精霊の伝承

本日で盂蘭盆会が終わり、いよいよ送り火をしてご先祖様を送り出します。私の小さい頃は近所の川に精霊送りというものを行っていた記憶がありますが、今ではゴミ問題などがあり禁止になっています。これは藁で作った舟にお供え物や飾り物を乗せた精霊舟、またたくさんの灯篭を流して、さらに病気や災いも一緒に流すという意味があったといいます。

送り火というのは御先祖様があの世に帰るときにその火に乗って帰られるからと信じられています。火と共に訪れて、火と共に帰っていくという仕組みですが火の精霊を通して私たちは御先祖様の心を静かに感じ取っていたのかもしれません。

古代の日本人は常に精霊と共に暮らしを営んできたといいます。精霊とか幽霊とか今はそれは非科学的だと馬鹿にする人もいますが、それは現代ではかつてからの信仰が変わってしまったからに他なりません。

精霊については感じるものですが、その説明書きはウィキペディアに書かれています。

『古代日本では自然物には生物も無生物も精霊(spirit) が宿っていると信じ、それを「チ」と呼んで名称の語尾につけた[2]。古事記や風土記などの古代文献には葉の精を「ハツチ(葉槌)」、岩の精を「イワツチ(磐土)」、野の精を「ノツチ(野椎)」、木の精を「ククノチ(久久能智)」、水の精を「ミツチ(水虬)」、火の精「カグツチ(軻遇突智)」、潮の精を「シオツチ(塩椎)」などと呼んでいたことが知られている。また、自然界の力の発現はその精霊の働きと信じ、雷を「イカツヂ」、蛇を「オロチ」などと呼んだ。こうした精霊の働きは人工物や人間の操作にも及び、刀の力は「タチ」、手の力は「テナツチ(手那豆智)」足の力は「アシナツチ(足那豆智)」、幸福をもたらす力は「サチ(狭知)」などと呼ばれていた。人間の生命や力の源が、血液の「血」にあると信じられたところに、「チ」が起源しているとも言われている。土(ツチ)、道(ミチ)、父(チチ)も同じ考えが表現されたものと見ることができる。また神話や古代氏族、とりわけ国津神系の氏族の祖先には「チ」を名称の語尾につけているものが見出される。神話では「オオナムチ(意富阿那母知)」や「オオヒルメムチ(大日霎貴)」、氏族では物部氏の「ウマシマチ(宇摩志麻治)」や小椋氏の「トヨハチ(止与波知)」などである。神名や人名の語尾(正確には「〜神」、「〜命』の前の語)に「チ」がつく名前は最も古い名前のタイプで、草木が喋ると信じられていた自然主義的観念の時代を反映しているものと考えられている』

諺に「一寸の虫にも五分の魂」とありますが、小さな小虫や道具や物に魂がないと粗末にすればひどい目にあうものです。

日本人は精霊を信仰していたのは、火や水、土や風も生きていると感じていたからです。自然から離れればそんなものは感じないのでしょうが、自然と一体であれば他の虫や植物、動物たちのように水や風の流れを感じて暮らしを営むのでしょう。

古代の日本人の先祖がどのように生きてきたか、私はこの迎え火と送り火の中に感じます。この期間、私も常に炭を熾して火をかけていますがこの火の周囲に落ち着いた明かりが灯ります。

御先祖様が感じた光、ご先祖様のぬくもりを今に感じながら子孫のために私も先祖になっていきたいと思います。

 

お盆の発祥

昨日からお盆に向けて、いつも見守て下さるご先祖様を迎え入れる準備をはじめています。よくお掃除をしてお供え物や迎え火、送り火の準備、そのほか様々なことを整えてこの期間を心静かに過ごします。

そもそもこのお盆とは何か、少し深めてみようと思います。

お盆という行事が最初に日本で行われたのは推古天皇の時代、606年だといわれます。日本古来の祖霊信仰とインドから入ってきた仏教が和合し、このお盆という行事が私たちの暮らしに定着しました。

このお盆は旧盆というものがあり、旧暦の7月13日から4日間ほど行われていました。しかし、その時期はちょうど農繁期で忙しくそれを遅らせようと明治以降からこの8月13日からの4日間をお盆の期間としたそうです。なのでこの時期は、月遅れの盆といいます。先日参加した京都の祇園祭は、旧暦のお盆と同時期に行われていましたから明治以降に暦が変わり行事の時期も変化したのが改めてわかります。

