけは分かち合うことで取り払うことができる。その苦しみを真正面から一緒に引き受けてくれる有難い存在に私たちは心を救われていくのではないかと思うのです。

傾聴、共感、受容、感謝といった私が実践する一円対話の基本も、そのモデルはお地蔵様の功徳の体験から会得し学んだことです。その人生そのものの先生であるお地蔵様のお世話をこの年齢からさせていただけるご縁をいただき、私の本業が何か、そしてなぜ子どもたちを見守る仕事をするのかの本当の意味を改めて直観した気がしました。

地球はいつも地球で暮らす子どもたちのことを愛し見守ってくれています。すべてのいのちがイキイキと仕合せに生きていけるようにと、時に厳しく時に優しく思いやりをもって見守ってくれています。

「親心を守ることは、子ども心を守ること。」

生涯をかけて、子ども第一義、見守ることを貫徹していきたいと改めて誓願しました。

感謝満拝

 

歴史の教訓

以前、知覧にある知覧特攻平和会館を訪問する機会がありました。そこでは、特攻隊の方々の生活や遺書、そして遺品など様々なものが展示されておりました。私たちは今、何気なく生活をしていますが終戦間際、日本や子孫のために命を懸けて死んでいった方々の祈りや願いの上にこの平和な暮らしが存在していることを忘れてはならないと思います。そしてこの特攻隊の教訓から一体何を学ぶのか、それをきちんと子孫へと伝承していく必要を感じます。

私がこの特攻で憤り悲しいのは、戦略なき戦術、戦術なき戦略、何もできないからいのちを捨てろと幼い子どもたちに特攻をさせたことです。神風は、奇跡を起こすために一か八かの戦略ではなく元寇のときなどもあらゆる戦略を駆使し、その時代の侍たちが夜襲をかけたり、土地の理を活かしたり、相手の武器に対応したり、また国民のみんなが祈り願うことで危機を乗り越えていた最中に起きたことです。まさにこれも戦略であり、戦術に適ったものであったのは明らかです。つまり人事を盡していたからこそ真心が天に通じて奇跡を呼び込んだのです。いのちを粗末にしない、いのちを尊ぶからこその神風なのです。

しかしこの終戦間際の特攻は、そういった戦略も戦術もなく、ただいのちがけでいのちを捨てて突っ込めば何らかの奇跡は起きるだろうという安易な精神論を走らせ、人事を盡したわけでもなく真心があったのではなく、幼い子どもたちを死地に向かわせていきました。こんな無知無策の状態でいのちを投げ出させるようなことは決して指導者や指導部にあってはならないことです。負けるとわかっていて、無謀にいのちを捨てさせるということがあっていいのか、それは敵と戦うよりも卑劣で卑怯な行いで絶対にあってはならないことです。

そして軍神などと褒めたたえ、無理に死なせておいて終戦後に今度は無駄死にだったと蔑む、こんなことが果たしてゆるされていいのかと憤りを感じます。道徳として、こんな犠牲になった先祖たちを忘れたり蔑ろにしたりそういうものは人間としてあってはなりません。

今の時代はすぐに戦争のことを書いたり、靖国神社のことを書けば、勝手に偏見でこの人はこういう人だとレッテルをはられます。しかし、よく考えてみてください。もしも自分の親や自分の祖父、もしくは子どもや孫が、誰かの卑怯な作戦で死んでそれをなかったことにされたり、そうやって騙されながらも素直に犠牲になったものを弔わずに蔑むなどはありますか?あるはずはないはずです。

非道さや不道徳さというのは、むかしから私たち日本人のもっとも忌み嫌い恥ずべきところです。仇討ちに見られるように、私たちは人間として道に照らして外道であることは恥だと生まれる前から持っている道徳なのです。

道徳というものは、当たり前すぎて議論にもなりませんがそういう当たり前のことを自分の頭でよく考えて、自分なりに歴史の真実と向き合い、生き方を見つめ直す必要があると私は思います。

今の時代は、周辺国との関係が次第に悪くなり戦争の機運も高まってきています。もう一度、歴史に学び、どう生きていけばいいか、何を教訓にするか振り返る必要があると思います。子どもたちが悲しい歴史をまた体験しなくてもいいように、今の私たちができることを真摯に取り組んでいきたいと思います。