本来、行事の日程というのは古来よりその日でなければ風土や気候、自然との関係が薄れることから簡単に日程の変更はしてはならないものなのですが現代ではその辺の日時も珍紛漢紛になっているものが多く意味も薄れていっているようにも思います。

ご先祖様が故郷に帰ってきてくださる時期をこちらの都合で遅らせてもらうというのも微妙な気もしますが、どちらにしてもご先祖様への感謝の行事として私たちはこの時期はご先祖様の存在を身近に感じることができるように思います。

もともと「お盆」という呼び名は、インドで発祥した仏教の経典を中国の竺法護が訳した『盂蘭盆経』に由来する「盂蘭盆」が省略された言葉です。その盂蘭盆経にはこう読まれます。

『釈迦様が祇園精舎におられたときに、目連が初めて六神通を得て亡き父母に何かできないかと思った。その霊視力をもって世間を探した所、亡き母を餓鬼たちの中にみつけた。飲食も取れず骨と皮で立っていた。目連は悲しみ、すぐ鉢に御飯を盛って母のもとへ持っていった。母は御飯を得て、左手で鉢を支え右手で御飯を食べようとしたが口に入れる前に炭に変ってしまい食べることはできない。目連は大いに泣き叫び、釈迦様の所に帰って、このことを報告した。

お釈迦様は言うことには、あなたはお母さんの罪は重かったようだ。あなた一人の力ではどうにもできない。あなたの孝順の声が天地を動かし天や地の神々、邪魔や外道・道士に四天王まで動かしてもどうにもならない。まさに十方の修行している僧の力が集まれば解脱することができるだろう。これから救済の方法を教えよう。それですべての苦しみや憂いも消えるだろう。

お釈迦様は目連にこう言った。十方の衆僧が、七月十五日、「僧自恣」の日、まさに七世の祖先から現在の父母まで、厄難中者のためにつぎの物をお供えしなさい。御飯、多くのおかずと果物、水入れ、香油、燭台、敷物、寝具。世の甘美を尽くして盆中に分け、十方の大徳・衆僧を供養しなさい。この日、全ての修行者は或いは山間にあって禅定し或いは四道を得、或いは木の下で歩き経を上げ、或いは六種の神通力で 声聞や縁覚を教化し、或いは十地の菩薩が大人になり、神になり比丘になって大衆の中にあるのも、みな同じ心で、この御飯を頂けば清浄戒を守って修行する人たちのその徳は大きいだろう。これらの供養を「僧自恣」の日に父母も先祖も親族も三途の苦しみを出ることができて時に応じて解脱し、衣食に困らない。まだ父母が生きている人は、百年の福楽が与えられるだろう。もう既に亡い時も七世の祖先まで天に生じ自在天に生まれ変わって天の華光に入り、たくさんの快楽を受けられるだろう。

その時お釈迦様は十方の衆僧に命じた。まず施主の家のために呪願して七世の祖先の幸せを祈り坐禅をして心を定めしかる後に御飯をたべよ。初めて御飯をたべる時はまずその家の霊前に座ってみんなで祈願をしてから御飯をたべなさい。その時目連や集まった修行者たち皆大いに法悦に包まれ目連の泣き声もいつしか消えていた。

目連尊者の母は、この日をもって気の遠くなるような長い餓鬼の苦しみから救われ得た。目連はまたお釈迦様に言った。将来の全ての仏弟子も私を生んでくれた父母は、仏法僧の功徳をこうむることができた。衆僧の威神力のお陰である。将来の全ての仏弟子もこの盂蘭盆を奉じて父母から七世の先祖までを救うことができる。そのように願って果たされるでしょうか。

お釈迦様は答えて言う。

いい質問だ。今私が言おうと思ってたことを聞いてくれた。善男子よ、もし僧、尼、国王、皇太子、大臣、補佐官、長官、多くの役人、多くの民衆が慈悲、孝行をしようとするなら皆まさに生んでくれた父母から七世の祖先までの為、七月十五日の仏歓喜の日、僧自恣の日において多くの飲食物を用意して盂蘭盆中に安じ十方の僧に施して、祈願してもらいなさい。現在の父母の寿命が伸びて病気も無く一切の苦悩やわずらいも無くまた七世までの祖先は餓鬼の苦しみから離れ天人の中に生まれて福楽が大いにある。

お釈迦様は善男善女たちに告げて言った。

この仏弟子で孝順なる者はまさに念念の中に常に父母を思い七世の父母までを供養しなさい。毎年七月十五日に常に孝順の慈をもって両親から七世の祖先までを思い盂蘭盆を用意して仏や僧に施して、父母の長養慈愛の恩に報いなさい。もし一切の仏弟子とならばまさにこの法を奉持しなさい。この時目連、男女の出家・在家はお釈迦様の話に歓喜し奉行した。』

このように仏陀の説いたものが盂蘭盆経の中に記されています。

どんな意味があってこのお盆という行事が生まれ、何が起点になっているのか、古来を深めるということは先祖につながるということです。

引き続き子どもたちのためにも、お盆の行事を学び直してご先祖様との邂逅を味わっていきたいと思います。

伝統的な梅干し

先日から梅干しをつけて深めていたらなんと80年前の梅干しをある方から分けていただくことができました。この梅干しは、その方の御祖母さんが嫁いできたときに樽でつけられた梅干しです。

それまで梅干しは何年食べれるのだろうかと疑問に思っていましたが、調べてみると数百年持つものもあるということで驚きました。早速食べてみると、表面は黒い鉄のようですが酸っぱくなく古酒やワインのようで、その和かで優しい味に驚きました。

現存する最古の梅干しは奈良県の中家にある梅干しで、1576年の安土桃山時代に漬けられたものと言われています。441年前の梅干しというのはどのようなものか、ぜひ一度は食べてみたいと思いますがなんとそれより以前の室町時代の梅干しもまだ現存しているという説もあるそうです。

現代では調味梅干しといって添加物や保存料、はちみつや旨味成分などが入っていたり減塩タイプのものになっているので消費期限を約3ヶ月から半年くらいで設定されていますからその刷り込みで最初は数年くらいしか持たないものだ思い込んでいる人も多いように思います。しかしそれは添加物や保存料のせいでかつての伝統的な製法でつくれば数十年から数百年持つということが梅干し本来の凄さです。

防腐効果がある伝統の食品に保存料を使うという愚をなぜするのかと疑問に思いますが売れればいいと舌先三寸の味に走ることでそれまでの梅本来の智慧や徳が観えなくなるのはとても残念なことです。

伝統的な製法で昔の塩をつかい、手作りで塩分濃度を20%に保てば何百年も持つという真実を聴いて、改めて梅干しの防腐効果の偉大さに尊敬の念がこみあげてきます。梅干しはかつては日本人には欠かせない薬だと思っていましたが、この80年ものを食べてみてはじめて私も梅干しのことを本当に信じられた気がします。

高温多湿の腐りやすい日本の風土において遥か昔から病気の予防や、薬として先祖たち、多くの人が愛用し続けてきたこの梅干しは至高の智慧の結晶であり、自然防腐の仕組みを内在した健康食品であったということです。

どんなものを今まで食べてきたかということの中に、梅干しがその真ん中にあったことを感じます。梅はずっと私たちを見守り助けてくださってきた木であり、その存在と同じくらいその徳を尊重して大切にしていこうとした先祖の信仰心には頭が下がる思いがします。

今回の梅干しのご縁で改めて発酵の魅力を再発見するとともに、伝統的な梅干しを天神祭に向けてさらに深めてみたいと思います。

 

梅の徳3~梅の生き方~

天神祭に向けて梅を深めていますが、梅の花の紅白について考える機会がありました。梅は一つの木で、紅色や白色に咲く花もあり、紅白美しく咲く様子にはうっとりするものです。菅原道真公もこの紅白の梅の花を一生愛した人物だったといわれます。

紅白の由来には諸説ありますが、赤色が赤ちゃんというように出生を意味し、白色が死装束の色のように死や別れを意味するところから、その 2つの色を組み合わせることによって「人の一生」を顕すという説、また花嫁衣裳の色であるという説、赤飯を炊いて祝っていた説などが主な由来とされています。

紅白歌合戦などの紅白は、むかし源平合戦が紅色と白色の旗印で行われたことから名づけられたという説もあります。日本の国旗もまた、この紅色と白色の2色で彩られます。

この紅白の持つ意味は、私たちが思っている以上に深く日本人の精神に大きな影響を与え続けているのかもしれません。

菅原道真公も梅の木に自分を照らしながら歩んだ一生だったのではないかと私は思います。梅の詩には、その梅の木をまるで父母ように慕い愛した心情を私は感じます。

「梅の花 紅の色にも似たるかな 阿古がほほにも つけたくぞある」

「月の輝くこと晴れたる雪の如し 梅花は照れる星に似たり 憐れむべし 金鏡転じ 庭上に玉房の馨れることを」

この2つは、幼少期に菅原道真公が詠んだ詩です。両方の詩には、梅を憧れの先生のように素直に慕っている心情が読み取れます。

中国から伝来したもっとも君子を顕す梅と共に自然から学び自らの魂を高め続けた菅原道真公の姿が梅の姿から観えてきます。

同様に、天神様を信仰する学問の志士たちは「梅花香自苦寒来」を信じ、どんな境遇においても常に独り慎む君子のように「高潔」を顕す梅の徳を君子に見たて、その紅白の花を咲かせる梅のように歩みたいと梅を師とし、友とし、伴侶として歩んだのかもしれません。

不遇の生涯であっても後世のために使命を果たした大徳、中国の孔子のように私はこの菅原道真公の功徳の偉大さを感じます。私にとっては、菅原道真公は日本における孔子の役割を果たしているように思います。

高潔な一生を生きる梅の徳を梅の生き方から学び直し天神祭に向けて、学問を深めていきたいと思います。

 

天神様の生き方~和魂円満~

来月の天神祭にあわせて準備を進めていますが、改めて菅原道真公の遺徳を感じることばかりです。もう1100年以上前の人物が、今も大切に祀られ子孫である私たちを見守ってくださっているだけですごいことですが、至誠の神だけでなく、雪冤の神、正直の神、文學の神、書道の神、相撲の神としてあらゆる分野で先祖たちは畏敬の念をもって接してきました。

また「和魂漢才」といって、日本固有の精神をもって外国から伝来した学問を活用する模範となった方でもあります。

人生としてはたったの57年ほどのもので、その最後は冤罪によって大宰府に送られましたが真心が天に通じてその後に人々に至誠を盡すことが大切であることを生き方で伝道された方でもあります。

その切り拓かれた道を、後世の人たちがその時代時代に続いてきたからこそ今もその恩徳や霊験が大切に信仰として遺っているように思います。

江戸時代の復古神道の大成者の平田篤胤が記した「天満宮御伝記」というものがあります。道徳の規範として、菅原道真公の生き様、またどのような恩恵があるかについて記されます。

「仰天満宮世に在ませるときは、第一に神を尊び御二親に御孝行にましまし、君にはよく忠義を盡し給い、もの読み手跡を好み給ひ、御心正しく直に坐ませる故に、神となりても世人の忠孝の道を守らず正直ならざる者は悪み給ひ、読み書きをきらふ物をば恵み給はねば、能能親の示し、師匠の教えを忘れず守り、主に事へては大切に勤め心を正直に持ちて偽はる事なく、読書手習ひに精出して、天満宮の御心に叶ふやうに心を持つべし、もし此事を守らざれば、天満宮の御罰蒙りて遂には禍を受べし」

とあります。

何を大切にすることを天満宮が示したか、どのような生き方をすることが学問の意味であるか、千年を超える信仰の中に私たちはこの教えにより繁栄を続けてきたことを実感します。

小さな島国において、和魂を盡しつつその才を活かし伸ばすということが風土が顕現した学問の原点です。

私は「和魂円満」という言葉を用いますが、この円満は天満と同じ意味になります。八百万のものを受け容れながらそのものを丸ごと活かす境地こそ、学問がある高みに達してその学問を大成した証になるように私は思います。

天神様の教えが、如何に幸福な生き方を私たちに伝承されてきたか。日本人が今の日本人になるために偉大な師匠であったことを改めて実感します。生き方や生き様な燦然と輝く天満宮を、古民家甦生信仰の柱にしたいと思います。

風土

私たちはそれぞれに住んでいる国の風土があります。その多様な風土の中でそれぞれの文化が発生し、その文化によってその国の人々の暮らしの個性が出てきます。

世界には風土の数と同等数の多様な民族や暮らしがあり、それを継続して発展させて文化にまで昇華したものが伝統というカタチになって遺っているのです。

現在は、世界の国々でもともとあった風土とは異なる文化をそのまま移設しようと試みられていますがそのことによりその風土にあった「場」が失われてきています。同時に、場が失われれば文化もまた減退していきますから民族の個性や暮らしも失われていきます。伝統が消えていくというのは、その国の風土や文化が消失していくということに他なりません。

伝統文化において大切なのは、場と間です。

どのような風土の中で、どのような経過を辿ってきたか、それが混然一体となって和が産まれます。

日本には産霊や結びといった、あらゆるものが混ざり合い産まれる和という信仰があります。これは風土が他を排斥せず否定せず、お互いを尊重し合って一つのものになるということです。

これは日本の風土が、小さな島国の中であらゆる多様な気候の変化を受け容れることにもよります。こんなに小さな場所でも、この日本は非常に複雑で新鮮な風土環境を持っています。それは台風や地震、火山やあらゆる自然の猛威を潜り抜けている場所ともいえることでもわかります。

私たちはこの場に住んでいますが、今こそこの場を改めて見つめ直して学び直し、価値を再構築し再発見をする必要があるように思っています。

なぜなら世界は今、大きな岐路に立たされておりこの先の未来のためにも自分たちがどのように伝統を守りそれぞれの個性を互いに尊重して一和していくかが問われているからです。

風土を無視して同じ色に塗り替えるということが世界が一つになることではありません。多様な風土があるように多様な民族や伝統文化、暮らしがあってそれを尊重し合いながら生きていくことが人類の役割だと私は思います。

地球上で生きるすべての生き物やいのちたちを追い払って自分たちだけになって果たしてその世界は楽しく豊かな場になっているのでしょうか。閑散としたビル群の中での生活は確かに便利で楽でしょうがお金を使うことばかりに創られた都市の中で本当の仕合せはないと私は思います。

あの美しい自然が私たちの心を癒すように、何が本来の姿だったか、懐かしいものを現代に伝承していくことも今の世代の責任だと私は思います。

引き続きこの先に地球に生まれる子どもたちのためにも、風土のあるべきようを究め直し、風土を活かした志事を実現させて和の甦生を実践していきたいと思います。

視野と関心

物事には視野というものがあります。

この視野とは何かといえば、自分がどれくらい関心を持っているかということです。

人間は結局は、どれくらいの視野で物事を見てそして優先順位を決めているかで自分の活かし方もまた変化してきます。世界の広さで物事を観て、今日の一日を過ごす人と自分の視野だけで物事を観て一日を過ごす人ではその一生の活動においてその質が異なるのは明白です。

この視野を高めるために必要なのは、すべてのことを自分のことのように置き換えることで高まっていくように私は思います。自分のことにしか関心がなく、他のことを他人事のように考える人は視野が狭い人です。

視野の寛い人は、思いやりが深く配慮があり、常に世界に関心を持っています。狭い自分の価値観や自分だけの人生だけで自分をいっぱいにすることはなく、常に自分の周囲だけではなくその先にある子どもたちやその後に続くであろう人々に心を運んでいきます。

自他一体に、相手のことを自分のことのように思えるのは視野がある境地に達しているともいえます。例えば、相手に起きることは実は自分のことではないか、このご縁は自分が体験させていただきながら誰かのお役に立つためのものではないか、今起きているすべては必然ではないか、この人の問題は私の問題で会社の問題は自分の問題ではないかとすべてを同一にまで高めることができる人は視野を持てるようになっているともいえます。

視野という言葉と共に視座というものもあります。

これは相手がどの高さで物事を観ているかを知るということです。人は視野が高くなると同時に視座も高くなってきます。問題意識が高い人は視座が高い人だとも言えます。人は自分の高さで物事を見てもそれは問題意識の高い人の視点の高さで観ることができません。

自分の視座を高めるためには、相手の物事の観る視座を持たなければ対話をすることもできません。例えば、国家であれば首相の問題意識で物事を見る人、会社であれば社長の問題意識で物事を見る人、それで視野も視座も異なります。

全体を観るというのは、物事をどの高さで捉えているか、物事をどの視点で考えているか、物事をどの境地で観ているかということに由ります。

だからこそ常に相手の話を聞くときに、自分の視野や視点にだけ囚われるのではなく常に相手の立場に立って自分事としてとらえることで視野は寛がり、視座も高まるように私は思います。

松下幸之助氏の言葉に、「視野の狭い人は、我が身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。」という言葉があります。常に自分本位、自分の視点だけで周りを見ないという自分勝手なことをしていてはいつまでも視野は変わりません。

だからこそ常に相手の立場で物事を考える実践や、常に相手が自分だったらと思いやることで視野を切り替える訓練を通して人は成長していけるように思います。

自分の思っている以上のことがその物事にはある、そして自分はわからないことがきっとあると自分の慢心を戒め、常に自分の視野が曇らないようにしていくことが最初の取り組みのように私は思います。

自分本位自分勝手な視野は、すべてを狭くします。関心とは心の関わりと書きますが、心がつながっていくことで視野は大きくなっていきます。常に心を開いて心からかかわっていきたいと思います。

 

 

成長の本質

「習熟」という言葉があります。

辞書によれば「ある物事に慣れて十分に会得(えとく)すること。」と書かれます。類語には、「習得する 、 身に付く 、体得する 、 自分のものとする 、覚える 、我が物とする 、マスターする 、 修得する 、 肌でつかむ 、心得る 、 極める、磨きぬく、鍛錬する、錬磨する、熟達する」などがあります。。

この習熟は、パッと言葉で教えてわかったからと簡単にできるものではなく長い時間をかけて繰り返し繰り返し続けていく練習の中で身についていくということがここからわかります。

自分のことを思い出せば様々な智慧はどうやって身についてきたかと思うと、根気強く一つのことを求め続けていく中で何回も失敗を繰り返し改善を続けていくなかであるとき、コツを掴みできるようになりました。

そのためにはいつできるようになるのかがわからなくても、諦めずに求め続け高め続けていく中である瞬間に臨界期を超えて脱皮して新しい自分に生まれ変わるという体験が必要です。

この脱皮して生まれ変わるというのが、習熟であり発達したということです。その間は、なぜこんなにうまくいかないのか、なぜわからないのかと、どうすればできるのかと日々に煩悶しますがそれでも強く変わりたいと願い、挑戦し続けて取り組んでいく中で気が付いたときには変わっていくものです。

脱皮したり変化したりするのがうまい人は、好奇心が旺盛でなんでも楽しくやっているうちに変化していきます。あまりマジメ過ぎると、そのこと自体が楽しくなくなり、つらくなりさらには焦りや臆病風が吹いてきては怖くて新しいことに飛び込んでいく勇気がでないままに動けなくなりいつまでも変わらないこともあります。

だからこそ、変わるためにはもっと大らかに明るく楽しく求めていく必要があるように思います。それは道を究めようとする心であったり、やっていることの意味に気づき、その深さや面白さを味わったり、達人や熟達した人たちにその体験談やヒントを聴いてそれを試してみたり、また仲間や友人と共に現状を語り合いながら苦労や感想を分かち合ったりと、「創意工夫」をしながらやっていくとより脱皮しやすいように思います。

変わらないからと焦ってみても、自分を責めるばかりで周りのせいにしてはかえって変わることができなくなります。

どうせある日あるときに突然に気が付くとできるようになっているようなものが「成長の本質」であり、それが習熟するということですから日々はいろいろとやり方を工夫してみてその工夫の妙を味わっていくような気持でネアカに快活に歩んでいく方がいいように思います。

諺に「好きこそものの上手なれ」とありますが、まさにこれは先人が語る習熟するための至宝の妙法かもしれません。どうやってそのものを心から大好きになっていくか、そこが脱皮の最大のヒントのようにも思います。これはあるものを磨いてそのものに深々と愛着をもっていくことに似ています。

引き続き、様々な実践を楽しみ味わいながらその一つ一つがあるとき習熟してわかりできるようになる日を心持にしながらご縁を結び、日々の磨き直しを楽しんで取り組んでいきたいと思います。

 

土の甦生

先日、古民家甦生で壊れた漆喰の壁を伝統工法で修復する作業がありました。糊も昔ながらの技法で海藻をコトコトと煮込み、漆喰を調合して壁面に塗り込んでいきます。

左官職人はまるで自由に滑らかに縦横無尽に鏝を使い繊細で緻密な作業を流れるように進めていきます。土づくりから参加してみてみると、下準備にかかる手間暇は膨大で最後の仕上げしか想像していなかった私には学び直すことばかりでした。

下準備や段取り次第では、仕上げの塗りができなくなることもあり、下塗りや中塗り、そして上塗りとコツコツと丁寧に壁を整えていきます。特に土の調合では、納得いくまで丁寧に何回もイメージしたものを混ぜ合わせていきます。

土は自然物ですから、その時々の気候や湿度、温度によって土の状況も異なります。その土と向き合い、その時々の環境の変化に合わせて微妙に調整をする、まさに職人技のなせるとことです。

今回は私も左官職人の指導で漆喰塗りを体験してみましたが、幼いころに遊んだ土遊びのことを思い出しました。幼いころは、川や水辺、田んぼの周辺で土を混ぜては様々な造形物を創りました。泥団子やダム、トンネルや、お城や動物など、想像したものを手で捏ねては塗り固めて遊びました。

あの頃のワクワクしたことを思い出し、土の存在を最初に身近に感じた頃の懐かしい記憶を思い出しました。土は、縄文時代以前からずっと私たちの身近にあって私たちの暮らしを支えてきたものです。

半永久的になくならず、そして甦生を繰り返して利用できる循環型の素材として土は永続的に家を保つのに活用されます。聴福庵の床の間や漆喰の壁の土もそこにあったものを剥ぎ取り、また混ぜ合わせて再利用されました。

どのような土で生きて、どのような土と共に歩んでいくか、土はその場所を動かないからこそ私たちはその土から生き方を学ぶようにも思います。

これから土は瓦の土と、茶室の土が入ってきます。特に茶室のものは、自然農で手塩にかけて育てて見守ってきた発酵した田んぼの土を使ってこれから左官職人と一緒に創りこんでみる予定です。

日本の伝統文化と職人の伝統芸術を遊びながら土の甦生を味わっていきたいと思います。

古井戸の甦生

昨日より、いよいよ古民家の古井戸の甦生をはじめました。もうずいぶん長く使用されていなかった井戸を、手掘りで再生をはじめたのですが慣れない仕事で体中が筋肉痛です。

井戸掘りのプロの方に見ていただき色々と調べてみると、大体6メートル近くはあるらしく今は1メートル半くらいは掘ったのでこれから残りの分を少しずつ掘っていく予定です。

手掘りで井戸掘りのことを伝えると、近所の方や知り合いが懐かしいと見に来てくださいました。昔はみんな井戸水を使っていたこと、日々の暮らしの根元には井戸があったこと、近所の酒蔵や醤油さんはその水でお酒や醤油をつくっていたことなどをお話していただきました。

夏はとても冷たく、冬は温かい、大体年中平均が16度前後の美味しい水が出るといわれ水が出てくる日が楽しみになりました。

昔の日本人は、自然の中に精霊のようないのちがあることを見出し、八百万の神々といってすべてのものに畏敬の念を持ち祈りを奉げお祀りしてきました。家の中には、厨房のおくどさんには三宝荒神さまがいて、トイレには烏枢沙摩明王さまがいて、井戸には水神さまがおられるとして大切に清浄にされてきました。

今では見えないものは信じられず、見えないものを語るとオカルトや宗教や頭がおかしいなどと中傷されますが古来の先祖は見えないものが観えたかのようにそこにあるものとして様々な祈りを奉げてきたのがわかります。

私たちの暮らしを支え見守る火や水、風、土、木や石、月や炭などもそこに確かに精霊やいのちが宿っていていつもその御力をお貸ししていただき私たちが生活していけることができているという感謝の念を忘れることはありませんでした。

今では簡単に火も水も風も、そういうものを自由自在に使えるように科学が発展しましたが技術だけで生み出したいのちの入っていないものに精霊やいのち感じることはできなくなってきたのかもしれません。

炭で熾す火とガスで簡単に出てくる火、井戸の中にある水と、蛇口をひねるとすぐにでてくる水に精霊やいのちをどちらがあると感じられるかは触れてみれば一目瞭然です。

人類が自然を破壊し大きな岐路に立たされているときだからこそ、どのように生きるか、いままでどのような心構えで生き永らえてきたのか、先祖の智慧を頼る必要があると私は思います。

最後に、外の猛暑とは一変してひんやり別空間の掘り進める井戸の中から真上を見上げると、青空が見えそれをのぞき込む仲間たちの笑顔が観えました。その光景にかつての井戸端会議なども井戸の中に響いたのではないかとも思い、生活や暮らしを土の中からお母さんのように見守る存在として水の神様があったのではないかとも空想しました。これはまさに土と水の調和の上に家が立つという教えだったのかもしれません。

有難い井戸や水神さまの存在に感謝しながら心を籠めて丁寧に掘り進めていきたいと思います。